青に焦がれた少女の話「っ、あなたは……」
「あ、こんにちは」
今日は彼が早めに帰還出来るだろうという報せを受けて、我ながら他人から見ても浮かれた足取りで彼の自室へと向かっていたそんな時。
「わたしはトネリコと言います。どうか名前を教えて頂けますか?見知らぬあなた」
――美しい青い瞳を持った、わたしによく似たある一人の女の子と出会った。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「な、なんで言ってくれなかったの!?」
「え、だって誰が召喚されたのか教えようとしたのに、ゲームに夢中で聞く耳持ってくれなかったから……」
「―――」
その後、彼と似たような青色の瞳を持った彼女との初対面で、ろくに視線を返すことも出来ずになかなか無様な姿を晒したわたしは、その責任を前持って教えてくれなかった彼に問うたが……どうやらそれは完全に自業自得だったらしい。
ただ苦い笑みを浮かべてる癖に、心の中ではそれなりに大笑いしてる彼の姿を見て、久しぶりに心底彼を憎らしいと思った。
「で、どうだった?初めて会ってみて」
「……別に。ただ挨拶しただけだもん」
そう。わたしたちはただ廊下の角で出会して、ただ挨拶をしただけ。
特段何かを会話することもなく自己紹介をして、わたしは約束があるからと逃げ出してきただけだ。
――ただ少し、
「意外、だったけど」
わたしと同じかそれ以上に綺麗に光を反射する金色の髪も、鈴を転がしたかのような銀鈴の声音も、彼のように穏やかな青色の瞳も――その何もかもが自分の知っている冬のような女王のものとかけ離れていた。
――でも、ただそれだけだ。
「じゃあ、どうしてそんな悲しそうな顔をするの?」
「……リツカだって、人のこと言えないじゃん」
「……君には敵わないね」
そこで一旦会話が途切れて、ちくたくと時計の音が響く。その音がいやに耳に響いてきて、続きの言葉を探すが、どうしても出てこない。
きっと今日出会った彼女は、見知らぬ自分たちにこんな感情を抱かれるのは戸惑うだろうし、彼女が辿り着く先であろうここにはいない彼女は、きっとわたしたちがこんな感情を抱いていることを知れば、その氷の瞳に燃えるような怒りを込めるのだろう。
「だから、この話はここでおしまい」
「……うん、そうだね」
自身の口で言えたものではないが、勝手に過去を暴かれて同情される苦しみは、余人には窺い知れないものの筈だ。
――であればこそ、わたしが見るべきものは過去ではなく、彼女が為した偉業であるべきで。
彼女に比べればちっぽけな存在でしかないわたしが、勝手に彼と似たような穏やかな瞳を持つ彼女の人生をどうこう思うなんて、失礼なことでしかないのだ。
「やっぱりここにいる人たちってすごい人しかいないんだなぁって、いつも思うんだ」
「……ふーん」
「君のこともそう思ってるよ?」
「…………ふ―――ん」
――わたしから見れば、あなただって十分すごいよ。
そう言いたかった言葉はちょっとだけ宿敵を褒められた言葉で喉に飲み込まれていく。だが、その後に続く言葉でしっかりとケアしてくる感じが、なんというか、ずるい。
「リツカって女の子を誑かして喜ぶタイプってオベロンが言ってたけど、本当だったんだね」
「―――、はい?」
だから代わりにあの人の言葉を偽装してちょっとだけ意地悪をしてみると、彼は豆鉄砲を喰らったように固まってしまって。
「じゃあ、また明日ね。おやすみ、リツカ」
「あ、ちょ」
その言葉を追求するために彼の手をひらりとかわしていく様は、なんとも小気味が良かった。
でもその手の感触を知っているだけに、一人寒い廊下を歩くのはなんだか――
「もうちょっと、一緒にいればよかった……」
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
そんなことを思って彼の部屋から出た数日後。
またわたしたちは、数日前と同じように彼の部屋に集まっていた。
