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    えだつみ

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    えだつみ

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    ただの同僚同士のつるみかの本丸に二振り目が顕現してなんやかんやする話(予定)
    発行の際に大幅改稿の可能性があります
    ただの作業進捗です

    【つるみか】7月新刊の作業進捗「今期の第一部隊長は三日月宗近とする。明日の昼までに、編成の希望を出してくれ」

     近侍の山姥切国広が主からの任命書を読み上げ、その指示の声が広間に響く。
     畳張りの大広間に居たすべての刀たちの視線は、自然部屋の前方にいた刀へと集まった。青い衣装を身に纏った姿勢のよい座り姿。三日月宗近である。
    「あいわかった」
     三日月が涼やかに応答する。既にそれは、本丸の刀たちにとっては聞き慣れたものであった。三日月もまた、得意げな顔をすることもなく、粛々と拝命する。
     それで、短い集まりは終わった。
     おおよそ十日に一度、定期的に開催される、第一部隊長の任命式である。
     主からの命が周知される、という性質上、全員参加が推奨の、形式的には重要とされている集まりである。だが、近頃は本丸の刀の数に対し開催場所の大広間が手狭になってきたという事情もあって、不参加の刀も少なくはない。実際、共有が必要な情報はすぐに掲示されるので、参加せずにいたところでそう不都合はないのであった。
     ただ鶴丸は、この会に、出来る限り顔を出すようにしていた。
     自らの名が呼ばれる可能性が、そう少なくはないためである。
    「よ、おめでとう」
     会が解散となり、多くの刀たちが散っていく間を逆に縫って、鶴丸はまだ広間に残っていた三日月へと近付いた。肩を叩いて声をかけると、振り返った彼の瞳が臆することなく鶴丸を捉える。
     三日月宗近。天下五剣のなかで最も美しいと讃えられた刀。相も変わらず、人の形を取った今でも、非の打ちどころのない容貌である。鶴丸はそれを、価値のある美術品を鑑賞するような気持ちで、目を細めて機嫌よく眺めた。
    「今期はいけると思ったんだが、きみの方が勝ったか」
    「勝ったということもない。たまたまだろう」
    「まったくきみは、相変わらず張り合いがないな」
     鶴丸は、三日月の素っ気ない反応に肩を竦めたが、そこに心底からの落胆はなかった。澄ました顔をした三日月が、その実、鶴丸とのこの役の奪い合いをそれなりに楽しんでいることを、知っていたためである。
     この本丸では、おおよそ月に三回ほど、定期的に第一部隊長の入れ替えがある。
     第一部隊は、主に本丸の主戦力として、最前線へ出陣する部隊である。それだけに、力量を期待される部隊長という役どころを、主は戦略的に短い間隔で変更しているのだった。隊長は、その時の戦場、および日々の戦績や当人の希望、練度、気力を考慮して、主によって直々に選出される。
     三日月と鶴丸は、本丸の中では共に古参の刀であった。二振りとも、前線で戦うことに抵抗はなく、戦績も上々、練度も高めである。ゆえに、第一部隊の隊長に任じられることが、比較的多くあった。特に近頃は新たな戦場を攻略する任務が本丸に課されているという事情もあり、単純に武功を立てた刀が隊長に任じられる傾向である。
     第一部隊の隊長になるということは、単純に、名誉であった。その誉を受けるのは三日月か、それとも鶴丸か、はたまた別の刀か。鶴丸は、特に競っているつもりはなかったが、一応は気にしていた。三日月も、そのはずである。鶴丸も、三日月も、特別な事情がない限り、この第一部隊長の任命式を欠席したことはない。どちらかの名が呼ばれれば、呼ばれなかった方がその任を労う。そうやって、二振りは随分長く過ごしてきた。
     勝ち負けを気にしているつもりはないが、敢えて言うのであれば、これまでは、三日月の方がより多く部隊長を務めてきている。鶴丸は、それを、気に食わないと思ったことはなかった。それだけの力量が、三日月宗近にあるというのは、疑いようもない。
    「さて、心づもりをしておいてくれ」
     三日月は、鶴丸を見てそう告げた。鶴丸は、それが何を意味するのかすぐに分かった。部隊長には、部隊員を選抜する権限が与えられる。そのことを言っているのである。
    「俺でいいのかい?」
    「お前以上の適任は居るまい。何の不足があるものか」
     三日月のその賛辞を、鶴丸は、内心で当然のこととして受け取った。三日月が部隊長へ任命される際、鶴丸は、大抵同じ部隊へ編成された。戦績からしても、実力からしても、妥当な判断である。悪い気はしていない。本丸で一番と認められた刀が部隊長を務める隊で出陣することは、鶴丸にとっても、喜びであった。
    「おめでとうございます、三日月殿」
     二振りが話しているところへ近付いてきたのは、一期一振だった。本丸に多く刀の居る中で、親しく話す刀とそうでない刀というのは自然と分かれていくものだが、鶴丸にとって、一期一振という刀は、比較的親しい刀であった。三日月にとってもそうだろう。人当たりのよいこの粟田口の長兄は、鶴丸と三日月の二振りが話しているのを見て、純粋な好意でもって寄ってきてくれたものらしい。
    「お前の方こそ、おめでとう。前田が修行に出たそうではないか」
    「ええ、ありがとうございます!」
     三日月は、鷹揚に一期一振へ礼を言ったあと、逆に彼と、彼の弟の出立を祝った。途端に一期一振は、わかりやすく相好を崩した。
     修行の旅、というものが、この本丸で許され始めたのは最近のことである。一番はじめに修行に出たのは、初期刀の次に古くから本丸に居る小夜左文字で、彼は無事、立派な姿で戻って来た。それからちらほらと、まずは短刀から、という順序で、ひと振り、またひと振りと出立する刀が続いている。
