どこまでが悪戯なのか「やあブラザー! トリックオアトリート!」
「ん」
早番の勤務を終えた昼下がり。特にこれから用事もないので、ソーンズのいる実験室に押しかけたのがついさっきのこと。実験器具を洗っていた彼は、こちらにいつもと変わらない——イベントには興味のなさそうな——視線だけを寄越して、顎である方向を指した。
「菓子ならそこの棚の上にある」
「うそ、準備してくれてたの?」
「偶然だ」
目線の先、棚の上にはちょっとした菓子折りの箱が置いてあった。かわいらしいデザインのそれは、ソーンズが自分で買ったとは思えない。おそらく誰かからの貰い物だろう。
彼自身が手をつけたのか、中身がいくつか無くなっており、残っているのはちょうど僕が好きなやつばっかりだ。うん、ハロウィンの戦利品としては十分かな。
「お前、それ好きだろう」
「え」
弾かれたように顔を上げると、手を拭いながらソーンズがこちらを見ていた。
彼が「それ」と指したのは、箱に残ったお菓子のことだ。確かに、これが好きだと何度か公言した覚えはある。しかしそれは不特定多数がいる場であって、彼個人に直接伝えたことはないはずだ。にも関わらず、そんな些細なことを覚えられていたことにじわじわと嬉しさが募って、無意識に頬が緩んだ。
「? 何をそんなにニヤニヤしている」
「ふふ、ブラザーが僕の好きなものを覚えててくれて嬉しいだけだよ。うんうん、これ大好きなんだよね〜」
せっかくだしコーヒーでも淹れよう、と手招きすれば、ソーンズは大人しく近寄ってきた。
コーヒーを啜りながら、「で、」と彼が口を開く。
「悪戯は何をするつもりだったんだ? ハロウィンだと意気込むわりに、何の仮装もしていないようだが」
ちょっぴり痛いところを突かれた。ソーンズは知らないけれど、実験室の外では浮かれた空気が漂っている。それにあてられたテンションと勢いで呪文を唱えたものだから、悪戯も仮装も用意していない。
「うーん、あんまり考えてなかったな。何がよかった?」
「俺に聞くな。俺はお前に菓子を渡したんだから、それを答えるのも無意味だ」
「それもそうだねえ」
「悪戯……悪戯か」
そう呟いたソーンズは、何かひらめいたらしくニヤリと口角を上げた。
「エリジウム、トリックオアトリート」
「えっ」
「俺も仕掛けなければフェアじゃないだろう」
「それは……そうだね?」
実はお菓子は持っている。別にこの事態を予測していたわけじゃなくて、普通にお茶にしようと思って持参していた。
でも、素直に渡してしまうのは味気ない気がして揶揄ってみる。
「お菓子が無いって言ったら、君からの悪戯は何をしてくれるの?」
茶化した言い方は、ソーンズにはややカチンときたようだ。受けて立つといわんばかりに鼻を鳴らして口を開いた。
「ローションガーゼでどうだ?」
「ぶっ、げほ、っ! ……ねえ! まだお昼だよ⁈」
コーヒーが変なところに入りそうになった。咽せた僕を勝ち誇った表情で見てくるけど、マジでまだ早いよブラザー。
ちょっと揶揄ってお茶をして、楽しく過ごせればそれでいいと思っていた。全然そんなつもりはなかったのに。僕も彼も明日は休日だという事実がじわじわと効いてくる。
用意してきたお菓子の出番は果たしてあるのか。渡すかどうかは、もうちょっと時間稼ぎをして決めようと思う。