――一人、珍しいお客様を添えて。
「………」
「でさ、―――」
「なるほど。それではここは―――」
彼女が持参したというお菓子と、素人のわたしでもとても良い匂いがする紅茶を間に置いて、くすくすと笑い合う二人。
その姿を見て、わたしは――おかしい、と。そう思わずにはいられなかった。
「リツカ……」
「ん、どうしたの?アルトリア」
「……ううん。なんでもない」
彼の名前を呼んで、わたしの名前を呼び返してくれる温度は、数日前となんら変わりはない。寧ろちょっとだけ、離れていた分も相まってか前より温かく感じる。
「リツカさん」
「あ、ごめん、トネリコ。それで?」
「はい、それで――」
けれど、彼女が彼を呼ぶ温度も数日前とは違っていて――少しわたしが彼を呼ぶ温度に近くなった、そんな気がする。
(……はやすぎ、でしょ)
ちょっとクエストに行くための編成がわたしとは噛み合わなかったり、こっちに帰ってきてからちょっと彼と時間が合わなかったりして、彼が最近どんな様子で過ごしていたのか知らなかったけれど。
「あ、ごめん。それ貰える?」
「お砂糖ですね。はい、どうぞ。それにしても、リツカとは本当に話が合いますね」
「ん、ありがとう。……そうだね。なんというか、こんなに歳の近い読書友達ができるとは思ってなかったからかな」
熟年の連れ添った夫婦ならぬ友達の様子に、思わず目を点にする他ない。
――どうして彼と彼女がこんなにも意気投合してるの?
――ていうか読書友達って何?リツカにそんな趣味あったのなんて、わたし知らなかったんだけど!
まぁ確かに彼の自室に本は沢山あったし、それがここにいるみんなを知る為のものだったって知ってるけれど……それにしたって、あまりにも打ち解けるまでが早い。
「アルトリア?」
「っ……な、なに?」
「いや、さっきからあんまり――」
こんな時、彼の視野の広さと観察眼の鋭さは流石ともいうべきだろうし、気にかけてくれるのは嬉しい。嬉しい、けど……今はあんまり……嬉しくない。
「っ……だ、大丈夫。わたしは平気」
「でも、」
「でも、ちょっと用事思い出したから……一旦帰るね」
そんな感情をこの憩いの空間で胸に隠すのがなんだかとてもいやで、似たような色で違う感情を宿してくる四つの瞳が問いかけてくる視線から逃げるように、情けない言い訳でそこから足早に去ろうとする。
「アルトリア」
部屋の出口へ向かおうとするわたしの背中に伸ばそうとしてくれる手が見えたけど、わたしはそれにただ苦い笑みを浮かべるしか出来なくて。
――この日の廊下は、なんだか以前よりもとても寒い気がした。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「……りつか、楽しそうだったな」
自室に戻って冷たい布団に潜り込むと、瞳を閉じてそんなことを呟く。
すると脳裏には、くすくすと似た色の瞳を突き合わせて楽しげに笑い合う二人がいて。
――おまけに、わたしの瞳から見える二人の感情も、似たような色をしていて。
「本当に女の子を誑かす趣味なんてあったんだ……」
わかっている。彼にそんな趣味なんてない。
わたしが発したたった数日前の言葉は、わたしの師匠が時折吐く益体もない嘘と同じに的外れもいいとこだ。
けれど、瞼を閉じてそれを思い返す度に――
「わたしとだけの時間、だったのになぁ……」
毎夜、と言うわけではないが、彼が基地に帰還した日の夜の多くは、わたしが深夜まで彼の部屋に転がり込むか、彼がわたしの部屋に遊びに来てくれる機会が多くて。
……まぁ、客人が偶に来てしまうことはあったが、この際今は放っておく。
「……もう寝よう。考えても無駄だもんね」
瞼の裏に浮かぶ記憶――そこに自分ではなく、自分によく似た誰かがいることにじくじくと痛む胸に知らないふりをしながら、毎夜夢見ていた嵐の中のあの星を見にいこうとした。
――そんな時だった。
「アルトリア、いる?」
こんこんと部屋をノックする音と共に、よく知った誰かの声がして、とくっと鼓動が早まった。
