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    Bom🧠寺

    一時も二次も雑多に詰める。
    成人済み夢女

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    Bom🧠寺

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    藤月真由紀(ふじつきみゆき)は警察官になる夢を叶えた。それは何より大事な家族や、友人達を守るため。これは真由紀とその友人――坂巻優那(さかまきゆな)、柏原瑞葉(かしわばらみずは)、東海安佳里(あずみあかり)との最後の時間と、彼女の夢が終わるまでのほんの短いお話だ。

    なんて、健気なことだろうね。


    (吸血鬼お兄さんたちの世界、モブ視点のお話)

    #創作
    creation
    #一次創作
    Original Creation

    世界の仕組み《世界の仕組み》

    「見て、トーヤだ。またランキング入りしてる」
    「インディーズでほぼ毎回急上昇にいるの凄いよね」
    「格好良いし、歌も独特っていうか」

    スクランブル交差点、真正面のビルに映されるトレンドを彩るアーティスト達。
    その全てが人間であった時代は自分が生まれるずっと前の話で、曽祖父の代で幕を閉じたという。

    「新曲も買おう」
    「ライブ行きたいなぁ、なんで小さい箱でしかやらないんだろ。倍率えぐいんだよねえ」

    今取り上げられているのは人気急上昇、注目のアーティスト。
    インディーズバンドのベース兼ボーカルを務めるトーヤだ。
    アンシンメトリーの紫色の髪に赤い瞳の美少年。整った容姿と、低く力強い歌声のギャップが若い世代にヒットし、メディアで彼を見ない日はない。

    「あーあ。噛まれたいなぁ、あの牙」

    友人達が、うっとりと見つめる口元には鋭利な牙が光っていて、サブカル系のファッションにマッチした沢山のピアスが開けられた耳は尖っている。
    そう――大画面で人々を虜にするアーティスト、トーヤは人間ではない。

    「吸血鬼のどこが良いのよ」
    「出た、真由紀のナイトウォーカー嫌い」

    ナイトウォーカー、吸血鬼と呼ばれる種族がこの世界には存在する。
    文献によればこうだ。
    ――………神秘の世界が雲の真裏に隠れていた時代があった。
    神代と呼ばれるその時代、神秘たる彼等吸血鬼達の圧倒的な力の前に、人類はただ怯えて暮らすばかりの世界であったという。
    それを現代社会と変わらないと主張するものもいるが、答えは否だ。
    現代とは比べ物にならない程の格差があったと言えよう。考えるまでもない、知恵の実を得たとて剣では到底太刀打ち出来ず、蹂躙されるのが関の山だろう。
    物陰に隠れ、怯えて暮らすばかりの我々の祖先がとった行動はこうだ。
    『剣を捨て、代わりに筆を取る』
    何とも単純な、信じがたい方法であるが、神秘を物語とすることにより、曖昧だった境界線を明確に引こうとしたのである。
    神秘という理解し難い存在に名前を付けることで物語に封じてしまおうと、縛ってしまおうと神話を生み出したのだ。
    それが効いたのか否か、真偽は定かではない。何故ならそれすらも神話の世界であるからだ。
    ただ、事実として一定の時代から、神秘の影は消えているのだ。まるで最初から存在しなかったかのように。真偽はさておき、今はそれが答えと言えよう。
    ――……そして、科学が神秘を否定し尽くし我々人類が最も栄えた時代を迎えてもなお、彼らはまだ神話の住人であった。
    全てを解明し、現象に名前をつけることにより世界を手中に収めた我々人類は、歴史の通り長きに渡り支配者として君臨し続けることとなる。
    そう――最も大きな、忌むべき過ちを起こすその日まで。
    それこそが現代社会を形成するに至った悲劇であり、我々は追いやったはずの彼等を呼び起こす程の過ちだ。
    人類同士の争い、捨てたはずの剣で血を流し合う。
    無論、争いは歴史の中で何度も起きていた。
    しかし過去最大級に戦火が広がった、世界中が憎み合ったその瞬間――……彼らは神話というラベルを破り捨て、再びその存在を我々に知らしめ、瞬く間に人類を従えたのだと。

