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    マトマトマ

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    マトマトマ

    ☆quiet follow

    前のシンデレラパロの続きです(結局風味程度になってしまいましたが)
    ぐだ♂アルキャス注意です

    御伽話の先の夢 頬を滑る風に誘われて、目を覚ます。
     麦藁の束から体を起こせば、穴が空いた天井から刺す一筋の日差しと、独特の涼しさが起きるべき時間であることを告げていた。
     握り込んでいた杖がその手中にあることに安堵を覚えながら、くぁーっと背伸びをする。道具弄りをして夜更かしをした眼をごしごしと擦りながら、少女は立ち上がった。
     
    「ふわぁ……」
     
     用意してあるバケツの水でぱしゃりと顔を洗って、適当に乾かしてあったタオルで拭う。あかぎれに冷たい水が染み入っていくなれた痛みを欠伸をして誤魔化しながら、胸ポケットに夜の成果を詰め込む。
     夜なべして制作したそれは、いつにも増して自信作だ。安全な距離を確保して放り投げれば、あの憎き騎士にだって一瞬の隙を作るくらいできるはずだ。
     
    「ま、どうせ当たんないんだろーけど」
     
     日差しを受けても尚襲ってくる睡魔を退けて、小さな小屋から出る。
     身体全身で陽の光を浴びれば、潮の匂いを乗せた風が頬を通り抜ける。すぅっとその風を取り込めば、何年も変わることもない匂いに安心を覚えた。
     
    「そうだ。わたし、あと少しで……」
     
     だが、小屋の壁に記してある印を見れば、あと数日でその匂いともお別れをすることになることを思い出す。そうなればわたしは育ったこの村から旅立ち、今まで育ててくれた村のみんなに報いるために、為すべきことを為さなくてはならない。
     
    「はぁ……」
     
     しかしそう言いながらも、別に心が浮き立っているわけでもない。村を出てすることは決まっていても、それはやるべきことではあって、やりたいことではないのだ。
     
     けれど、特に楽しみも目標もなく生きるには、ほんの少しここにいる時間は長すぎた。縋るものはあっても目標がない人生というのは、やはり酷く疲れてしまうものだから。
     
    「うん。だから今日も練習しなくちゃね」
     
     華麗な動きで杖を振り回し、的確な指示で仲間を鼓舞する。そんな、想像することすら出来もしない夢を実現する為に、わたしは今日も黄金の麦畑へと駆けるのだ。

     ◻︎◻︎◻︎
     
    「あ、少しいいかしら」
     
     と、そんな時、ふと見知った声に呼び止められる。振り返れば、この村でわたしの母親となってくれた女性が手招きしていた。
     
    「これ、あげるわ」
     
     見目麗しい風の氏族が、口元に浮かべる薄い三日月は美しく見える。そんな彼女の細く綺麗な指先から受け取ったそれは、一通の手紙だった。
     
    「これは……」
    「招待状よ」
     
     受け取ったそれの裏を見れば、そこには確かに流麗な筆跡で、この村と代表者の名前が記してあった。差出人の名前を見てみれば、それは数ヶ月に一度開かれるという、ここからずっと遠い街の舞踏会への招待状だというのが見てとれた。
     
    「あなた、もう少しでこの村をでてしまうでしょう?だからその前に何かしてあげたいと思っていたのだけど、最近は先立つものが多くて困っていたの」
     
     世俗に疎いわたしにもわかってしまうような、華やかな街の舞踏会への招待状。それをこんなにも気前よく渡してくれる理由を楽しげに語る母親の様子。
     
    「……わかりました。行ってきます」
    「ええ。楽しんできてね」
     
     わたしの姿を上から下まで眺めながら、母親である女性は言う。その視線の意味がこの眼を使わずとも何となく理解できるから、わたしは何を言うでもなく母親にぺこりと頭を下げる。そして渡された手紙をポケットに詰め込むと、元の目的地へと足を向けた。
     
     ◻︎◻︎◻︎
     
     畑への道中を足取り重く歩きながら、思考もまた鈍く巡らせる。
     当然と言えば当然だが、こんな島外れの村の生まれでは、わたしの人生に舞踏会というものは縁遠い。なればこそ、やはりというか、当たり前というか。
     
    「……ほんと、何を楽しめっていうんだか」
     
     別にそういう場の雰囲気が分からない訳でもない。お洒落な服を着て、美味しいものに舌鼓を打って、奏でられる楽曲に身を任せる。
     そしてそんな中には、御伽話のような運命の出会いが、あったりなかったり。
     
    「いや、そもそもそんなこと、わたしには関係ないか」
     
     そう、これはあくまで理想の話。
     こんなところには必ずヒト同士の見えないコミュニケーションが発生することを、わたしはよく知っている。見栄や世間体というのは、妖精社会でもあり得るものなのだ。
     それにこれは、きっといつもの彼女たちの思いつきだ。偶々もらった招待状をめんどくさく思ったのかなんなのかは知らないが、『取り敢えず捨てるよりかは、楽しんでから捨てよう』という、いつもの目論見が透けていた。
     
    「行かないとどうせバレるし、行ってもどうせお笑いものだし……あーあ。もういっそのこと、これ投げ込んでやろうかな」
     
     胸ポケットから取り出したガラス瓶を眺めながら、悪い笑みを浮かべてみる。人に当てることはしないけれど、頭上で炸裂させるだけでしょうもないことに心血を注いでいる連中に大きな混乱を呼べることは間違いない。
     だが、間違いなく捕まる。言いたくはないが、わたしの非力な力では、きっと紛いなりにも村や町を警備しているであろう牙の氏族一人すら倒せない。
     
    「……せっかくここまで来たんだもん。こんなバカなことで終わりたくない」
     
     惰性で定めた目標だが、挑むことすらなく終わるのは流石に寂しすぎる。今の所ただ短い上に成し遂げたこともない価値がない人生だが、そう簡単に諦められるほど諦めは良くないのだ。
     
