扉の開く音が来客を告げる。
振り返る必要はない。この部屋にそうやって入ってこられる人物など限られている。
「ハインライン大尉」
「お疲れ様です、艦長。何かトラブルでもありましたか」
予想通りの声に手を止めぬまま答えれば溜め息が聞こえてくる。
「トラブルと言うか苦情だな。”ハインライン大尉が物凄い勢いで作業を進めていて他が休むに休めない”と」
連続した足音がすぐ後ろで止まった。
「別に他の者に同程度の作業は要求していません。休みたいのなら休めばいい」
「しかしなぁ」
椅子の背に手を掛けてディスプレイを覗き込んでくる。
「あぁ、やっぱり。どれもこれも今すぐ、君がやらなければならないものじゃないじゃないか」
艦長の言う通り本来今頃作業している筈だったものはとっくに終わらせていて、今やっているのはまだ時期的に余裕のある細々とした確認ばかりだ。
「えぇ。ですが私がやった方がより早く、より確実に、より良い艦が仕上がります」
「それはそうだろうが」
「艦長」
手を止めて斜め後ろを振り返る。
「お気遣い感謝しますが、問題ありません。食事と睡眠の時間はきちんと確保しています」
食事は三食摂っているし、夜は決まった時間にベッドに入っている。……内容については別の話だが。
じっとこちらの顔を確認したあと、先程よりも深い溜め息をついて肩を叩く。
「くれぐれも無茶はしないように」
「心得ています」
これ以上は無駄だと悟ったのだろう。それだけ言うとあっさり部屋を出て行った。
閉まった扉を確認して、すぐにディスプレイに向き直る。
実のところ、本当は何を心配されているのかは分かっている。傍から見ればこんなことをしている場合ではないことも。
だが、彼が救出されて十日。体調は順調に回復していると聞いている。
そうであれば自分にできることはない。彼の知り合いではない自分には。だからできることをしているだけである。
再び集中しようとしたところでこつん、と軽い何かが足に当たる感触がした。下を見れば濃紺の球体が転がっている。
拾い上げて、机の端に置く。それはゆらゆらと揺れながら二つの小さな楕円をゆっくりと点滅させていた。まるでこちらを気遣うかのように。
これはいわゆるハロである。ただし先行の物より随分小さい。事前に確認した際に”あの大きさだと連れ歩くにはちょっと…”と、彼が難色を示したためだ。
そう、これは私が作って彼に贈ったものである。それが今ここにあるのは四日前に彼の部屋から回収してきたからだ。彼の状態を考えれば恐らくこれのことも覚えていないだろう。自分の部屋に戻った時に見覚えのない物体が転がっていれば困惑するに違いない、と、他のいくつかと共に持って帰ってきたのだ。
軽くつつけば耳のようなパーツを数度開閉させる。……音声は切ってある。ONにすることは二度とないかもしれない。
彼は間違いなく以前の生活に戻れる。薬物の後遺症はなく、外傷も完治するものであり、記憶も……たった一人に関するエピソード記憶以外、全く問題ないからだ。
だからこそ。
ハロのことを意識外に追い出して作業に戻る。
彼は必ずこの艦の操舵手になる。
あの艦長の下で、彼の代わりを務められる者などいない。
たった一人を覚えられないだけで外せるわけがない。
しかもその一人は同艦のクルーではないのだから職務遂行には全く支障がない。
そう、何も問題はないのだ。
たとえ記憶が戻らなくとも。
永遠に初対面であるとしても。
この艦は君を守り、君と共にどこまでも飛んで行く。
だからこそ、より良い艦を。
自分の全てを捧げて。
唯一無二の艦を君に贈るために。