    「――祖父から聞いた話では、そう思い込んでいるのは人間だけで、彼等はずっと近くにいた」
    「ああもう、何回も聞いたよそれ。
    締めは人間の世界は人間だけで完結すべきものなの!でしょ?」
    「今更無理じゃない?バグだってあたしらどうにも出来ないんだしさ」
    「っていうか、お祖父ちゃん世代だって人間だけの時代知らないじゃん。日本は鎖国してたから遅かったけど」
    「あ、バグといえば駆除隊のヒューゴ!この前見ちゃった!」
    「うそ!生で!?」
    「お兄さんなんだよね、トーヤの。
    笑った顔が似ててさぁ」

    つい何世紀前まで人間のものであった世界はナイトウォーカー、夜に生きる種族の総称として吸血鬼と呼ばれる種族と共存する場所となった。文献の通りに現れた彼らと人類は一度は争ったものの、結果は現状を見れば分かるだろう。
    闇に隠れることをやめた彼らは人類をきりの良い数まで減らし、堂々と己の領地を確保して国を築き上げた。
    今でこそこうして受け入れられている彼らはその昔、恐怖の対象であったのだ。

    「優那、あんまり駆除隊の話で盛り上がると真由紀拗ねるからやめな。今日はこの子の合格祝いなんだから」
    「瑞葉だって真っ先にトーヤ見つけたじゃん」
    「でもすごいよね真由紀。警察官採用試験、今年の女子合格者一人だったんでしょ?」
    「ありがとう、安佳里。優那も、瑞葉もね」
    「あれ、怒ってない?」
    「吸血鬼は気に入らないよ?でも、皆の気持ちが嬉しいし……まあ、わたしも少しは聴いてるしね」
    「ああ、この前観た映画の主題歌よかったよねぇ」

    恐怖の対象に戻したり、争いあう関係に戻したいのではない。人間の領地にも彼らは遊びに来るし、わたし達が通っていた高校にも留学生としてやって来た女の子がいた。
    それでも、わたしは人間の世界は人間が守るべきものであると自分は信じているし、守れるものだと信じている。
    バグ――何の変哲もない日常の中から、何の前触れもなく現れる異形の怪物だって、きっとお互いが干渉し合わなければ生まれないはず。
    ――……そう思っていた。
    帰路について、眠りについて、警察官としての一歩を踏み出す前までは。

    「バグは君達人間が生み出したものでね。
    僕らが駆除してあげる必要もないんだけど……ほら、勝てないでしょ?」

    ようこそ新人警官の皆さん。と、式の後成績優秀者だけが連れて行かれた際に待っていたのはナイトウォーカー達のトップだった。
    ガラス張りのビル、その一室。
    今日のように天気の良い日であれば最高の景色が広がる、東京を一望出来る贅沢な空間に佇む黒髪の男。トーヤ達の兄だという彼もまた、赤い瞳を以ってこちらを見ていた。
    夜の国、その長――センリ。
    晴天の空を背にした男は、まるで切り取られたかのように、彼の立つ場所だけが闇であるかのように暗く陰っている。逆光のせいだと言い聞かせようが、本能が否定する。
    ――……逆光のせいだけではない。
    光を飲み込んでいるといっても過言ではなかった。
    だというのに眼だけは異様な程赤く、どろりとした光を放つものだから、この場にいる誰もが呼吸すら忘れて立ち尽くし、彼の動きに合わせて揺れる長い髪が片方の目に掛かって――ようやく肺に酸素を取り込むことが出来た……否、許されたのだ。

    「不便はない?うちのヒューゴと、ライリーが頑張ってくれている。
    死者も減っていると思うんだけど」

    一目で上等だと分かるジャケットとパンツ、インナーにカットソーを合わせたカジュアルなファッション。柔和な笑みに、それに見合った柔らかな低音。
    彼の容姿は何ら普通の――強いて言えばやはり非常に整った容姿であることくらい――何の脅威も恐怖も感じない男性であるはずだ。

    (怖い、怖い怖い怖い!)

