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    Bom🧠寺

    一時も二次も雑多に詰める。
    成人済み夢女

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    Bom🧠寺

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    ケツたたき

    ソルのはなしフルカラーのグロテスクな現実が降りかかる。おかしな事に鉄錆の匂いのするそれが己の腹から溢れ出たことに気づいても痛みも何もなかった。

    ――ああ失敗か、手順は何一つ間違えちゃなかったが。

    何処か他人事のように小さく言葉を吐き出し、ソル・フェルナンドはゆっくりと腹から視線を移す。痛みはペンを向けている同級生により塗り替えられたのだと直ぐに理解した。
    咄嗟の判断だったのだろう、トレイ・クローバーは肩で息をしながら、いつもの余裕が消えた顔をしている。
    見渡せばリドル・ローズハート、ケイト・ダイヤモンド、そして監督生を庇うように立ちはだかるエース・トラッポラ、デュース・スペード。監督生を奪還しに来たハーツラビュルの面子だ。彼らと対峙している最中、突如として腹部を見えない何かが貫いたのである。トレイの焦りを見る限り、彼らがこの傷の原因ではない。明らかに死角から狙われたのだ、リドルなら絶対正面切って堂々と仕掛けてくるだろう。
    では誰の攻撃が己を貫いたのか、何の為にソルを狙ったのか、彼の優秀な頭脳はそこに酸素を届ける赤色が減ってもまだ稼働していた。

    (最終調整をするつもりで呼び出した監督生を連れ戻しにやって来た彼ら、俺の知る限りハーツラビュルにリドル以上の実力者はいない、いつものトランプ兵も連れてる……だとしたら)

    咄嗟に避けたお陰で急所こそ免れてはいるが、威力を見るに明確な殺意があってのものだろう――しかし憎しみを含まず、むしろ歓喜すら感じるそれがじわじわと、すぐに酸化してしまう赤を広げて行く。

    「――出て来なよ」

    歓喜に彩られた殺意を向ける人物に心当たりは一人しかない。まるで出番を待っていたかのように、気配を殺していた射手がその存在を顕にする。

    「おや、浅かったかな」
    「まさか。魔法が切れたときが恐ろしい」

    射手が名乗り出るように物陰から優雅にしかし物音を建てずに現れた。矢にかけられていた目くらましの魔法が、主の登場に合わせて溶けていく。深々と刺さった矢、引き抜くことは諦めたほうが良さそうだ。

    「ルーク、君が来るとはね」
    「そうかな?この絶好の機会、私が逃すと……本当に思うのかい」
    「だ、そうだ。ハーツラビュルの皆はこれに乗じて逃げたら良い」

    モルモットの一匹くらい惜しくはない、元より失敗前提で始めた実験である。
    中途半端で仕上げも施していない状態でどこまで生きられるかということを彼らが理解しているとは思えないが、とソルは笑う。しかしながらこの状況は笑えない。
    ルークがやって来た理由は言葉通りで、単なる仲間意識や正義感で乗り込んだわけではないことくらい理解していたからだ。

    「一旦退くよ」

    聡いハーツラビュル寮長もそれを察したのだろう、言いたいことを飲み込んで監督生とトランプ兵を連れて去って行った。

    「普段は温厚、いや天敵がいなかいらこその余裕かな。そんな君が興奮を隠しもせず研究に没頭する様はとても美しかったよ」
    「覗きとは随分な趣味だ。流石に俺も恥ずかしい、是非とも今後は控えてくれないか」
    「ノン!私としてはもっと眺めていたかったけれどね、しかしこれ以上はいけないよ」

    ソルの白衣を侵攻する赤が広がっては黒く変わり、吸いきれなかった分は滴り落ちる。一滴、一滴、また一滴――雫に呼応するかのように、ゆっくりと戻って来る痛覚が彼の理性を鈍らせ本能に揺さぶりを掛けていく。
    ――殺せ、奪え、あの人間に喰らいつけと。
    絶対的な捕食者であるが故の余裕に裏付けられた笑みは消え失せ、息は上がり、開きかけた瞳孔、それらを目の当たりにして狩人は歓喜する。
    狩人は言うだろう、口では学友を手にかけさせる訳にはいかないと。
    狩人は言うだろう、自分はそれを止めに来た。
    けれど狩人の瞳は語るだろう、お前を仕留めに来たと。

