【リコリコ】ミズキが千束に出会う話 あの子に初めて会ったのは、冬の終わりのやたら寒い日だった。
いつもの如く馬車馬のように扱き使われ、疲れ果てていた。寮に戻るのも怠いし、手近なところで休憩したい、と思い、秘密の場所に体を潜り込ませる。どことも説明し難いのだが、部屋と部屋の間のデッドスペースで、機器の排熱のおかげか、廊下なのにその狭い空間は温かいのだ。滅多に人の通らない奥まった場所なので、冬場のいいサボり場となっていた。
しゃがんで壁に寄り掛かり、目を閉じて落ち着いていると、不意に。
「おねーさん大丈夫?」
幼く、少しばかり舌っ足らずな少女の声がすぐ傍でして跳び上がった。情報部の区画で聞いていい声ではなかったから。
「な、なんでこんなとこに!?」
顔を上げれば、金色に近い白髪を持つ、小学生くらいの女の子が立っていた。少女はしゃがむと、アタシの顔を覗き込むように話し出す。
「なんでって、ここ私のひみつきちにしようと思ってたから。でもここおねーさんのきちだったんだね」
「秘密、基地……? アタシはそんなの作んないわよ。ただの休憩場所」
「やっぱここいいよねー。なんかあったかいし」
「夏はサウナだからやめときなさい。そもそも寮があるでしょ、とっとと帰りなさいよ」
「えー。だって私だけの部屋じゃないもーん。フキってばお小言うるさいの。やっと丈夫な心臓になったのに、前の感覚でちくちくちくちくとあー!」
「アンタも苦労してんのね……」
わしゃわしゃと白い頭を撫でてやると、くすぐったそうに、楽しそうに少女は笑う。
「そーだよー。のーてんきとか年中頭ん中お花畑ーとか言われるけど、千束さんだって大変なのー」
「なかなかに散々な言われようね……。ん? ちさと? 電波塔の?」
「おねーさんも知ってるんだ。だよねー。なんか変なウワサ広まってるみたいでヤだなぁ」
「電波塔を一人で守った英雄、って感じだったけど、嫌なの?」
「だって折れちゃったのに守れたの? って感じじゃーん。どう思う?」
まじまじと真剣な顔でこちらを見てくる。幼いながらも妙に整った顔。大きな人形のように精巧な造りのそれは、けれど生気に満ち、好奇心に煌めく瞳が人形感を打ち消していた。
「別に、いいんじゃない?」
「いい、とは?」
「そんな見た目の結果は気にしなくていいと思うけど。テロリスト共はアンタが黙らせて無力化できたんでしょ? それで万々歳じゃない。それともアンタは建物も守りたい系なの?」
何となく思ったままを話せば、少女はぽかんと口を開けたままアタシの顔を見て、それから思いっきり腹を抱えて笑い出した。
「っはははは! 何その言い方! おもしろーい!」
「マジな顔で聞いて来たのはアンタだろが」
「そうだねっ、私が聞いた! ありがとうおねーさん!」
それでも尚笑い続ける少女のつむじをグリグリと押してやる。
「わっ、や、ゲリになっちゃう〜!」
「そんなん迷信だわ」
グリグリをやめてやると、今後はきゃらきゃらと笑い出す。本当に落ち着きなく、元気で、夏の太陽みたいな子だ。
「おねーさんやさしいね」
「……ここにいる大人は大人の皮被ってるだけで、優しくなんかないわよ」
「でもおねーさんはやさしいよ。ウソつかないから」
ぎょっとして少女の顔を見詰めるが、彼女はなんでもないようにからからと笑うだけだった。さっき心臓がどうとか話していたし、そもそもこの子はリコリスだ。十歳にも満たないだろう姿で、赤いファーストの制服を身に纏えるような、英雄のリコリス。いろんなものを見て、知って、諦めて、苦労してきたのだろう。
「お子様に嘘ついてもいいことないだけ」
「うん。ありがとう」
彼女は心底嬉しそうな笑顔だった。調子が狂う。リコリスってのは機械のように人を殺す子ども達だ。なのにこんな風に人間らしさを間近で感じさせられると、あまりの落差にくらくらしてくる。しかしそんなこっちの事情は、この子には関係ない。
アタシは頭を振り、余計な思考を振り払うと立ち上がった。少女はきょとんとした顔で見上げる。
「いい加減帰りな。もう夜遅いし、仕事終わりなんじゃないの?」
「えー」
「ほら、送ってってあげるから」
そう言って手を差し伸べると、彼女はその手を食い入るように見詰めた。それからアタシの顔と手を交互に見る。
「いいの?」
「いいのも何もないからほら」
迷うように宙に浮いていた少女の小さな手を掴むと、軽く引いて立たせる。その体は驚く程軽い。今は背中に物騒な鞄を背負ってないのもあるだろう。まだ成長途中の幼い体を阻害しないよう、年齢に合わせた装備重量とかあったと思う。それにしたって、軽くない?
「アンタちゃんと食ってる?」
「く、食ってるよー! 身長もこれから伸びるんだもん!」
「はいはい」
「ちっちゃいなとか思ったでしょ!」
「思ってませんよー」
「半分くらいウソだー!」
妙に的確な指摘に、やっぱりこの子凄いのかも、と思いながら小さな手を引き、ゆっくりと歩き出す。白すぎるし細すぎる、不安な程綺麗な手は、握るとちょっとぷくぷくしていて、お子様の手だな、と安心する。
やんや言って茶化したり、笑わせられたり、楽しく騒がしい道中だった。よく誰にも咎められなかったと思うが、隣の少女が赤い制服姿だったからかもしれない。彼女はエリート中のエリートなのだ。全然見えないが。
「あーもう着いちゃった。ねえねえ、おねーさんさん泊まってこうよ〜」
「アタシは入れないのよ」
「え〜なんでぇ〜」
「そういう決まりなのよ。役割分担ってのがあるからね」
「ケチ」
「はいはい、ケチなお姉さんが帰りますよー」
小さな手を離して、空いた手をひらひらと振って別れを告げる。
「ま、待って!」
必死な声で呼び止められ、何事かと振り返ると、急に泣きそうな、頼りない表情になった少女が、ぎゅっとスカートの裾を握って立ち尽くしていた。
「私、錦木千束! お、おねーさん、名前……」
言われてみれば名乗っていなかった。基本的に裏方に徹する職業柄、名乗ることもあまりない。アタシ達にとってリコリスが画一化された子ども達であるように、リコリスにとってもアタシ達は世話をしてくれる大人の一人でしかない、はずなのだ。
期待込めてアタシを見るこの子は、アタシ個人を知りたがっている。業務中関わることは皆無だし、名前を覚えたって得はない、この巨大な組織内でまた会えるかもわからないのに。
「中原ミズキ。ミズキでいいわよ」
そう答えると、少女は、いや錦木千束は、ぱぁっと表情を明るくさせ、心底嬉しそうに笑った。
「ミズキ! またね!」
ぶんぶんと千切れんばかりに手を振ってアタシを見送る千束は、また会うことを確信していて。
あー面白い子だなぁ!
なんてアタシも楽しくなってしまって、次に期待してしまう。次回言うべきことは胸の中で既に決まっていた。それを言うのがいつになるかわからないけれど。
と思っていたのに翌日あっさり出会して、名前を叫びながら白髪の少女が駆け寄って来たので、アタシは早速その言葉を口にしたのだった。
「いきなり呼び捨てかよ!」