二本目 白い煙が充満する店内。ジュウ、と聞こえるのは網目に押しつけられた肉の油が滲む音。肉が焼け、油のにおいが鼻先をくすぐる。
「やーっばい、昼から焼き肉とか背徳感」
「そのために稽古も仕事も頑張ったからいいんじゃない?」
「たしかに」
スーツの上着を脱いで、紙のエプロンをそろって首から下げる。掘り炬燵になったテーブルの下、足を投げ出し革靴から解放されたつま先を至はピン、と伸ばした。
「茅ヶ崎、タンは?」
「ん、んー……上で!」
トング片手にメニューを眺める千景は、カチカチとそれをあわせながら至へ問いかけ、答えを得るとそのまま滑るように近くを通りかかった店員を呼び止めた。
「上タンと、ハラミを二人前追加。白米も。あと──」
チラリ、と千景は至の方へ視線をやる。千景はメニューを定位置に戻してから指でピースマーク……もとい、二つを示すように指を作った。
「生もふたつ」
先日、互いが出演していた演目が無事に千穐楽をむかえた。時間に余裕ができたこのタイミング、至と千景は金曜の午後にそろって半休をいれて余暇のはじまりを少しだけ早めることにしたのだ。ボーナスステージみたいですよね、と至は至極楽しげで。
そんな彼らの休日の幕開けは、昼からの焼き肉、そしてキンキンに冷えた……生ビール。子供には真似できない、大人のボーナスステージである。
千景が注文してからすぐに、店員はジョッキを持って現れ、二人の前にそれを差し出しだす。若い金髪の学生と思しき男性の店員は軽い口調で「お仕事、おつかれーっす」といって去っていく。そして残されたのは白い泡と黄金のコントラストが魅惑的な、それ。
「とりあえず、乾杯?」
「なにに?」
「うーん、少し遅くなったけど。千穐楽と……休日のはじまりに?」
「お、いいですねえ。はーい、かんぱーい」
二人はゆるい調子で名目をたて、ガチリとジョッキをあわせた。そうこうしているうちに、網の上にある第一陣の肉たちはすっかり食べごろ。それを見計らったかのように彼らの元に、上タンとハラミも届けられた。
「っあー、うっま」
至は焼き上がったカルビを甘辛いタレに潜らせると、口の中にそれを放り入れる。肉の旨みと甘い油が口いっぱいに広がり、訪れるのはシンプルな多幸感。そして、それをビールを煽って助長させる。
「悪くない……次の春組の食事会、ここでもいいな」
「確かに、肉の種類も多いし」
網の上で着々と焼き上がる肉をどんどん胃の中におさめていく。それに比例して減っていくのはジョッキの中身。
「茅ヶ崎、次も生?」
「もちろーん」
千景は再び通りかかった金髪の店員を呼び止めると生を二つ頼む。そのタイミングで、二人はジョッキに残ったビールをぐい、と煽って空にすると、それを店員に差し出した。
何度かのおかわりを経て、机の端に空いた皿の塊ができた頃。至は、心地よい酔いと満腹感に身を委ね始めていた。少しの眠気と、ふわつく思考はいまここで眠ればどんなに幸せか、と思わされる。そんな、本能がチロリ、と顔を出しやすい状態。至は箸を止め、目の前に座る千景が白米と肉を大きな口で一緒にかき込む姿をぼんやりと見つめた。
「……なに?」
至からの視線にもちろん気がついた千景は、彼へ問いかける。そしてそのまま、てらり、と油を纏った唇でジョッキへ口をつけた。
「え、なんかえっちだなってみてました」
「……酔ってる?」
「いや、そこまでは」
現に、至の表情は普段と変わらずほとんどシラフ。ただ、アルコールの力で頭と口の回路が直列になっているようで。
「千景さん、わりとガツガツ飯食べるし。とくに肉食べてる時の口元がそそるんですよね」
「へえ、初耳」
千景は至の話に耳を傾けながらビールを煽る。
「唇油でテラテラだし、加えてビール飲んでる時の喉仏やばいし」
「はいはい」
やはり酔っ払いか、と。千景は適当にいなしながらそろそろ会計をするか……と店員を探してあたりを見渡す。そして、何度目かのあの金髪の彼を見つけ、声をあげようとしたその時。
「すみませーん、お会計!」
「はあい」
千景が彼に呼びかける前、至は大きな声をあげてくだんの店員を呼び止めた。そして伝票を交わすやりとりを目の前にし、彼の俊敏な動きに千景はおや、と首を傾げる。そんな千景の様子に気がついた至は、ツン、と、掘り炬燵のした、千景は至の足を軽く蹴った。
「そんなえっちな顔、他の人にみせたくないんですよね」
「……おまえはバカだなあ」
千景は呆れ口調で、背中に走る痺れを誤魔化す。こんなチープなやりとりに反応してしまうなんて、と。
「はやくキスしたいなあ」
食欲が満たされて、そして。そんな露骨な言葉は、しっかりと千景の耳に届き、うっすらと首筋に熱を帯びさせたが、それはもちろん酔いのせいにした。