    だというのに、わたしはこの部屋に入った瞬間から、言葉に出来ない原始的な恐怖を搔き立てられ続けていた。ああ、それはわたしだけではないのだが、けれど先日まで人の手でなどと甘い幻想を抱いていた小娘の心はとうにひしゃげて原型を失っている。

    「バグの原因は知っているかな。グリモアっていう人間から見れば薬物、僕らの基準で言えば嗜好品みたいなものが引き起こしているんだ。人間には劇薬どころではなくてね。恐ろしいことに、君達が摂取すると身体を変貌させてしまう。
    だから人間の領地に流出しないように厳重に管理していたんだけど――とある人間が持ち出した。ああ、勿論裏ルートさ。金になると思ったんだろう、可哀想に」

    憐れむような言葉。
    けれど一切の憐憫も、感情も乗っていないただの音が鼓膜を震わせ、本能を揺さぶる。きっとこの前観た映画の登場人物も同じ気持ちだったに違いない。
    言葉の通じない怪物に対する生理的な嫌悪、安全な場所さえ容易く破壊される絶望、信じていた日常と希望が崩れ去る虚無感と喪失感。涙すら出ない。その一滴さえも命取りになる。否――もう死んでいるに等しいのだ、だって。

    「バグの駆除は君達が持ちうる兵器では現状不可能。だから僕らが代行しているわけだ。勿論、無償ではない。
    僕の愛しい同胞たちが命を掛けて君達を守っているんだ。対価くらい貰わないと割に合わないよね」

    ねえ、警視総監。と、センリがリストを差し出した。
    脂汗を滲ませたわたし達の長が震える手でそれを受け取る。
    ――坂巻優那、柏原瑞葉、東海安佳里。
    男女関係なく、ランダムに記載されたそこに確かに三人の名前を見た。

    「今月の出荷分、少し多いけど宜しく」

    畏まりました。反論もせず、警視総監は答える。か細い声で、頭を垂れたまま。

    『真由紀は理解するの早いよね、頭良くて良いな』

    彼らはわたし達をいつでも殺せるのだ。多分、バグの件なんてなくても『この状況』を作り出せるし、事件が起こる前は別の名目で沢山の命が差し出されてきたのだろう。

    「例えば、贄とか」

    思考の続きを甘い声が絡めとって紡ぎ出す。
    音もなく目の前にやって来たセンリが、微笑みながらわたしを見下ろしていた。

    「藤月真由紀さん、君はとても優秀だね。
    友達の名前を見ても、君はこれがどういうものであるか理解してしまったから諦めた。
    僕達に必要なのは君のような賢い子だよ。
    これから大変なことも沢山あるだろうけど、頑張っておいで」

    肩に置かれた手は、生白くて、布越しだというのに泣き叫びたくなる程冷たかった。
    ――わたしが守りたかった世界は、最初から存在しなかったのだ。




    藤月真由紀の心は死んでしまった。
    友人達が出荷されてから数週間、今どうしているか、無事であるかを考える事すら出来ない。真由紀の心はあの日、あの部屋を出てから正常な機能を失った。
    生来真面目な気質であったせいか、殆ど笑わずに、淡々と仕事をこなす彼女に疑問を抱くものはおらず、最悪なことに寮で一人暮らしをする彼女の変化に気付くものは多くはなかったはずだ。
    それが余計に真由紀を追い詰めもしたし、麻酔のように痛みを紛らわせる薬になった。

    『誰も君を責めない』

    警視総監は言ったそうだ。
    責めない。そうであろう。
    あれを目の前にどうして誰かを責めることが出来ようか、人間の持ちうる兵器では彼らに敵わないのなら、政府も何も、悪いとは言えない。強いて言うのなら何故――何故我々の先祖たる人々は、神秘の住人が見過ごせない程の争いを引き起こしたのだろうか。
    ああ――それすらも、もしかしたら真の支配者たる、神秘そのものたる彼等が仕掛けたのだとしたら。

