喫茶店ぺいるの午後。からん。
喫茶店ぺいるのドアベルが軽やかに鳴る。ひとり店番をしていたベルメリア・ウィンストンは、読んでいた雑誌から顔を上げた。
***
ベネリット商店街のちょうど真ん中にある"喫茶店ぺいる"は、お揃いの服を纏った4人の老婆が営んでいる。ベネリット駅前商店街ができた当時から店を構えている古参らしい。煉瓦づくりの壁面に蔦がびっしり絡まった外観や古いけれどよく磨かれた木製のテーブルとカウンターは、静かな時間を愛する常連を惹きつけている。
「ただいま」
ドアベルが鳴って、"スレッタ・マーキュリーのエラン・ケレス"が店に入ってくる。いつもは住居スペース側に帰ってくるのに珍しい。ベルメリアが首を傾げたところで、男の子の後ろから女の子の元気な「こんにちはー!」が続いた。
「おかえりなさい。スレッタも一緒なの?久しぶりね、先輩はお元気?」
「わ、こんにちは!ベルメリアさん、パートの日だったんですね。おかあさんも会いたがって、ました!」
「まあ。今度、お店に伺うわ」
お友だちと"女子会"の約束もしているの。
ひとまず雑誌を椅子に置いて接客にあたろうとしたベルメリアをエランが静かに制す。「ぼくがやるから大丈夫だよ。もうお客さんも来ないから、後は任せて」なんて。いつもは、店の手伝いなんてしないエランが!
学校から直接来たらしいふたりは制服姿で、勝手知ったるという様子でまっすぐカウンターに向かった。背の高いスツールによいしょと腰掛けるスレッタを手伝ってやってから、エランがカウンターに入ってくる。心配なベルメリアは、片付けをするふりをしながら横目で見守ることにした。相手は、"昔の職場の怖い先輩"のお嬢さんだ。粗相は許されない。
「なにがいい?」
「えっと、コーヒー…。でも、牛乳たくさん入れてほしい、です」
「ご希望とあれば」
無表情のまま、エランが琺瑯の薬缶を火にかける。その間にコーヒーミルで豆をごりごり挽きだしたけれど、その手つきの危なっかしいことといったら。店番のパートはハラハラしたけれど、カウンターに頬杖をついた女の子は、頬を染めてエランをうっとり見つめている。男の子が注意深くフィルターにお湯を注いだ。ふわりふわり。コーヒーのほろ苦いかおりが、店中に広がる。
「ふふっ、いい匂いですねえ」
大きな目でエランの手元を見つめていたスレッタが、ゆるんだ顔で笑う。
店の1番大きなカップに並々注がれたコーヒーは、女の子の目の前でほこほこと湯気をあげた。カップにぴとりと添えられたやわらかい指が、喫茶店に着くまで自分のそれとぎゅうぎゅう絡んでいたのを思い出して、エランの胸もほこほこ温まる。
「お腹空いてない?」
夕飯まで、少し時間があるから。
コーヒーを啜るスレッタが頷くよりも先に、ふかふかの食パンを取り出したエランが、冷蔵庫を覗き込む。バターを塗って、ハムや玉ねぎ、ピーマン、トマトソースをたっぷりのせた。とろけるチーズも贅沢にふりかけてトースターへ。コーヒーミルの扱いよりもずっと手慣れている。
「あなた、ピザトーストなんてつくれたの?」
「彼女が来たときは、いつも作っているけど?」
「……材料の減りがやけに早いと思ったら」
もう、呆れた。ベルメリアはため息をついた。
食いしん坊の大好きな女の子を喜ばせたくて仕方ないのだ、この男の子は。妙に手慣れているのは、何度も何度もこっそりピザトーストを作ってやったからだろう。普通のお客さんに出すよりもトッピングを大増量して。
でも、これは仕方ないかもしれない。
とろとろに溶けた熱いチーズをのばして、かりかりのピザトーストにかぶりつくスレッタも、コーヒーを啜りながら穏やかな顔でそれを見つめているエランも、なんだかとってもかわいらしかったから。
ベルメリアは、雑誌を畳んで今度こそ帰り支度を始めた。