尻尾の求愛日の当たる岩の上で大きくあくびをひとつ。
身動きが取れないので雑談に興じるしかない。
「魏兄はそれ、イヤではないんですか?」
「それって、これ?別に家族になら気にしないだろ?」
それ、とは自慢の尻尾に抱き付いている江澄のことだ。
黒い尻尾を抱き締めて丸まっている姿は見慣れたものだ。
「それに冬になればいつものことだしな」
「そうなのかい?」
「花精は寒さに弱いからな。人を温石の代わりにしてるんだよ」
「煩い。雲深不知処が寒いのが悪いんだ」
一番日の当たる所で尻尾で暖を取る江澄に肩を竦める。
「まあ、雲夢よりは寒いでしょうね」
「昼間はまだいいが夜から明け方かなぁ……おじさんに言われて上掛けを多めに持ってきといて良かったよ。じゃないと、寝るときも温石にされちまう」
「お前の体温は重宝している」
日向で温められた黒い毛皮に懐いている江澄から視線を移すと藍湛が歩いていく姿が見えた。
「おーい!藍湛!!」
「こら、魏無羨!尻尾を動かすな」
「俺の尻尾なんだからどうしようがいいだろうがっ!」
江澄に理不尽に怒られながら手を振って藍湛に声を掛ける。こちらをちらっと見て、視線が合ったはずなのにそっぽを向いて去ってしまった。
「あーぁ、無視されちまった」
「まぁ、藍の二若様ですから」
「いつもお前に絡まれて迷惑しているんだから関わりたくないんだろう」
懐桑と江澄に呆れた口調で言われたが折角授業以外で会ったのだからもっと話をしたいと思ってもいいではないか。
つまらないと舌打ちをしていたら藍湛とよく似た人が目の前を通り過ぎようとする。
「沢蕪君!」
「おや、お三方は何をしておいでで?」
いつも笑みを絶やさぬ藍曦臣に拱手をする。
江澄も流石に尻尾から離れた。
「日向ぼっこだよ。雲夢とは違ってここは冷えるからな」
「まだ夏の終わりですが?」
「雲夢だと秋の終わりくらいの気温だな」
「そうなのですか」
箱入りの藍氏直系は目を丸くしている。藍湛と違い表情筋は柔らかいらしい。
「彩衣鎮はそうでもないがここは山の上だからな」
「なるほど……では、江公子も魏公子も慣れぬ寒さでお困りでしょう」
「あ、俺は平気。確かに寒いけど狐仙だからな」
「毛皮持ちには暑い方がしんどいよね」
「蓮花塢では毎日のように泳いでたな」
うんうんと頷く懐桑に笑いながら尾を振る。その尾を然り気無く江澄に触れさせた。
「では、花精である江公子は?」
「こいつはてんで駄目だね。今から毛織りの掛布を出してたら冬をどう乗り切るつもりなのか、って話で」
「それはまた……」
「魏無羨!余計なことを言うな」
「それなら俺の寝床に潜りこんで来るなよなぁ」
ふんっ、とそっぽを向く江澄の肩を抱き寄せてやる。随分と身体が冷えている。
「ま、なんとかしまっ……」
「火鉢を出しておきましょう」
「え?」
「火の始末には気を付けて頂きたいですが温石があれば少しは寒さも和らぎますでしょう?」
「有難いですけど」
「ここに学びに来るものの本性のことを何も考えて居なかったことを恥じるばかりです」
「いやいや、江澄が特別寒さに弱いだけなので」
「だから、余計なことをっ」
そう言って怒るけれどそれで体調をくずしたりするなら配慮してもらった方がいいに決まっているのだ。
「温熱符の改良がもう少し進めばいいんだけどな」
「温熱符?」
「寒い所でも懐に入れておけば適温になるようにする符です。ずっと研究してるんですけど中々うまく行かなくて」
「燃やされては敵わないからな」
「俺は無くてもいいんだっつうの」
憎まれ口を叩く江澄から尻尾を取り返す。
ふんっとそっぽを向くけれどやはり少し震えている。
そろそろ日も陰ってくる頃合いだ。
部屋に帰るべきなのだろう。
沢蕪君に礼をしてから部屋に戻った。
夕食を取り、寛いでいると誰かが訪ねてきた。
「誰だ?」
「私だ」
その声に覚えがあり、慌てて戸を開くと藍湛がそこに立っていた。
「兄上から言われて持ってきた」
その手には火鉢があり、思わずまじまじと見詰めてしまった。
まさかあの藍湛が持ってくるとは思いもしなかったからだ。
家僕や外弟子が持ってくるくらいだと思っていたのに。
「わざわざ、ありがとう」
「……いや」
火鉢を受け取り、中に居る江澄に声を掛ける。
「おい、江澄!火鉢だ!」
寝台で丸くなる江澄が身を起こす。
その近くに火鉢を置いてから符で火を起こしてやった。
しばらくすれば温かくなるだろう。
「藍湛、助かったよ。」
扉を開けていては温かい空気が逃げてしまう。
藍湛と一緒に部屋を出て扉を閉めた。
「その、江公子は……」
「あぁ、寒さに弱くってすぐに人で暖を取ろうとするから困っちゃうよなぁ」
涼し気な顔をした藍湛はこの雲深不知処で生まれ育っている。寒さにも強いのだろう。だから、まだ冬にもならない時期に火鉢を用意することに驚いているに違いない。
「いくら俺の毛並みが温かくて魅力的だからってなぁ。ずっと抱き着かれたら動きづらくて敵わないよ」
ふわふわと尻尾を動かしながら藍湛を擽ってみた。
きっと触るなと怒るのだろうと思ったが何か言いたげに口を開いてから、また閉じる。
白い外着に隠れているが藍氏の龍の尾は鱗に覆われ、感触が違うのだろう。
一度触ってみたいと思いはするが流石にそこまでの無礼をするつもりはない。
「………君は」
「ん?なに、藍湛」
「………誰にでも尻尾を触らせるのか?」
「尻尾?」
左右に揺れる黒いそれを見詰めて首を傾ける。
お堅い姑蘇藍氏は家族にも触れさせないものなのかもしれない。
「んー? 江澄や師姐はよく毛繕いしてくれるよ。藍湛も触りたいの?」
目の前で振って見せる。
綺麗な黄色い目がそれに合わせて揺らぐのが何だか嬉しい。
「藍湛なら触っていいよ」
だから、そう告げたのだ。
まさか、黙ったまま踵を返した藍湛が翌日朝一番に部屋にやってきて寝ぼけた俺を攫って行くとは思いもしない。
まして、そのまま藍先生のところに連れて行かれた上に、道侶にすると宣言されるとは夢にも思わなかった。