楽園のこちら側馬鹿みたいなセックスをしよう。
獅子神が宣言した。腰に手を当て、反対の手でゆるやかにうねる金髪をかき上げる。ドライヤーをいい加減に終わらせたのだろう。ライトグレーのバスローブは肩口のあたりにぽつぽつと一段濃い色のしみを作っていた。
厳かな態度がこれほど似合わない王様も珍しかった。
「馬鹿みたいなセックスか」
クッションを重ねたヘッドボードに背を預けたまま、村雨は読んでいた本から目を上げた。
同じ言葉を反芻してから気づく。これではまるで馬鹿の言う台詞だ。
獅子神も同感だったらしい。不満を言いたげに唇を尖らせて村雨を見下ろした。
馬鹿みたい、とはどういったことを指すのか。
あいにく村雨は性的にごくノーマルな男で、特殊な嗜好にはさして興味がなかった。それには医師として立場もおおいに影響している。危険な性行為の果てに医療機関へと運び込まれる患者。彼らの体が如実に語る、馬鹿としか言いようの行為の数々を見てなお試したいと思うほどの好奇心は持ち合わせていない。
けれどもそれが恋人のたっての望みだというのなら。
「……実行するかは別だが、あなたの言う馬鹿みたいなセックスとやらが何なのか参考までに聞こう」
「まわりくどいな。馬鹿みたいって言うんだから、馬鹿なやつだよ」
「愚か者のする性行為という意味か?」
「ちょっと違う。オレもお前も馬鹿じゃないから」
獅子神が即座に否定してから、するりとベッドに入ってきた。マットレスがかすかに傾く。裸足の爪先がもぞもぞと伸びてきて、村雨の脛に当たった途端にあわてて逃げていった。
「ぎゅーって抱き合うんだ。もういいってぐらい飽きるまで」
ためしに腕を広げるてみると、横向きに寝そべる体がほんの少しためらった後でにじり寄ってきた。長い両腕が伸び、逆に抱きしめられる。
タオル地のバスローブの合わせがはだけ、湯上がりの肌はすべすべとしていてあたたかい。このまま包まれていたら何もしないうちから汗をかく羽目になりそうだが、心地よさを優先して身を任せる。背に手をまわしてトントンと叩いてやると、碧眼が気持ちよさそうに細められた。
眼鏡を壊されてはかなわない。片手で外し、サイドテーブルへ置く。グラスコードを丸めて重ねる。手のひらに触れた金属の冷たさに、自分も十分熱くなっていることを知って苦笑する。
「それからキスをする。見えるとこ全部、見えないとこにも、いっぱい」
言い終えた唇が額に降ってきた。こめかみに、目尻に。
「まだある」
口を開け閉めするたび唇がそこかしこに当たってむずがゆい。パチパチと瞬きしてみると、今度は獅子神の方がくすぐったくなったらしい。頬骨のあたりに、はふ、と笑い混じりの息がかかった。
唇で皮膚を喰まれる。顎に口付けると、さらけ出された喉がこくりと鳴った。恥ずかしさを誤魔化すように鼻先が擦り合わされる。
「たくさん好きって言う」
「好きだ」
「早過ぎる」
「ゆっくり、たくさん」
「わかった」
「朝まで」
「朝まででいいのか?」
「……ずっと」
付け加えた声はひどく小さかった。
「それがあなたの考える馬鹿みたいなセックスか」
「そうだ」
真剣な面持ちで頷く恋人の顔を見つめた。引き結ばれた唇は子どものような頑なさを崩さない。拒否などしたら今にも決壊しそうな感情。ただ一人を相手に向けられた情動が暴かれるのを待っている。
──では、馬鹿になるとしよう。
初めての夜だった。