涙の在り処おそらくあの場に居た者達は勘違いしているだろう。六車本人も含めてだ。
檜佐木が彦禰と相対する時思い浮かべていたのは東仙のことではない。時灘との時はもちろん東仙のことを思っていたのだけれど、彦禰の時は違う。ただ彦禰に、解りやすく教えておくべきこととしてあったのが東仙からの教えだっただけだ。
彦禰を見ながら、ずっと脳裏にあったのは無力だった子供の頃の自分自身の姿。
そして助けてくれた六車の姿。
檜佐木にこの世界の優しい生き方を教えてくれたのは東仙ではない。東仙は檜佐木にただただ闇の深さと怖さしか教えてはくれなかった。
それはたしかに覚えておくべきことではあるけれど、そこに優しさはなかったのだと今なら解る。
闇は深く、怖いものだ。
それを知っていることは大切で、それを怖いものだと認めることで今の檜佐木があり、東仙のことは他者が何を言おうと尊敬し、感謝もしている。
けれどその闇に抗う方法を、あの人は何ひとつ教えてはくれていなかったのだと、そんなことに今更気づく。
それを檜佐木に教えてくれるのは……。
泣くな、と引っ張り上げたあの手。
そう初めから、ずっとずっと前から、檜佐木は知っていたのだ。世界の理不尽なんて。
何ひとつ悪いことなんてしていないのに、飢餓で死に、それが怖くて生きんがために少量の食糧を盗めば怒り狂った大人の暴力で死に至ることもある。
そして理由もなく虚に襲われることも。
初めから世界はソンナモノで、清く正しい者が救われる世界なんてきっと一瞬だって存在なんかしていなかったのに東仙はどうしてそんな勘違いをしたのだろうとすら思う。流魂街に居て、そんな勘違いをしていられたのならその分東仙は随分幸せだったのだろう。
世界が優しいなんて思ったことは、檜佐木はただの1度だってなかった。
ただあの日、六車に救われた日に。
希望を見つけた気がしたのだ。
世界が優しいわけじゃない。
そんな錯覚は起こさない。
そんな夢も見ない。
けれど。
優しくて強い人もいる。
それだけがあの日、確かな事実として檜佐木の掌に残った事実。そしてそんな人に憧れた。
自分もそういう者になりたくて、なろうと決めてそれから先の日々を生きてきた。
東仙はきっと弱かったのだ。
霊王が抵抗しなかったというのなら、東仙のしようとしたことは霊王の思いを踏みにじることでしかないというのに、霊王の意思を無視して独善に走ってしまった。そうさせた元は結局、親友を無為に殺してそれを是としている死神社会への個人的な憎しみだったのだろう。
そこに堕ちてしまった東仙を、情けないと言うつもりはない。むしろそれで普通なのかもしれないと思う。大切な人を失ってなお理性的であれというのは、おそらく殆どの者にとって無理な話だ。
だから東仙の持つ弱さは当然のことで、それが人という種の悲しさかもしれない。
だからこそ―――。
―――― 「どうした?修兵」
「いいえ、拳西さんは強いなぁと思って」
「は?なんだいきなり」
「大人になるって、大変なんだな…と思ったんです」
「意味わかんねぇぞ」
同じ寝台に横になりながらそんな事を言って身を寄せてきた檜佐木を、六車はとりあえず受け止めて抱きしめてやる。
「……拳西さんは、いつ誰の前で泣くんだろうなぁ…って、」
「……ほんとに意味が解んねぇ」
あのね、と六車の胸に身を預けながら檜佐木が口を開く。
「きっと、東仙…さんと、俺と彦禰に、違いなんてないんです。……俺と彦禰は子供だったから大人が助けてくれただけなんです。」
「…100年前の話ならお前が大人でも俺は助けたぞ?」
当たり前のように言われたそれに檜佐木は微笑う。
「知ってます。拳西さんはそういう人です。でもやっぱり、あの時泣けたのは俺が子供だったからで、多分、彦禰もそうで…」
だから。
「大人だったあの人は、泣けなかったんだろうなって…、思って…。そしたら、」
「拳西さんはどうして強いんだろうって不思議で。拳西さんも、世界ごと嫌いになってもおかしくないこと…、あったのに。拳西さんはずっと優しいままだ」
「……修兵、それはやめておけ」
「え?」
「優しいとか強いとか、そんなことに理由を探そうとするな。人はそんな単純なもんじゃねぇよ」
それは檜佐木よりずっと長い時間を生きた者の言葉だった。
だから俺は泣かないんだ…と、吐息のように六車が言った。
強い人だ。
100年前から知ってることを檜佐木はまた思いながら六車の腕の中で微睡むように目を閉じる。
それでもいつか、六車が泣く時はどんな時だろう、その時は傍にいられたら良いと思った―――。
あとがき
でも多分無理なのよねそれ。
拳西はもう、泣かないで最後まで走り切るって多分決めてる人だから。
その分傍にいる修兵が泣き虫になればいいよ
これからいろんな辛いこと一緒に経験するんだから