俺は幽霊が見える、のかもしれない。
物心着いた頃には見えていたので最初は区別が付かなかった。
一人多く数えて数え間違いを指摘され、そいつが誰にも見えてないことを知った。
それからはそいつのことを口にしなくなった。
白い紐が手首から伸びて幽霊に繋がっている。美しい顔をした幽霊はずっと俺の傍に居る。
人混みの中や狭い場所では背中にくっついたり、誰かと戯れてる時は少し離れて。風呂やトイレは扉の向こうに居るのが伸びた白い紐で分かる。寝るときは隣に横になってるし、起きたら覗き込むように目の前に顔があった。
基本的に四六時中一緒の幽霊だが、こいつしか見たことがない。心霊スポットと呼ばれる所でもこいつ以外見たことがない。
居ないから見えないのか、こいつしか見えないのか区別がつかないので、俺は幽霊が見えるかもしれないである。
「魏無羨、自分で手入れをしないなら切ってしまえ」
「えー、いいだろ?江澄にしてもらうの気持ちいいし」
「馬鹿をいえ」
背中まで伸びた髪をブラシでときながらドライヤーを当てられる。
言葉とは裏腹に丁寧な手付きで、江澄は素直じゃないな、と笑いが零れる。
姉さんこと江澄の姉である江厭離が家にいた頃はヘアケアのセットだなんだとしてもらっていたのが思い出される。
「ほんとに、なんで伸ばしてるんだか」
小さな呟きにじっとこちらを睨むように見ている幽霊に視線を向ける。
昔はずっと幼かった。髪も短くてあどけない顔をしていた。それが今では俺より背が高い。俺と同じように成長する幽霊なんて不思議だ。幽霊なんてこいつ以外見たことないけど。
年が経るにつれ長く伸びていく髪。真っ直ぐな癖のないそれがとてもしっくりくる。美形はなんでも似合うというが真理だな、と思う。
それで、なんとなく俺も伸ばし始めたのだった。
「おい、急げ。遅刻だぞ」
「5分だろ。遅刻にも入らないさ」
江澄が睨むが怖くはない。
幽霊が背中にくっつくような気配がする。
「調子がいいやつだ」
「姉さんに会うのはいいけど孔雀男に会うのは面白くない」
「我慢しろ。あんなんでも姉上の夫だ」
思わず唇が尖る。
ツンデレと言われようと姉さんに取っていた態度を許せるかというとそんな訳はない。
だが、今日は可愛い甥っ子にも会える日なのでいつまでも不機嫌な顔をしているわけにはいかないのだ。
「今日は他に誰か居るのか?」
姉さんの嫁ぎ先は金持ちだでかい門にでかい屋敷。今も立派な車が出入りしている。
「さあな」
使用人に案内されながら屋敷内を進む。
見るからに高いとわかる派手な内装は好きにはなれないな、とくる度に思いながら子供の声が聞こえる部屋の前に辿り着く。
扉が開くと姉さんと甥っ子が見えた。
「阿羨!阿澄!」
嬉しそうに笑う姉さんに掛けよってぎゅっと抱きつく。
「姉さん!」
「姉上!」
江澄も同じように抱き付いている。
「いい加減に離れろ」
「お前も居たのか」
眉間に皺を寄せる姉さんの夫の金子軒にべっと舌を出してやる。
「もう、阿羨ったら」
姉さんに頭を撫でられて仕方なく離れる。目を丸くしている甥っ子がプレイマットの上に見えた。
「おっきくなったな?」
「阿凌、元気にしていたか?」
頭を撫でて抱き上げるとずしりと重かった。
「にしても、もう少し姉上に似ていてもよくないか」
江澄が金凌の頬をつつきながら言う。
「それは私も思っている」
すると金子軒まで深く頷いていた。
思わぬ同意を得られたがこれで姉さん似の女の子が産まれたらどれだけ甘やかすのか。これは貯金を始めないといけないのではないだろうかと考え始めた時だった。
「お邪魔してもいいかな?」
ノックの音がして扉が開く。
何度か会ったことのある顔が並んでいた。
「懐桑なんでお前まで?」
「江兄と魏兄が甥っ子に会いに行くって浮かれていたからもしかしたら、と思って」
金子軒の兄の金光瑶とその友人は姉さんにお祝いを言いに来たようだ。
金光瑶と懐桑の兄の聶明玦、藍曦臣は親友なのだと結婚式の時に聞いた。
あの時も思っていたが。
「本当に幽霊に似てる」
「失礼だぞ」
「魏兄、いくら曦臣兄さんがちょっと見ないくらい美人だからってそれはあんまりだよ」
肩を捕まれ、呆れたように江澄と懐桑に言われた言葉に口から出ていたことに気づく。
「わ、違うんだよ。ただ、髪を長くして、目の色が金っていうか琥珀っていうかな色の幽霊が……」
「魏公子、ちょっと待ってください」
焦って言い募のって居たら止められた。無理もない。意味の分からない言い訳を聞かされても不快感が無くなることはない。困った顔をしているだろう藍曦臣に目を向けると見たことのない表情をしていた。表現としては驚きに溢れた顔、と言うのだろう。だが、藍曦臣は温厚で篤実な人柄で、知識も豊富なので驚きという感情を顕にすることが少ない。しかも、こんなすがるような、救いを見つけたかのような顔をするなんて思いもしない。
