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    ichizero_tkri

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    ichizero_tkri

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    🌟🎈 🍂💀のまとめ③
    おしまいです

    後ろから二番目、窓際の席。騒がしいクラスメートの背後を抜けて、類は自身の席に座る。同級生たちの他愛ない日常会話の中に、一つ、また一つと微かに聞こえるこちらを刺す噂話も陰口も、もう慣れた。それに今更傷つくことも憤慨することもない。その口が見えない彼らのことを悪く言わないのが救いだった。友を悪く言われては、類は我慢が効かなくなるから。
    そうしていつだったか、司に対しても怒りを向けようとしたことがあったなと思い出す。見える人だからだろうか、こちらの怒りを察した司はすぐに、真摯に謝罪をしてくれたっけ。案外あれは、嬉しかった。思い耽って、類は首を横に振る。彼のことを思い出しては、持つ必要のない罪悪感まで抱えてしまう。

    「……あ」

    窓の外へ視線をやれば、ふわふわと浮いた提灯がこちらを窺っていた。どうしてそんなに不安そうに自分を見るのだろう。類は教室に教師が入ってきたのを視認して、窓の外の彼にしー、と人差し指を立てた。

    昼休みになれば類は誰も集まらない屋上を陣取って妖怪たちと過ごしていた。最早いつもの光景で、昼頃になれば彼らはあの手この手でこっそりと屋上に移動し類を待ち構えているのだ。たまに屋上へ向かおうとする生徒がいるのを類は知っていたが、それらは皆なにかに驚き逃げるように昼食会場を変更しに去っていく。大方、類に懐いている妖怪の誰かが露払いをしているのだろう。人を脅かし怖がらせるのは類の本意ではなかったが、彼らが明確な意志を持って自分の昼休みを守ろうとしているのも類にはわかっていた。
    それが余計に神代類にまつわる噂話に拍車をかけているとしても、類は彼らの優しさを断ろうとは思わなかった。それに、生徒たちが疑心の目でこちらを見ることで自分に関わらず傷つかずに済むなら、自分が悲しまずに済むなら、それもそれでよかったのだ。

    菓子パン一つを放り込んで満足した謙虚な胃に、そういえばあのいなり寿司は美味しかったなと思った。それに比べると今しがた済ませた昼食は、なんとも味気のない感覚がした。

    午後の授業も変わりない。誰とも必要以上には関わらず、一人気ままに校内を彷徨く妖にくくっと笑う。類にとってこれこそが吐き気のする程慣れ親しんだ日常に他ならなかったのだ。

    終わりの鐘が鳴れば、同級生たちは皆それぞれ部活や委員会に散っていく。そのまま帰宅する者もいれば、教室に残っておしゃべりをする者もいる。居残る同級生の邪魔はしないようにと、類は図書室へ向かい気になっていた本が返却されているのを見つけてこれ幸いと貸出手続きを済ませた。図書委員はクラスメートの女子で、気まずそうに手続きを済ませてくれた。悪いことをしたなとなんの非もないままに反省しながら、類は図書室を後にする。

    下駄箱で靴を履き替えれば、外で待ち構えていた妖たちが足元に集う。身を寄せてくる九尾の背を撫でて帰ろうかと告げ、遠くからひそひそと聞こえる声も気付かないフリをして類は校門へ歩いた。

    「……え」

    何人かの生徒が、校門から出てはちらちらとそれを見て内緒話をしている。見ればそこには他校の制服を着た男が立っている。物珍しさに見られているのが落ち着かないのか、それとも別の理由か、そわそわと辺りを見渡しては手持ち無沙汰に鞄を撫でている。おそらくはあの鞄に忍び込んでいる彼の従者が、また彼をからかって遊んでいるのだろうなと類は思った。

    「──……やぁ、司くん」

    無視して通り過ぎてもよかったが、大声で騒ぎ立てられるのも面倒だった。あくまで平時の通りに彼を呼べば、司は振り返り目を丸くした。

    「類……まさか、本当に登校しているとは」
    「おや、僕らの本分は学生だろう?登校しない理由がないんじゃないかな?」

    煽るように笑って歩き出せば、司は勝手についてくる。背に向けられる視線が、様々な感情を孕んでいるのが類にはわかった。

    「……類、体調はどうなんだ」

    穏やかとは言い難い帰路で、口火を切ったのは司だった。類はくるりと全身で振り向くとこの通りと両手を広げて笑ってみせた。

    「おかげさまで元気に登校出来ているよ。君の努力の賜物だね、改めてお礼を言おう」
    「それはいいが……何も黙って出ていくことはなかっただろう」
    「おや、ちゃんと書き置きをしたはずだけれど、読まなかったのかい?」
    「そうではなくだな……!」