     一期一振は、多くの短刀たちを弟に持つ刀である。彼が近ごろ、弟たちの旅立ちに、一喜一憂しているのは鶴丸も知るところであった。
    「これでもう、何振り目だ? 四、五振り目にはなるか」
    「前田が無事に戻ってくれば、五振りになるかと」
    「増えたなあ。こりゃ、うかうかしてはいられないぜ」
     鶴丸は、思わず嘆息した。修行を終えた刀たちは、皆一様に以前より心も刃も鍛えられて戻ってくるのだと聞いている。鶴丸はまだ、彼らと共に出陣し、その力を目の当たりにしたことはない。主が、極めた刀の実戦投入を、現状保留にしているためである。
     鶴丸は、ちらと三日月へ視線を向けた。彼は、はたと一度だけ瞬いた後、目を伏せてそれを受け流した。
    「今の戦場が落ち着いたら、主は修行を終えた刀たちの育成を始めるという話だ。そうなれば、俺たちはしばらく隠居生活かもしれぬぞ」
    「言ってる場合か? だったら、戦場に出られる今のうちにきみから隊長の座を奪い取っておかなきゃな」
    「はは、覚悟しておくとしよう」
    「頼もしいですな」
     朗らかに笑う一期一振と同様に、三日月もまた笑っていた。だが彼がこのとき、心底から呑気に笑っているものとは、鶴丸には思えなかった。
     鶴丸自身、表面上は笑みを浮かべていたものの、心中、多少の焦燥を抱えていたためである。
    (戦力の中心が修行後の刀になるってんなら、俺も早いとこ旅に出ないとならない)
     鶴丸は、本丸の戦力として自らが期待されている今の状況を、率直に気に入っていた。この先、出陣の機会が大幅に奪われるようなことになっては、御免である。
     鶴丸のその内心を、見透かしたように三日月が目を細めた。
    「ぎらついた目だな。お前も早く、修行に出たいか」
    「きみもだろ?」
     返すと、三日月は、また澄ました顔をして答えなかった。狸め、と鶴丸は心の中だけで彼を評した。



     翌日、新たな第一部隊は早速出陣の命を受けた。
    「やあ。またよろしく頼むよ」
     出陣口となる西庭に集まったのは、概ねが見慣れた面々である。人選は隊長の自由であるが、三日月は奇をてらった編成をするたちではない。おまけに、今は、未攻略の戦場を調査しながら進んでいる最中である。必然、戦力の高いものから効率的に選んでいくと、同じような面子になるのもやむなしと言えた。
     鶴丸は、自身が部隊長に選ばれた際には、都度編成を変えるのが趣味であった。毎回同じ刀と出陣するよりも、戦略の幅が広がる上に、新鮮味があり、愉快なためである。だが、此度の部隊長は三日月宗近。文句を言うつもりはない。慣れた面子であれば戦いやすいというのも、また事実であった。
     鶴丸、三日月をはじめとする六振りは、そろって時を越えた。
    「しかし、大体見たような面子になっちまうな」
     出陣先の山中で、つまらなそうな顔をしたのは和泉守兼定であった。現在位置の確認後、偵察を請け負ったにっかり青江が、敵の様子を調査しについ先程姿を消したところである。残された五振りは、あたりを警戒しながらも、青江の帰還を待つ間雑談を交わす流れであった。
    「やはり、慣れた顔を選んでしまいがちでな」
    「楽ではない任務だから、どうしてもね」
     三日月に応じたのは、石切丸である。和泉守も、青江も、石切丸も、鶴丸は幾度となく共に出陣した相手であった。皆、お決まりの面子に少々飽きたというような体ではいるが、自らが第一部隊に選ばれたことは誇っている。それは、鶴丸も、同じであった。
    「ま、勝手知ったる面子で進むってのも悪くはないだろ」
    「だが、実は山姥切国広には断られてしまった」
     三日月が、少々残念そうに言うのを聞いて、鶴丸は改めて面々を見渡した。山姥切国広は本丸の初期刀、多く近侍を務めている、最古参である。戦力としても申し分ない。思えば彼は、三日月に多く選ばれがちであった。
     第一部隊での出陣は、山姥切国広にとっても誉と言っていいはずである。それを何故断ったのか、と鶴丸が怪訝な顔をしていると、三日月は説明を加えてくれた。
    「今後、第二部隊を育成用の部隊として、第一部隊と並行して出陣させていく計画があるらしい。あやつはその運営に注力するゆえ、しばらく第一部隊で出陣は出来ぬということだった」
    「育成用の部隊? 今更か?」
    「主はこの先、二振り目を顕現させていくつもりのようだ」
     三日月の周囲で、驚きの声が上がる。鶴丸も目を瞠った。本丸には、これまで、特例を除き同じ刀はひと振りのみ。決まりがあったわけではないが、主がそのつもりで刀を顕現させてきたことは、明白であった。
     なるほど、と鶴丸は腑に落ちた。修行に出る刀が出始めたこの時機は、二振り目を顕現させるには悪くない頃合いである。近侍の山姥切国広からその話が出たということは、話も本決まりになり、情報を解禁してもよい段階になったということだろう。
     大きな変化は、混乱も生む。もしかすると、三日月は、山姥切国広から第一部隊の面々へ、それとなく話をするように求められたのかもしれなかった。現時点で、少なくともここにいる皆には反発の気配もない。鶴丸自身、その方針に、意見はなかった。
    「なーに? それじゃあ、俺は来られなくなった国広の代わりってわけ?」
    「はは、そういうわけではないぞ。頼りにしている」
     加州清光が三日月へ、冗談めいた声を向ける。加州は今回の第一部隊に、最後に編成されたひと振りである。彼は確かに、今いる面子の中では最も経験に乏しく、もし山姥切国広が編成されたのならば代わりに「落ちる」刀であるが、そうは言っても戦力として著しく劣る訳ではない。鶴丸は、山姥切国広を、気の毒に思った。近侍の任は栄誉であるが、雑務に追われて戦場に出られないとなれば、刀が廃る。