    「今日は出来るだけ爆発物系のものを使うのはやめよう。行くからには、せめてできる限り身なりは整えないとね」
     
     場所が場所だ。もしこんな状態で桃色髪の少女や、自分の背丈よりもずっと大きい騎士にもう一度会ったら嫌だし……そういえば、わたしをライバルだと言ってくれたあの子は、今は何をしているのだろう。
     あの華々しい出立ちに、自信に溢れた振る舞い。そしてわたしにはない、人を導くカリスマ。……考えなくとも、きっと今はそれはそれは忙しくしているのだろうと悟って、また惨めになった。
     
    「……はぁ」
     
     今日で何度目かもしれないため息は、やはり何度聞いてもいい加減呆れてしまいそうになるくらい、冴えないものに聞こえた。
     
     旅立ちの日は近づいている。
     これはその前の、最後の寄り道だ。今はただ、夢に見る暴風に耐えるように、耐え忍べばいい。
     
     ◻︎◻︎◻︎
     
     言われるがまま村から出立し、監視の目がいつものようにそそくさと消え去ってから暫くたった頃。

    「やぁ、元気にしていたかい」
    「……ぇ」

     夕焼けの光が夜のとばりに刻一刻と呑まれて行ってしまいそうなとき、突然声がした。慌てて周囲を見渡しても、木々に囲まれたここでは、暗がりのせいで人影は見えない。だからもしかしたら別の誰か……いや、でも、この声はよく聞き知ったもので、焦がれたもので。
     
     大切なものはいつもあっという間に取り上げられてしまうけれど、この声だけはわたしの方からいずれ探しに行こうと決めた、大切なヒト。
     
     ……あれ?でも杖は今、わたしの手元に――
     
    「ストップ、そこまでだ。これから舞踏会に行くんだろう?なら、あまり寄り道をしている暇はないからね」
     
     姿は見えない彼は確かにそういって、わたしが持つ杖を見えない力で進行方法に引っ張った。慣れない感覚に驚きながら、それでも彼の声は確かにこの杖から聞こえていることに、とても安心を覚えた。
     
    「今から君に魔法をかけてあげよう」
    「え、魔法……魔術じゃなくて?暫く見ない間に自分が教えてくれたことすら忘れちゃってボケちゃった?」
    「……相変わらず失礼だなこいつ。はぁ、……今回のは魔術じゃない。この私のとっておきの魔法だよ」
     
     そんな安心と彼の突拍子もない言葉によって、ふとした違和感なんて気にならなくなった。それはとぼとぼと一人歩いていた道を、二人の声を響かせながら歩くなんて、そんな小さくてどうでもいいことに心がひどく躍ったからでもある。
     
    「まずは馬車だね。この距離を一人で歩いていては、あちらについたとき君の足が棒になりかねない」
    「なにを~?わたしはもうあなたの知っているひよっこじゃないんですよ。体力にはそれなりに自信が……」
    「お約束なんだ。いちいち突っ込んでいるとめんどくさいことになってしまうよ」
     
     何年振りかも分からないのに、姿は見えずともどこかため息を溢すように聞こえた彼の声音には懐かしさを感じない。だから彼の言葉にむ~と唸っていると、何かがこちらに向かって来ている音が聞こえて、自然と構えてしまう。
     
    「わっ……!?」
    「おっと、失礼」

     だがその構えも虚しく、瞬きのうちに自身の隣を何かが走りぬけてきたかと思えば、砂煙を上げて急制動をかけた。そして立派な荷台を引いてきた馬が、振り向きざまに歯並びのいい白い歯を見せて喋る。

    「初めまして。雇われの牙の氏族ですが、怪しいものではありません」
    「馬が喋っただけで怪しいけど!?」
    「馬ではありません。妖精です。ただ馬車という文化に心を奪われただけの、ね」
     
     馬ではなく妖精だと言うソレは、一応ヒトの言葉を話す点は妖精だと判断できなくもないが、一般的常識でいう妖精とはあまりにもかけ離れているような気がしてならない。
     
    「これも同じで突っ込んだ方が野暮?」
    「あぁ、これもそうだね。でも大丈夫。彼は信頼できるよ」
    「そうなんだ……」
    「なんだか疑わしい目を向けられていますが、報酬として約束されている人参に目を瞑り、これもまた見逃しましょう」
     
     やっぱり彼(?)のことを知れば知るほど妖精ではなく馬なのではないかという葛藤が生まれる。だが、気にするだけ無駄なことであるとも理解した。どうでもいいことにはたった一つを除いて基本拘らない方が楽であることを、わたしはもう悟っているのだ。
     
    「さて、次は……」
    「はいはいはい!ぼくもう待ちきれないんだわさ!」
     
     時間がないと言っていた癖に勿体ぶるように喋る杖の彼の声を覆うように、荷台からとても元気な声がした。すると、わたしの半分の大きさもない小さな妖精が、中から飛び出してきた。
     
    「こんにちは!……ん、こんばんはだったかな?まぁそんなことよりも」
    「あ、あなたは?」
    「ん?あぁ、僕は見ての通り、ただの小さな仕立て屋さ」
    「仕立て屋……?」
    「そう!さぁそんなことよりもう時間はないんだ、急げや急げ!」
    「え、あ、ちょっ……!?」
     
     現れた仕立て屋と名乗る少女は、わたしを荷台の方に力一杯に押し込んでいく。思わぬ膂力に驚いた時には、既に彼女は小さな身体を思う存分に動かして、わたしの体に何かを巻き付け始めた。最初のうちは体をまさぐられている感覚に少し抵抗もしたが、悪意が感じ取れずその動きが逆に作業の邪魔になっていることを察したわたしは、そのままなすがままにされることにした。
     そしてそろそろ身体中ぐるりと回ったかと思えば、「よし、あとは任せて!」と、今度は逆にわたしを荷台から放り出してしまった。
     
    「い、いったい何を……」
    「君のためのドレスを用意してもらっているのさ」
    「……どれす?」
     
     聞きなれない単語に呆然と繰り返した言葉に、杖の中の彼があぁと静かに頷いた。
     
    「君のその姿が悪いと言っているわけじゃない。ただ、社交場に出向くには、少し役不足なのは拭えないだろう?」
     
     優しく諭すように語りかけてくる言葉をどこか他人事のように思いながら、胸の中で反芻する。久しぶりに出会った師と、そんな師からの思いもしない贈り物に、思わず頬を軽く手で引っ張る。しかし頬に走った軽い痛みの感覚は、それでもどこか他人事のように感じた。
     