    ああもう、と司はぐしゃぐしゃと髪を掻く。さらさらの丸い頭がボサボサになるのを見守りながら類は首を傾げた。

    「どうしてわざわざ、距離を作る方を選ぶんだ。……オレが本気でお前を心配しているのは、わかっているだろう」

    問いかけに類は答えない。踵を返すと、逃げるでもなくただ淡々と歩いていく。司はそれを責めもせず黙ってついていく。

    「……校門で待つ間、入れ違っては困ると思って、生徒に類が帰っていないか聞いた」

    答える気のない類の背に、司は絞り出した声で言う。ぴくりと僅かにその肩が震えたのを、見逃せていればどれだけよかったか。 

    「すると彼らは、揃って怪訝な顔をする。あの変人と知り合いかと言って逃げる。問い詰めれば異常な行動ばかりとるなどと言う。……なぁ類、オレだって学校では弁えている。わざわざ狐狸と話すことも殆どない」
    「だから話すな、と?」

    類はそこで漸く足を止め、ぐりんと首を傾けて司を振り返る。僅かながら見覚えのある火の灯った目。怒りのような、悔しさのような。司はその目に返す言葉を、まだ謝罪以外に知らない。

    「そうすれば健常者のように扱ってもらえるだろうと、そう言いたいのかい?」
    「そうは言わない。だがお前は、わざとそうしているんじゃないかとオレは思ってしまうんだ。距離を取られることを望んでいるような、そんな気がして……」
    「わからないな。友と話すことのどこが、君たちに裁かれるようなことなのか」

    じわりと司の肌を何かが刺す。その正体はすぐにわかった。類の周囲に集う妖たちが、意図的に司へ妖力を突き立てているのだ。
    司からしてみれば微弱なそれは振り払う程の痛みもないくらいに弱々しい。けれど、基本的に害をなそうとはしない彼らが明確な意思を持って司へ敵対心を向けていることが、彼にとっては驚くべきことだったのだ。

    「──僕はね、司くん」

    戸惑う司をよそに、類が笑う。その笑顔は今までに見たことがないほど寂しそうで、悔しそうで、今にも泣きそうなほど脆く見えた。

    「これで、いいんだ」

    それは紛れもない、類の本音の一つだった。

    「ッ……類!オレは……!オレは、お前に救われた!」

    それが仮面でないとわかっていても、彼の大事な本心の一つなのだとしても、司にはどうしたって手を伸ばすことを諦めるなんて選択は出来なかった。

    「お前は意識朦朧としていたかも知れないが、お前がオレに救われたと言ってくれたとき、オレはお前に──類に、確かに救われていたんだ……!」

    だからオレは諦めない、と司は手を伸ばした。他の誰でもない、類が肯定した行いを、もう一度繰り返すのだ。

    「今度はオレの番だ、類。お前の痛みも、苦しみも、その本音も全部──必ず、オレが救う」

    これは一つの、宣戦布告だ。自分と類の間に届くものがあるかなどわからない。それでも司には、撤退の文字はもうない。

    「……やめてくれ」

    類は俯くと、苦々しく冷たい声でそう零した。

    「僕はもう……夢を見たくないんだよ」
    「……類?」
    「今が、夢の果てなんだ。僕が僕を、僕の夢を諦めないでいられる地点なんだ。……頼むから、もう、掻き乱さないでくれ」

    きゅ、と音を立てて類は地面を蹴り駆け出した。司が止める声も届かないほど早く、類はその場から逃げ出してしまった。


    ***


    半ば無心で街を歩き続けた。ときに妖怪と共に宛もなく過ごすために、ときに不浄を捉えて消すために。癒やされたはずの体が日に日に疲弊するのを自覚しながら、だけれどもうあの温かい部屋には頼ることはないと類は思った。あそこは、別世界だ。あの場所へ迎えられたのは、神の、一種の気まぐれのようなものなのだろう。