    「ここもいよいよ、大きな本丸になるってことだな」
    「そうだね。私たちもそろそろ、後進の育成に手を貸さなくてはならないかな?」
     和泉守と石切丸が話すのを聞く。和泉守は、満更でもなさそうであった。刀が増えれば、本丸の規模も大きくなる。それは単純に、主とその城が、より力を持つということである。
     鶴丸としても、それ自体に、思うところはなかった。
    (育成ねえ)
     だが、それは、我ながら向いていないと感じる。
     和泉守を見る。彼は、どちらかと言えば、誰かを教え導くことに向いている方だろう。加州もそうであるかもしれない。彼らには、やはりどこか、集団の中で戦ってきた刀らしいある種の協調性がある。
     鶴丸は、そうではない。そして三日月も、そのようには見えなかった。隊長として選ばれても、隊員たちへ逐一指示し、手取り足取り任務の遂行まで導くというやり方はしない。三日月は、基本完全な放任主義だ。彼は隊長として、ただその責任のみを全うする。
     それは、鶴丸としては、仕事のやりやすい相手であった。
    「さて、では参ろうか」
     やがて偵察から戻って来た青江が、この先に潜む敵の様子を報告した。隊は、三日月の号令で進軍し、敵と交戦した。
     敵も手練れだが、慣れた仲間との戦はやりやすい。隊は、危なげなく、着実に敵を倒していった。
    「三日月、きみ、頭のが取れそうだぞ」
    「ああ」
     最中、敵と大立ち回りを演じた三日月の衣装の乱れを指摘すると、三日月は自らの頭に手をやって無造作に金の紐飾りを外した。そのまま頭を振って髪の乱れを整える豪快なやり方に、鶴丸は、思わず、失笑した。
    「まったく、きみは、雑だな」
    「どうせ戦をするには邪魔だ。構わぬだろう」
     風情の欠片もなくそう言う三日月は、しかしやはり、美しかった。しなやかに振るわれた刀は音もなく敵を断ち、踊るようにひるがえる袖のかげから、鋭いひと突きが敵を刺した。まるで無駄のないその動きは、洗練された舞のごとくである。
     戦場で、彼は、誰よりもあでやかだった。
     本丸の奥に飾っておくにはあまりにも惜しい。戦の場にしか現れないこの煌めきを目撃できるということこそが、第一部隊のひとつの特権である。
     鶴丸は、口に出したことこそなかったが、密かにそう認めていた。



     数日して、本丸はにわかに騒がしくなり始めた。主から、これまで空き部屋として遊ばせていた複数の部屋を点検、清掃の上、個室として整えるよう命が下ったためである。
     これは、明らかに、新しく刀を顕現させるための段取りであった。三日月からもたらされた情報通りの動きと言える。
     思えば一年ほど前、本丸には一度大規模な改修が入った。居住棟を増築し、棟と棟を結ぶ長い渡り廊下を設けて、顕現している刀すべてにひと部屋ずつ私室を割り振れるほどに、部屋数を増やしたのである。とはいえ相部屋の刀も多く、本丸は部屋を余らせていた。主は、その頃から、先を見据えていたと見える。
     個室の整備は、かなりの大仕事であった。何しろ備品の数も足りていない。生活用品やら家具やらが、大量に発注されたようである。とはいえ鶴丸は、本丸のその騒ぎを横目で眺めているばかりであった。第一部隊には、連日出陣命令が下る。自然、内向きの任務は、本丸に残された他の刀たちが負うことになる。
     指揮は、近侍の、山姥切国広がとっているようであった。
    「今、新しく入れたい物を山姥切国広に伝えておくと、どさくさ紛れに経費で買ってもらえるらしいぜ」
    「ふむ。何か欲しいものがあるのか?」
    「いやあ? だがどこまで申請が通るのか試してみたくはあるな」
    「はは、忙しい近侍殿を悩ませてやるな」
     鶴丸が、出陣先で、三日月とそんな戯言を交わし合っている内に、山姥切国広をはじめとする刀たちは勤勉に仕事をこなしたらしい。知らぬ間に本丸はしかるべき準備を終え、新たな刀を迎え入れていた。鶴丸がそれを知ったのは、ある日の出陣帰りであった。
     その日は比較的帰城が早く、第一部隊が本丸に戻ってきたのはまだ夕方にも差し掛からない頃だった。戦支度も解かない内に、鶴丸は、廊下で前田藤四郎と一期一振に行き合った。鶴丸にとっては、どちらも、慣れ親しんだ二振りである。任務を無事に終えたことを知らせるような軽い気持ちで、鶴丸は、片手をあげて挨拶をした。
    「よ、おつかれさん」
     どうもおかしい、と感じたのは、そのとき前田が鶴丸を見て慌てたように頭を下げたためであった。鶴丸は、一瞬面食らって妙な顔をしてしまったが、やがて自分の間違いに気づいた。前田藤四郎は、少し前に修行の旅を終え、随分と大人びた顔をして戻って来た。だが今鶴丸の目の前に居る前田は、第一部隊所属の鶴丸国永に敬意と畏怖さえ帯びた目をした、どこか物慣れない様子である。
     鶴丸は、思わず一期一振を見た。彼は柔和な笑みを浮かべて鶴丸に応えた。
    「おかえりなさい、鶴丸殿。ご無事で何よりです」
    「一期、もしかして」
    「ええ。私の新しい弟です」
     一期一振は、にこやかに笑んで前田の背を撫で、目で何かを促した。前田は、すぐに応じて、健やかにこう言った。「前田藤四郎と申します。ここでは僕は二振り目だと聞いています。どうかお見知りおきを」
     鶴丸は、なるべく物珍しい目をしないように気をつけながら、二、三の言葉を前田と交わした。兄弟は、やがて仲睦まじく寄り添いながら去っていった。
    「いやあ……初々しいな」
    「お前にも、ああいう時期があっただろう」
     二振りの背を見送りながら思わず呟いた鶴丸へ、言葉をかぶせてきたのは三日月宗近だった。鶴丸は、少し前から、三日月の接近に気づいていた。彼は、第一部隊長として、近侍と主に出陣結果の報告に行っていたはずである。その帰り道といったところだろう。