    「誰も責められませんよ」

    どんなに足掻こうとも、ここは彼らの掌の上だと。まだ新しさを残した制服に袖を通し、藤月真由紀は市民を守るべく街へ出たのだ。今日はパトロール中心に行うと上司から伝えられていたと聞く。担当地区は閑静な住宅街であるが、何でも最近不審者が度々目撃されていると住人から声が上がっていたらしい。
    ――この世界に希望はない。ならばせめて、出来るだけのことを。
    不安の種は取り去るのだ。それがどんなに些細なものであろうとも。世界の仕組みを知っているのは極一部なのだから――知ってしまったならば、果たさねばならない。逃げることは許されないのだ。
    警察、政治家、そして国を支える財閥、各々が何らかの形で人間社会の維持に務めている。警察関係者でさえ全員が詳細を知っているわけではない。
    ――当たり前だ、無実の罪を着せ、出荷される市民を回収する役割に就くのだと!そう聞かされて誰が志すか!
    何も知らない市民が、夢を見て憧れて就いた先がこれだ。特に将来性を見込まれた者にのみ明かされるとしても酷だろう、努力の対価としてあまりにも残酷だ。
    ……何も知らないほうが幸せだった、藤月真由紀はそう感じていたのだ。
    彼女が上司と足を運んだこの住宅地に住む全員が、出荷される可能性を己が孕んでいるなど――知る由もないのだ。

    「で?調査の進度は?」
    「不審者の見た目……ではないんだけど。皆来(みなき)さんの家、最近ちょっとおかしいのよ。
    旦那さんが帰って来ないのもそうなんだけど……奥さんが急に元気になって、それからめっきり見なくなって……巻き込まれたりしてないかしら」
    「真似はしなくて結構、御苦労様です」
    「これくらいノッてよ瞠っち」
    「我々も忙しいんですよ。新人は死ぬし、バグは増えるし、皆来家は健康ドリンクキマってただけで旦那は長期出張、奥方もそれに付いてっただけ」
    「でもさあ、でもさあ、迫真の演技だったっしょ?」
    「やかましい。
    それより先日のバグ駆除から数日経ちましたが、業者は見つかっていないのでしょう?」

    ――藤月真由紀は死んでしまった。
    彼女が住宅地に足を運んだのはおよそ七日前。彼女が警察として必死に生きた期間は一年にも満たない儚いものだった。

    『知ってしまったならば逃げられない、この世に生がある限り』

    今この場に立っているのは身を投げた若き乙女とは真逆の男達だ。
    一人は二メートル近い背丈に派手なアロハシャツ、艶のある黒髪を半分ネオングリーンに染め、ハーフアップに纏めた三白眼の男。
    そしてもう一人は癖のある小麦色の髪を高い位置で結い上げ、所謂ツーブロックというスタイルで襟足付近を刈り上げたスタイル。黒色のシンプルだが、ひと目で上質と分かる生地のベストにスキニーパンツを履きこなした赤い瞳の吸血鬼――童顔にそぐわない顎髭が、整った顔にミスマッチを起こしていた。

    「おかしいですなぁ、人狼の血統をお持ちの貴方が手こずるとは。ねえ?夜の国、序列六位――ワイアット殿」

    ワイアットと呼ばれた男こそ、夜の国のトップであるセンリを筆頭とした六人――その末席たる存在である。
    分かりやすく表すならば彼らは王と、最高位の貴族だ。住宅街で警察と軽口を叩き、調査などに同行するような立場ではない。

    「かったいなぁ、人生楽しんでる?警視庁特殊犯罪対策部、人体変異薬物対策一課――島杜瞠くん」

    歴代の支配者達は殆ど姿を表さず、人間の出荷も犯罪者などの引き渡しで事足りていた。バグも、対価もなかったのだ。
    それがセンリ率いる現メンバーに代替わりしてからどうだ。
    何を思ったか積極的に支配階級が人の世に関わるようになったのだ。
    そして、その干渉が違法薬物グリモアが人間社会に広まり、バグを生み出すという悲劇を招いたのである。

    「――……楽しいですよ。それなりに」

    支配者の好奇心により、最後の壁を失ったこの世界に立っていられるのは――何も知らない人間と、憎悪と憤怒で心を焼ける奴だけ。
    覚悟や信念、そういう高潔なものを持ったやつほど砕け散る。
    そうして生き残ったのが自分達だと、瞠は静かに憎悪の色を滲ませた眼で吸血鬼を捉えながら、上司である男の言葉を思い返す。
    それから高潔であるが故に脆く、命を絶った言葉を交わしたこともない後輩のことも。
    ならば自分に出来ることはせめて――

