「……ハート、ローズハート聞こえてるのか!?」
同僚に肩を掴まれ、自分が呼ばれている事に気がついた。この嫌がらせは、今月に入ってもう両手では足りないぐらいだ。
「だから何度も言ってんだろ、あちらさんとは別姓なんだよ」
ニヤリと笑う同僚に、コイツもわざとあちらさんの名前で呼んだなと嫌気がさした。
「あの研究以外には目もくれなかったお前が結婚なんてしたんだ、少しはいじりたくもなるさ! しかも相手は、あの女傑で名高いローズハート当主の一人娘ときた! 冷徹な眼差しと美しい顔、それに負けないあの豊満な胸!! おれだって、あんな美人と一度はベッドを共にしたいよ」
羨ましいと自分の身体を両腕で抱き締める同僚を鼻で笑いながら、ポケットから取り出したタバコを口に咥えた。今日も今日とてもニコチンが旨い。
ローズハートの一人娘との縁談が舞い込んできたのは少し前の事だ。
それなりに整った見た目をしているのに三十にもなって浮いた話もないと、勝手に嘆いた院長が持ってきた縁談の中の一つにその女はいた。
少しでも自分を良く見せようと着飾る女の中、艶やかな赤毛を色気もなくまとめ、証明写真の様な見合い写真を提出してきた女は明らかに他の写真の女の中で浮いていた。
「彼女は、ローズハート御当主のお嬢さんだよ……ただ、家柄は素晴らしいが、人としてはあまり勧めたくないねぇ」
人のいい教授は、明らかにこの異質な女に警戒していた。それもそのはずだ、なんたってローズハートと言えば、この道の人間ならどれほど頭のおかしな一族か嫌というほど知っている。
キレると手がつけられない事で有名で、さらには女尊男卑のキツい家柄は、男を種馬ぐらいにしか思っていない。結婚は書類上のもので、籍を入れたからといって同じ屋根の下に暮らそうなんて絶対しない。この結婚という名の精子提供も、優秀な魔法士とローズハートの血筋と混ぜて、機械の様に的確で正確な魔法医術を極める女児を世につくるために他ならない。
もちろん男を毛嫌いする女たちは、自分の産む子供が男なら何の躊躇もなく堕ろす。子供にすら慈悲のないそんな奴らだ。
見合い写真に添付された契約書には、籍を入れるだけを前提に、ローズハートを名乗らせないように夫婦別姓、入籍後一週間以内の試験管での精子提供、生まれてくる子供には一切接触してはならない……頭のおかしなルールが出るわ出るのオンパレード! さすがは頭のイかれた一族だ。
ただ、自分は結婚なんて元からする気は無く、自分が興味がある分野の研究が第一、次はタバコと美味い飯と寝床、後は面倒ごとの無いプロのお姉さんがいれば人生はあらかた楽しく生きられる。
そんな性格の俺にどうしても身を固めさせたい院長は、俺が三十にもなると直々に見合いを持ってくる様になった。
舞い込む見合い話の数も、そろそろ量が多くなってぶっちゃけ面倒だ。今の自分には、このローズハートが出してきた提案は実に有難い物ばかりだった。だったら、伸るか反るか、面白い方に賭けてみても良いだろう。
「教授、決めましたよ。ローズハートとの縁談、進めてもらっていいですか?」
俺の決定に、教授は面食らった。
「君も大概変わった子だとは思っていたけど、そこまで変わっていたとは思わなかったよ」
苦笑いする教授に、ほんの少し目を細め唇の端を持ち上げ、上司から『生意気だ』と言われる表情して笑えば、教授は「どうなっても知らないよ」と呆れる様に笑って、他のお見合い写真をまとめ出て行った。
快楽主義と仲間内から言われる性格は、どうしても面白い方に向かって進もうとしてしまう。間接的にでも、こんな面白い女を関われるのなら、結婚もいいものかもしれない。
そう思いながらニコチンを摂取していたのも少し前だ。
ローズハートとの結婚は、本当に紙一枚で行われた。会う事もせず、向こうの代理人(この女もローズハートの人間よのうだ)から手渡された結婚届にサインをして、精子提供用の試験管を受け取って終わり。実にあっけない。
あの年の女なら、やれ結婚式だのハネムーンだのと期待に胸膨らませるのに、あの女は結婚当日も仕事に出て、やたらとめんどくさそうなローズハート家が使う術式でローズハートらしく手術をこなしたらしい。
うんでもってこちとら試験管とにらめっこして、研究所の待合で待ってるローズハートの代理人の早くしろって圧をなんとなく感じながら、さっさとこの中に射精しなければならない状況に追い込まれてた。一体どんなプレイなんだよ。
しかも最悪な事に、あの色気のない証明写真の女をチラリと見てイくなんて、さすがの俺でもへこんだ。確かに俺は胸派で、女の胸の形にはこだわりがあったが、あんな色気も何もないカチカチの女で抜けるとは思っても見なかった。これはもう一生の恥だ。今まで相手してくれたプロのお姉さんにも申し訳ない。
眉間に皺を寄せながら、机の上のタバコに自然と手が伸びる。安い一〇〇マドルライターでタバコに火をつけ、ニコチンを肺に溜めると少し気持ちが落ち着いた。
後は流れ作業だ。無表情な代理人に、瞬間冷凍された俺の精子が入ったトランクを渡すと、代理人は一礼して去って行った。んで、あとはあちらさんの好きにして貰えばいい。
そんなこんなで精子を渡した後は、一年弱、女の関係者との接触はなく、俺は自由気ままなおひとり様な結婚生活を楽しんでいた。
暑い夏も終わり、季節も秋になった頃、やけに白い便箋で書かれた手紙が届く。差出人は、ローズハートの代理人では無く、あの女本人だった。
手紙には、神経質そうな細い字で八月末に子供が産まれた事、早産だった事、産まれてきた子供が男児だった事、その子供を育てる事が箇条書きで書かれ。そして最後には、子供の名前を決めるよう書かれ、写真が添えられてあった。
情報量の多い手紙を頭を抱えながら読み進め、最後まで呼んだら、机の引き出しからルーズリーフを束から一枚千切る。もちろん、便箋なんて洒落たものがないからそれの代わりだ。
ローズハートでは、男児は例外無く産まれる前に弾かれる。それを産んで育てると言う女は、ローズハートの家でやっていけるのか? 早産で身体は大丈夫なのか、その辺の事を書き連ねて、最後の最後にぴたりと手が止まる。
あの狂ったローズハートに産まれた男児……写真の中では女に良く似た顔付きの赤毛の新生児が眠っていた。写真で見ても女が男かなんて分からないが、あのカチカチの女が冗談なんて言うわけない、本当に男が産まれたんだと面白くて腹を抱えて笑いそうだ。
この子供は、ローズハートの人間からすれば、生まれた瞬間から欠陥品だ。この先どれだけ賢くなろうが、天才的な魔法医術を身に付けようが、男というだけであの一族からは無条件で弾かれる。
それを分かって育てるなんて、あのカチカチの女にしては面白い事をするし興味が湧いた。
あの狂った家に混ざる異物、それならとびきり面白い名前にするべきだ。ピンッと浮かんだ名前を手紙の文面の最後に書き連ねる。
Riddle Rosehearts
謎かけなんて意味した名前、俺とあのカチカチの女の子供にはピッタリだろ?
ローズハートに一石投じられた子供は、どんな風に育つのか? それなりに興味がある。これからも定期的に子供の写真を添えて定期報告をしてくれないかと添えれば、女は了と返事をよこし、俺はこの歳になって会った事のない戸籍上の妻と文通する事となった。