     鶴丸は、少々怪訝、かつ不服に思って目を細めた。
    「俺にあんな初心な時代があったか? だとしたらその時分はきみだって初心だったはずだぜ」
    「はて、どうだったか。お互いはじめからこうだったような気もしてきたな」
     話が自分の所へ返って来た途端、そらとぼけたような顔をした三日月に鶴丸は肩を竦めた。鶴丸と三日月は、ほぼ同時期に本丸へ顕現した、いわば同期である。人の身と本丸の空気に馴染めず、右往左往した可愛らしい時期がもしあったとするならば、お互い条件は同じはずであった。
    「よく言うぜ。にしても、一期一振はずいぶん楽しそうだったな」
    「いまのあやつは、存分に世話を焼ける立場だからな」
     三日月は、粟田口の兄弟二振りが去っていった廊下の先を眺めながら、目を細めた。鶴丸の目には、先程の一期一振が必要以上に上機嫌に見えていたのだったが、三日月の、その含みのあるひと言を聞いてそうかと思い当たる一件があった。
     一期一振は、この本丸では比較的遅い時期に顕現した刀である。彼が人の身を手に入れた時、本丸には、すでに同派の弟たちが多数顕現していた。
     先に本丸へ馴染んでいた弟たちは、一番上の兄を歓迎し、精一杯もてなした。本丸の案内を競うようにしていたのを、何度も見た記憶がある。一期一振は、顕現直後、弟たちに世話される側だったという訳である。
    「なるほどな。自分より先に顕現してた弟たちには出来なかったことも、新しい弟にはしてやれるってわけだ」
    「さよう。兄ぶれるのが嬉しいのだろう。可愛いやつめ」
     愉快気な三日月を見ながら、鶴丸は、実のところ少々不思議な気持ちでいた。同じ名を持つ刀にしても、個体差、とでもいうべき雰囲気の差があることは、演練場で数多の城の刀たちを見てきた鶴丸も、知るところである。だが同じ本丸の、同じ主のもとに顕現した、同じ名の刀であっても、異なるものはあるということか。鶴丸には、それは、実感としては未だわからぬものであった。
    「同じ顔の弟相手に、そんなに気分が変わるもんかね」
    「さあ。わからぬな」
     思わず零すと、三日月もまた他人事のように追従した。鶴丸は、三日月が、さして興味も無さそうにしていることが可笑しく、また自分も同様であった。



     本丸の変事も、新たに顕現した刀たちのことも、鶴丸にとっては一歩離れたところで起こっている他所事であった。それがにわかに近く感じられるようになったのは、日々任務に明け暮れている内、二度の第一部隊長の変更を経た直後であった。
     五月、第三期の第一部隊長は、引き続き三日月宗近が務めることとなった。近頃は、これで、五期連続で三日月が第一部隊長に選出されている。これは、これまでの傾向からすると、やや珍しいことであった。とはいえ戦場が変わらぬ以上、同じ刀が隊長を担うことは効率の良さから言っても妥当である。
     任命式の直後、いつものように三日月の就任を祝おうとした鶴丸は、しかしそれよりも早く近侍の山姥切国広から声をかけられ、促されるままに大広間を離れた。山姥切国広は、鶴丸を、近侍の執務室までいざなった。鶴丸が、執務室へと入室すると、そこは随分と散らかった様子であった。
    「片付いていなくて悪いが、適当に座ってくれ」
     山姥切国広は、そう言って部屋の隅に重ねてあった座布団を一枚鶴丸へ投げて寄越した。鶴丸は、畳の上へ散らばっていた紙片を避けて座布団を置くと、その上へ胡坐を掻いた。見ると、紙片は、どうやら領収書である。執務室には、その他にも、書類と紙箱の類が幾重にも広がっていた。
    「大変そうだな、きみも」
    「少しな……。だが、ようやく落ち着いてきた」
     山姥切国広が、鶴丸の向かいに腰を下ろしながら嘆息する。近侍として、彼がここしばらく休みなく奔走してきたことは、鶴丸もよくわかっていた。
     このひと月ほどの間に、本丸には随分と新しい刀が増えた。増えた刀は、いずれも、二振り目である。
     物珍しく思えたのは最初のうちだけで、それこそはじめはそれらしい刀を見かけるたびにわざわざ声をかけて挨拶など交わしていたが、二振り目の数も片手の指を越えた頃には、そう細やかに相手もしていられなくなった。どの刀の二振り目が顕現したのか、どちらが一振り目で、どちらが二振り目なのか、はたして目の前に居る刀は一振り目なのか二振り目なのか、今はもう、見かけただけでは、よくわからぬ状態である。
     本丸には、規則が増えた。当番表に掲げる名や、各々私物に記す名は、尻に番号をつけるよう定められた。鶴丸国永(一)とこういった具合である。食事をする部屋も手狭になった影響で二箇所に分けられ、当番のための人員も増えた。風呂の時間割も、変更になったようである。本丸の刀全員が集まれる大きさの広間をひとつ、新築しようという話も出ているらしい。それらをすべて取り仕切っていたのは、近侍の、山姥切国広である。実に苦労がしのばれる。
     鶴丸は、その忙しい近侍に、呼び出される心当たりを明確には持たなかった。
    「それで、今日は何の件だ? 頼んでた砂袋の購入申請が通ったのか?」
    「いや、悪いが、それは却下した。新しい戦術を試したいというあんたの意見はわかるが、今はそんな余裕がない」
     砂袋、とは通称で、腰に下げられる小さな袋に砂やら石灰やらが詰まった飛び道具の一種である。いつぞやの演練場でたまたま耳にしたのだが、刀装ではない非正規の装備品を戦場に持ち込んで戦う例が、いくつかの本丸で報告されているらしい。その内のひとつと聞かされたのが、砂袋であった。
     鶴丸は、以来、いつか試してみたいと思っていた。時間遡行軍に目潰しが効くのかどうかはかなり疑わしいが、何事もやってみる価値はある。とはいえ砂袋の有用性を明確な根拠と共に提示して購入申請を通す、という正式な手順を踏むのは面倒くさく、本丸が混乱しているこの機に乗じてあわよくば、と気楽な気持ちで申請を出してみたのだが、どうやら近侍は真面目に仕事をしたらしい。