    「まるで本当に夢のようじゃないかって?」
    「うん」
    「たまにはいいんじゃないかい?好きな夢を見たって」
     
     杖から聞こえる言葉は、相変わらず優しかった。けれど、どこか誰かに言い聞かせるような言い方のようにも聞こえてしまって、素直に頷くことが出来なかった。
     腑に落ちない感覚はどうしても拭い去ることはできなくて、もう少し彼に話を聞いてみようと杖に向かおうとした。だがその前に、馬車の中から完成に喜ぶ仕立て屋の声が聞こえてきた。
     
    「おや、さすが糸紡ぎの妖精を自称していることはあるね。仕事が早い」
    「ねぇ、」
    「申し訳ないけど、今は君の心配よりも準備の方が優先だよ。さ、行っておいで」
    「……うん」
     
     二の句を告げさせてくれない彼の言い回しはこれが初めてではない。そしてこういう時は基本、わたしがどんな言葉を無理やりつづけようとも、彼の煙に巻くための弁舌に叶うことはないことも知っている。だから、せめてもの抵抗にと、不満顔を杖に向けながら馬車へと足を向けた。
     
    ◻︎◻︎◻︎
     
    「――すごい。すごい、きれい」
     
     ひらり、ひらり、とその場でくるりと回ってみせては、動きに合わせて真っ白な布が揺れる。落ちかけの夕焼けを反射する装飾は、宝石のようにきらきらと輝いていて、まるで純白の空に浮かぶお星さまのよう。
     
    「だろう?急なオーダーだったからちゃんと出来るか心配だったけど、君のイメージは十分伝えて貰っていたからさ。手直しもほんの少しだけで済んだ」
     
     満足げに胸を張る小さな仕立て屋の言葉に大きく頷き、ありがとうと、心からの感謝を述べる。
     ドレスなんて、他人が身に着けていることを見ることはあっても、こうして自身を彩ることなんて一生ないだろうと思っていた。ましてやこんなにもきれいで美しくて、自分なんかには本当にもったいないぐらいの装いなんて。
     
    「鏡を見て。気に入らないところがあったら、まだ少し直せるからさ」
     
     誘われるがままに荷台の中に備えてあった鏡の前に立ち、まじまじと自分の姿と向き合う。
     我ながら、あまり起伏の富んだ体つきではないことを知っている。だからこういう大人が参加するような舞踏会に自分が参加するには、まだ早いと勝手に思っていたけれど――
     
    「そんなことないさ。きみは黙って笑ってさえいれば、花畑の中でも一際輝く一輪になれるよ」
    「……うるさいです」
     
     いつの間にか荷台の中に建てかかっている杖の失礼な感想に対して、今回ばかりは返す言葉に覇気を持てない。
     だって鏡の中のわたしの表情は、驚きと戸惑いと喜びと、その他たくさんの感情に溢れていたのだ。まるで綺麗な宝物を手にした子供のような、そんな気持ちで一杯だったから、彼の軽口に対する感情を探すことが出来なかった。
     
    「……髪、飾り」
     
     いつも頭の後ろで二つに纏めていた髪を、今は全て下ろしている。そして癖っ毛気味な髪の毛を優しく梳いてもらえば、そこには小さな星のような髪飾りが、煌めいていて。
     
    「気に入ってくれたかい?ならそれを作ってくれた職人も、きっと本望だろうね」
     
     そっと小さなお星様に触れながら、思わず笑みをこぼす。彼はこれを失敗作だと言っていたが、やはりそんなことは冗談でもあり得ないと、改めて思う。
     だからこそ頭の中にいる彼と、これを寸分違わず作ってくれたもう一人の誰かに向けて、心からの感謝を心の中で浮かべたのだった。

    ◻︎◻︎◻︎
     
    「さて、きみの準備が整ったことだし、あとは任せるよ」
    「やはりあなたは来てくれないのですね」
    「あぁ。そろそろおっかない取り立て屋が私を見つけてしまいそうでね。……大丈夫。君たちには迷惑をかけないさ」
     
     気持ちに区切りをつけた様子を見計らったように、彼は言う。ここまで手厚く用意してくれたのに、お披露目にはやはり付き合ってくれないらしい。まぁなんとなくこうなる予感もしていたから、特に驚きもしなかったが……それでも、最後に聞きたいことがあった。
     
    「最後に一つだけ、いいですか」
    「なんだい」
    「どうしてこんなことを?」
    「……そうだね。単なる気まぐれと言っても、きみは満足してくれないのだろう?」
     
     問いかけに対する問いかけには、ただ視線だけで応えた。どこかでわたしを見ているのだろう彼には、きっとそれだけで十分だと思ったからだ。
     
    「他人がとても素敵な夢を見ていると、自分の心まで湧き立って応援したくなるだろう?これはその応援の一つさ」
    「それは……誰の夢ですか」
    「誰だって同じさ。ありもしない星を探しているのは、何もわたしたちだけじゃない」
     
     やりたいこともなりたいものも、結局まだ見つけられていない。けれど、かつて幼い頃にした会話を、まだお互い覚えている。何気なく交わした時間は、きっとこれからもわたしの胸に残っているのだろうし、彼もそうなのだろう。
     だから彼はこんなにも素直にわたしの質問に答えてくれて――だからこそ、ここで本当にお別れらしい。
     
     夜の帳は、既に茜を閉ざしていた。
     
    「さぁ、行っておいでお姫様。一二時になったら戻っておいでなんて野暮は言わない。……今日はきっと、いい夢を見れるよ」
    「うん、ありがとう。――行ってきます」
     

    ◻︎◻︎◻︎


     師に別れを告げて、それから揺れる馬車(と呼べるかもわからないもの)に乗ってどれくらいが経っただろう。気づけば御伽の国のように綺麗な夕焼けが西に沈んで、それに勝るとも劣らない真丸な月が、色取り取りの星々と共に顔を覗かせていた。
     それらは見慣れた景色ではある。だが自身が纏う装いが違えば、自然と違う風景のようにも思えてしまって。
     
