虎於とご飯の話◆ ◇ 1 ◆ ◇
いわゆる年末進行、特番編成期のスケジュールは過密だ。まだ新人グループに属する彼らは各テレビ局撮影スケジュールの隙間をぬうように、大御所達に提供される時間の猶予のために忙しなく駆け回る。衣装もメイクそのままで、社用車に押し込められ、休憩する間もなく次の局へ移動する。四人が車に乗り込んだことを確認してから宇都木も運転席へ急いで乗り込んだ。
「皆さんお疲れ様です! 渋滞にハマらず行ければ三〇分もあれば着きます! 着いたらすぐスタジオ入りますから食事済ませちゃってくださいね」
宇都木の言う通り、食事を取れる時間はこのわずかな移動時間だけだ。次の局での収録も歌番組なので、運動量を考えると食事を取らないと体力が持たないことは頭ではわかっているのだが、虎於は車の中での食事、屋外での食事全般がどうしても得意ではなかった。
とりあえず次を乗り切るための補給、という目的で食事をしたことなどない。食事はテーブルについて、ゆっくり時間をかけてとるものだという意識が根付いてしまっていて、体が拒否反応を起こしているのかもしれない。
短時間で口にものを詰め込むというのも不得意だ。今すぐ食べなくては、と思えば思うほど、何も口に入れられなくなる。
宇都木がたんまり買い込んできたコンビニ袋の中身をわいわい取り出す三人を虎於は後部座席から眺めるだけだった。
「トラ、少しは食わねぇと。何なら食える?」
「……水」
「水だけじゃだめだろ、あっゼリーは? これなら食えるんじゃねぇ?」
トウマにあれこれ世話を焼かれて、気遣われているのだから何か口に入れなくてはと焦る気持ちと、どうせ口を開くことさえできないだろうという諦めの気持ちで、虎於は曖昧な態度で頷くしかできない。車内ですっかり常温になってしまった栄養補給ゼリー飲料を渡されて、渋々といった体で蓋をひねった。
「甘えたこと言ってんな虎於! 今食えって言われたら食べるんだよ! そんなんで声出んの?! いい加減な仕事するな! トウマも! 甘やかすな!」
悠が菓子パンと惣菜パンを両手に握り締めて、ぴしゃりと年長組を叱りつけた。
しん…と静まり返った車内に、巳波がおにぎりの包装をビリっと破いた音が響く。虎於がまだ水さえ口に含まぬ間に、もう三個目になる。
「巳波を見ろ! めっちゃくちゃ食べてる!」
「私のはいつも通りです、亥清さん」
「そう! 巳波はいつもいっぱい食べてえらい!」
ここまでのやり取りを黙って聞いていた運転席の宇都木があはは、と声を上げて笑った。
「そうですね、大忙しの収録スケジュールの合間にちゃんと食事ができて、皆さんえらい。でも、すいませんでした。来年はもう少し余裕のある枠を勝ち取れるよう、がんばります」
バックミラーに写る宇都木の表情はにこにこと穏やかだ。悠がもじもじと、大きい声出してごめん、とつぶやいて、後部座席の虎於を振り向いた。
「おにぎりとか、お米の方が消化遅くて腹持ちするよ。虎於、好きな具選びなよ、オレはねぇ、昆布とか好きだよ」
「ごめんなさい、御堂さん。私もう梅干しいただいちゃいました。鮭まだありますよ、鮭」
「トラ、ツナマヨ食ったことある? うまいぞ、ツナマヨ、あっ和風もある」
一斉におにぎりプレゼンが始まり、各々これぞというおにぎりを虎於に渡してきて、両手の上がおにぎりの山になる。
「なんか、食べられそうな気がしてきた」
◆ ◇ 2 ◆ ◇
「ほんとトラどこでもなんでも食えるようになってきたよなー」
虎於は日除けパラソルの下で、トウマが適当に盛り付けた肉と野菜がぐちゃっと混ざったものを、割り箸でちまちまとつまみながら、自分でもそう思う、と少し火の通り過ぎた肉とともに噛み締めた。人間というのは環境に順応していくものなんだなぁと感じる。
以前なら、屋外で折りたたみチェアに座って、紙皿に山盛りに焼肉のタレだけで味付けされた食事は、さほど喉を通らなかったと思う。
でも今は、パンツの裾を膝上までまくり上げて川に入っていく悠と、川岸で足首まで浸す巳波と、首に巻いたタオルで汗を拭きながらバーベキューコンロの主になっているトウマを眺めながらとる食事はそう悪くないと感じている。