     わざわざ近侍に呼び出される理由として唯一のあてが外れた鶴丸は、内心で首を傾げた。山姥切国広がやがて神妙にこちらを見るのに合わせ、居住まいを正す。
    「あんたに折り入って頼みがある」
    「聞こう」
    「しばらく、第二部隊の隊長として、新人を率いて出陣してくれないか?」
     鶴丸は、思わぬことに驚いて、僅かに眉を寄せた。
     新人、とは、言うまでもなく最近顕現した二振り目の刀たちのことである。山姥切国広曰く、彼らは手近な遠征任務をこなしながら、近頃は少しずつ難易度の低い戦闘任務も請け負い始め、順調に経験を積んでいる最中であるらしい。
    「そろそろ、難しめの任務も任せてみたい。それでひと振り引率をつけたいんだが、その役目を、鶴丸国永、あんたに頼めないか?」
    「……それは、主の命かい?」
    「いや、俺の判断だ。新人の育成全般についてを、良いようにやれと主から任されている」
     山姥切国広は、いくらか気苦労の滲んだ息を吐いた。彼が、この一件についても、慎重に検討を重ねたのだろうことは、鶴丸にもよくわかった。
     何故自分が、とは思わない。妥当な人選である。練度や経験だけで言うのならば、たとえば一期一振なども充分な引率が可能だろう。だが彼は、主にゆかりの者たちに対してではあるが、新しく顕現した刀たちの本丸での世話係を担っている様子である。
     そういう刀に、戦場での引率も兼ねさせることは、単純に仕事量の偏りが起こるという以上に、新人たちの気の緩みを誘発しかねない。今よりも厳しい戦場へ、覚悟を持って臨ませるためには、新人よりも明らかに上位の刀――たとえば頻繁に第一部隊入りしている、わかりやすい実力者を、引率役として組み込んでいくのは効果的なやり方である。鶴丸をその役目につけるというのは、唯一絶対の正解という訳ではないが、悪くない案のひとつであることに、間違いはなかった。
     鶴丸は、そこまで理解しておきながら、一瞬だけ回答に迷った。その上で、答えた。
    「悪いが、断らせてもらう」
    「そうか」
     山姥切国広は、特別落胆した様子も見せなかった。とはいえ、彼は、表に感情の出にくい刀である。忙しい近侍に、余計な手間をかけさせることを、鶴丸は率直に申し訳なく思った。それでも、やはり引き受けようとは思えなかった。
    「応えられなくてすまん」
    「いや、断られるのも想定の内だ。やりようはあるから、気にしないでくれ」
     鶴丸は、用件だけを済ませて近侍の執務室を出た。山姥切国広にすまないと思う一方で、鶴丸は、この一件を断れたことに安堵していた。
     自分には向かない任務である、という理由からではない。確かに鶴丸は、手取り足取り何かを教えることに長けてはいない。だが部隊の隊長として、戦場で戦う姿を見せることで、何か伝えられるものもあるだろう。山姥切国広も、恐らくはそれを期待しての人選だったはずである。
     第二部隊の隊長に、なりたくなかった訳ではない。だがその任を引き受けるということは、すなわち第一部隊へ編成されることを諦めるということである。
     それが、我慢ならなかったのであった。
     山姥切国広の目に、はたして鶴丸の返答がどう映っただろうかと考える。単純に、面倒がったと思われたか。それとも、新人の育成任務に不満があると思われたか。第一部隊で出陣する栄誉に、固執していると思われたか。
     いずれも、鶴丸の本心ではなかった。
     ――三日月宗近。
     第二部隊の隊長の任を打診されてから、ちらちらと頭をよぎるのは彼の刀の姿であった。鶴丸は、冷静に、目を閉じて自身の望みを見定め、すぐに悟った。
     自分は、どうやら、三日月と共に戦場を駆けることこそを、至上の喜びと感じている。
     それが果たされないことが、何よりもつまらないのだ、と。
     その思いがけない不意の自覚に、鶴丸は、口元をにやつかせた。自分にこれだけの執着があり、その先が他でもない三日月宗近であるというのは、悪くない自己分析であった。求むるに足る。それが三日月宗近という刀である。
     執務室を出て廊下を進んでいた鶴丸が、そのとき視線の先に当の三日月を見つけたのは、まったくの偶然であった。鶴丸は、丁度中庭をぐるりと囲う回廊に差し掛かったところで、三日月はその、ほとんど対角線上にいた。今が盛りのツツジの花が中庭を美しく彩っている様を眺めでもしているのか、鶴丸に気づいている様子はない。
     鶴丸は、三日月に、声をかけたい気分だった。それでつかつかと近付いていって、躊躇いなく名前を呼んだ。自分でも、少々予想外だったのは、その声が意図せず弾んでしまったことだった。こんな風に浮かれて三日月を呼んだことは、今まで、ただの一度もない。
     鶴丸は、瞬時に、おそらく三日月に妙に思われるだろうという想像をした。どうした、なにか、良いことでもあったのか――と、落ち着いた揶揄の声が返ってくるところまでを、鶴丸は脳裏に思い描いた。しかし。
    「よっ、三日月」
    「おお、鶴丸か!」
     上滑りすると思われた鶴丸の呼びかけに、三日月は、思いがけないほどの笑みで応えた。それは、正直なところ、鶴丸の方が面食らうほどだった。三日月は、もともと表情の硬い刀ではない。どちらかと言えば、いつでも笑みをたたえている刀である。だが鶴丸は今までその笑みを、静かな湖面のようだとばかり思っていた。
     それが今は、目の前で、まるで花がほころぶが如くである。
     絶句した鶴丸の前で、三日月は、何度かゆるく瞬きをした。二振りの間には奇妙な重さを帯びた時間が流れ、鶴丸は、その間に三日月が何かを瞬時に繕った気配を感じた。みるみるうちに鶴丸の見慣れた表情になった三日月は、やがて何事もなかったかのように、穏やかな目を鶴丸へ向けた。
    「どうした? 妙に上機嫌のようだが」
    「いや……」
