ちょうど夕飯時だから混んでいるかもしれない、待ち時間があるようなら近くの他の店も考えないと、そんなトウマの考えごとは杞憂に終わり、最初に足を運んだ店でタイミングよく空いた席へ案内された。
通された店内で、トウマが腰掛けようとするより先に虎於が引いたのは布張りの豪華な椅子に見えそうな気がしたが、実際は焼き鳥屋のカウンターにある年季を感じる座面の小さな四角い椅子だ。
「俺相手にそんなんしなくていいよ」
虎於がキョトンとした顔でこちらを見た。なんだその顔、かわいいな。トウマは内心そう思ったが顔に出ないように、ニヤけそうになった唇を噛んだ。
「まぁいいや、ありがとな。すいません、生とハイボールで、まず盛り合わせお願いします、あ、タレで!」
虎於に引いてもらった椅子に腰掛け、隣の椅子をポンポンと叩くとまだわかってない表情のままの虎於が隣に腰掛けた。
店までの道中の話を順を追って話す。
虎於が常に車道側を歩いていたこと、先に開けたドアを押さえて待っていたこと、椅子を引いてくれたこと。
話を聞いていた虎於が照れくさそうに口元を手で隠して、俯きながらぽそりと言った。
「別に、そんなつもりじゃなかったんだが……気を悪くしたなら謝る」
「あれ素か〜!いや、なんつーか、モテる訳だよなぁと思ったっていうか……」
後ろから自転車が来た時、さり気なくそっと引き寄せられてちょっとときめいてしまったことは言わないでおく。
はいお疲れ、とグラスを合わせ、ぐっと一口飲み干して、なるほどなぁとひとりごちる。
「モテる秘訣を学んだ気がする、参考にする」
「もうその話いいだろ、無意識だったほんとに……」
居心地悪そうにグラスを何度も持ち直して、冷やした指を頬にあてる様子が、さっきまでスマートなエスコートをしていたのと同じ男とは思えなくて、じわじわとなんだかこちらまで気恥ずかしいような気分になってくる。
なんだか少し変な雰囲気になったところで、タイミングよく盛り合わせがカウンターの向こうから提供される。焼き場の担当直々にそれぞれの肉の部位を言われるが、トウマはもう最初の方は忘れてしまった。むねでもももでも、うまければ別になんでもいいのだ。
「トラ、苦手なとこある?」
「たぶん大丈夫」
「オッケ。すいません、箸もう一膳もらっていいっすか」
「……トウマだって」
「ん?」
「そういうトウマだって、随分甲斐甲斐しいと思う、誰にでもそんなか?」
串から全部ではなく、虎於の分だけ取り分けてやっている今の状況を指していると気付いて、手元が狂って肉がひとつ皿から転がり落ちた。ひょいと指で拾って口に放り込むと、虎於が、おい、と眉をしかめたので、床じゃねぇから落ちたうちに入んねぇの、と返す。
「いや、ほら、串の元の方って食べづらいし、汚れるし、」
「箸で取る」
「あっ、あ〜……だよな、えっと……あ〜………………トラにしかしねぇよ、こんなん」
虎於が汚れたテーブルの上をティッシュで拭うと、汚れた面を内側にしてきちっと折りたたんで端へ寄せた。
トウマは取り分けた分の皿を虎於の前へ、自分の小皿に半分残したままの串を積む。串についたネギを横から咥えて、口の端を汚しながらかぶりついた。
「……ごめん、俺変なこと言った?」
「別に、変じゃない」
虎於はそう言うときれいな所作で箸を取って、トウマの取り分けた皿からひとつ口に入れた。ふたりの間にしんと沈黙が落ちて、店内のガヤガヤした喧騒の中、カウンターの奥でついているラジオの音だけが耳につく。
狭い2人テーブル席でなくて良かった。向かい合っていたらどんな顔をしていいのかわからなかった。
「美味い」
「あっよかった、うまいだろ?」
口に入れたものを飲み込んでから虎於が言う。
「ほら、そこで炭で焼いてるとこ見えるけど、ビ…ビッチョ…?ビンチュ…?」
「備長炭」
「そうそう、それ」
適当だな、と虎於が吹き出して、なんだか少し気まずいような雰囲気がふわりと霧散する。
自覚はあるのだ。
たぶんもう、友人だと言うには、その枠をはみ出してしまっている。
自分がそうわかっているのだから、虎於がわからないはずがない。ただなんとなく、攻めあぐねているというか、このままでもいいかもしれないと思っているところもあったりする。
虎於は特にそうかもしれないな、とトウマは勘付いてはいるが、虎於の察してちゃんを甘やかし過ぎるのも良くないような気がして、というのを言い訳にして、意地を張っている。それでつい、なんとなく、微妙な応戦になり勝ちなのだ。
今時、高校生だってもっとスマートに攻めるのかもしれない、悠からそんな話は聞いたことがないからわからないが、なんだか色々あって、随分と臆病になってしまったものだ。
結局その後、無難な仕事の話と、次の休みの話なんかを少しして、何品か追加と、もう一杯ずつおかわりをして、明日も朝から仕事があるので早めにお開きにすることになった。
こうして、仕事以外の時間も共有できる関係で充分だ、今夜で何度目になるだろう、繰り返しそう自分に言い聞かせて、席でトウマがまとめて現金会計を済ませる。
立ち上がったトウマを、まだ椅子に腰掛けたままの虎於が見上げて、ありがと、とふにゃと砕けた笑顔を見せる。こうやって油断した表情を見せられると、さっきまでこれで充分だと思っていたのがぐらぐらと揺らいでしまう。
「2杯で酔うなよ」
「酔ってない」
2杯くらいで虎於が酔わないことくらいわかっているが、あまりにゆるゆるの表情を見せてきたのでつい言ってしまった。じゃあこれは、心を許されてると、自惚れていいのか。友人の枠の境界線で、ずっと綱渡りでもさせられてる気分だ。ぐらぐらしっぱなしなのだ。
「トラ」
扉を押さえて、先に出るよう促すと、虎於がまたキョトンとした顔を見せた。
「モテる秘訣の使いどころ、ここでよかったのか?」
「今使わないでいつ使うんだよ」
「……ふぅん」
虎於が一瞬、はにかんだような笑顔を浮かべて、トウマにしては悪くないんじゃないか、そう言って満足そうに先に店の外へ出ていった。