陽光の国から南、輝石の国沿岸部の歓楽街に向かう車内、ボクは頭を悩ませていた。
それは、フロイドとジェイドのお母様が、子供たちが喜んだショコラトリーを店ごと買おうとしたことや、そのお母様——リーチ夫人に子供たちの事や、ナイトレイブンカレッジではフロイドとどうやって知り合ったかなど……色んなことを根掘り葉掘り聞かれたことよりも。こんな高級車を所有し、それをそれなりに汚しても気にならないようなフロイドのお父様が、どうしてボクを呼んだのか……そして、応じなければボクだけじゃなく、子供たちまで処分する事を考えているというその意味に、ボクの頭の中はこの先への不安でいっぱいだった。
「リドルさん、どうされましたか?」
ボクの隣に座り、密かにボクを監視しているジェイドをチラリと見れば、ナイトレイブンカレッジで毎日ボクの隣の席に座っていた時のように、何を考えているのか読み難い表情でボクを見下ろした。
「キミ、ボクとアズールのこと、知っていたの?」
この様子から察するに、先日アズールと出会ったのも偶然ではなさそうだ。その接触がなんの意味を持っていたのか……フロイド達のお父様の意思なのかと、ボクは勘ぐり意味を探る。それがジェイドにも伝わったのか「アズールには、リドルさんとアズールがセックスなさった経緯しか聞いていません。もちろん、先日アズールにお会いしたのも偶然の産物、もちろんその時に……サミュエル君が僕の姿に驚いて迷子になってしまったと聞いて、本当に申し訳なく思っています」
嘘か本当かは別として、こうやって彼らのお母様の前でボクに謝罪するジェイドに対して、ボクはもう何も言えないまま、ひとつため息を付くしかなかった。
きっとこれ以上ボクが何かを言っても、ジェイドははぐらかすだけで真意を言うわけない。ボクだって、証拠がなければ彼を罰することも起こることも出来ない、ジェイドはそれが分かっているんだろう。ムッと唇を尖らせれば、そんなボクを見て、ジェイドは昔と変わらに表情で「ふふふ」と笑った。
「アズールとフロイドは、キミたちのお父様と一緒にいると言っていたけれど、二人は大丈夫なのかい?」
彼らのお父様は、アズールとボクの、そしてフロイドとボクの子であるアスターとサミュエルを処分することを考えてるなら、アズールやフロイドも無事ではない可能性もある。その事を案じると、ジェイドがニタリと唇の端を持ち上げた。
「そうですね、二人とも、僕と同等の負傷はしていますが、悪態を付く程度には元気ですよ」
悪態がつけるなら問題ないだろうとボクがホッと胸をなでおろせば、ボクを見下ろしジェイドが「ぷッ!」と吹き出した。
「なんなんだい、人の顔を見て笑うなんて、キミは相変わらず失礼すぎやしないかい?」
「いえいえ、申し訳ありません。アズールが、ご自分の奥様のことを〝清楚で可憐で怖がり〟だと言っていましたので……いつの間にかお会いしない間に、リドルさんは随分と可愛らしくなられたんですね?」
アズールめ……そんな嘘デタラメをジェイドに言ったなんて。似合わないボクへのイメージに、ジェイドは抑え込むように笑っている。アズールはボクだと気づかれないように、ジェイドにそう言ったのかもしれないが、やっぱりちょっと腹が立つ、後でアズールに言ってやらなきゃならない。
と、ジェイドとこんなやり取りをしたおかげで、ボクはボクの中にあった不安を少しばかり紛れさせることが出来た。
「さぁ、もうそろそろ着きますよ」
ジェイドがそう言って、手元のリモコンボタンを押せば、スモークガラスだった窓が一瞬でマジックミラーになり、外の様子が伺い知れた。少し前までは、見慣れた田舎道とオレンジとオリーブ畑が広がっていたそこには、今は観光地にある一番の歓楽街の景色に変わっていた。
「ビルおっきいねー」
「ねー」
アスターとサミュエルが、靴を脱いで座席に上がり窓の外を眺めてる。