     上機嫌だったのはきみの方だろう、というひと言を、鶴丸は呑み込んだ。やり返されてはたまらないと思ったためであった。先ほど執務室を出たところで自覚したあれこれを、鶴丸は三日月に話すつもりはなかった。それで口籠っている内に、三日月の方が問いを重ねた。
    「山姥切国広に呼ばれていたようだが、何かあったのか」
    「いや、大したことじゃない。例の申請の件で叱られただけさ」
    「はは、やはりハネられたか。それは残念だったな」
    「おかげできみを祝いそびれちまった。第一部隊長、おめでとう」
     いつものように祝うと、三日月からは、やはりいつものように「ありがとう」と短く礼が返って来た。ただ鶴丸は、先程感じた強烈な違和感をまだ拭えないでいた。三日月は、敏くそれを感じ取った様子で、目を細めた。
    「どうした、浮かない顔だな。よければいつものように、お前を隊に編成したいが」
    「ああ……願ってもない話だ」
     話がそこへ至った頃、鶴丸はようやく自分を取り戻した。三日月の瞳からは、頼もしい同僚たる鶴丸へ向けるある種の信頼が滲んで見えた。それは、鶴丸を安心させた。
     先程の、奇妙なまでの愛嬌に満ちた三日月の笑みが脳裏をよぎる。あれはまるで、別人のような――否、別人に向けられているかのような表情であった。
     鶴丸は、一瞬じわりと胸の隅へ黒く滲んだ違和感を意図的に排除した。あるいは見間違いだったのかもしれないと思い込むことは、そう難しいことではなかった。



     鶴丸の知る限り、少しして、第二部隊は山姥切国広を隊長に少しずつ難易度の高い任務を引き受け始めたようだった。鶴丸は、例の打診を断った負い目もあって近侍の仕事量を案じたが、山姥切国広自身も言っていたように、近頃は新しい刀たちの顕現に付随して発生していた仕事も、随分と落ち着いたようである。内向きの仕事を、他の刀たちが分担してこなしていることで、近侍の負担も減ったのかもしれなかった。一期一振をはじめとする何振りかが、実質的な世話係として動いているようである。
     鶴丸には、その手の役目は、一切まわってこなかった。まず第一に出陣で忙しかったというのもあるが、やはり新人の世話係には、刀派や来歴にゆかりのある刀が選ばれる傾向にある。中でも世話好きな刀が優先される。となると、鶴丸の出番は、無いに等しいのであった。
    「なんだか本丸に刀が増えた気はするが、意外と変わらんもんだな」
     普段の通りに第一部隊へ編成された鶴丸は、ある日の出陣先で何気なくそう零した。もう随分と前のことのように思えるが、やはり第一部隊での出陣中に、二振り目が顕現されることについて、皆で雑談を交わした記憶があったためである。あの頃は、何か、大きな変化が本丸にもたらされるという予感があった。だが実際の所、自分の日常はそう大きくは変化しなかった、というのが鶴丸の感想である。
     だが、あの時も隊に編成されていた和泉守は、鶴丸のひと言に渋い顔をした。
    「そうかあ? かなりうるさくなっただろ」
     和泉守は、いくらか辟易している様子である。途端に加州が目を細め、含みのある笑みを浮かべた。
    「助手が増えて、毎日楽しそうじゃん」
    「楽しいなんてもんじゃねえよ。二振りでやいやい言われて参っちまうぜ」
     嘆息する和泉守を見ながら、鶴丸は、なるほど、と思い至った。どうやら鶴丸の知らぬ間に、二振り目の堀川国広が顕現していたようである。元々大所帯であったところに、食事の場が二箇所に分けられたせいもあって、近頃は、本丸の刀全員が一堂に会する機会というのは無いに等しい。鶴丸は、二振り目の堀川の存在を知らなかった。まだ顔を合わせていない可能性もある。あるいは、顔を合わせた上で、二振り目だとは気付いていないのかもしれなかった。
    「なんだ、俺も事情に疎くなったもんだな」
    「毎日のように戦に出ていれば、その間に知らぬ顔も増えて当然だろう。俺もいつの間にやら二振り目が顕現しているかもしれぬな」
     口を挟んできた三日月の冗談を、笑い飛ばすことは出来なかった。実際その通りかもしれないと鶴丸には思えたためである。鶴丸は、はじめて、焦りを覚えた。
     本丸という戦の本拠地に在る仲間の数を正確に把握できていないというのは、将としても兵としても褒められたものではない。二振り目の刀たちの顕現に、これまで興味を持って来なかった自分を、鶴丸は瞬時に悔いた。
    「そう苦い顔をするな。いずれ共に戦うようになれば、いやでも顔は覚える」
     三日月は、鶴丸の内心を読んだかのようにそう言った。正直、それは、癪であった。
     数日して、鶴丸は、暇を見つけて近侍の執務室を尋ねた。山姥切国広は丁度出陣しようとしていたところで、彼は鶴丸の突然の訪問に驚いた顔をした。
    「刀帳の写しを貰えないか? いや、すぐでなくていいんだ」
     鶴丸の申し出を、山姥切国広は快く受け入れてくれた。とはいえ以下の会話があった。
    「戻ってからで構わないか? それと、近頃は、頻繁に刀帳の更新がある。紙で渡すとすぐ古くなってしまうから、専用端末を貸し出してもいいが」
    「いや、出来れば持ち歩きたいんでな。手間をかけて悪いが、紙で貰えるとありがたい」
     山姥切国広は改めて了承し、慌ただしく出陣していった。鶴丸は、近侍の帰りを待つ間、手持ち無沙汰となった。
     鶴丸を含む第一部隊は今日、久し振りに出陣のない一日である。鶴丸は、日中、何気なく本丸を歩き回って増えた刀たちの様子を眺めようとしてみたが、それはほとんど徒労に終わった。何しろ、見分けが、つかないのである。顕現初日に右も左もわからず居る内ならまだしも、数日もすれば皆人の身にも馴染み始める。そういう刀を外から見て、それが元から本丸に在る一振り目なのか、新しく顕現した二振り目なのか、判断するのは困難であった。日頃親しくない刀であれば尚更である。
    (さすがに光坊や伽羅坊、貞坊に二振り目が出来たってんなら見ればわかると思うんだが)