    ――夕霧の島、双子の妹を次期女王とし、己が宰相となることが約束された絶対的な強者。種族としても優れた身体能力をもつコモドオオトカゲの獣人。祖国には敵などいない、勿論外界にもそういない。いるとしたらそれは、目の前で頬を上気させ喜びを隠しもしないこの男だ。
    全てが順調だった。ハーツラビュルの面々が乱入してくることも想定内、攻略法も考えていたし実行可能だっただろう。それを壊したのがこの男の存在だ。
    狩人、生態系の、食物連鎖の頂点に君臨するものでさえ屠る存在。天敵中の天敵。
    ――祖国にはいなかったのだ。
    腐りきった貴族達、汚職に塗れた警官達、守られるべき民は苦しみ喘ぎ、それでも救いを求めて若き無能な王へ忠義を注ぐ。そして裏切れられ、精神の安寧を求め、逃れようと薬に走る。腐り、崩れていく国の現状を書き換えるための魔法を生み出し平和を造り出したが、それは正しかったのだろうか。

    (問うたところで今更遅い)

    あの国には狩人などという強者はいなかった。いたら何かが変わっていたのかもしれない、害獣を駆除する英雄になっていたかもしれない。

    ソルは笑う。

    ああ、眩しい。
    向けられた矢が鈍く光る。

    自分が国のためにやったことは、おぞましい実験だったのだから。
    それしか知らなかった。分からなかった。己にその才能があったから、生まれながらの捕食者、研究者、そしてソルもまた強者であったから。だからこんなにも明確な差が出てしまうのだ。武器を持たずとも強い者、弱者であるが故に強者を知り、武器を以って屠る者。
    その差をソルが理解したのは、二本目の矢が己を射貫いた時だった。

    「俺も、害獣だ」


    【ろくでなしのオオトカゲ】

    時は遡り、場所を同じくして。
    監督生は校舎裏にある小屋を訪れていた。

    「用があるけど中々捕まらないから呼んできて欲しい、か。学園長も人使い荒いよね、自分で行けばいいのに」

    イグニハイド寮三年生、ソル・フェルナンド。非常に温厚で社交性もある、イグニハイド寮生にしては珍しいタイプであり、夕霧の島という国の貴族。学園長から与えられた情報はそれだけだ。

    「なあ、ほんとに大丈夫なんだゾ?ソルって確かあの、ゴーストの花嫁のとき結構やべーこと言ってたやつじゃねえか」
    「うん、ジェイド先輩と同レベル……って皆言ってたよね」

    グリムの心配はもっともだった。
    プロポーズ作戦の際、結構いい線まで行ったのはジェイド・リーチとソルの両名。しかしどちらも最後の最後で失敗したのだ。
    毒草が効くか試したいだとか、自分で造った合成獣のペットがいるだとか――いかにナイトレイブンカレッジの生徒が個性の殴り合いを繰り広げているとしても倫理観においては意外とまともな人間が多いし、そんなことをさらっと言ったりはしない。
    それを加味してあの色々と雑な学園長が寄越した前情報を思い返す。何か重要なことが抜けているに違いない。ただの温厚な生徒ではないはずだ、絶対。そう思えるくらいには逞しくなったしこの世界に染まってきたなと監督生は少し笑った。
    ……同時に、いくら染まろうと本当の住人ではないのだという思考もまた、吹き上がるのだ。その度に黒い靄が心を曇らせる。