    そうして振り払った名残惜しさを殺すように、餓者髑髏を従え不浄を食う。腹の底から胸の奥までを刺すような負の感情が流れ込む度に吐きそうになる。それでも、友である妖たちがありがとうと言ってくれるからまだ立っていられた。

    この小さな妖怪たちに縋られ、不浄を払う者として動き始めてもうどれくらい経っただろう。人の怨念や生者への執着から生まれたという餓者髑髏は、何故か類のことをすぐに気に入って主従契約に至ってくれた。彼の中にある感情のなにが類を捉えたのかはわからない。それでも類は、それを好ましく思った。

    人間ともわかりあえない。妖怪と同じにもなれない。彼らの狭間で曖昧に生き永らえるだけの日々に、存在意義が齎された。それだけで、類にとっては身を削り命をかける理由になった。

    素敵だと、類は本心から思っていたのだ。自身の感じた楽しさを共有する相手はどこにもいない。でも、どこかにいるかも知れないその人が生きる世界を守れること。わかり合えなくても優しさを持っているはずの人間と、ただ孤独な少年に寄り添ってくれた妖怪たちの、彼らの住む世界の平穏を続けること。
    それは、いつか見た夢の、その欠片のようだと。自分と人間と妖怪が、境界などなく笑い合う未来を夢見た、その一歩目のようだと。

    だから、これでいい。これが自らの存在意義。
    届くことのない夢の、それでも一歩目に立って戦っていられた。

    だから──否定なんて、しないでほしい。
    君だけには、この夢を遮らないでほしい。
    でも、手を伸ばすことも、されたくないのだ。
    だって知らないから。怖いから。君が、どこかにいるかも知れない共感者だと思えたとしても、手離してしまったらと思うと怖いから。

    だからもう、この夢の先に手を引こうとなんてしないでくれ。

    「──類ッ!!」

    呼ばれる声に、ばちばちと幾度かの衝撃に意識を揺らしていた類は我に返る。不浄は食らった。この胸の痛みがその証だ。この子は、大層苦しかったようだ。餓者髑髏に吸収されたことで、無事に召されていればいいのだけれど。ふらつきながら骨の手に縋りついて、はて誰かが呼んでいたようなとぼんやり思った。

    「待て、類!!」

    去ろうとした腕を掴まれて、ああ君かと笑った。どう逃げても追ってくる。聞きたくもないお節介で引き留めようとする。もうやめてくれ。もう嫌なんだ。この地点で満足出来たのに、その先になんて連れて行こうとしないで。

    「類お前……!いったいどれだけ休んでいないんだ、ひどい顔をしているぞ!」
    「……離してくれないかな」
    「離すものか!オレはお前を救うと言った!!」
    「……餓者髑髏」

    囁やくように指示をすれば、浮いた骨が妖力を纏って司へと飛びかかる。その背後から飛び出した狐狸がぽんと音を立てて主に姿を似せると、手にした枯れ葉を大きな盾に化かしてそれを防ぐ。化かす能力にはこんな扱い方もあるのかと、類は眉根を寄せた。
    司は衝撃によろめきながら、啞然と類を見つめていた。淀んだ光を持った、感情を押し殺したような寂しそうな顔。どうしてそんな顔をするのか、司にはわからなかった。ただそれが、自分のせいなのではないかと不安になった。

    「類……!餓者髑髏に攻撃を指示してまで、オレを拒む理由があるのか!?類、答えろ……!オレは、お前を助けたい!」

    わざと傷つければ、彼も諦めてくれるだろうか。思案し実行しようと口を開くが、言葉は出ない。目障りなんだ、迷惑なんだと一蹴すれば、純粋な彼のこと、本気で信じるには及ばないまでも一時的なショックで足を止めさせることくらいは叶う。
    なのに、声が出ない。司くん、と名前を呼ぶだけなら出来るのに、そのまっすぐな目を否定しようとする言葉が、出てきてくれない。

    どうしてと悩んでいれば、ぴりりと感じる電流。不浄だ。遠くはない。司もそれを感じ取ったのか、類を手に乗せたまま歩き始める餓者髑髏を青ざめた顔で待てと怒鳴り引き留めようとする。