「まぁ、さすがに慣れてきたかな」
「トラからバーベキューしたいって話が出るとは思わなかった、嬉しいよ」
トングをカチカチと鳴らしてトウマが笑った。
「ミナ! 肉焼いたらまだ食うかー」
川岸から、はぁい、いただきます! と明るい声が返ってきて、川で遊んでいた悠と巳波が戻ってきた。のんびりと食事を続けていた虎於の回りを悠がうろうろとまとわりついて急かす。
「虎於まだ食べてんのー」
「別に今日はゆっくり食べててもいいだろ」
「早く食べないと川で遊ぶ時間なくなるよ、水切り教えてやるから早く」
巳波はおとなしく虎於の隣に座り、トウマから追加の肉が提供されるのを待っている。悠は腰を落ち着ける時間も惜しいとでも言うようにクーラーボックスから取り出した水を一気に飲み干して、またすぐに川へ戻ろうとしていた。
「ハル! ポップコーンできてる!」
「ほんと? 食べる! 虎於食べ終わったらすぐ来てね!」
虎於を川岸へ誘った悠がトウマの前であーんと口を開けるので、トウマがアルミホイルを破いてつまんだポップコーンを放り込んでやる。巳波ぜんぶ食べちゃだめだよ、俺の分残しといてね! ぱっと身を翻してあっという間に行ってしまった。元気ですねぇ、巳波のつぶやきに、残りをぱくぱくと口へ運んだ虎於が無言で頷いた。きれいにしっかり食べ切り、ペットボトルのお茶をこくこくと飲み込んで席を立つと、トウマの前で立ち止まって、あ、と口を開ける。
「へっ……あっ、ああ、ポップコーン?」
バターがよく染みたものを選りすぐって指先でつまむと、虎於の口元へ差し出した。ぱくりとトウマの指ごと食いつくと、ちゅうと吸いついて悠の後についていった。
「……餌付けに成功した、みたいな感じですかね」
一部始終を見ていた巳波が、かたまってしまったトウマに声をかけた。お肉焦がさないでくださいね、そう付け加えるのを忘れずに。
◆ ◇ 3 ◆ ◇
今ならできそうな気がする、ベッドに腰掛けるトウマの脚の間に屈んで、内腿に頬を寄せながらトウマを見上げて虎於が言った。何ができそうかなんて、この体勢で考えられることはひとつだ。
「外で飯食うの平気になった流れで言われてもな……」
「同じようなものだろ、口に含むって点では」
はたしてそうだろうか……たまに虎於の考えは突飛で、トウマは事の前後を整理する。思いを巡らせている間に、虎於が指先でトウマの脚の間を突付くので思いとは裏腹に反応してしまう。
「これまであんなに絶対嫌がってたじゃん、別に無理しなくていいよ」
「うーん……衛生面とか色々気にするところはあったけど、やっぱり口は食事をするためのところって気持ちが強かったのかも」
それ言ったらお前もう尻の使い方本来と違ってるから、とは言わないことにする。その用途を虎於にさせているのは自分なので、言ってはだめな気がする。
「でもトラ、キス好きじゃん?」
「キスは、なんか、わかりやすいだろ、口でするイメージが」
「あー……映画のラブシーン的な……?」
映画好きの虎於らしいと言えばらしい。想い描く代表的なイメージとして、ロマンチックな愛情表現はキスシーンなのかもしれない。
トウマとの関係のイメージが深まったのかもしれない、自分に都合がよい解釈をすれば、ありかな……という気がした。
「うーん……でもやっぱ、なんとなくできそうって感じなら……無理してほしくねぇし……」
ちらりと虎於を見下ろすと薄っすら開いた唇の間から赤い舌が見えて、無防備に口を開けてトウマからポップコーンを与えられるのを待っていた時の、口の中をふと思い出してしまい、むくりと下半身が頭をもたげるのを自覚する。くすくすと笑い声が聞こえて、何を言っても説得力なんてあったものじゃない。
「してほしいだろ? してほしいって言えよ、トウマ」
「……ぐ……してほしい、デス……」
強気そうな態度に見えて、トウマに最終決断を委ねるのは虎於の常套手段だ。トウマがしてほしいならしてやってもいい、それでいいとトウマも思っている。
仕方ないな、と虎於が満足そうに笑った。