    『今日はきっと、いい夢を見れるよ』
     
     師の言葉が、頭を過ぎる。
     正直これから訪れる社交場で、忘れられない思い出なんて作れるはずないし、作りたくもないと思っていた。けれど、らしくもなく目に映る全てがきらきらとしているこんな頭の浮かれ具合じゃ、本当の本当に、『もしかしたら』と考えてしまうのだ。
     
     ――大切なものは、いつだって瞬きのうちに取り上げられてしまうから。
     
     胸に蔓延る不安を、信じたい人の言葉を借りて、都合よく信じたフリをする。嘘は嫌いだが、何も人の為についた嘘まで、嫌いになれるわけじゃないから。
     わたしは身につけたドレスの裾をぎゅっと握って、その時を待った。
     
    「……はぁ」
     
     会場に着いてあたりを一望した時、胸に湧いた感情は『やっぱり』という落胆だった。ドレスのお陰で少しは色のついた世界のように見えたが、少し世界が違えば景色は何一つ変わらない……いや寧ろ、濁った色はどこまでも重なり合うのだと、久しぶりに再認識できた。
     
     厳かな音楽、着飾った紳士淑女の皆様方、フロアいっぱいに並べられたご飯……はともかくとして、到着したばかりというのに場の雰囲気に酔う前に人酔いしてしまいそうになって、誰の目にも止まらないようにしながらバルコニーへの窓を開けた。
     
     流石これだけの宴を開いているとあってか、あたりはとても広い構造をしている。手すりの近くに規則的に並ばれたテーブルと椅子には既に何人かの人影があったが、屋内の情報量よりもずっとマシだった。
     
     ――それに、やっぱり。
     
    「相変わらず、星を見上げるのが好きなんだね」
    「え、」
     
     どこにいようとも変わらない、誰のためにというわけでもない光。その瞬きに目を奪わているとーー振り返れば、綺麗な色の瞳をしている人がいた。 
     こんな濁色に囲まれた中では、見つめているだけでひどく泣きたくなってしまうような、そんな伽藍を宿した人間が。
     
    「あなたは?」
    「名乗るほどのものじゃない……なんてかっこつけだけど、今回は匿名のパーティだからね」
    「え、そうだったんですか?招待状には何も……」
     
     疑問符を浮かべるわたしに、彼はくすりと笑うと、両手に持った片方のグラスのうち、もう片方を差し出してくる。その動作が流れるように自然なものだったから、思わずグラスを受け取ってしまうと、彼はまたくすりと微笑んだ。
     
    「少し、時間を貰ってもいい?中の人たちと踊ってたら疲れちゃって」
    「……じゃあ、その人たちと一緒に休めばいいんじゃないんですか?」
    「こういう言い方はあまりしたくはないし、彼女たちには申し訳ないけど……この場の義理は果たしたんだ。だったら少しぐらい、自由な時間を過ごしてもいいかなって」
    「……なるほど?つまり虫除けってことですか」
     
     初めてあったばかりだというのに、わたしの口から出る言葉には何故か遠慮がない。見た目が同年代、だからだろうか。わたしの疑問と納得に終始苦い顔をしている彼は、それでもわたしに手を差し出した。
     
    「じゃあ、改めて。
     ――はじめまして、星の瞬きのように綺麗なお嬢さん。名乗ることができない無礼者ではありますが、どうかわたしの手を取って頂けますか?」
    「……」
     
     正直、『うわぁ……』って思った。いや、外見に似つかわしい素敵な誘い文句ではあると思うけど、その中身は先程までの伽藍はどこへ行ったのか。どこを見てもとてもちくはぐで、わたしの目をもってしても何を考えているのか、よくわからない。
     
     ――そして何よりも、これだけは言ってあげないと、と思った。
     
    「わたしが言えたことじゃないけど……なんか、似合わないですよ」
     
     辛辣な言葉を投げながらも、かく微笑んで彼の手を取る。すると彼はまた苦い顔をして、一言感謝を……何の裏表もない感謝を一つだけ述べたのだった。
     
     
     
    「でも会場から抜け出すなんて聞いてないんですけど」
     
     彼の手を取って、誘われるがまま歩みを進める。そうしたらいつの間にか、音楽隊の奏でる楽曲も、ダンスを楽しんでいる人たちの喧騒も、全てをそのままに。わたしは彼に連れていかれるがまま、会場を抜け出していた。
     
    「何かをサボってお忍びデートってやつ、一回やってみたかったんだ」
     
     彼はわたしの手を引きながら、まるでいたずらっ子のような笑顔で言う。その笑顔に含まれている意味はあまりにも無邪気で、何か考えがあるのかと一瞬でも疑ってしまった自分が馬鹿らしくなった。
     
    「どこに行きたいとかある?」
    「……わたし、この街に何があるのかすらわからな」
    「じゃあこっち。一緒に来て」
    「あ、ちょ、ちょっと!?」
     
     会場を出ればやはりというか、流行の最先端をいくと謳うこの町では、妖精の國らしからぬ見知らぬ世界が広がっていた。
     興味はある。憧れすらもあった。だけども流石に神秘が起こす恐怖の方が優っていて、なにかきっと魔術で誤魔化してるんだろうけど明らかにただの人間なこの人が、こんな街の中を歩き回るなんて……
     
    「あ、危ないでしょ、どう考えても!」
    「?大丈夫だよ。もう着いたし」
    「え……ってここ、なに?」
     
     彼が私を連れて行った場所は、大通りに面する質素で小さな建物。おまけに賑やかな人通りの中にあるというのに、その建物の中はあまり賑わってはいない様子で、むしろ寂れているような雰囲気すら感じられた。
     わたしにとっての異常が日常のようなこの街において、何となく見知った空気を感じるそこは間違いなく異質であったが、彼はそこになんの躊躇いもなく入っていった。
     

     中に入ると、一面に商品を飾るガラスケースがあった。中身はネックレスや指輪、果ては彫像のようなものまでありとあらゆる装飾品が所狭しと並んでいた。

    「流行は移ろいやすい。ここにあるのは、本当に一週前程度まではすごい人気の品だったんだ」
    「でも今のブームが来てからみんなそっちに移ろいで行って……今じゃこの通り、この店の商品を買おうとする人なんて殆どいなくなったんだ」

