例えば不意に目が合った時に緩められる目元とか
例えば離れ際にほんの少しだけ触れる指先とか
例えばすれ違いざまの「お疲れ様です」の柔らかさとか
そんなものにしみじみと感じるのだ
“あぁ、俺、愛されてるんだなぁ”と
「僕の態度が変わった理由?」
仕事上がりに部屋を尋ねれば“少しだけ待ってください”と言われ、ベッドに座って待っている間にふと思いついたので聞いてみた。
アルバートが記憶を取り戻してから二週間。以前ははっきりと公私を分け、言葉で表現するのは(場所は選ばないが)休憩中のみ、触れるのは加えて二人きりの時だけ、と徹底していたのに最近は仕事中であっても行動の端々に俺への好意を滲ませるようになった。
一旦手を止め、横目でこちらを確認してくる。
「不快でしたか?」
やはり意識的な変化だったようだ。どう考えても事故のタイミングで変わったので、そうではないかと思ってはいたのだが。
「ただ何となく気になっただけです」
別に不快ではない。むしろ……と考えて熱の上がってきた頬を、抱えていた枕で隠す。
アルバートは少し考える素振りをした後キーを叩く指を速めた。程なくして作業を終えたのか終わらせたのか、ディスプレイの明かりを消し椅子を回してこちらに向き直る。
「まず誤解のないように言っておくと、貴方を非難する意図はありません」
「はあ」
何やら大げさな前置きが付いた。
「アーノルド。僕が記憶喪失になった時、貴方は自然消滅を考えましたね?」
「う」
まっすぐな視線を受け止め切れなくて目を泳がせる。まあ、あれだけあからさまに接触を絶っていたのだから、記憶が戻った以上分からないはずがないか。
「非難する意図は無いと言ったでしょう。ただの事実確認です」
「考えマシタ……」
明らかに確信している口振りに正直に白状する。
「なぜそう考えたのかは推測できます。ですので、思い知ってもらわないといけないと考えました」
強い瞳と冷静な声に枕を握るが、その結果があの態度だとしたら悪い意味ではないはずだと思い直す。
「僕が心底貴方を愛していて、何があろうと生涯手放すつもりはないのだと。また、それほどに愛されているのだから、自分を忘れる不義理には拳の一発も入れる権利があるのだと」
「…………」
一度では飲み込めなくて、言葉が頭の中をぐるぐる回る。心底、生涯、不義理、権利……つまり。
「っ!」
理解してかっと体温が上がった。“決して嫌わないから、もっとわがままになれ”と言われているのだ。
動揺して言葉を返せない俺を気にもせず、平然とした顔で話を続ける。
「どうも貴方には自信が足りないようなので、表現方法を少し変えることにしました。特別な言葉や触れ合いだけではなく、日常の些細な愛情表現が自然になれば多少は自惚れも生まれるでしょう」
まったくもってその通りだ。まんまと策にはまっている自分が恥ずかしい。いよいよ顔を上げていられなくなって枕に押し付ける。
「…………」
「…………」
部屋が静まり返る。アルバートはちゃんと答えたのだから俺が何か言うべきだが何を言えばいいんだ。否定は嘘になるからできないし、肯定は恥ずかしすぎてできないしで黙っていると、彼の方が口を開いた。
「そもそもこの関係は僕の一方的な恋慕から始まったものです。貴方の気持ちが追い付いていないのは当然と言えます。恋人関係になったとはいえ、愛を捧げるのは惚れた側である僕の務め。今はただ受け入れて、いずれ返してくれればいいんです。既に恋人の座は手に入れたのですから僕はいくらでも待ちます」
すごいことを言われた気がするが、途中聞き捨てならない言葉があったぞ。
「ちょっと待ってください」
顔を上げて表情を確認する。さっきと変わらない。
「何です?」
「“いずれ返してくれればいい”って」
「? 言葉の通りですが?」
“何か問題でも?”というように軽く首を傾げている。大問題だ。
―こいつ、俺に好かれてるなんてこれっぽっちも思ってない! ―
さすがに人としての好意があるとは思ってるだろうが、名目上恋人になっただけで想い合う関係になったとまでは考えていないのだ。
―スキンシップが控え目なのはどこまで大丈夫か試していたのか!嘘だろキスまで許してるのに全然伝わってない?!文化の違いか?いや、さすがに挨拶で口にはしないだろ!―
この一ヶ月(三週間)のあれこれが脳内を駆け巡る。確かに成人同士にしては進みが遅いような気がしなくもなかったが、てっきり俺が不慣れだから待ってくれているのだと思っていた。もっと手前の段階だったとは。
―何が“貴方には自信が足りないようなので”だ、そっちだって大概じゃないか!あああ、でもこれは俺が悪い―
思わず両手で頭を抱える。
「アーノルド?」
「待ってください、今考えてます」
これまでアルバートからの好意を受け取るばっかりで、積極的に表現して来なかったツケが回ってきた。何せオーケーした時でさえ“そこまで言うならいいですよ”としか言っていないのだ。これでは勢いに押されて渋々付き合っているみたいではないか。
果たして何をどこからどう説明したらいいのか。ちらりと視線を向けると心配そうな目とぶつかった。これは腹を括るしかない。
「あのですね!」
意を決して背筋を伸ばす。
「確かに初めは一方的だったかもしれませんが、俺は別に根負けした訳でも情に流された訳でもありません!そりゃ、こんな風に熱烈に思われるのも悪くないな、なんて思ったりもしましたけど、それ以外でも仕事中の真剣さとか、自分の作ったものに対する自負と責任感の強さとか、口は悪くても根拠の全く無い罵倒はしないし放り出しもしない分かりにくい誠実さとか、他にも、色々と、その」
ここまで言う必要があっただろうかと一瞬不安になるが、この際だから全部言ってしまおうと勢いに任せる。
「つまりですね!貴方自身のことを見て、ちゃんと好きになったからオーケーしたんです!そもそも好きでもない相手にキ、キスなんかさせるわけないでしょう!こっちからのアクションがなかったのは、単純に、気恥ずかしくて……ですね……」
さすがに限界で言葉尻がしぼんでいく。
アルバートはというと、きょとんとした顔をしていた。
「……初めて貴方の口から好きだと聞いた」
敬語の抜けた一言に、本当に伝わっていなかったのだと知る。
「初めて言いましたからね……」
肩を落としてため息をつく。
確かに自分が悪かった。悪かったのだがこんなにも伝わらないものか?