    「まあ、どうでもいいんですけど」
    「やん!もぉ、暗いって。
    あーあ、今日は澄ちんいないし。やりづれーよ」

    自分に出来ることはせいぜい事件の早期解決だ。それが市民の安全に繋がるのだと、瞠は頭を切り替える。
    島杜瞠という男は人間社会を守るという想いは強く、吸血鬼達に支配される現状を憎んでいるものの、存外薄情で特段心を痛めるということは殆どない。
    兄の澄はそういった感情が湧き上がっても隠すことに長けているが、弟である瞠は灯った炎に水を掛けて、憎悪すらあっさりと切り捨ててしまうのだ。
    切り替えの速さは長所でもあるのだが、人狼の血を持ち、感情の機微に敏感なワイアットがやりづらいと唇を尖らせている一因でもあった。普段は比較的温厚な澄と組んでいるのだから、違いに振り回されるのは当然だ。

    「で?なんで昼間から男二人で住宅街来てるわけ」
    「先程再現してたじゃないですか、証言」
    「何?もっかい見たい?」
    「結構」
    「ノリ悪。じゃあなんか雑談しよ」
    「はあ。では、その顎髭いつまで生やすん気です?ワイアット殿童顔ですし、ぶっちゃけ似合いませんぞ」
    「わあ、シンプルに辛辣」
    「澄も良くこれに付き合いますな……、私には理解出来かねる」
    「ひでぇなあ。僕とも仲良くしてよぉ。
    とりま瞠っち、おっぱいどんくらいが好き?」
    「いい加減にしないと我々が通報されてしまう。さっさと終わらせますよ。
    ――程よく大きい方が好みです」

    目的地へと歩き出した瞠の背に向かってワイアットは肩を竦めた。

    「真っ昼間からアロハシャツと吸血鬼の組み合わせって最高に目立つし、今更じゃね?」

    昼間だというのに人通りのない住宅街。
    ぴたりと隙間なく閉められたカーテンから、ひしひしと感じる視線がこそばゆい。

    「人間って本当、かーわいい」

    人間社会――否、人間そのものを肌で味わい、楽しみながら、支配者の一角たる男は美しい唇を釣り上げて笑う。
    瞠から見れば理不尽に奪われる世界であり、藤月真由紀を死に追いやった世界であり、憎しみと呪いに溢れた世界であったが、しかしそれらを生み出した側のワイアットから見れば、人間の領域は動物園だ。楽しいから足を運ぶ。
    ――そう、ワイアットは人間を愛していたし、友好的であったからこそこうして取締を手伝っているのである。

    「可愛い子には優しくしないと、ってのが僕の主義だからさ。他の奴らは知らねえけど」

    しかし、決して気を許してはならない。
    何故なら――彼にとって人間の絶望すら、苦悶の声すら、愛らしい鳴き声に等しいのだから。
    それを理解しているからこそ、瞠は思うのだ。優しさを持ち合わせているならさっさと引っ込んで人間に関わらないでくれと。
    そうしてくれたら現状は変わらずとも、このやるせなさも少しは報われるだろう。
    扉の先にあるであろう惨劇の爪痕だって、こんなに見なくても良いはずなのだ――祈る様に、瞠はとあるアパートの一室を開いた。

    「……黒ですな」
    「んにゃ。兄ちゃんに連絡するわ、どこのやつ?」
    「グリモアの流通ルートは年々増えていますが――」

    ごく普通のワンルーム、大量の在庫と思われるダンボール、乱雑に敷かれた布団、それから使用済みの注射器と、見たくもない乾涸びたラテックスの――瞠は靴も脱がずに室内に上がり込む。

    「ここに居るのは末端、せいぜい金に目が眩んだ一般人」

    家主はコンビニにでも出掛けたのか、つけっぱなしのコンピュータが部屋の済で輝いていた。

    「こいつ大学生かなんか?パスワードこんなとこに貼っといちゃ駄目っしょ」

    後からやって来たワイアットもディスプレイを覗き込む。
    どうやら素人らしい。パスワードを入力すればすぐに答えは見つかった。

    「あー、クーロンね。了解了解」
    「最近活発になりましたなぁ。桃源会を潰してシノギを広めたのは耳にしましたが」
    「敷上会もでしょ」
    「ええ……お陰様で上司の機嫌が常に最悪です」
    「うける。春藤ちゃん機嫌いい時ねえじゃん」
    「誰のせいだと」
    「え?兄ちゃん」