    「ふなぁ、早く済ましちまおうぜ。俺様腹減ったんだゾ」
    「そうだね。よし」

    相棒の声に黒い靄は退いて行き、監督生――ユウは小屋の扉をノックした。

    「はぁい」

    すぐに間延びした低い声が返事をし、足音の後、髪の長い青年が扉を開いた。
    くすんだ濃いグレー、毛先に入ったブルーグリーンのグラデーション。
    オクタヴィネルの双子までとはいかずも高い背に、しっかりと筋肉がついている身体、光の加減で金色の虹彩が輝く紫色の瞳、眼の下には隈と、長く垂らした前髪に隠れているが左側に傷があった。毛先の色に近い鱗に覆われた尾、よく見ると皮膚のあちこちにも鱗が散りばめられている。

    (爬虫類……)

    制服ではなく白衣を着用したソル・フェルナンドその人は監督生を見るなりにこりと笑った。鋭利な歯がぞろりと並んでいる。グリムが小さくやっぱやべえんじゃねえか?と囁くが敵意は全く感じられなかった。

    「やあ、久し振りだねぇ。今日はどうしたの?入部希望?」
    「はは……入部希望ではなく、学園長から先輩を連れてくるように言われて来ました」
    「ああ……さっきなんか言ってたなぁ」
    「え、学園長に会ったんですか?」
    「うん、少し話して……そう。ちょうちょがいたから追いかけちゃったんだよねぇ」
    「ちょうちょ……?」
    「うん、見る?さっき出来たの。標本」

    作るのが趣味でね、ここは生物部の部室なんだ。ソルはにこにこと笑っている。
    ――なんてマイペースな人なんだ。監督生は飲まれそうになりながらも首を振った。
    学園長の元へこの先輩を連れて行かなくては。

    「あの、さっきもお伝えしたんですが……学園長が呼んでます」
    「話の途中でお前が居なくなったっていうから俺達が呼びに来たんだゾ!感謝しろよ」
    「うーん、何だっけぇ。まあ行けば分かるよね、待ってて。着替えて来る」

    再び閉まる扉。たった少しのやり取りで分かった。確かに温厚だ。間違いはない。
    しかし恐ろしい程マイペースであった。
    フロイド・リーチともいい勝負かもしれない自由人気質を感じ取ったが、少なくとも希少は荒くないようで、その一点においては安心して良いと言えそうで監督生は安心した。

    「この前はあんまり話せなかったけど……フロイド先輩と良い勝負かも」
    「あんなのが沢山いてたまるかなんだゾ……」

    すぐに白衣から制服に着替えたソルが戻って来た、後輩と思しき生徒にちょっと行ってくると声を掛け監督生とグリムに向き直る。

    「いこっかぁ」

    校舎裏から学園長室まで行くにはグラウンドを通る必要は全くなくむしろ遠回りであるのだが、何故かそちらへ向かったソルを追いかけグリムが問う。

    「ふな!校舎はあっちだろ?」
    「お散歩だよ、学園長は逃げないでしょう?」

    そういう問題じゃないとソルの袖を引っ張るがびくともしなかった。
    成る程、だからわざわざ連れて来いと命が下ったのか。マイペースだとは思ったがこれは骨が折れる。運動場なら友人達がいるはずだ、手を借りよう。監督生は早くも頭を抱えたのだった。



    「ブラックバック先輩!新記録ですよ!」
    「マジ?」

    デュース・スペードはストップウォッチを片手にガゼルの獣人、サバナクロー寮生のソーニ・ブラックバックに駆け寄った。
    タトゥーを沢山入れた身体に最初こそ部員たちはざわめいたが、厳格なハーツラビュル生でありながら、少々やんちゃな過去や趣味を持つデュースは目をキラキラさせて「かっけーですね!」と言い放ったのだ。同期の一年は語る、あの時こう思った「あ、こいつ馬鹿だ」と。しかしそれをきっかけに一年生は先輩であり、優秀な選手であるソーニに心を開いたので結果的には良かったのである。