     本人を目の前に、お前は何振り目かと問いかけるのも気が引ける。鶴丸は、自力で増えた刀たちを把握するのを諦めて、大人しく刀帳の写しが手に入るのを待つことにした。
     第二部隊が帰還するのを見に行ってみよう、と思い至ったのは夕方ごろである。思えば山姥切国広は今、最近顕現した二振り目ばかりを集めた新人育成部隊を率いて、出陣しているのであった。その面子を確認しておくというのは、手っ取り早く二振り目の刀たちを見られるよい機会である。第二部隊の面子は恐らく当番表に掲示してあるのだが、もう長いこと自分が第一部隊であることが当たり前になっていた鶴丸は、すっかり確認を怠っていた。思えば、それも驕りであった。
     鶴丸は、第二部隊が戻ってくる頃を見計らって西庭へ向かった。普段、出陣する時以外には、滅多に近づかぬ場所である。西庭に面した縁側へ足を向けると、鶴丸は、そこで思いがけぬ刀の姿を見た。
     三日月宗近である。
     三日月は、今日、鶴丸と同じく、出陣の予定はないはずであった。彼は背筋をすっと伸ばした美しい立ち姿で、ひとり縁側に佇んでいた。また庭に咲いた花でも愛でているのかと鶴丸が見ている前で、三日月は、ゆらりと踏み石を経て庭へ降りた。
     丁度、西庭からつながる、出陣用の転送門が開く。空間の歪みの余波のようなものを感じて鶴丸が目を細めると、一瞬後にはそこに複数の人影があった。第二部隊が、時を越えて、本丸へ帰還したのである。
     まず目に入ったのは、隊長の、山姥切国広の姿だった。彼は部隊員の数を数えて過不足がないことを確認すると、そのまま西庭を離れて正面玄関の方へと回っていった。基本、出陣の際は、余程のことがない限り縁側からは出入りしないことが規則である。行きも、帰りも、玄関口を通るというのが、一種の験担ぎでもあり、単純に出入りの人数を正確に把握するためにも必要なことであった。
     隊員たちも、既にそれを教えられているのだろう。皆、山姥切国広の後をついて行った。堀川国広。前田藤四郎。亀甲貞宗――。鶴丸の目は、それら、二振り目の刀たちの姿を何気なく追おうとした。しかし、ただひと振り、流れに逆行して不意に飛び出してきた刀に、鶴丸の意識は一瞬にして奪われた。
     彼は、ひとりだけ、隊から離れて縁側の方へ駆けてきた。帰城の際の作法を教えられていない訳ではないことは、すぐにわかった。彼が、一目散に、庭に居た三日月宗近のもとへ向かったためであった。その目的のほどは、次いで聞こえてきたひと言からも明らかだった。
    「三日月!」
     その聞き慣れた、否、ある意味ではまったく聞き慣れない声に、鶴丸は胸がざらりとするような不快感を覚えた。全身真白の装束を身に着けた彼は――見紛うこともないほどに、鶴丸国永であった。鶴丸は、そのとき、情けないことに、自分と同じ名前の刀がもうひと振り顕現されていたことを、はじめて知った。
     奇妙な感覚だった。同位体を目にするのははじめてではない。演練場で、万屋街で、何度でも見かけたことがある。だが今、鶴丸は、いっそ気味の悪さすら感じていた。それは、どうやら、二振り目の鶴丸国永の目の前に、自分のよく知る三日月宗近が居ることが原因のようだった。
    「わざわざ来てくれたのかい?」
     二振り目は、頬を紅潮させながら、嬉し気に三日月にそう言った。見ていて、鶴丸は、何やら羞恥にも似た感情が全身を駆け抜けていくのを感じた。少し離れた場所から見ていた鶴丸にもわかるほど、その声が、雰囲気が、弾んでいたためである。
     自分と同じ顔の刀が、丸裸の好意を三日月に向けているというのは、何やら空恐ろしいものがあった。鶴丸は、三日月が、さぞ愉しんで二振り目を眺めているだろうと想像した。どうだ鶴丸、お前にも、ああいう初心で可愛らしい時期があっただろう――。三日月が、そんな風に、鶴丸を揶揄するところまで鮮明に思い描けるほどだった。鶴丸は、危うく、駆けて行って、二振りの間に割って入りそうになった。
     踏みとどまったのは、三日月と二振り目の鶴丸が、至極和やかに対話を続けていたためだった。鶴丸は、柱のかげに身を隠しつつ、聞き耳を立てた。
    「無事で何よりだ。どうだ? 戦果は」
    「見て分からないのか? 三日月」
     二振り目は、軽く腕を広げて三日月に自分の姿を見せつけた。それで鶴丸も気がついたが、二振り目の周囲には、ひらひらと白い花弁が舞っていた。なるほど誉桜である。戦果をあげた証だが、そんなものは、殊更誇るものでもない。
     三日月は、目を細めて、二振り目に応じた。
    「なるほど、よい働きぶりだったようだ」
    「当然さ。今日の出陣で練度も上がった。この分だと、きみと出陣できる日もそう遠くなさそうだぜ」
     大層な口を利く二振り目に、鶴丸は呆れた。三日月宗近と共に出陣するということがどういうことか、まるでわかっていないのだと感じられたためである。三日月は、この本丸でも随一の実力者。彼と出陣するためには、すなわち本丸の第一部隊に選出される必要がある。ただ強くなればいいという訳ではない。数多の刀を押し退けて、三日月に、選ばれる必要があるのである。
     鶴丸国永という刀に、それだけの潜在能力があることは、無論身を持って知っている。だが顕現してひと月も経たない新参者がそれだけの口を叩くというのは、思い上がりも甚だしいというものであった。
     鶴丸は、今度こそ、出て行って何か言ってやりたい気持ちになった。世間知らずの鼻っ柱をへし折って、ひと泡吹かせてやろうと思ったのである。鶴丸はいっそ、三日月が、それに類する対応をしてくれることを期待した。三日月とて、まだ頭に殻のついたひよっこに、あのように言われて良い気のするはずはない。
     そう考えた鶴丸の見ている前で、三日月は、肩を揺らして小さく笑った。鶴丸は、妙に思った。三日月はよく笑う刀である。からからと哄笑するのを、鶴丸は何度も近くで眺めてきた。