    「類!!もうよせ、これ以上は危険だ!!不浄に、お前が食われるぞ!!」

    遠くなる声がそう叫ぶ。餓者髑髏に運ばれながら、類は静かに口角を上げた。

    叶わない夢の中でそれでも生きて、その果てに消えるのなら、彼らと彼らの世界のためにこの命が使えたのなら──それはそれで、本望なのだ。


    ***


    「くそっ、足の早いやつめ……!」

    類を乗せて去ってしまった餓者髑髏を追って、司は入り組んだ町の中を駆ける。屋根を悠々と超えて行ってしまった巨体はあっという間に見えなくなって、不浄の気配を頼りに追いかける他なかった。

    「っ、狐狸!そっちか!」

    先行して不浄の位置を探していた狐狸の姿を視界に捉えて、司は叫び安堵の息を吐く。途端、捉えていた気配が消える。浄化が終わったのだ。察して、そこに類がいることを確信した。あの様子ではまた倒れてしまっているかも知れない。古びた鳥居をくぐろうとした時、それはぬぅと現れた。

    「餓者髑髏、……ッ!!」

    カタカタと骨を震わせる妖怪の手のひらには、類がいた。
    青白い顔で横たわり、力なく瞼を閉じた姿。あの日、雨の中で見つけた彼を彷彿とさせる生気のない表情だった。

    「類!おい、待てっ!!」

    餓者髑髏は司たちを一瞥すると、逃げるように歩き出す。それを追おうとする司を阻むように、何体もの妖が道を塞ぐ。

    「ッ、なにを……!?」

    あの日は司が類を連れ帰るのを許したじゃないか、何故今日はそれを遮るのかと困惑していれば、一歩前に出た九尾がその毛を逆立てる。びりびりと肌を刺す圧に、妖力を向けられていると理解する。彼らに、司に対して攻撃の意思があるということだ。

    「何故だ……!お前たち、類がこのまま、最悪の状態になってもいいのか!?」

    向けられる痛みを狐狸に防いでもらいながら司は吠える。あのままでいいはずがない。こんなことで命を散らしていいはずがない。そんなことは彼らもわかっているはずだ。退いてくれと一歩踏み出した時、頭を揺らすような声が脳内に響いた。

    『──黙レ、黙レ!』
    「──え?」
    『人間ナンテ大嫌イ、アノ子ノコトヲ傷ツケル!』

    聞いたことのない声だった。だけれど、それが誰のものかわかる。
    ここにいる妖、全員のものだ。向けられた妖力が一つに繋がって、司へ感情を伝えている。つまり彼らは、常に類の傍に集っていたこの子たちは、皆同じ想いから司に攻撃を仕掛けている。

    類を、人間から守るために。

    『アノ子ヲ傷ツケナイデ、モウ眠ラセテ』
    「な……っ!」
    『モウ傷ツケナイデ、怖ガラセナイデ!ボクタチノ友達ヲ虐メナイデ!!』

    ジクリジクリと、一つ一つが深く牙を剥く。膝を付きそうになりながら司は唇を噛む。そうか、それが、あの男の感じていた本心だというのか。傷を覚え、怖れ、自分と接するときですら?
    眠ることが、そのまま目覚めぬことが、願いだと言うのか。
    それを受け入れることが、友だと言うのか。

    ──そんなわけが、あるか。

    「──狐狸」

    溢れる微弱なそれを、狐狸の力で振り払う。敵いようもないだろう力の差を目の当たりにして、彼らが震えるのがわかる。
    司は一歩一歩と彼らへ歩み寄り、手を伸ばした。そうして、人の子を思って泣く九尾をその腕に抱き締めた。

    「……そうか、お前は、ずっと…………昔の話なんかでは、なかったんだな……」

    司にとっては、この力で悲しい思いをしたのは過去のことだった。周囲に貶されたことも咲希を傷つけたことも、決して忘れはしない出来事だ。けれどそれは、乗り越えられたことでもあった。だから類も、そうであろうと。思い違いだったのだ。彼はその苦しみを、今も尚続けている。

    きっと人とわかり合いたかったろう。こんな力なんてなければと願っただろう。それでも妖を友と呼んだだろう。狭間で何度も揺れただろう。そうして迷って悩んで苦しんで、夢を捨てることで乗り越えたフリをしたんだろう。不要な犠牲になることを、理想の終わりとしたんだろう。誰かの役に立ったその果てに終わるならなんて、思ったんだろう。