     そのケースの端々には、埃を被った小物がいくらか見受けられる。けれど幼い頃より工芸品をほんの少しだけ見慣れたわたしでも、一目見ればその一つ一つに込められた技術の枠とそれを仕立てた職人の熱意を感じ取れた。
     
    「でもさ、流行なんて俺にはわからないから。ここにあるものの価値は、いつだって変わらないんだ」
    「わたしも、そう思う。ここにあるものはとっても素晴らしいものだって、そう思うよ」
     
     それらについてきらきらとした瞳と寂しげな表情で見つていた彼は、わたしの言葉に破顔した。そして、若干埃を被ったガラスケースに触れながら『何か欲しいものはある?』とも。
     
    「お近づきの印に、一つ贈ってあげたいんだ」
     
     ずるい言い方だと思った。もとより断るつもりはないが、そんな表情では、断る気も失せてしまうというものだろう。
     でも何故か、その言葉はどこか心地よくて、彼に促されるままガラスケースを端から端までゆっくりと眺めていく。
     とはいえ、このような場所にあまり縁がないわたしには、最初から目を引かれるものなど一つもない。そのまま視線を右往左往としてしまっていたのだが――そんな中で、不意に一つの腕時計が目に止まった。
     ベルトが革製になっていて、色は水色よりも若干深い青色。時を示す円盤の中は、金色をアクセントに白と藍に染まっていた。
     それをガラスケースの上からもう一度まじまじと見つめると、なんとなく似合うと思った。
     
    「じゃあ、これでお願いします」
     
     ガラスケースの上から、それを指して彼に伝える。すると彼は店員のお姉さんを呼んですぐにお金を払い終えると、包装しようとする店員さんに向けてその是非をわたしに問いかけてきた。
     わたしは彼の言葉に首を振ると、箱を受け取って慎重に中身を開く。そして実際にその手に取ってみれば、重くも軽くもない重みを肌で直に感じ取って、自然と直感がこれを選んでよかったと囁いてきた。
     
    「腕を出してください」
    「?どうして?」
    「いいから、お願いします」
     
     疑問符を浮かべる彼の腕をとる。服の上からだとよくわからなかったが、今も手にしている時計の重みに負けないような逞しさをしている腕に、くるりと時計のベルトを巻き付けると留め具で固定した。
     
    「うん。時計を選んだのなんて初めてだけど、よく似合ってると思う」
    「……どうして?」
     
     目の前の彼の全身を視界に入れるように少し離れてから、その違和感のなさに、それどころか、あるべき場所に収まったかのようにさえ見える時計に、自然とそう口をつく。
     一方、わたしの感嘆の言葉を聞く少し前から呆然としていた彼は、時計とわたしを相互に見比べて、全く同じ質問をした。
     
    「わたしが身に着けるより、思い出のあるあなたが身に着けていた方が、ここの装飾品たちもずっとうれしいと思ったから」
    「……バカ。でも、ありがとう」
     
     彼は少し照れた様子で呆れ言葉をつき、はにかんだあと、手元にあるその時計に何度も触れては、その笑みを深めていた。
     その様子を見れば、迷惑かどうかなんてもう聞けなかったし、本当に今思いついただけの行動だったけれど、尚更今の一連の行動をしてよかったと思えた。
     
    「けど、うん。これじゃ俺の気が収まらないから、少し待ってて」
    「え、」
     
     そういうや否や、彼はまた目の前のガラスケースに視線を向けたかと思うと、定期的にわたしと見比べ出した。そしてうんうんと頭を振り、喉を鳴らすので、流石に察してしまった。
     
    「……何してるの?」
    「君に似合うものを探してるんだ」
    「わ、わたしにはいらないよ。お金もないし」
    「いいんだ。今はお金なんて気にしなくてもいいし、あてもあるから」
     
     彼はそういうと、またガラスケースに向き合ってしまう。そしてそこからも何度かわたしと見比べたりすると、やがて一つのネックレスを店員に向けて指し示した。そして、店員から受け取った品をその手に持ちながら、彼はこの上ない笑顔で近づいてくる。
     
    「髪、触ってもいい?」
    「え、いや、じ、自分で……」
    「だめ?」
    「っ……」
     
     彼に言われるがまま、口を閉じて少し上をむく。わたしの後ろに回り、首の後ろでネックレスを留める彼の息遣いがすぐ近くで聞こえて、少しどころかかなり気恥ずかしい。けれど、彼がそんなわたしの様子を察していたのか、本当に僅かな時間で彼は離れていて、『こっち来て』と姿見の前まで誘導された。
     
    「どう、かな」
     
     そして、楽しげにしていた瞳や表情を真剣にしながら、この贈り物の是非を問うてくる。

     ……正直、今更もうそんなこと聞かないでほしかった。だって鏡に映ったわたしの様子を見れば……わたしの表情まで共に見ていれば、そんなの一目瞭然だろうに。
     なのにあなたは何故、まだそんなにも不安げなをしているのだろうか。
     
    「――綺麗です。本当に」
     
     つい数時間前の森の中でプレゼントを貰った時と似た感情に支配されてしまったから、そんな言葉しか口にできない。
     彼が贈ってくれたそれは、ドレスを着る際に身につけるような華美なものではない。だが、等間隔に繋がれたひし形の紋様や、中心の一雫の宝石は光を反射して淡く煌めいていて、わたしが今身につけているドレスにとてもよく似合っていた。
     
    「よかった。……うん、本当によく似合ってる。とても綺麗で、素敵だよ」
     
     ふと囁かれた言葉で、鏡越しに彼の表情を見る。すると彼の表情には……彼の言葉や瞳の奥にある感情には、あまりにも温かいものが浮かんでいて。
     
     ――それを視てしまった時、わたしの鼓動は一際大きく脈打ったのだ。
     
     ◻︎◻︎◻︎
     
     それから少しの時間、彼と共に街を歩き回った。特にどこかに行きたいとか、何かを買いたいだとか、そんなことは最後まで一つも出てこなかったが、目についたお店に入って陳列している商品にあれこれ言って、情けなくもぐ~とお腹を鳴らせばレストランにも入って。
     結局そんなに多くは回れなかったけれど、突然変な色の雨が降り出したり、遠くに見えた小さいものが近くに来てみれば異様に大きくなったり、この街がユーモアと驚きに満ちた変な街だということは痛いほどわかった。