    お前もだ。という言葉は呑み込んで、いつの間にか立派なゲーミングチェア上であぐらをかくように座っていたワイアットを促した。

    「ほら、仕事する」
    「はいはーい……あ、兄ちゃん?僕だよぉ。
    そ、女の子死んじゃったやつ。うん、クーロンだったぜ。あー、一般人。ずさんすぎだね、ド素人。ただこの区じゃハジメテじゃん?うんうん、だから追跡よろ!こっちはやっとくから。じゃ!」

    通信機もなしに人差し指を側頭部に当て、兄へ現状を報告する姿は発言も相まって何とも不安に駆られる。あれで伝わるのか?と。

    「対応するってさ。……何その顔」
    「ワイアット殿、端末はどうしました?」

    というか、先週は持っていたはずだ。
    瞠は心底どうでも良かったが、一ミリ程湧き上がった好奇心に負けて問いかけた。

    「壊れた!」
    「もしかして子供でいらっしゃる?」
     
    発売したばかりの最新式だったはずだが?
    人一倍背の高い瞠には椅子よりPCデスクの方が丁度良い高さだったらしい。腰掛けたと同時に部屋の扉が開いた。

    「おや――お帰りなさい」

    成人して間も無いといった風貌の女が、震えた声で誰だと叫ぶ。
    本当に普通の、何処にでも居るような、人畜無害そうな――きっと何不自由なく、愛されて生きてきたような、だからこそ、贅沢にも普通に飽きてしまったような――そんな女だった。

    「警察ですよ」
    「それと、ナイトウォーカーのイケメンくん」

    咄嗟に再び扉を開こうとしたその手より速く、椅子でケタケタと笑っていたはずのワイアットが女の両手首を掴む。

    「あちゃあ、駄目だね。肉が傷んでる」

    女の顔を覗き込んだワイアットは眉を下げる。困惑した女はてっきり容姿の事を指したのかと反論するが、そうではない。

    「グリモア扱う時に何も防護服とか、マスクとかしなかったっしょ?傷んじゃってるんだよねえ、肉がさぁ。残念残念、部屋に何もなかったからもしかしてと思ったんだよね」

    何の話だと困惑する女。
    ワイアットは続ける。

    「警察とかはね、特殊な対グリモア用の薬使ってるからある程度大丈夫なの。だけどそれさ、めっちゃ高いんだわ。だから一般人には回せない。
    夢梯ってやつが開発したらしくてさ、うちのユーくんもどうやったのか分かんねえってキレてるくらい――まあ、早い話、なぁんも対策しなかった君も近い将来バグっちゃう!ってわけ」

    思いもよらない事実を告げられ、女は金切り声を上げた。そんな話は聞いていない、楽に稼げるときいただけ、などと。
    抵抗しようにもワイアットはびくともしない。ただただ楽しそうに笑っているだけだった。見た目からも、検査をしても人間ではバグ化の進行など判別出来ないが、人狼の血はそれを見逃さない。

    「でさ、君この部屋で寝たでしょ?男友達かなあ。せめてあれは捨てときなよ、まあいいや。それも危ないからさ、誰と仲良くしたのか後で僕に教えてね。迎えに行かないと!――え?そうだよ。お友達もバグっちゃうからさ」

    自分はどうなるのかと、女は震えながら問う。それを拾ったのは瞠だった。

    「後先を考えずに、目先の快楽に負け……幸せな家庭を壊した罪は償っていただかねば」

    連れて行っていいですよ。
    冷たい声が女の心臓にとどめを刺した。

    「はいよ。じゃ、報告はまた後で。車呼んでくれた?」
    「外にいますよ。ああ、報告は端末にして下さいね」
    「また新しいの買っとくわ!よしよし、行こーね」

    抵抗をやめた女を連れて、ワイアットは部屋を後にした。
    やがて遠ざかる車の音を聞きながら、瞠は前髪をかきあげて、ぐしゃりと握り潰す。

    「……度し難い」

    敵は吸血鬼だけではないのだ。
    どんなに守ろうと――いつの時代も。

    「それが世界の仕組みというのなら」

    ――救いなどありませんよ、貴方はどうするのですか。
    瞠の問に、答えるものはいなかった。


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