    「見て見て、ちょうちょ」

    後ろからソーニのユニフォームを捲り、薄い腹に刻まれた左右非対称の蝶を監督生に見せるソル。いきなり何してるんですか!!と監督生は叫びそうになったが部員とソーニの反応を見る限り、すぐに「ああ、初犯じゃないんだな。常習犯だなこれは」と察しがついた。頭を抱えた監督生の元に駆け寄って来たのはデュースとジャックだ。フォローを入れねばと思ったのだろう、陸上部員は慣れていても当たり前だが部外者は混乱する光景だ。

    「監督生、珍しい人と一緒にいるな」
    「あの人またやってんのか……」
    「デュース、ジャック、部活お疲れ様。ちょっと学園長に頼まれてね……あれ毎回なの?」
    「毎回じゃねえが、良くやってるな」

    二人が言うにはソルとソーニは他寮であり、学年も違うながらも仲が良いらしい。
    良く一緒にいるようで、先輩後輩の間柄というより非常に親しい友人や兄弟に近い距離感だという。現に後ろからソルがウェアを捲り、それを戻したあともソーニの腹に腕を回しているし、ソーニもそれを嫌がるどころか当たり前のように受け入れている。

    「仲良いんだね」
    「フェルナンド先輩は爬虫類だから寒がりなんだ。仲良くなると暖を取りに張り付いてくるから気をつけろよ」
    「ああ、でかいし重いからな」
    「それジャックが言う?」
    「俺は人に張り付いたりしねえ」
    「二人はくっつかれた事あるの?」
    「いや……気をつけろとは言ったが、今のところはブラックバック先輩だけだな」

    かく言う二人は特に張り付かれたことはないらしく、現状はソーニだけのようだ。

    「ソル先輩、今日は部活じゃなかったっけ」
    「学園長に呼ばれたんだぁ。出るついでに頼まれた物出来たから持って来たの」

    ソルはポケットから瓶を取り出すとソーニへ手渡した。

    「あ、怪しい薬か?!」

    グリムが毛を逆立てるが、ソーニはまさか!と笑って首を振った。

    「これね、うちの国の固有種からしか採れないはちみつ」
    「これが疲労回復効果はんぱねえの。先輩蜂も育ててるから」
    「ああ、いつも助かってる。ありがとうございます、先輩」

    ソーニだけではなく、ジャックまで肯定したことで納得したグリムだったが監督生は、え?この人養蜂やってるの?敷地内で?固有種なら取り寄せのが早くないか?と着いていけなくなっていた。不思議な先輩だが、人望はどうやらあるようで、悪い人ではないということだけは理解した。蜂蜜を渡したソルは今度こそ真っ直ぐ学園長室へ行くべく、素直について来てくれたので監督生は胸を撫で下ろしたのだった。

    「待ってましたよ!フェルナンドくん!」

    扉を開けるなり、オーバーなリアクションで監督生一行を学園長ことディア・クロウリーは出迎えた。

    「いやいやいや、急に居なくなるので吃驚しましたよ」

    烏のような仮面に羽のついた服、見た目にそぐわないコミカルな動き。ただギャップがあるだけなのか、それともそう振る舞っているだけのか。だとしたら目の前の存在は烏ではないし、否そうでなくても違うものだ――そんなことを考えつつ、ソルはニコニコしながら、ごめんなさあいと間延びした声を上げる。

    「知っての通り、今回総合文化祭の開催地はナイトレイブンカレッジに決まりました。
    研究部門は君と、イデア・シュラウドくんの二本柱で大体決まるでしょう。君達は飛び抜けていますからね」
    「お前そんなにすごいんだゾ?」
    「こら、グリム……!」

    グリムの無礼にもソルは気にした様子もなく、そうらしいよ、と穏やかに答えるばかり。

    「本題ですが、君の双子の妹さん……いえ夕霧の島次期女王も参加をすると聞いています。それに差し当たり、警備の派遣をお願いしたいのです」
    「ああ、あれねぇ。まあ、ぶっちゃけ本題はネージュもヴィルも出るVDCだろ?そんなビックネームが来れば警備にもかかる。俺達爬虫類種、それもオオトカゲは強いからねぇ。マールならほっといても大丈夫だよ、俺もいるし」