そして、そのままほいほいと声のなる方へ出向いてしまいそうになって、ふと身体を半分乗り出した布団の裾をきゅっと握った。
「………」
あんなわかりやすい嘘をついておいて、どんな顔をして会えば良いのかわからない。でも、折角会いにきてくれた彼を無視なんてしたくない。
そんなちっぽけな自身のプライドと、彼の翌日の寂しそうな顔を比較して――
「ど、どうかした?」
――扉の隙間からひょっこりと顔を出してしまう姿をきっと彼は笑わないと、そう思ったのだ。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
そうして二人、今はわたしの部屋の中でベットで並んで座っている。
別に外でもよかったけど、彼が中に入れて欲しいと言ってくれたから、電気もついていなかった自室に通してしまった。
「……」
「……」
ベッドに座ったのは、単純にいつもみたいに向かい合って座るのがちょっと嫌だったから。でもそれも今考えると失敗だったかも知れないと思う。
向かい合わせにすれば、こうしてお互い視線を彷徨わせずに、ちくたくと時計の音をいやに響かせずに済んだかもしれないから。
「……ねぇ、リツカ。トネリコは、どうしたの?」
でも、彼がこうして訪れてくれたんだから、わたしだって少しは誠意を見せたくて乾いた口を開くが――不思議と、聞くつもりのなかった質問をしてしまった。
「君が居なくなった後、すぐに君を追ってきちゃったから……わからないや」
すると絞り出すように彼から帰ってきた言葉は、彼にしてはなんだかとても不誠実な言葉で――だけど、それがなんだか、わたしにはとても嬉しくて。
「い、いいの?そんなことして。折角できた読書友達、なんでしょ?」
「……よくないのはわかってる。けど、君の顔見たら、後悔はしなくなったよ」
「わたしの顔?」
彼の言葉の意味が理解できず思わず首を傾げると、彼はうんと頷いて――その青い瞳と目があった。
「今にも泣きそう君を、一人にしなくてよかったなって」
その言葉と同時に彼の瞳がふわりと細められると、優しく手を握って微笑みかけられて。
「……やっぱり誑し、だよ。リツカは」
いつもわたしに安心をくれたその笑顔は、今この瞬間だけは安心させるどころか痛いくらいに胸をざわつかせてくる。
それに堪らず瞳の奥が熱くなってきてしまうのを見られたくなくて、ようやっと合わせた視線を逸らしてしまった。
「……それ、さ」
「?きゃっ、」
けれどそうして逸らした視界が、握られた手をくいっと引かれてまた逸らされる。
そうして目の前に広がった視界は、けれども真っ暗で――その代わりに、身体全体が温かな感触に包まれた。
「一人で泣かないでって言ってるんだよ?」
「っ……、りつ、か……」
ぎゅっと抱きしめられる感覚に、優しく頭を撫でてもらう感触。
そして、ここにきてまたしても逃げようとするわたしを、今度こそ掴んで離さない優しい言葉。
――その全てに、もう涙を堪えることなんて出来なくて。
「あと、俺は誑しじゃなくて……」
「――うん。ごめんね、リツカ」
わかっている、そんなこと。
彼は誰にでも優しくて、なのに誰に対しても誠実であろうとする。
それはきっと彼女にも同じで、だからこそあの時間を使って彼女のことをよく知ろうとしていたんだと――ついでに、わたしにも彼女のことを知って仲良くなって欲しかったんだと、この瞳で見れば、なんとなくわかっていた。
「やっぱり優しいね、リツカは」
「……でもそれで君を傷つけるのは嫌だよ」
胸の中でぽつりと呟いた言葉に、彼は苦々しげに呟いた。
彼はわたしの彼女に対する感情の方向について共に考えようとすることを、ただの自分のわがままだと思っているのだろう。……だから今の彼の胸の中を占める申し訳なさは、それが理由で。
――でも確かに、それであなたの隣に居られる時間が減るのは、とても寂しい。
「わたしは……あなたの思うほど、器用になれなかったみたい」