     そうして田舎育ちの村娘が体験する都会の宴もたけなわに、『そろそろ一度戻ろうか』と彼から提案を受けた。
     名残惜しい気持ちもあるが、それ以上にここにいては本来の常識を忘れてしまうという恐怖も生まれてきた頃だったから、素直にその提案を受け入れた。
     
    「今更だけど、君はどこから来たの?」
    「わたし?わたしはティンタジェルから来た、……い、田舎娘、です」
    「今更なんでそんな畏まってるの……?」
    「いや、今日のわたしはなんだか見た目からしてちゃんと都会っ子みたいでしょ?……だから幻滅されたらやだなぁって……」
    「………ぷ」
     
     会場までの通り道を歩きながら、そんな話をする。今までわたしの出身なんてわかるような振る舞いをしていなかったから(レストランにおいてマナーの問題でつまみ出されそうになったとはいえ、それは彼も同じだ)、それなりにいいとこの娘であるかのように思われていても不思議ではないと思っていた。
     だけど、そんな見栄を今更貼る意味なんてないほどに彼を信頼できたからちゃんと伝えたのに……彼は今、わたしの精一杯の告白を、鼻で笑った……?
     
    「ごめん、ごめん」
    「無理です。もう一回さっきとは別の、マナーにうるさくない美味しいお店に連れてってくれなきゃ嫌です」
     
     やがてお腹を抱えるようにまでなってしまった彼が、半笑いのまま謝罪を口にするものだから、思わず拒否とわがままを言ってしまう。
     それを彼はくすくすと笑いながら、再度謝罪を口にして、わたしをそのお店に連れて行く約束をしてくれた。
     
    「もう。じゃあ、そういうあなたはどこから来たの?ここには詳しいみたいけど、それもなんか見せかけだけみたいな感じするよ」
    「鋭いね。うーん……どこかとっても遠い場所から来たって言って、納得してくれる?」
    「わたしには言わせておいて、自分はそうやって濁すんだ?」
    「正直に話しても信じて貰えないし、他にも少し理由があるんだ。だから、ごめんね」
     
     初めて会った瞬間から、彼は一度も嘘を言ってない。だから何故かもわからずひどく心地いいこんな距離感を壊したくなくて、その先を詮索することはしなかった。
     
    「でもティンタジェルか。少しどころかかなり遠いね」
    「そうかも?正直よくわからないんだ。森を歩いてたら、いきなりよくわからない馬車に乗せられたから」
    「………妖精攫いにでもあった?」
    「ある意味そうかも?」
    「えー……?」
    「でもその時にね、わたしには勿体無いぐらい綺麗なこのドレスを着せてくれたの」
     
     見上げていた視線を下に落として、そこにもまだたくさんの煌めきがあることに、心の中で何度目になるかもわからない感謝をそっと告げた。
     ドレスは今まで纏ってきたどんな服よりも素敵だった。それに見合うような素敵な靴や、彼から贈ってもらったアクセサリーも、何もかももがそうだ。
     
    「勿体無くなんてない。とっても似合ってるし、とっても綺麗だよ」
    「ありがとう。でも、着られてるって自覚はあるから」
    「……あんまり自分を卑下するのは」
    「ううん、違うよ。だって、本当に素敵なんだもん。会場を見渡した時、わたしより綺麗なヒトはたくさんいたけど、わたしより綺麗なものを身に付けてるヒトはいなかった」
     
     自慢げに語る言葉は、我ながら夢現のようにふわふわしている。気づけば口元が緩やかな孤を描いて、頭の中にはこの特大なプレゼントを贈ってくれた小さな妖精や師……そして、この髪飾りを作ってくれたもうどこにもいないあのヒトへの――
     
    「どこにも、いない……?」
    「大丈夫?」
    「だ、大丈夫。大丈夫だけど、……」
     
     森を歩いている時にもあったこの感覚は、追おうとすればするほど煙を巻いたかのように隠されてしまって、やがて思い出すことすら出来なくなる。だが違和感が存在したという事実は、頭の中で違和感の発生を連鎖させて、――ふと目の前の見慣れた色に、たどり着いた。
     
    「あなた、は、」
    「うん」
    「わたしとどこかで、会ったこと、あるの?」
     
     問いかけは途切れ途切れに空間を震わせる。深夜になるに連れて段々と人数が少なくなるどころかむしろ増えていた大通りから、何故か音が消えていく。おぼろげだった色が、より鮮明に視界を彩っていく。
     
    「――ある。君はまだ知らないし、一緒にいれた時間は短かかったけれど」
    「まだ?それに短かかったって……」
    「うん。振り返れば、星の瞬きみたいに一瞬だったけど、確かに一緒だったんだ」
     
     今まで通り、わたしの視界に映る目の前の彼の言葉に嘘はない。だけどどうしても頭の中にある記憶には、彼の姿も共に交わした言葉も浮かんでこない。……なのに、彼の色が鮮明になりだしてから、胸の鼓動が囀りだして、止まらない。
     
    「――やっぱりもう、時間みたいだ」
    「?……って、あれ。みんな、どこに」
     
     淡く微笑んでいた彼の視線が周囲へと向けられる。それにつられてわたしも意識を周囲へと向ければ、あれだけ賑わっていた街並みの姿はいつの間にかなくなっていて、月光に照らされて残る影は彼と私のみとなっていた。
     
    「最後に、いいかな」
    「最後って、わたしはまだなにも――」
     
     突如として起こった二つの現象に混乱する中、目の前の彼は何かを説明することもしない。その代わりに青い色の瞳を細めて、初めて出会った時と同じように手のひらを差し出してくる。
     