    監督生とグリムは全く飛び交う単語が理解できなかったが、彼がかかるに意味を含ませて先程とは違った悪い笑顔を口元に浮かべたことだけは分かった。

    「わざわざ寮長会議でアジーム家に頼むんじゃなくて、俺個人に来たってことはさぁ。ガチのやつが安価で欲しいってことでしょう?いいよぉ。我が夕霧の島は軍事国家、兵力が売りなんでねぇ」

    少しばかりは頂きますよ、毎度あり。と付け加えて、鋭く尖った歯を見せながら笑う。
    それに対しクロウリーは、貴方最近シュラウドくんに似て来ましたね……と頭を抱える仕草をしたが、然程悩んでいない事も知っている。

    「お手柔らかに頼みますよ、予算の話はしたでしょう?」
    「金額の話は後で書面送るねぇ。まあ安心して、俺の私兵だから金額は本当にちょっとで良いよ。取引が確かにあったって証拠と、あいつらのギャラってことでさぁ」
    「君の私兵ってところが怖いんですよ!ちゃんと人間で、人語が通じる方々でお願いしますよ!?」
    「大丈夫だよ。ただの獣人属、爬虫類種の兵だから。で?話はそれだけ?」
    「まあそんなところです」
    「メールくれたら良かったのに、活用しなよぉ。文明の利器」
    「直接話さなければならないこともあるのですよ。そう、例えば第三者を交えての話し合いだとか」

    そういったクロウリーの視線の先には監督生とグリム。取引をしていたと思ったらいきなり自分達に話題が飛んできたものだから、すっかり油断していた小さな身体はと飛び上がった。

    「監督生くんとグリムくんのことはどこまで知っていますか」
    「ハーツラビュル、サバナクロー、オクタヴィネル、それからスカラビア。オーバーブロットした寮長達、その全ての現場に居合わせて解決に一役買ったスーパー新入生……でしょ?合ってる?まあ、俺はその場に居合わせてないし、イグニハイドの情報網ってだけなんだけど。入学式も出席してないしねぇ」
    「またさぼったんですか!?……ごほん、まあそんなことは良いのです」

    本題に入りましょう。クロウリーはマイペースな生徒に呆れながらも語りだす。
    ――監督生、ユウの身の上話を。

    「まず初めに監督生くんはこの世界の人間ではありません。
    魔法の存在しない別の世界からどういうわけかやって来た、非常にイレギュラーな存在なのです。当然身寄りもありませんので学園の生徒として保護しているわけですが、一つ重大な問題がありましてね」

    クロウリーが口にしたその言葉は、監督生の心に芽生えた黒い霧を、不安を煽るには充分すぎるものだった。それは猛毒であり、細い首を締め上げる真綿であり、ノイズであった。

    「見た目こそ我々と同じではありますが、その構造まで同じか。それはまだ検査出来てはいないのです。精密なところで決定的な違いがあれば万が一の時に対処しきれません、魔力なしで入学したというだけでもやっかむ生徒が多いのです……ああ恐ろしい!!」

    要約すると『自分は異分子であることを突きつけられている』のだ。
    足元がぐらつく感覚がする。やけに静かだと思えばグリムはいつの間にか腕の中で大人しく眠っていた。心細い、何故眠ってしまったのか、ねえ起きてよ。と声を上げようにも口腔はいつの間にか乾いていて、音にならなかった。

    (いやだ、こわい、だれか)

    ぐらり、今度こそ傾いた身体を大きな手が支えた。
    爬虫類らしいひんやりとした掌に、自らの体温が移っていくことに安堵感を感じながら監督生は大きく息を吸い込んだ。

    「要するにさぁ、健康診断しろってことだよねぇ。病院じゃあ、変な輩に目を付けられかねない。だから俺なんでしょ」
    「そう。イデア・シュラウドくんが魔導工学の申し子であるならば、ソル・フェルナンドくん、きみは魔導生体工学のスペシャリストです!監督生くんは私の大事な生徒、きみになら安心して任せられるというわけです」

