渋谷怪事件簿─上─あらすじ
ルシファーの命で2016年の渋谷に来た人修羅。
スクランブル交差点で目的の悪魔を見つけるが…
2016年、東京都渋谷。
スクランブル交差点を渡る人の中に、外国人観光客がちらほらと交ざり始めた時代。
「ほとんど変わってないなぁ…」
ビルの2階にあるカフェの窓席で、その光景を眺めながら人修羅は呟いた。
───
それはある日、突然の事だった。
「君に東京へ行って貰う」
ライドウと鳴海さんがそれぞれの用事で出掛けて、一人で事務所の留守を預かっていた時、タイミングを見計らったかのようにルシファーがやって来てそう言った。
「ここ、東京ですけど…?」
この悪魔の突拍子の無さはいつもの事なのでそこは無視するが、とんちの様な内容に流石にツッコミを入れる。
「大正時代のね。それに、ここの人達にとっては『帝都』が正式名称さ」
しかし、それに涼しい顔で返されてしまった。
ノックも無しに事務所へやって来たルシファーは魔界での姿よりやや若く、後ろに流した短い金髪にハンチング帽を被って、グレーのスーツを着ている。
この世界での変装スタイルらしいが、それでもムカつくくらい整った顔のせいで浮いている様に見えた。
「…で? 『何処の』東京に『何しに』行けばいいんです?」
これ以上揚げ足を取られても鬱陶しいので、さっさと本題に入る。
「話が早くて助かるよ」
流石、私の人修羅。と綺麗な笑顔で褒められ全身に鳥肌が立ったが、今はとにかく我慢する。
こちらが聞く姿勢を取ったのを認めると、ルシファーは普段通りの調子で語り出す。
「実は、サタナエルがとあるサマナーに追われていてね。君にはそのサマナーより先に、彼を保護してあげて欲しいんだ」
その意外な内容に拍子抜けした。
いつもなら『強力な悪魔を従えた人間が現れたから、揶揄って来い』と言っては、無理矢理その人間が居る世界へ飛ばされ戦わされるというのに。
一体どういう腹積もりだとルシファーを睨みつけるが、相手には全く効果が無い。
「私は私の部下に優しいんだ。助けを求められれば応えるとも」
その言葉に嘘偽りが無い事は確かなため、余計に裏があるように感じる。
だが断った所で強行されるのは目に見えていたので、ささやかな反抗の代わりにため息を吐いた。
「一応聞くんですけど、サマナー個人に追われるって何したんです?」
サマナーにとって悪魔とは、行く手を阻む障害であり、人間の力となる強力な仲魔である。
伝承上、悪魔同士で因縁があったりするのだが、現在を生きる人間には関係ない筈だ。
「大した事じゃないよ。そのサマナーの仲間の人間に取り憑いて、道連れにしただけさ」
いや、恨みを買うには十分すぎるって。
予想以上の内容に、口には出さず心の中でツッコミを入れる。
人間目線で見れば非道な行いでも、悪魔にとっては賞賛ものだからだ。
それをあっさりと理解出来てしまう自分が、どこか虚しい。
「そう言う訳だから、後は頼んだよ」
要件を伝え終わると、ルシファーは音もなく去っていった。
───
「はぁ…」
ルシファーとのやり取りを思い出し、人修羅は小さくため息を吐く。
悪魔探しは、ライドウの手伝いで慣れていたつもりだった。
しかし、いざ探し始めると情報が極端に少ない上に、街を行き交う人々の多さに歩くだけで苦労したのだ。
(まぁ、理由は他にもあるんだけど…)
チラリと隣を伺うと、ライドウが古本屋で購入した文庫本を黙読している。
その姿はいつもの学生服では無く、白色のハイネックに薄紫のカーディガン、黒のデニムパンツという、近くの海外アパレルショップで揃えた服を身に纏っている。
それが整った顔立ちと背の高さも相まって、まるでファッション雑誌のモデルが飛び出して来たかのように格好良かった。
元々、今回の件は人修羅1人でやるつもりだった。
しかし盗み聞きしていたアリスがライドウに話した事でバレてしまい、1人では危ないからと半ば強引に同行してきたのだ。
戦いに行く訳では無いので別にいいかと高を括っていたが、渋谷に着く直前、ライドウの姿を思い出して人修羅は天を仰いだ。