    そんなの、そんなの。

    「寂しかったよな」

    自分が彼の立場にいたなら、そうして泣きじゃくるだろうと司は思った。だからその小さな獣を一撫でして、目に光を灯すとその腕を解いた。

    「類の友よ、オレを信じてほしい。オレは類に、その心を救うと誓ったんだ。だから──類の元へ行くことを、許してくれ」

    クゥンと、尾を垂らして狐は鳴いた。一つ二つと辺りを見渡して、九尾はとんと軽やかに道の端へ逃げた。それに倣うように提灯お化けがてんてんと音を立てて避けると、段々と他の妖たちも道を開けた。

    かくしてそこには、友の元へ駆けつけるための一本道が開く。司はありがとうと呟くと、狐狸と共にその道を走り出した。


    ***


    気配を追うことは容易かった。なにせ今の類は再度妖力を空にして、不浄を食いきれずその身に纏わせているような状況だったからだ。そうでなくても、集中して妖力の在り処を探れば餓者髑髏の位置を探すことは出来ただろう。生憎それは時間のかかる手段なので使うこともないが。

    時折道の端に隠れた妖が、あっちだよと道を示す。ああお前、こんなに友達がいたんだな。それでも超えたいのに超えられない一線があって迷っていたんだな。そう気付いてしまうのが悔しくて、司は狐狸に雑に慰められながら道を行く。

    そうして閑散とした町並みの奥、辿り着いた先に餓者髑髏はいた。とある一軒家の前に忠犬のように座り込み、堪えるようにカタカタと骨を鳴らす。目を閉じて気配に意識を傾ければ、その家の二階に探し人がいることがはっきりと伝わってきた。

    「……退いてくれ、餓者髑髏。類に、会いに来た」

    努めて穏やかに退くことを命じれば、周囲に僅かな電流に似たものが走る。妖力だと察するのは難しくなかった。類の周囲に集う誰よりも、この巨体の妖の力は強い。わかっていて尚、引き下がる選択も司にはない。

    ゆらりゆらりと迫る敵意に、司は再度瞼を閉じる。空気に紛れてこの身に伝わってくる奴の妖力から、僅かに音がする。それは、声だ。小さくて弱々しくて、拾い上げなければそのまま砂に埋もれてしまいそうな、微かな声。

    『──さみしい』

    ああ、そうだ。わかってるよ。司はその手をゆっくりと開いて、流れるそれに答えるように緩やかに妖力を放った。

    『──さみしい』

    これは、類だ。主従契約によって誰よりも深く感情と力を繋いでいる餓者髑髏から流し込まれる、類の心。
    叶わないと痛感してしまうくらいなら、いつか叶うと信じたまま。夢の始まりのその地点で、終わらせたい。そんなことを、音が言う。流れ込む声が、そう嘆く。

    『──こわいよ』

    瞼を開く。声は先程よりも鮮明に響いている。それだけ餓者髑髏が強くこちらを威圧しているということだ。彼もまた、類の心を引きずり出していることには気付いているだろう。こんなやり方でしか司へ類の心根を明かせないことを、きっと悔しく思っているだろう。

    『───つかさくん』

    それでもその心の奥に、確かに自分が在ったことを、司は歓喜せずにはいられないのだ。

    「……お前の力は今、類と繋がっているのだったな、餓者髑髏──使わせてもらうぞ」

    受け取るべきものは、受け止めた。今度はこちらが、その壁を乗り越えて届ける番だ。

    「オレの想いを、お前を通じて伝えさせてもらおう。だから──本気で来い、餓者髑髏よ!」

    狐狸の体躯を大きな妖力が覆う。普段は過度な消耗を避けるためにと抑えている限界を、司は当然のように超えさせた。そうでなければいけないのだ。本音をぶつけなくてはならない時に躊躇なんて選んでいては、この想いでさえ届くわけがない。

    餓者髑髏もまた、自身の妖力を強く強く放つ。その先にいる類の身を案じながらも、司は口角を上げ笑う。それを衝突させてこそ、類に伝わる。全てが届く。今は少しばかり苦痛を伴うかも知れない。だけれど、あと少し待っていてほしい。必ず救うから。すぐに、傍に行くから。