    監督生の肩を抱いたまま、ソルは随分低い位置にある顔を覗き込んだ。
    にこ、と穏やかな笑みを隈の濃い目元に浮かべて見せる。大丈夫だと言わんばかりに。
    すっかり肩を包み込む掌と監督生の体温が溶け合った頃、腕の中の相棒が目を覚ます。

    「ふなあ……もう終わったんだゾ?」
    「うん、おはよ。グリム」
    「俺様腹減ったんだゾ!」
    「全く、グリムくんは相変わらずですね」

    仲が良くてよろしい!と笑った学園長、それが解散の合図となった。
    学園長室からの帰路、廊下を歩く二人と一匹。しばしの沈黙の後、それを破ったのはソルだった。

    「検査の日程とかどうしよっかぁ、早い方が良い?文化祭には被らない方がいいよねぇ」

    初めてのイベントなら支障がないようにしないとね、俺はそんなに盛り上がるタイプじゃないけどさぁ、きみはどう?と横で間延びした声を上げた。
    気を使ってくれているのだろうか――監督生は気づく。歩幅も合わせてくれている。

    「まあ、都合の良い日程とかあったら連絡して。ケータイ持ってる?」
    「あ、はい!」
    「ちょっと借りるねぇ……はい、俺の連絡先入れておいたから。
    ああ、直接送るのなんか抵抗あるようならトレイくん辺りに伝言頼んでもいいよ。クラスメイトだしねぇ」

    監督生は返却された画面を見て思いっきり吹き出した。
    『粘着クソトカゲ』
    いやなんだこれ、と突っ込む前にソル本人が、ああと解説し始める。

    「まーたハッキングされたんだぁ、ちょっとゲームで邪魔しただけなのに心狭いよねぇ。
    アイコンも変えられてら……後で戻しておくよ」
    「は、はあ……あ、ゲームするんですね」
    「好き?結構いろんなジャンルやるんだけどさぁ、好きなら今度部室に遊びにおいで」

    なんだか面倒見の良いお兄さん、とまでは行かずともどこか兄という単語が似合う人だなと監督生は思いながら解散となった。
    その夜、ソルのアカウントを確認してみたのだが――
    『永久戦犯クソトカゲ』
    悪化していた。アイコンともども悪化していた。
    ツナパスタを吹き出しかけた監督生を気にすることなくグリムは今日の出来事を振り返る。

    「ソルってやつ、最初はやべーやつかと思ったけど案外いいやつそうで良かったんだゾ。
    これで子分に何かあっても安心だし、ま、俺様がいればきっと大丈夫だけどな。でも子分には元気でいて貰わないと俺様困るんだゾ」

    出会ったころに比べたら随分と成長した発言に感動しながら、監督生はツナパスタを飲み込んだ。おかわり持ってくるんだゾ、という相棒のわがままも今夜は何も言わずに叶えてやろう。皿を片手に席を立ち、自らもまた今日を振り返る。
    不安を拭ってくれた大きな掌。
    ソル・フェルナンドとはどんな人物なのか。もっと知りたいと思うのは単純だろうか。

    「はい、おかわりどうぞ」
    「いただきます、なんだゾ!」

    シャワーを浴びたら日程の確認をして、メッセージでも送ってみよう。
    お世話になるのだ、仲良くなって悪いことなどない。
    おかわりを頬張る相棒を上機嫌に眺めながら思う。
    ――いや、だって『永久戦犯クソトカゲ』って、普通に生きてたら付けられないでしょそんなあだ名。



