次々再開発が進んで新しいLEDのネオンに輝く街を抜け、通り1本入った途端がらりとレトロな雰囲気に変わった風景を、初めて訪れる物珍しさで、虎於はきょろきょろと辺りを見回した。
トラこっち、と声をかけてふたりが入ったのは、元号がふたつほど前の雰囲気が残る年季の入ったバッティングセンターだった。ヘルスケアが謳われるご時世に合わせて禁煙の貼紙があるが、これまで蓄積したのであろう煙草の匂いが少し鼻をついて、虎於は羽織っていた上着を脱ぐと裏返しにして腕にかけた。
虎於の観たい映画のミッドナイト上映まで、少し時間があくのでバッティングセンターに立ち寄ろうというのはトウマの提案だった。
トウマの斜め後ろにぴったりくっついて、球を打つ快音が響く方向へ虎於は視線を向ける。誘われた時はどんなものかと思ったが、平日の、こんな終電が終わったような時間にも、人がいるものなんだなと意外に感じた。
「トラ、野球は?」
「ガキの頃親に連れられて少し見たことあるだけ」
「おー、俺も親父がつれてってくれたなぁ、どこ行った?やっぱ東京ドーム?」
「ヤンキー・スタジアム」
「本場〜」
とりあえず初めてだから1プレイな、とトウマが百円硬貨を3枚機械に投入してメダルを虎於に手渡した。
見てからやった方がイメージつかみやすいだろ?と先にトウマがバッターボックスへ入っていく。トウマに勧められたとおり、球筋が見やすいという辺りに立つと、トウマが振り向いてもう少し下がるよう注意する。
「トラ、あんまネットに近寄り過ぎるなよ、危ないから」
過保護…と思いながら、虎於が見学エリアのネットから更に半歩下がると、トウマの1ゲームが始まった。
ピッチングマシンの立てる音が近くで聞くと思っていたより大きく、びくっと肩を竦めてしまう。
自らバッティングセンターを提案するだけあって、トウマはそれなりに打てるようだった。ボールがバットに当たる音が、じっとりとした夏の夜に響く。
虎於はぼんやりと、斜め後ろからトウマの顔を眺めていた。映画で並んで座ると、顔を見れないから、悪くないかもしれない。そんな風に思いながら、野球少年のような笑顔を見つめる。
あっ!というトウマの声に、虎於は我に返った。
トウマが真上に打ち上げたファールボールを目で追って、ネット越しに星のない夜空を見上げる。
「ファーーーー」
「ゴルフか!!」
虎於のよく通る声にトウマは笑って、次の球を空振りした。
1ゲーム分を終えて戻ってきたトウマが、隣のレーンだと球の速度1段階落ちるよ、と勧めるが、虎於は、同じところでいい、なんとなくわかった、と答えながら先ほどトウマが選んだバットを手に取ってバッターエリアに入った。
はじめの1球。バットを構えて、まったく身動き取れないまま、ボールが背後のネットを揺らした。
「びっくりした」
ネット向こうのトウマを振り返り、目をまるくして虎於が言う。
後ろから見ていたよりもずっと早く感じて、虎於は2球目、3球目と軽く振って球筋を観察した。
うん、わかった、とつぶやくと球の高さ設定のボタンを操作して、トウマに、もう1球見たらその次打つから、と宣言する。
設定調整した球を流すと、その次の球を虎於はいとも容易くバットに当てた。惜しくも軸を捉えられず、ワンバウンドして明後日の方向へ飛んでいくが、宣言通りバットを当てたことにトウマは驚いて声を上げた。
一度バットにボールが当たると、次々と当て始めて、ファールやゴロから徐々にヒットを飛ばし始めた。その度にトウマが、あ〜惜しい!とか、ナイス!今のすげぇいい!とか、興奮気味の声を投げかけ続ける。
1ゲーム25球の最終球、虎於の大きなスイングがカン!と快音を響かせて、ネットを大きく揺らした。
長年使い古されてプツプツとノイズ混じりのファンファーレとともに“ホームランおめでとうございます”というアナウンス、トウマの大歓声が響き渡る。
「トラ!!ホームラン!!」
「すごいのか?」
「めっちゃくちゃすごいよ!!」
「へへ、やった」
興奮状態のトウマが、頬をほんのり紅潮させながら笑う虎於をバッターボックスから迎え入れて、ハイタッチを交わす。
虎於のバットを強く握り締めて赤くなった手のひらが、じわりと熱を持って痺れて、トウマの手と触れ合ったところを指先で揉んだ。
「やっぱトラ運動神経すっげぇいいよな、初めてでこんな打つやついないと思う」
「運動神経というより、物理の問題だ。機械から打ち出される球だから速度角度回転は一定だろ?他に色々要素はあるが、バットの角度を球の軸に対して…」
「それを一瞬で把握して実行して成功させるのがすげぇんだっつーの」
虎於から受け取ったバットを返却に行くついでに受付に寄ったトウマが虎於のもとに戻ってくる。
「ホームラン賞バッティング券だって。打ってく?」
「今日じゃなくても使えるのか?」
「うん」
「じゃあ、また次、来る時」
「そうだな、また来ような」
うん、はにかみながらホームラン賞の引換券を両手で受け取って、虎於はカードケースに大切にしまいこんだ。
「俺からのホームラン賞はポップコーン買ってやる」
トウマが笑ってそう言うと、じゃあ少し急ごうと声をかけて虎於がトウマの腕を引く。じわじわと手のひらの熱が上がるのを気付かれぬよう、暑いな、コーラもつけてくれ、とねだった。