    「遠慮は要らんぞ、餓者髑髏!狐狸、全力で迎え撃て!!」


    ***


    扉を開く。まだ夕方だというのに家の中は薄暗く寒々しい。まるで人の生活の気配すらもないような家内へ、司は律儀にお邪魔しますと呟き丁寧に靴を脱ぎ揃えた。

    狐狸も他の妖怪も連れず一人きりで歩くのはいつぶりだろうか。丸まった髪を掻き、家の外で疲れ果てた様子で待つことを選んでくれた彼らは、互いの健闘を称えそして司に全てを託した。だからこそ、というわけではないが、その期待に応えなければならない。

    ふらりと立ち寄ったリビングは悲しいくらいに静かだ。ふと、棚に置かれた卓上カレンダーが目に入る。来月の日曜日につけてあった丸が大きなバツで書き換えられていた。意味を察して、司はキッチンへ足を踏み入れる。きっとぐったりとしてしまっているだろうから、水を持っていってやろう。ミネラルウォーターでもあればいいがと冷蔵庫を開いて、僅かな調味料程度しか存在しないそこに眉をひそめた。仕方なくコップを探し出し水道水を汲んだ。

    リビングを出て廊下の奥に見つけた階段を一歩一歩上がりながら、まるで別世界のようだと司は思った。ここに自分が存在するのが間違いであるかのような強い錯覚だ。
    類も、我が家に保護した時はそんな風に思ったのだろうか。それでも懸命に優しさを受け止めようとしてくれていたのだろうか。その推測が正しい保証はどこにもなくて、それでも司は類にありがとうと言わなくてはならないと思った。

    とうとう階段を上がりきってしまった。心臓の鼓動が耳障りだ。柄にもなくひどく緊張しているらしい。一つ、二つの深呼吸。司は意を決して、最後の扉を開いた。

    「……類」

    たくさんの物で溢れた、おもちゃ箱の底のような散らかった部屋。その端のベッドに、眠るように横たわる彼がいた。近くの机に水を置いて、司はしゃがみこみ類と視線を合わせると至極柔らかな声で彼を呼んだ。

    「類。水を持ってきた。飲むか?」

    返事はない。ただ、代わりのように閉じていた瞼がうっすらと開く。縋るような、それでいて触れるのさえ恐れるような目の色だった。

    「類。……ちゃんと、聞こえたか?」

    餓者髑髏を通じて届けた感情は、届いているだろうか。否、確かに通じたはずだ。
    だからどうか、類の言葉を。伸ばした手は振り払われなかった。静かに重なった手のひらが、その指先が僅かに震えた。

    「………僕は、」

    類が微かに口を開く。掠れた消え入りそうな声に司は意識を集中させる。

    「僕は……ずっと、僕の楽しいがみんなに伝わればいいなって」
    「……ああ」
    「でも、叶わないから……諦め、てて、」
    「うん」
    「だから、あの子達に、浄化の役割をもらえたとき……うれ、しくて……妖怪のためにも、人のためにもなる、ことが、出来るって」

    類の顔が僅かに綻ぶ。心の底からの喜びが漏れ出たような、そんな細やかな笑みだった。

    「僕が夢見た世界には、届かなくても……近付けただけで、満足だな、って」
    「そうか」
    「でも、………でも、ぼくは」

    くしゃりと、笑顔が歪み始める。司は思わず手を伸ばした。伝い始める涙を無視出来なかった。餓者髑髏を通じて届いた感情で、全て、全て伝わっているから。

    「ぼくは、ずっと、寂しかったんだね」

    自分でも知らなかったとでも言うように、彼は泣く。こんなことになって初めて気付いたと、半ば戸惑うように言うのだ。

    「ああ、寂しかったな。当たり前だ、そう思ってしまうのは」
    「……司、くん。ぼくは、ぼくは……」

    そこにはもう、諦念を宿した笑みはなかった。
    在るのは寂寞に満たされながら、それでも希望を見つけてしまった、等身大の少年の泣き顔だった。

    「ぼくは、きみが──司くんが、ぼくの友達だったらいいのになって、ずっと思ってたんだよ」

    言葉尻は涙に濁り、綺麗に聞き取ることは叶わなかった。それでもそれを聞き届けた司は、一筋彼と同じ涙を流しながら、懸命に微笑んでみせた。

    「……ばかだな、類は」

    無意識に重ねた手に力が籠もる。震えは、どちらのものなのか、お互いのものなのか。そんな些細なことはどうでもいいと、司は笑う。

    「オレたちはもうとっくに、友達だったろう」

    泣きじゃくる声ばかりが部屋に響く。苦しみからか、歓喜からか、はたまたその両方から為る涙だろうか。どちらにしても、今は好きなだけ泣けばいい。だって自分たちは友だから。お前が泣きたいと思った時に、傍でただ静かに見守ることの出来る友だから。