    イグニハイド寮、ソルの私室。
    寮長でもないのに広い一人部屋を与えられたのは、単に功績を認められたからだった。
    クロウリーは専門分野を魔導生体工学といったが、最も得意とする分野は遺伝子に関わるものであり、魔導遺伝子工学が本領である。
    イデアと並び数多の賞を受賞して来た彼が更に打ち込めるよう与えられた環境だった。
    生物が関わる分野であれば合成獣を生み出したりと手広くやっているのだが、なにせヒトと広義的に呼ばれる相手を対象とするのは禁忌とされるべきである、と常に議論の絶えない分野でもあり、興味深い反面やりづらかったのだ。

    「まあ今回は大義名分もあるわけだし」

    広い割にガランとした殺風景な部屋には、年頃の男子が飾るようなポスターの代わりとでも言うように申し訳程度の写真立てと、それから何やら難しい論文の切り抜きのみが確認出来る。端に置かれたベッドに大きな身体を横たえながら独り言つ。

    「異世界人のデータか……こんな機会はないからな。まずは何から始めよう。検査からするのはそうだがその先だ」

    昼間のような間延びした口調ではない、低く、それでいて冷たくはっきりとした声。
    これが本来のものと言えば聞こえが良いが、猫かぶりと言えばそれまでである。

    「魔力無し、ね」

    ――良からぬ思考を遮断するように、端末が鳴った。

    「はぁい、いでぴ〜?」

    即座にいつもの口調に戻すが、相手を考えれば戻さなくて良かったかと一瞬ソルは後悔したが些細なことである。

    「永久戦犯クソトカゲのソル氏〜、今日はチーム戦手伝ってくれる日だったのまさかお忘れか?」
    「え?やだ、ソル子忘れてたぁ」
    「ぶりっ子乙、早く来てくんない?ろくでもない計画立てながらゴロゴロ寝てたんでしょ?」
    「おっけぇ、お部屋に物理的にログインするね」
    「いや部屋には来なくていい。むさ苦しいから」
    「今行くよぉ」

    ソルはイデアからの招集に応じるべくベッドから身を起こした。長い前髪をピンで留め、のそのそと部屋を出る。

    「……ろくでもない計画って、視てたのかな。ハッキングも程々にって言わないとね」

    ふふ、笑いながら廊下を歩く。
    計画を練る為の時間はたっぷりある。悪い事をするわけではないのだからある程度"好きにしても"構わないだろう――しかし、とソルは思う。

    「見た感じ大差なさそうなんだけど」

    ポコン、再び音を立てた端末を除けば監督生の文字。アイコンはなんと可愛らしい、あの魔獣とのツーショットだった。

    「……ふふ、仲が良いのは良いことだ」

    何、結果ただのヒト属だろうと問題はない。
    ソルは今度こそ、友人の部屋の扉を叩いた。

    「――で?そんな面倒なこと引き受けたわけ?大丈夫?これで論文落としたら草も生えませんなァ」
    「もう八割完成してるからヌルゲーっすわ。それよりさぁ、いでぴは人前で上手に喋れるのかなァ、ソル子心配」
    「ハイハイハイハイ、ナメプ乙ですわ。ゲームも論文も、ほら死ぬよ」
    「そうだねぇ、ナメプはどっちかなぁ」

    ディスプレイに映し出されるのは協力プレイが売りのオンラインゲームである。陣地を奪い合って旗を立てれば良しと言うシンプルなシステムが長く愛されており、プレイヤー数も多い。今回の陣営にはイデア、ソル、そしてイデアのネット仲間であるマッスル紅、その他数名が表示され、皆それぞれのプレイスルでチームカラーである青色の旗を立てて行く。

    「っていうか誰このマッスル紅」
    「マッスル紅氏はマッスル紅氏でござるよ」
    「紅くて筋肉……マッスル紅、バルガス先生説」
    「それが本当だったら拙者は今後の飛行術全部サボらず出るわ」

