「アルバート!」
腹に力を入れ、よく聞こえるように声を張る。
「!……艦長。どうかされましたか」
びくりと肩を竦めてこちらを振り返る様子に、深く溜息をつく。
「どうかも何も……丸一日オフのはずの君が一度も食堂に現れないと連絡が入ったんだよ」
「あ」
やはり完全に時間を忘れていたようだ。見開かれた目がゆっくりと逸らされていく。
「今何時だか分かるかい?」
「……すみません、お手数をおかけしました」
アルバート・ハインラインは優秀だが欠点も多い。その一つが過集中だ。一人で作業をしているとこのように寝食を忘れてしまうことがままある。ただ既に朝食どころか昼食を超えて、いわゆるおやつに近い時間まで飲まず食わずはさすがに珍しい。
「まったく。そんなに熱心に何をしていたんだい?今急ぎの案件は無いはずだが……」
気になって手元のタブレットを覗き込む。どうやらアイディア出しをしていたようだ。簡単なスケッチと走り書きが画面を埋め尽くしている。これは……。
「……アルバート」
「はい」
「今ザフトで新型の戦艦の建造予定は無いはずだが?」
描かれているのは戦艦だ。それも現在運用されているどの陣営の物とも違う新しいタイプ。兵装に関してはミレニアムをベースにしているようだがいくつかある外観のスケッチはどれも見たことのないデザインをしている。
「そうですね。僕も聞いていません」
「ならこれはなんだい?」
「ザフトでは不要でもコンパスには必要でしょう?」
言っていることは間違っていない。先の騒動でアークエンジェルが失われた今、コンパスに戦艦が足りないのは事実だ。
「そうだな。だが建造するならオーブでだろうし、そもそもまだ正式に造ることが決まった訳でもない。勿論協力の依頼も来ていないのになぜこれを?」
「なぜ……?」
そこで初めて自分の行動が普通でないことに気が付いたようだ。目を瞬かせて不思議そうにしている。
アルバートは戦艦の設計にも携わるが決して専門家ではない。普段なら仕事でもないのにこんなにも長時間没頭するような分野ではないのだ。
「言い方を変えよう。これは誰のための艦だい?」
これらのアイディアは雑多なように見えてきちんとコンセプトがある。明らかに、ある一人を想定したものだ。
アルバートは以前からある人物に強い興味を持っていた。そして先日その人物の能力と技術を実際に体感したことで大きな刺激を得たのだろう。
答えは判りきっているが自身で気付くべきだと水を向ける。
「艦長」
澄んだ空色の瞳がこちらを捉える。
「基本的に戦艦は個人が所有、運用するものではありません。誰の、という特定個人を指す表現は適切ではないのでは?」
…………………………………………。
「冗談だろう?」
思わずこぼれた本音にアルバートが首を傾げる。
「冗談を仰っているのは艦長の方では?」
真っ直ぐな目をしている。照れているわけでも誤魔化そうとしているわけでもない。
「いや、そうでは……あぁ、いい、何でもない。忘れてくれ」
「? はい」
不思議そうにしながらも大人しく引き下がった。
「……とりあえず食堂に行こうか」
「いえ、艦長はお戻りにな」
「それでまた来いと言うのかな?」
最後まで言わせず少しだけ語気を強めて返す。かつて“やめる”と言ってやめなかったためしは両手足の指でも足りないのだ。さすがにまずいと思ったのだろう、手早く端末にロックを掛けて立ち上がる。
「ご一緒させてください」
「勿論だとも」
そのままアルバートと連れ立って部屋を出た。
「……」
平静を装って食堂へ向かいながら、あの日のことを思い起こす。
ファウンデーションとの戦闘終了後、まずはラミアス、フラガ両大佐がブリッジを出た。それからマーカスに引き継ぎをしていたノイマン大尉が少し遅れてブリッジを出ると、後を追うようにアルバートが出ていった。珍しいことだったので、念の為にとドアを開け放し様子を窺う。
「ノイマン大尉」
呼び止めた声は落ち着いていて、ひとまず胸を撫で下ろす。
「はい、何でしょう」
「先ほどの戦闘、素晴らしい操舵でした」
「いえ、俺はラミアス艦長の指示通りに動かしただけで。艦長と艦が良かっただけですよ」
「そんなことはありません。シミュレーター、実機含めてミレニアムの操舵を経験した者は複数いるがこんなにもこの艦の性能を引き出してくれた者は居なかった」
「そ、そうですか」
ノイマン大尉は少し戸惑っているようだが、アルバートはまだ落ち着いているのでそのまま続けさせる。
「そうです。この艦は私一人で作り上げたものではないが、それでも私にとって特別な艦だ。……ミレニアムを自由に羽ばたかせてくれたこと、感謝しています」
「いえ、そんな。私の方こそ感謝しています。こんなに素晴らしい艦を任せていただいて光栄でした」
「ノイマン大尉」
一呼吸分、間が空く。
「本当に、ありがとうございます」
聞いたことがない柔らかな、どこか甘ささえ感じる声。
「こ、こちらこそ」
「お疲れのところ、引き止めて申し訳ありません。ゆっくり身体を休めてください」
「ありがとうございます。では、失礼します」
「お疲れ様でした」
ノイマン大尉が立ち去る気配を感じ、アルバートが戻る前に艦長席に戻った。
―二人きりになるタイミングで引き止めて?手放しで褒めて感謝までして?私でさえ初めて聞く声を出しておいて?まったく自覚がないと?―
数歩後ろを着いてくるアルバートに聞こえないようにつぶやく。
「どうしろと言うんだ……」
今すぐ頭を抱えて溜息をつきたかった。
まさか三十歳の成人男性に色恋について教えなければならないのか。それも自覚するところから。
―確かにアルバートはそういったことに興味がなく、むしろ遠ざけているような雰囲気すらあったが―
せっかく芽生えた、彼にとっておそらく初めての感情。放っておけばこのまま薄れ消えてしまうことは想像に難くない。それはあまりにもったいない。
まずは何から始めるべきか。考えを巡らせながら食堂へ足を踏み入れた。