「……うん。本当にごめん」
ぽろぽろと溢れる涙を押し付けているのだ。
この際、彼の胸に何を押し付けたって変わらないだろう。
そう思って、ぐりぐりと彼の胸に額を預けると、彼は尚更優しくぎゅっと抱きしめてくれて。
「……なんで彼女を召喚しちゃったの」
「本当に偶々だよ」
「……読書が好きだなんて知らなかった」
「言ってなかったっけ?今度一緒に読もうか」
「……あの時間は……わたしたちだけの時間がよかった」
「……そうだね。これからは……これからも、そうするよ」
ぽつぽつと溢れる言葉を彼の胸に向かって伝えると、とくとくとなる心音と共に頭を撫でる手つきはどんどん優しくなっていって――
「ねぇ、顔を見せて」
「やだ。絶対みっともないもん……」
「――お願い、アルトリア」
――ずるい。
ぽろぽろと瞳の奥から溢れていってしまうわたしの表情は、絶対目尻が赤くなってみっともないのに。
そもそも彼女に対してこんなたくさんの醜い感情を抱いていることすら、彼には知られたくなかったのに。
――ここまで心を満たしてもらった上で、そんなお願いをされたら……断れるわけ、ない、じゃん。
「やっぱり君のその色の方が、俺は好きだな。……ね、アルトリア」
こちらに来て初めて見た、汎人類史の青い空。
その美しさに息を呑んだ回数は数知れないし、その色に似た彼女の瞳に嫉妬しなかったなんて、口が裂けても言えない。
おまけに……その色に似ても似つかない自分の色は、もっと苦手になりそうだった。
「わたしも……あなたの色が好きだよ、リツカ」
けれど、彼の瞳に映る自分の色なら――彼がその瞳でわたしの瞳を認めてくれるなら、ほんの少し自分を好きになれると、そう思って。
――わたしは、彼のその美しい青色を覗き込んだのだ。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
そうしてまた、数日の時間が過ぎた頃。
「――モル、ガン」
「……予言の子か」
彼の部屋へ向かう途中、わたしによく似た女の子と出会った全く同じ曲がり角で、艶やかな黒衣に身を包んだ白銀の女王と邂逅した。
「いつからとでも言いだけな顔だな」
「……」
「……安心しろ、ついこの間だ。霊基の異常で、仕方なくあの姿を取っていた」
思わぬ邂逅で固まってしまった思考を辿るように、冷ややかな銀鈴の声音が耳に響く。
それは彼方の記憶にあるものと全く同じもので……わたしには最後まで持ち得なかった、威厳溢れる声音だった。
「その、本は」
「……異邦の魔術師――マスターに、返すものだ」
そんな彼女が、彼の部屋で見覚えのある一冊の本を片手に抱えていたので思わず乾いた口で聞いてみる。すると、わたしが思った通りの言葉が、彼を表す別の思いがけない単語と返ってきて、思わず呆然とした。
「だが、お前が向かうのならば今回は譲ってやる。……翌日の朝にでも返せばよい話だからな」
そしてまたしても思いがけない言葉とその裏の意味が連続したかと思うと、その艶やかな銀色の髪と黒衣を翻して、女王は踵を返そうした。
「ま、待って、モルガン!」
「……なんだ」
その多くの情報量を一方的に叩きつけて、段々と遠くなっていく後ろ姿に漸く処理が完了したころ、わたしはその後ろ姿に向かって声をかける。
すると彼女はその冷ややかな視線を……いや、仕方なく出来の悪い――を見るような目を向けてくれて。
――だからもう、怖気付くことはしなかった。
「あの國を作ってくれてありがとう、モルガン陛下」
「――」
「――わたしにたくさんの出会いを与えてくれて、本当にありがとうございました」
短い言葉にたくさんの想いを込めて、頭を下げる。そうして彼の國で倒すべき敵だった相手に、心の底から尊敬と感謝を述べて――その美しい青色の瞳を見つめ返した。
「……そうか。よい出逢いがあったのだな」
すると彼女はその瞳を細めた後――微かに唇の端を柔らかく釣り上げて、また一歩ずつ前に歩き出していったのだった。