陽光の国、歓楽街の中にあったあのビル周辺は、景観法もあって七階以上のビルを建てることが出来ないと法律で決められていた。しかし、この地は古く貴重な文化財と共に、一〇〇階になる近代的な高層ビルが、貴重な文化財を取り囲むように建っていた。ボクの故郷である薔薇の王国では陽光の国以上に厳しい景観法が敷かれていたため、古めかしい様式の建物しかなく、ナイトレイブンカレッジがあった賢者の島も、高層の建物と言えばナイトレイブンカレッジかロイヤルソードアカデミーぐらいだ。その二つも歴史を感じさせる建造物であったから、こうやって近代的な高層ビルを前にすると、ボク自身も子供たちのように圧倒されてしまう。
そうこうする間に、長い車体の高級車は一見して高級だとわかるナイトクラブ地下駐車場に車を進めた。
地下のVIP専用出入り口の前で車が停止し、白い手袋をした運転手がドアを開けると、なんだか嫌な匂いが立ち込めている。
陽光の国、歓楽街の中にあるビルで五年暮らしていたボクにとって、歓楽街は見慣れた場所になったと思っていたが、この国の歓楽街は少し違った。酒や煙草、アンモニア臭など酷い匂いの中、やけに人工的な甘い香りがまじり酷く気分が悪い。それをジェイドに話せば「そうですね、あまり吸い込まないほうがいいですよ」と、彼は魔法でこの体に悪そうな空気を払った。
「それではリドルさん行きましょうか?」
ボクが女装しているからか、女性をエスコートするかのようにジェイドがボクに手を差し出す。
「気遣いは不要だよ」
差し出された手を無視して車を降りれば、ジェイドが「おやおや」とギザリとした歯を見せた。
「ジェイドさん、フラれてしまいましたね」
リーチ夫人が代わりと、ジェイドに手を取られて車を降りた。その後ろ、アスターとサミュエルも車を降りて、見慣れない景色に不安になったのか、ボクのスカートを掴んだ。
「かあさん、だいじょうぶ?」「こわくない?」
二人がボクを心配して見上げた顔に「うん、大丈夫だよ心配しないで」と頭を撫でて上げれば、二人は気持ちがいいのかニッと笑い、ボクの脚にしがみついた。
「さぁ、サミュエルちゃんとアスターちゃんは、お母様たちのお話が終わるまで、おばあちゃんと一緒に別の部屋で待っていましょうね?」と、真っ白い手を二人に差し出し、その手を繋ぐ。
「リーチ夫人……二人の事、よろしくお願いします」
頭を下げれば、リーチ夫人が「あらぁ」とフロイドに似た間延びした声を上げる。
「リドルさん、わたしの事も〝お義母様〟と呼んでくださっていいのよ?」
「え!?」
「だって、あちらの方だけお義母様と呼んでもらえるなんてズルイわぁ……わたしだって、そう呼んでいただきたいのに」
ぷくりと頬を膨らませる夫人に困るボクに、ジェイドが「母さん、そろそろ父さんのところにリドルさんをお連れしなければなりませんので、それは後にして頂いてもよろしいですか?」と言えば、リーチ夫人が「分かったわぁ」と残念がる。
「リドルさん……安心して、ね? あの人、わたし達の事になると、その……少し神経質になるの。けれど、悪い人魚じゃないわ、それだけは、分かってくださるかしら?」
ボクが頷くと、彼女は嬉しそうに微笑みを浮かべ、アスターとサミュエルの手を引いて別室に向かっていった。
「ではリドルさん、行きましょうか?」
リーチ夫人と手を繋ぐ二人の後ろ姿に、この後、何があっても二人だけは大丈夫だと確信めいて、ボクはほっと胸をなでおろし、彼女に二人のことを任せた。
そしてボクは、ジェイドの後ろをついて、薄暗い大理石の廊下を歩く。心の中で、大丈夫……大丈夫と自分に言い聞かせるようにつぶやけば、ジェイドが「こちらです」とゴールドにVIPルームと書かれた黒い重厚な扉の前に立ち、「どうぞ、お入りください」と扉を開けた。その中からは、顔をしかめたくなるような濃厚な煙草の臭いが充満していた。
「父さん、リドルさんをお連れしました」
部屋に入室すると、広い部屋の中央、真っ白の革張りのソファーには、フロイドやジェイドと同じ色をしたターコイズブルーの髪を短く切りそろえ短髪にした男性が、こちらを睨みつけるように座っていた。