     だがあのように、口元を押さえて、はにかむように忍び笑いをする様を、目にしたことはあっただろうか。
     鶴丸の胸中にじわじわと広がり始めた違和感は、次の瞬間爆発的に膨らんだ。
    「それは楽しみだな――つる」
     三日月が、聞いたこともないような優しい声で、そう言ったのだった。つる、と短く名を呼ぶ音の中に媚びたような甘さがあることに、鶴丸は強烈な耳馴染みのなさと、嫌悪感すらを覚えた。鶴丸は、今更ながらに、三日月と、二振り目が親しい様子で居ることを不思議に思った。鶴丸自身は、二振り目の顕現を今の今まで知らずにいたというのに、三日月は、知って、こうして時折会っていたのか。
     なにか、鶴丸の中に、じめっとした、重苦しい感情が生まれつつあった。それは、恐らくは、苛立ちであった。鶴丸は、ふたりから目を離し、即座にその場を離れようと思ったが、続けて聞こえてきた声に、縫いとめられたようにその場へ留まった。
    「きみ、それ、ゆるんでないか? 頭のやつ」
    「そうか? ではお前が直してくれ」
    「仕方ねえなあ」
     二振り目が、可笑しげに笑う声が届く。鶴丸は、自分が、一度は逸らした緯線をまたふたりの元へ向けようとするのを止められなかった。見ると、二振り目は、三日月の髪へ触れて、甲斐甲斐しく髪の飾りを直してやっていた。器用な指が、美しい形に紐の端を結ぶと、彼は鶴丸自身はおよそしたこともないような、蕩けた表情で眩しいものを見るように双眸を細め、三日月へ向けた。
    「出来たぜ。そら、綺麗だ」
    「ありがとう」
     三日月もまた、親し気な笑みを二振り目に向けた。鶴丸は、とても見ていられない気持ちになって、今度こそ足早にその場を去った。
    (なんだありゃ。あれが、鶴丸国永か?)
     薄気味が悪い、と率直に感じる。それは、自分なら決してあのようなことはしない、あのような表情をすることもない、という矜持から来るものだった。姿の同じ、名の同じ、主の同じ刀であるからこそ、明確に自分とは違うことに対する、その不気味さは強烈だった。
     一方で、それ以上に強く胸の底から突き上げる感情があった。
    「あれが、三日月宗近か」
     鶴丸は、ひとり、廊下を歩みながら思わず口にした。これまで存在も知らずにいた二振り目の振る舞いよりも、三日月の言動をこそ鶴丸は気味悪く思っているのだった。
     鶴丸の知る三日月は、決してそう気安い刀ではなかった。経験も、力量も、大きくかけ離れた新参者が、やすやすと隣に並べる相手ではない。
     それを、三日月自身がああも簡単に許すとは。
     鶴丸は、自分が強く失望していることを知った。それは、どうにも制御のきかない、身勝手な感情であった。
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    Replies from the creator

    えだつみ

    PROGRESS書き下ろしと言いつつ11月23日のWEBオンリーで全文公開する予定
    ちょっと不穏な状況で三日月と鶴丸が邂逅して何やかやする話
    【つるみか】11月の再録本に載せようと思っている書き下ろし冒頭 IDと許可証の提示を、と求められて、鶴丸国永は万屋街の入口で立ち尽くすより他なかった。
     本丸から、そう少なくもない頻度で通っている、いつもの政府管轄の万屋街である。日用品を売る店があり、酒を売る店があり、飲み食いの出来る店があって、奥へ進めば大きな声では言いづらい用を足せる店までもが並ぶ、本丸所属の刀剣男士であれば訪れたことのない者はほとんど居ないと言ってもよい、馴染みの場だ。鶴丸は今日ここへ、本丸の用足しにやってきた。厨に常備する調味料の類を、買いに訪れたのだった。
     いつもと様子が違うことは、近づいた時点で察していた。万屋街は政府が構築した一種の仮想空間であるという性質上、本丸と同じく四方が塀で囲まれており、出入口は一箇所に定められていたのだったが、その一箇所しかない出入口にやたらと人だかりが出来ていたのである。見ると、そこは関所のごとく通り道が狭められ、入る者と出る者がそれぞれ制限されている様子であった。鶴丸は、入ろうとする者たちが作る列の最後尾に並び、呑気に順番待ちをした上で、いよいよ、というところで思いがけない要求にあった。それが、IDと許可証の提示であった。
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    えだつみ

    PROGRESSただの同僚同士のつるみかの本丸に二振り目が顕現してなんやかんやする話(予定)
    発行の際に大幅改稿の可能性があります
    ただの作業進捗です
    【つるみか】7月新刊の作業進捗「今期の第一部隊長は三日月宗近とする。明日の昼までに、編成の希望を出してくれ」

     近侍の山姥切国広が主からの任命書を読み上げ、その指示の声が広間に響く。
     畳張りの大広間に居たすべての刀たちの視線は、自然部屋の前方にいた刀へと集まった。青い衣装を身に纏った姿勢のよい座り姿。三日月宗近である。
    「あいわかった」
     三日月が涼やかに応答する。既にそれは、本丸の刀たちにとっては聞き慣れたものであった。三日月もまた、得意げな顔をすることもなく、粛々と拝命する。
     それで、短い集まりは終わった。
     おおよそ十日に一度、定期的に開催される、第一部隊長の任命式である。
     主からの命が周知される、という性質上、全員参加が推奨の、形式的には重要とされている集まりである。だが、近頃は本丸の刀の数に対し開催場所の大広間が手狭になってきたという事情もあって、不参加の刀も少なくはない。実際、共有が必要な情報はすぐに掲示されるので、参加せずにいたところでそう不都合はないのであった。
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