「貴方の言う幽霊は私にそんなに似ているのですか?」
「あ、あぁ。双子みたいに」
藍曦臣が息を呑む。
ゆっくりと目を閉じてからこちらを見据える。
「一度、我が家へお越しくださいませんか?」
「え?」
唐突なお招きに間抜けな声が出た。
隣の江澄が驚いてるのが気配でわかる。
皆の注目が集まっていて居たたまれない。
「予定は合わせます。ですが、出来るだけ早くお越し頂きたい」
「よ、予定っても気楽な大学生だし、明日も休日だから時間くらい合わせれます、けど」
目的がまったくわからない。そもそもそれ程親しく会話をする間柄ではないのだ。
「でしたら、是非今夜我が家に泊まっていってください」
「はぁ!?」
「いくらなんでもこいつを一晩藍家に放置するなんて無茶が過ぎる!」
「おい、江澄!あんまりだろ」
「いえいえ、私が招待するのですからお気になさらないでください」
柔らかい物言いだが強引さを感じさせる藍曦臣に困惑してる間に藍家に行くことが決定してる雰囲気なのが解せない。
だが姉さんに「行ってきたら?」と言われてしまえば断ることも出来なかった。
江澄にはおじさんとおばさんに伝言をお願いして、藍曦臣と一緒に藍家へと向かうことになってしまった。
迎えの車に乗せられ、連れてこられた藍家は江家に慣れている俺でも驚く広さだった。
江家は川があったりで敷地が限られているというのもあるかもしれないが藍家は後ろに聳える山も敷地だと言うのだから規模が違う。
自動で開いた門を車で通り過ぎ、でかい屋敷の前に停止する。ちらほらと別棟が見えるからとんでもない。
「ここは?」
「本邸です。夕食はこちらに皆集まるので」
さらりと藍曦臣が告げる。
金家とは別の意味で次元が違う。
そんなことを思いながら藍曦臣の後を追う。
内装はシンプルではあるが所々掛けられた書や絵画が雰囲気を出している。
毛足の長い絨毯を踏みながら案内されたのはこれまた広いダイニングで、一枚板の天板だろうテーブルに同じ素材で良く磨かれた椅子が並んでいる。
その一つに座っている幽霊が居た。
「忘機」
藍曦臣が呼び掛けるとその顔がこちらを向く。
表情が動かない顔の中で目だけがパチパチと瞬いている。
藍曦臣の後ろからその姿を見詰めるが幽霊としか思えなかった。
「魏公子、どうぞ」
「え、いや……」
横にずれた藍曦臣に背中を押され、ぎこちなく足を進める。
何時も隣にいる幽霊がふわりと前に進み出た。
藍曦臣に『忘機』と呼ばれた男が何かを言いたげに開閉し、気付けば目の前に立っている。
少し目線が上だな、と思って手を伸ばす。
ふと、結ばれていた白い紐がほどけていることに気付いた。
「あ……」
それがどちらの声だったのかは分からない。
幽霊が目の前の男に吸い込まれるように消えたかと思うと男の眦から滴が零れた。
「……きみだ」
中途半端に持ち上げていた手を握られる。
痛いくらいに力が入っていて思わず眉をしかめてしまった。
それでも弛まないし、それどころか強く腕を引かれ抵抗する間もなく幽霊だった男の腕のなかに囲われてしまった。
「ちょ、幽霊……じゃないけど藍曦臣のそっくりさん!」
「藍湛」
「藍湛?」
「そう」
「忘機じゃなくて?」
首を傾げると腕の力が強くなる。
「貴方にはそう呼んで欲しい」
「ふーん?まあ、いいけど」
名前を呼ぶくらいはいいんだけどいい加減この締め付けは弛めて欲しい。というか少し距離が欲しい。
初対面の距離感があるだろう?
「えっと、そろそろ離して欲しいんだけど」
「いや」
「いやって……」
「忘機、魏公子が困っていらっしゃる」
渋々というのがこれ程分かることがあるだろうか、という仕草で離れていく男にようやく息が出来ると深く息をする。
それどころでなくて気付かなかったが白檀の匂いがした。
一歩後ろに下がり、改めて男を見る。
幽霊とまったく同じ男がこちらをひたと見詰めていた。
「初めまして、って気はしないけど初めまして。俺は魏無羨。藍湛って俺も呼んでるし、魏嬰って呼んでくれてもいいよ」
「魏嬰」
噛み締めるように名前を呼ばれるなんて初めての経験だな、と思いながら藍湛と呼び返す。
どこか懐かしい感覚で胸のあたりがむずむずする。
あまり表情が変わらない男の目が潤んで見えた。
「兄上と仲が良いのか?」
「曦臣兄と?いや?仲が悪いとか以前にそんなに会ったことがないから」
「では何故?」
何が聞きたいか分からないがぐいぐいと迫ってくる勢いに思わず後ろに下がった。
「忘機、魏公子は金子軒の奥方の義弟さんだ。懐桑の友人でもある」
「そうなのか?」
「あぁ。曦臣兄と会ったのも姉さんの結婚式だからな」
「あの時の余興は大変盛り上がっていたね」
姉さんのハレの日ということで江澄とはりきったのだ。
「……ずるい」
「は?」
「忘機、行かないと言ったのはお前だよ」
「…………はい」