考えてみればザフトでは名前で呼び合うのだと言うし、距離感が俺の認識とはだいぶ違うのかもしれない。恋人とはいえ同じ組織の同僚と、オフの時間に二人きりで過ごすなんて俺としてはかなり近い関係のつもりでいたのだが、アルバートにとってはそのくらい普通だったのかもしれない。
「アーノルド」
名前を呼ばれて意識を向けると、こっちに近付いてきていた。俺の前に片膝を着いて見上げてくる。
「申し訳ありません。僕は思い違いをしていたのですね」
またあの顔だ。あの、蕩けるような、幸せだという気持ちを十二分に込めたような笑顔。
「今僕はとても嬉しい。貴方が正しく僕の愛を受け取って、貴方の愛を返してくれたからです。こんなにも満たされた気持ちになるとは思っていませんでした」
“好き”の一言だけでこの反応。これまでの俺、恋人として最低なのでは?
改めて自省していると右手を取られ、甲に口付けられる。そして手を握ったまま真っ直ぐに視線を合わせて。
「貴方が好きです。本当に、心から。何度言っても足りないほど。損得ではなく手を差し伸べる善性、心から他者を信じられる強さ、自分以外のために怒りを表せる優しさ、貴方の全てが僕にとっては眩しく、愛おしい」
言葉で、声音で、眼差しで。全てを使って愛を伝えてくる。
「こんな風に誰かを愛することなんて知りませんでした。必要ないとさえ思っていました。……貴方のおかげです。貴方に出逢えたから僕は誰かを愛するという幸福を知ったのです」
もう片方の手が伸びてきて、壊れ物に触れるかのようにそっと頬を包まれる。
「そして今また愛する人に愛されるという幸福を教えてくれました。貴方は素晴らしい。どこまでも僕を幸せにしてくれます」
膝を浮かせ、額に額を寄せる。
近い。熱い。むず痒い。でもダメだ。注がれる愛情に甘えてばかりではいけない。俺とこいつは対等なのだから。
握られている手を緩く握り返す。
「俺は男で、正規の軍人で、アークエンジェルでは階級も高い方だったので、こんな風に大事に扱われるのは慣れていなくて……その、誤解させてしまったかもしれませんが、ちゃんと好きです。だから事故の時はすごく動揺しましたし、心配でしたし、忘れられて悲しかったです。それから、会いに行かなかったのは貴方に冷たくされるのが怖かったからです。貴方に大事にされるのが嬉しくて幸せだから、その分とても怖かった。貴方に冷たくされるくらいなら自然消滅の方がましだって……」
あの時は考えることからさえ逃げていて自分でも気付くのに時間が掛かった。でも今はもう自覚しているのだ。誤解されて、いつか擦れ違う可能性がわずかでもあるなら恥ずかしいなんて言ってられない。
視界が急に明るくなる。離れたことで見えたアルバートの顔は今までに見た事のない、苦虫を噛み潰したようなものだった。
「やはり一発殴ってもらえませんか」
「なんでそうなるんですか……」
精一杯の告白をしたつもりなのにどうしてそんな物騒な要求が返ってくるのか。
「貴方にそんなにも辛い思いをさせた自分が許しがたいので」
「嫌ですよ」
そもそもあれはどう考えても事故で、彼は完全な被害者だった。当人に責任のないことを咎めるほど理性は飛んでないし、人を殴って喜ぶ趣味もない。と言ってもアルバートは納得しそうにないのでどうしたものかと考えを巡らせる。
「……ここ、座ってください」
左手で軽くマットレスを叩く。アルバートが手を離して隣に座ったところでそちらを向き、肩を押さえる。
「正面向いて、動かないでください」
「? はい」
不思議そうにしながらも素直に従って晒された横顔に、少し伸び上がって唇を寄せる。一瞬だけ触れた頬は案外柔らかくて滑らかだった。
「貴方がどうされたいかなんて知りません。俺への償いなんですから、俺のしたいようにします」
これまでだったらとてもできなかったが今日はもう色々さらけ出したのでどうでもよくなってきた。後で思い出してのたうち回るかもしれないが荒療治だと思うことにする。
「今日は、俺の言う通りにしてください」
「……僕から貴方に触れてはいけない、ということでしょうか?」
「俺が許可しない限りは」
「それは手厳しい。どうか許してください」
しおらしいことを言いながら嬉しそうに笑うんじゃない。それどころかお返しのように頬にキスしてくる。
「ダメだって言ったでしょう、動かないでください」
背に回った腕を押しのけながら顔の間に手を入れるが、お互い大して力が入っていないのは分かっている。
「無理です、耐えられません、お許しを」
「ダメですってば!」
言い合いをしながらもアルバートは相変わらず笑っているし、俺もだいぶ浮かれている自覚がある。
まあ、こんな日もたまにはいいだろう。なんたって“想い合う恋人同士”なのだから。