    * * *

    ひょこりと扉の隙間からこちらを覗く妖怪たちに気がついて、司はしーと人差し指を立ててから彼らを手招く。床に腰を下ろしたままの司によじ登り、小さな獣の姿で狐狸はにこにこと笑った。

    「狐狸もお前たちも、騒ぐんじゃないぞ。さっきやっと眠ったんだから」

    ぐちゃぐちゃのベッドの中で、類は静かに眠っていた。寝顔を見るのは二度目かなんて思いながら、司は類の休息を静かに見守っていた。全快とは違い、今回は不浄に飲まれかけるほどに消耗したのだ。先の休息よりも長い時間をかけて休む必要があるだろう。

    本当は我が家へ連れ帰り食事の面倒もきちんと見てやりたいが、先刻夢うつつに舟を漕いでいた類に提案したところそれは却下された。曰く、まだ早いと。どうやらまだ天馬家の賑やかさに順応するには難しいらしい。まぁそれは追々慣れてもらおうと納得して、司はこのまま類を休ませることを了承した。友人の家に遊びに行くなんて普通のこと、早く慣れてもらわなくては困る。

    「ほら、傍にいてやってくれお前たち。目が覚めた時に友がいれば、類も安心するだろう」

    退いてやるべきかとも思ったが、自分も類の友だ。傍を離れるのは芳しくないと陣取ったまま言えば、九尾がその尾の一つでぺしりと使わせての膝を叩いた。言われなくてもわかっている、とでも言いたげな表情に司はすまんと笑う。

    「……類。回復したら、またうちに来よう。雫も咲希もお前のことを心配していたし、改めて紹介もしたいんだ。オレの、大事な友人なんだ、とな」

    いつか来るその日に、きっと彼は笑っているだろう。司がそう確信すれば、窓の外でかたかたと音がする。その身の大きさ故に室内には入れない餓者髑髏が、心底嬉しそうに笑っていた。


    ***


    古い建物が並ぶ、風情のある町並みの中。その屋根の上に生まれた不浄を視界に捉えて、餓者髑髏は力を放つ。くたびれ震えるそれに笑いかけて、餓者髑髏を統べる男はにこりと笑った。

    「君の抱える負は、僕たちが天へと導こう。──さぁ、もうおやすみ。こちらへおいで」

    音もなく消えだすそれを、餓者髑髏が捕らえてばくりと噛み砕く。相変わらずその様相は派手なものだと思いながら、僅かにチクリとだけ刺す痛みに胸を撫でた。かつての頃よりは、ずっと楽になった痛みだ。学びとはやはり大きい。
    妖の結界が晴れていく空を見上げながら、類は清々しく笑っていた。射す夕焼けが眩しくて目を細める。そうして屋根の上で景色を眺めていれば、下から自分を呼ぶ声がする。

    「──類!くそ、また先を越されたか!」
    「やぁ司くん、来ていたんだね」
    「当然だ。お前こそ相変わらず手の早い」
    「心外だなぁ。司くんの足が遅いんだろう?」
    「遅くないわ!お前こそ餓者髑髏に運んでもらってるだけだろう!」

    そうでなければ屋根の上になんぞ行けるものかと司が吠える。それは全くその通りで、類はケラケラと笑いながら煽るように届きもしない手を伸ばしてみせた。

    「フフ、ほら君も来たらどうだい?いい景色が見えるよ!」
    「行けるか!くっ、狐狸なんとかならんか!」

    自らの従者に司が問いかけるも、狐狸は主の姿のまま唐傘片手にケラケラと笑うばかりだった。どうやら餓者髑髏ほど大きな姿に化けて司を運んでやるのは難しいらしい。遊んでないで真面目に考えんかと喚く司に、類は心底楽しそうに眉を下げて餓者髑髏の名を呼んだ。すると、彼はその白い骨をぬぅと伸ばし司を捕まえる。突然のことに慌てる司を無視して、餓者髑髏は彼を屋根の上へと下ろす。それから当然のように狐狸や他の妖怪をも拾い上げて、気付けば屋根の上はたくさんの影で埋め尽くされた。人気の全くない古い通りで良かったと安堵する司へ、ほらごらんよと類が彼を呼ぶ。

