期待と機体 全身の感覚が機体と接続される瞬間、勝手に身体を撫で回される何かの気配に反射的に体が震えた。内蔵をひっくり返すような気持ち悪さと吐き気と、何かが脳を覗く、ざらつくような悍ましさ。程度は違えど毎回毎回必ずフィードバックされる。それと同時に全身に浮かび上がる赤のひかり。
もう数えられないほどの耐久強化の中で、感覚を切ったらどうだ、と言ったことがある。こんなものがあるからあんた達の調整に邪魔じゃないのか、と。「痛覚を切るとストッパーがかからなくなって、身体が保たないから」と目を合わさずに返された。僕の前の僕も同じことを言って、どうやら失敗したらしい。
社運とやらの調整の為に用意された個体なのだから、何をされても言うことはない。存在はただそれだけにある。人としての感覚は残されているが、この入れ物が壊れないために過ぎない。人権や感情がそれに伴う訳ではない。
いつものように冷めた目でチューブで繋がれた自分の指先を見ながら歯を食いしばり、うめき声を殺す。殺しておかないと、胃の底から液体が逆流してくるからだ。吐いでも構わないが、その後の処理が面倒なため円周率を唱えながら、ひたすらに波が過ぎるのを待つ。いずれはくる凪を、調整の終わりを。黙って歯を食いしばり、ただ待つ。
ー僕はそれしか知らない。知る必要も、ない。
「スレッタ・マーキュリーはどうだった?」
調整が終わった後、モニター越しからいつものように声が飛びかっていた。調整したばかりの身体は、自分の元々持っていた感覚と馴染ませるために全身が重い。いまだにぼんやりと共鳴するように赤く光る肌の熱さと相まって気持ちが悪い。ただ、振り絞って薄ら目を開けたのは、僕にとって聞き逃せない言葉があったからだ。
「というより、あの子の機体ね。全く、水星の嵐に隠していたとは。やられたわね」
モニター越しに交わされる声は、通常よりも幾分か声のトーンが低い。そんな事より彼女の、スレッタ・マーキュリーが乗り操った、美しいまでの機体の姿を思い出す。鮮やかなまでに、軽やかに動く機体。なんとでもない顔をして乗り込み、なんとでもない顔で降りてきたあの、魔女と呼ばれた子。
普通の人間では潰れるような、あり得ない動きをしていた彼女は、人間なのだろうか。
「あれはーやはり、ガンダムかしら」
「そのラインでしょうね」
「……見るだけではなんとでもいえるわ。確かめてみないと」
感覚が戻らない、あかくひかる腕を伸ばして銀色のマイクのスイッチを押す。
「なら、」
マイクの先のざわめきが近くなる。
「僕がゲホッ、やる。いいだ、ろ」
***
こうしてスレッタ・マーキュリーこと例の機体ーエアリアルに近づく口実が出来た。あの後、上より現在の水星のレポートについて資料が送られてきた。やはり、スレッタ・マーキュリーは水星でエアリアルを使って居場所を作り、生きていたようだ。
ページをタップすると、水星のマップと画像が浮かび上がる。
水星は、過酷な惑星で生きていくことが困難な辺境の星だ。太陽の軌道に近ければ一瞬で燃え尽きる温度と、影に入れば凍りつくような二面性の環境。どこにも行けない老人と旧機体しか残っていないような土地で、あのように高性能なモビルスーツ自体が貴重な資源だ。彼女がパイロットとして適性があるとされたのなら、やらざるを得ないことは想像に難くない。
全ての資料に目を通して、タブレット端末を終了させた時、僕はひとつの予測が脳裏にあった。
彼女ースレッタ・マーキュリーは、僕と同じなのかもしれない。
あの痛みを共有できるのかもしれない。あの悍ましさを知っているのかもしれない。あの、気持ちが悪いひかりを、感覚を、実は彼女も持っているのかもしれない。
僕だけにしか持たされていなかったものが、彼女にもあるのかもしれない。ひとではない、強化人士の。
そう考えると、指先があたたかく、次の約束が早くこないかと思うようになった。
早く確かめたい。早く、一緒であることを証明したい。それができるのは僕だけなのだから。
***
水星。過酷な惑星。子どもがいない星。生きていくことが困難な星。そこにいた彼女。体に負担をかける機体を操る彼女。過酷な星に、過酷な機体と期待。たったひとりの子ども。
ぼくと、おなじかもしれない、ひとではないひと。