    「お願いだ」
     
     彼の懇願は、出会った時とは違い空に浮かぶ一等星のようにとても綺麗な色をしていた。見上げれば最後、一際高く胸が脈打って、気づけば彼の手を取っていた。
     
     
     ◻︎◻︎◻︎
     
     
    「君はこれからどうしたい?」
    「どうしたいって?」
    「いつもの生活に戻って、そのまま旅に出るか。……俺だけのお姫様になって、このままずっと一緒に生きていくか」
    「……は?」
    「……ごめん。わかってはいたけど、その反応はきつい」
     
    「でも、これは本当の気持ちなんだ。――君はこれから旅に出る。そしてそう遠くない未来で、君は死ぬ」
    「……何でそんなことわかるの?」
    「見てきたから。君がどれだけ頑固で繊細で、勇敢なのか。それを隣で見ていたんだよ」
     
    「ねぇ、君はさ。何のために旅に出るの?」
    「……」
    「――その旅に、本当に命をかけるだけの価値があるの?」
     
     
     ◻︎◻︎◻︎
     
     
     元の会場に戻った後、どこから流れてるのかもわからない優雅な音楽にかつかつと二人分の靴音を加えて、共に踊り続ける。習ったことも見たこともないダンスなんて出来ないから、それはもう不器用に感覚だけで踊っている。
     それに合わせてくれる彼の技量に内心驚きながら、彼から告げられた言葉を反芻する。
     
    『そう遠くない未来で、君は死ぬ』
     
     相変わらず、彼の言葉に嘘はなかった。たった一日でこれだけ自分の瞳を疑うことになるとは正直思っていなかったけれど、彼の言葉を狂言と信じるには彼の言葉は澄み切っていた。
     
    「旅の意味とか価値なんて、本当に旅をしたこともないわたしにはまだわかんないよ」
     
     だからこそ、というわけではないが、彼の言葉には出来るだけずっと真摯に応えてきたつもりだ。よってここでも素直に未来を受け止めてしまう淡白な感想を伝える他なく、悲痛に歪み続ける彼の顔を間近で見つめる他ない。
     
    「その旅に、何も……何一つ、楽しいことがなかったとしても?」
    「?どういう」
    「――君が裏切れないものの理由が、最後までわからなかったとしても?」
    「―――」
     
     音楽に合わせていたわたしの足が止まる。すると予期していたように彼の足も止まって、悲痛に歪み続けていた彼の顔が更に歪む。
     気づけば彼の瞳には、うっすらと透明な膜が何層にも折り重なっていった。
     
    「君はよく笑ってたけど、それと同じくらい怒ってた。涙を流すことはしなかったけど、誰も知らないところでよく泣いてた」
    「俺はそれをよくわかっていたのに、ただ背中を押してしまった」
    「……いや、わかっていた、なんて嘘だ。本当にわかっていたら、『逃げなかった』なんて言わなかった」
     
     踊る間に優しく握られていた手が、言葉と共にぎゅっと力を込められる。絞り出すような言葉は、涙までぽろりと一筋絞り出して、止まることがない。

     だがそんな彼からの見知らぬ親愛には、やはりあまりにも覚えがない。覚えがないけれど……誰かの為にこんなにも感情を露わにする彼は、とても優しいのだと、改めて思った。
     
    「後悔、してるの?」
    「してる、かもしれない」
    「かも?」
    「……だって君、笑ってたから」
     
     わたしの問いかけに、初めて視線が外された。思いつきの質問は、彼にとって単にバツが悪いというには、あまりにも彼の心に根付いたらしい。
     お詫びをするように溢れる雫をそっと掬えば、その手をも包まれて、頬を寄せられた。
     
    「思ったより、甘えん坊なんだね」
    「……それは君のせい。君がいつだって、誰にだって、優しいから」
    「八方美人ってこと?」
    「怒るよ」
     
     赤くなってしまった瞳に睨まれて、ごめんなさいと、笑みを交えながら謝る。確かに人が真剣に話しているというのに、今のようなからかいを混ぜるべきではなかった。
     でも同時に、今日会ったばかりの人にこんな素っ頓狂な話をされているのだという事実も、無視してほしくはないものだ。
     
    「わたしが優しいのは、もう諦めてるからだよ」
    「どうしたってヒトが理解しあうことも……そもそも本音を話し合うことすら難しいって、もう知ってるから」
    「だから、表面だけをなぞるの。漣を立てないように、傷つかないように。……転ぶとわかっているのにわざわざ勢いをつけるなんて、誰だって嫌でしょ?」
     
     初めてこんなにも近くに他人の温度を感じるというのに、それを何の抵抗もなく享受する。そうすれば誰にも明かしたことのなかった心が、何故かぽろりと簡単に溢れてしまう。けれどそしたら思った通りというか、やっぱり彼にはもう心のうちを知られていたみたいで、彼は困ったように笑みを浮かべていた。
     
    「でも君は、それを最後までやめなかったんだよ」
    「だってわたしには、その奥まで、視えちゃうから……」
    「それは違う。君は出来るからやろうとしたんじゃない。――やりたかったから、やり通したんだ」
     
     彼は誇らしげに胸を張って、穏やかに微笑む。そして、仕方ない友人を諭すように、わたしの未来を言い当てた。
     
    「――なんだ。じゃあやっぱり、わたしはここにはいられない」
     
     それを聞いてしまった時、自身の相貌にはきっと大きな驚きがあった。
     けれどその一方で、胸に広がったのはとても大きな納得と、目の前にそれを理解してくれた誰かがいたという事実に対する安堵。
     
     ――ならばもう、答えは得てしまった。
     
    「わたしはきっと最後に、旅の意味を見つけられる。あなたがここにいることが、なによりもその証だよ」
     
     ◻︎◻︎◻︎
     
    「こうなるんだろうなって、わかってたんだ。確信してたって言ってもいいぐらい」
     
     暗闇の中、幾重にも降り注いでいる星の光。帳を払うように暗闇を照らし続ける眠らない街の元では、その光は終始意味を為さなかった。
     見えていたものが見えなくなって、見ようと目を凝らしたものは、結局最後まで見えなかった。
     