    そこには、絶景が広がっていた。歴史ある町並みを穏やかな夕日が照らし、橙色の雲が悠々と空を泳いでいた。思わずほぅと息を吐く司に、類はにやりと笑う。

    「フフ、絶景だろう?なんとも清々しい気分になると思わないかい?」

    立てた膝に肘をつき、軽く組んだ指の先に顎を乗せて少し見下ろすような角度を付けて類が言う。挑発するような笑みを浮かべて片目をぱちりと閉じてこちらを見やる類に、司もまた同じように口角を上げた。彼はいま、そういうやり取りをしたがってるのだと察して。

    「ああ、そうだな類。──友と眺める絶景というのは、また一段と美しく見えるだろう」

    類は一瞬目を丸くして、しかしすぐに細めたそれで辺りをくるりと見渡し、最後に司へ視線を戻してまた笑う。年相応の、まだ年若い青年のそれだった。

    「ふふ、そうだね司くん。友とこの景色を見られるなんて、とても貴重な経験だ」

    餓者髑髏を始めとした、九尾や提灯、たくさんの妖怪──否、友に囲まれ、類は笑う。その隣で彼と同じように口を開けて笑いながら、類の友人たる司はそうだろうと声を上げた。

    「……類、この後予定はあるか?」
    「うん?いいや、父さんが帰ってくるのは明後日だし、特に何もないよ」
    「そうか、ならうちに来ないか?夕飯は、大勢で食べる方が楽しい」
    「……ふふ、野菜を抜いてくれるならお邪魔しようかな?」
    「少しは食え、また倒れるぞ」
    「野菜を食べなかったくらいで妖力は尽きないよ。それに、もし倒れたらまた司くんが世話を焼いてくれるんだろう?」
    「面倒は見るがそれを前提にするな、馬鹿者!」

    指を解き立ち上がった類は、あははとどこか幼く笑って司を見下ろした。

    「さぁ、そうと決まったなら一緒に帰ろうじゃないか、司くん」
    「……まったく。ああ、帰るとするか、類!」
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    ichizero_tkri

    DONE12/12頒布の将参(🌟🎈)同人誌の書き下ろし分の、🔞シーンをカットしたものをこちらに再録します。
    行為を匂わせる描写はありますが、18歳以下の方もお読みになれる全年齢対応編集版になっています。
    ◆それから愛は未来を唄う


    「──うむ、良い報告書だ。ありがとう、下がっていいぞ」

    部下の一人から差し出された報告書に、ツカサは微笑を携えて頷く。ありがとうございます、と返した部下は深々と頭を下げ、その傍に控える元参謀にも和やかに会釈をして執務室を去っていく。未だ慣れないながらも、ルイも小さく頭を下げる。

    かつて──大臣に道具として飼われていた頃は、こうも心穏やかに職務に励むことなどあっただろうか。それを労わるように頭を下げられることなど。ツカサにこの心身を捧げ、仕えるようになってからもう随分と経つが未だ、慣れない。──というよりは、落ち着かない、気恥ずかしいという言葉の方が相応しいのかも知れない。

    一人静かに戸惑うルイを横目に、ツカサは先刻受け取った報告書に再度視線を落とす。黒い油の研究経過報告書。あの大臣が、ルイを遣わしてまで奪おうとした理由もわからないでもない。どうやらルイは、現存する大臣の部下の中でもとりわけ実力のある人物であったらしい。それだけ早々に心を殺して操り人形になることを選択した結果なのだろうと思うと、手離しに褒めてやれる気分にはなれない。いつか見た夢の、幼い姿の彼を思い返す。あんなに小さな頃から、家族という拠り所を失い一人苦悶の中生きてきたのだろう。ツカサはその顔に痛みを浮かべる。この幼子の道筋に思いを馳せる度、同等と呼ぶには傲慢な感情に胸が痛むのだ。
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