学帽付きの学ラン姿なら、まだ多少浮く程度で済む。だが羽織った外套の下には、銃刀法違反待ったなしの装備があったからだ。
慌てて渋谷駅の人気の少ないコインロッカーへそれらを隠し、それならいっそ服も買ってしまおうと手近な店へ駆け込む。
そうして現在の『現代の服を着こなすライドウ』が出来上がったのだった。
(ここまで似合うとは思ってなかったけど…)
なるべく値段の安い服を適当に選んでしまったのだが、今の時代はそう言った物でもかなりオシャレである。
人修羅は自分の服のセンスにあまり自信が無かったが、かつて身近に服装に人一倍気を使っていた友人がいた事に感謝した。
(でもまさか、あんな事になるなんて…)
未だ熱心に本を読むライドウの横顔を見つめながら、人修羅はその後の出来事を思い出す。
着替えも終わり、一息ついたのも束の間。
いよいよ捜索を開始しようと店を出た瞬間、それを妨害するかのように新たなハプニングが発生した。
人修羅たちが利用したアパレルショップのビルは坂に面して建っている為か、入り口が通りから階段を上がる構造になっている。
なので通りからは入り口に立つ人がよく見えるし、逆に入り口からは通りに居る人を見渡せるようになっていた。
そしてその入り口の階段下、センター街の通りには人集りが出来ていたのだ。
最初は観光客の集団かと思ったソレは、しかし携帯端末片手にコチラを見てザワついている。
その視線の先には、着替えたばかりのライドウが居た。
恐らく店内に居た誰かが、ライドウの事を写真付きでSNSに載せたのだろう。
人修羅が人間だった頃より発展した携帯端末とインターネットは、この時代、誰もが所持しているコミュニケーションツールとなっている。
その情報速度の速さが今の状態を作っているのだと理解し、人修羅は再び天を仰いだ。
人気アイドルや芸能人よろしく取り囲まれて揉みくちゃにされるのを覚悟し、ライドウの手を引いて階段を降りる。
ところが、近づいた所で群衆が2人を取り囲む事はせず、むしろモーゼの海割りが如く道が開けたのだ。
その事に半ば困惑しつつも、何もして来ないのならばと足早にその場から立ち去る。
人集りがついて来ない事に安心したものの、行き交う人達の視線は軒並みライドウへ向けられていた。
帝都でもあまり立ち寄らない地へ行くと、その顔立ちの良さからすれ違う人達を虜にしていたが、ここでもそれは遺憾無く発揮されている。
本人は全くもって気にしていないが、それが却って一緒に居る人修羅へ注目を集めてしまっている事にライドウは恐らく気付いていない。
人修羅もただ遠巻きに見られているだけならば気にならないのだが、好奇心で近付かれると何かの弾みで力が出てしまった時に、相手を傷つけてしまう事への恐怖があった。
脆弱な人間を気遣う必要が何処にある─?
そして同時に、そう考えてしまう自分への嫌悪も。
それに嫌気がさした人修羅はライドウの手を握りつつも、逃げるように目の前の古本屋へと入ったのだった。
「大丈夫か?」
流石に人修羅の様子がおかしいと感じたのか、ライドウが読みかけの本を閉じて見つめ返して来た。
普段であれば帽子のつばに隠れて見えない眉が、僅かに寄せられているのがハッキリと見え、こちらを本気で心配しているのが分かる。
「ん、ヘーキ」
その事実に幸福と僅かな優越感を覚えつつ、返事をする。
だがライドウは、その返答内容が「我慢出来るからまだ平気」の意である事を見抜いていたので、更に険しい表情になった。
「…ゴメン。本当はちょっと疲れてる」
隠し通した所で無意味なのは経験上痛いほど分かっていたので、正直に本心を話す。
ボルテクス界の時から人修羅を『悪魔』ではなく『人』として扱ってくれるライドウの優しさに、人修羅は何度も助けられてきた。
今回も街並みとそこを行き交う人々の姿に、自身が人間ではなく悪魔である現実を突きつけられ憔悴する事を予測して着いてきてくれたのだろう。
「ありがとう、【ライドウ】」
ぽつりと呟いた感謝の言葉には主語が抜けていたが、それでもライドウには十分伝わっていた。
───続く───