    「でも、まだ、行かないで」
     
     それは今まで経験したことのない温かさだった。けれど例えるとするなら、冬の寒空の下、あの人の教えのまま初めて火を起こした時のような、そんな感覚。
     そこにあるだけで悴んだ手足を解して、身体全身に熱を広げて……けれど触れて仕舞えば火傷をしてしまう、そんな温かさ。
     
    「―――」
     
     自身でも知らずのうちに、喉が記憶にすらなかった三つの音を奏でる。それは普段と比べればか細く、掠れたようにさえ聞こえる酷く不出来な音色だったが、その音を聞いて背中に回された彼の手は、わたしがこの短い逢瀬で得た宝物だった。
     
    「君に生きていてほしかった。離れたく、なかったんだよ」
     
     ――抱擁は、壊れてしまうぐらい。
     
     しとしとと降る雨は、どこまでも温かくもあり、冷たくもあった。
     指先から身体の芯まで、分けてもらった熱が心の血管を通して広がり切る。火照った肌に降った彼の雫は、胸に爪痕を残す。
     
    「でも……でもね。やっぱりわたしは、あなたがあんなふうに不器用に笑ってくれるところじゃなくて、ちゃんと笑っているところが見たい。前を向いて、時々後ろを見て、それでも前を向いて笑ってる姿が見たい」
    「……アル、トリア」
     
     微笑んで、彼の少し硬い黒髪を撫でて。それから彼の背に回していた手を、名残惜しく解く。あんなにきつかった抱擁は、けれど彼の胸に手を置けば、するりと解かれた。
     
    「ひどい顔だね」
    「君だって」
     
     王子様と呼ぶには些か以上にも威厳が足りない。よく見知ったようで、まだ何も知らない、今だけの、わたしだけの王子様。

     ――そんな大切な男の子が目元を泣き腫らして、わたしの名前を呼んでくれた。
     
    「なら、もう十分だよ」
     
     今日みたいに、何から何まで完璧で素敵な夢じゃないのだろう。辛くて険しくて、胸が張り裂けそうになって、あの星に手が届くことなんて、夢の中でさえ、ありえないのだろう。
     
     ――けれど、今この身を飾る春の日差しのような温かい記憶は、もう一度必ずこの胸に宿る。
     
    「さようなら、わたしによく似た男の子。短い夢だったけど、あなたと大通りを歩けて、本当に楽しかった」
     
     ◻︎◻︎◻︎
     
     愛しい少女の満足気な表情を間近で見つめながら、その二度目の消失を受け入れた。だがそれでも裂くような胸の痛みは瞳を開いた後も続いていて、身体を起こしながらも濡れた眼を擦って気づく。
     ――地面に落ちそうになるネックレスを掴んだはずの手は、結局何も掴んではいなかった。

    「おはよう、王子様。よく眠れたかい?」
    「………よく眠れたも何も、最悪の目覚めだよ」
     
     そこにあからさまに白々しい声にかかる。その声の主人に対してやっぱりかと気持ちと、忌々しいと言う思いを込めて返答しながら、周囲を見渡す。
     消灯されてはいるが部屋は間違いなく基地にある自室だった。そしてあの夢に囚われた時に想像した犯人と寸分違わない人影があること以外、何一つ異変はない。……どうやら今回のこれは、彼のただの気まぐれらしい。
     
    「最悪?その割には随分と熱い夜を過ごしたようじゃないか」
    「……好きな子にこっぴどく振られた夜を、最高なんて言える訳ないだろ」
    「頬に紅葉は咲いていないようだけど……振られてしまったのかい?それは可哀想に」
     
     ………これはアレか。やっぱり喧嘩を、売られている?
     
    「買うけど?」
    「おっと、怖い怖い。……そういえば君、いつかのときも状況を考えもせず殴ろうとしてきたっけ。なるほど、野蛮さなら君も彼女も大概変わらないということか」
     
     言葉の応酬に苛立ちが混じるが、付き合ったところでこちらのため息が増えるだけだ。あいつの意地の悪さには付き合うだけ損なのだ。
     すると人影はその様子を感じ取ったのか、くつくつと笑いながら身を引いた。
     
    「けど実際、君はあそこで彼女が頷いていたらどうするつもりだったんだい?」
    「……」
     
     問いかけには無言で返す。揶揄われた意趣返しもあるが、もとより答えの定まり切った質問だ。それを理解して、目の前のお人好しな王子は語りかけている。
     それなら、少しは意趣返しをしてやろう。

    「――ありがとう」
    「……は?」
    「漸く整理をつけられた。……次に彼女に会う時、俺はやっと彼女が好きだって言ってくれた笑顔で、彼女を迎えられると思う」
     
     暗闇の中のにやけ面に、頭を下げる。部屋の隅で静かに佇んでいる友人に、ただ感謝を伝える。
     すると彼は『馬鹿だな、きみたちは』と短く囁いて、その気配を消した。恐らく、霊体化してこの部屋から出ていったのだろう。
     
     そして閑散な部屋に一人、自身の呼吸の音が響く。時計を見れば、まだ早朝にも満たない。精神を休める為にも身体を再度横たえさせて目を瞑るが、――そうなれば、否が応でも脳裏には夢の記憶が鮮明なまでに再生されて。
     
    「っ……」
     
     夢の中の少女は、またしても最後まで笑っていた。
     彼女は嘘吐きだ。だけど、これ以上にない程に満足気なあの笑顔に嘘はなく、心の底から胸を張っていた。
     
     ――だから、嘘つきなのは俺の方。
     
     結局、どんな結末でも笑っていてほしいと願う自分の想いが嘘偽りだなんてこと、俺が一番よく知っている。
     
     ――俺は彼女に、泣いてほしかったのだ。
     
     別れを惜しんで、共に今を笑って、交わした手の温もりを、永遠に手放さないでほしかったのだ。
     
    「……でも、もう大丈夫」
     
     あのお人好しな友人が見せてくれた夢は、自分だけに都合のいい夢だ。彼女の本当の意思なんて、あの夢にはどこにも介在していない。
     けれど――
     
    「俺の道行は、今も彼女に照らされているし……交わした時間は、なくなったことになんて、ならないから」
     
     夢の中では確かにあった重さ。それをなくした手首に触れながら、彼女の笑顔を思い出して、そう呟いた。
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