    ディアソムニア寮の副寮長がおそらくマッスル紅その人であるのだが、二人が知る由もない。夜は賑やかに更けていくのであった。

    「……ってかさ、身寄りがないからってソル氏に任せるのもどうかと思うけどね。ホント」

    小休止――駄菓子を齧りながらイデアは言う。

    「下手に情報漏洩するよりマシじゃない?」
    「まあね。魔法を使えない、どこから来たのかも良く分からない生徒が名門校に居るってやつ?ま、確かにそんなのが流出したら掲示板がお祭りさわぎっすわ」
    「そうなっても俺は揉み消せるし、構わないけどね」
    「国家権力とかいうチートやめろ。夕霧の島はただでさえやばくて有名なのに」
    「え?それイデアが言う?」

    ゲーム中とはまた違った、楽しそうな、否……愉しそうな笑みを浮かべたソルを眺めながら次の駄菓子に手を伸ばす。

    (ああいう顔してる時って、ろくなこと考えてないんだよな)

    夕焼けの平原から船でそう遠くない位置に存在する夕霧の島は、地図にも記されない嘆きの島とはまた違った意味で『良い印象を持たれにくい国』である。
    大型の爬虫類をルーツに持つ獣人が大半を占める軍事国家、そして兵器の不正輸出と腐った外交官。同盟国である夕焼けの平原がファレナ・キングスカラーを王としてからは、彼が抑止力となったのか黒い噂は落ち着きを見せはじめ、程なくして現夕霧の島国王が子孫を望めない身であると発覚したという。そこで王家の親戚筋でもあり、宰相を代々務めるフェルナンド家の令嬢、マール・フェルナンドが次期女王として選ばれた。つまりソル・フェルナンドは立場で言うなら次期宰相であり、王子に等しいのである。

    (軍事国家の権力を将来は簡単に行使出来る立場になる、か。今でさえやりたい放題してるみたいだし。あーあ、面倒くさいことになんなきゃ良いけど)

    イデアはソルが専攻するものを正しく理解している。倫理的に禁忌とされている領域が多い分野でありながら、踏み入った先で得るものは大きい。彼が倫理と進化を秤に掛け、どちらを優先するかもまた、正しく理解しているのだ。

    (僕の家が何やってんのか承知の上でこんな隠しもせず。今は僕の仕事じゃないにせよ――)

    そこまで考えてイデアは思考を止める。
    ソルが例の監督生で何かをしでかすのは恐らく確定だが、まだ起こってもいないことに脳のリソースを割くのは無駄であると判断したからだ。
    オーバーブロットを伴う事件が起きていないのか、その前に死者の国へと送られるのか、答えは明白である。

    「あのさ、ソル氏の国にうちの連中乗り込んだことってあったっけ」
    「無能ばっかりでしょうもない事件しか起こらない国に来ると思う?」
    「アッ、ハイ」

    幸いにも物騒極まりない国の代表者たるソルが誰かを締めているところは見たことがないし、自分から突っかかって行く血の気の多さもない。唯一犬猿の仲と言っても過言ではないヴィル・シェーンハイトにおろし金呼ばわりされても、せいぜい口喧嘩で済ませるくらいである。
    そういった普段の素行から、ソル・フェルナンドという青年を『多少変わった、おっとりとした人物』と評価する者は多い。
    しかしその実非常に慎重で、執念深い人物であった。禁忌とされているから『はいそうですか』と諦めるような質ではない。その気になれば抜け道を見つけ、以下にもそれらしい理由をつけ、場を整えるまでじっくりと策を練り、機を逃さず実行に移す。――確実に獲物を仕留めるが如く。その性質を知っているのはイデア・シュラウドと、国同士で関わりのあるレオナ・キングスカラーのみである。

    「まあ、安心してよ。イデアが心配してるようなヘマはしないからさ」
    「いや、ソル氏の心配はしてないけど。面倒事に巻き込まないでくれたらそれで良いよ、ほら近いうちにアプデとか新作とか山積みですし」
    「酷いわぁ、ソル子泣いちゃう」
    「筋骨隆々の男がやっても可愛くないんだよねぇ」


    このあと

    クラスメイト(ケイト)のターン
    ユウを交えて
    ソルとケイトの一年エピ



    健康診断
    文化祭の準備
    リドルやらヴィル
    ユウの不調

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