素直な君が一番…? 雑誌の撮影終わりに他のメンバーよりも先に楽屋へと戻るといいニュースです、とウキウキとした様子の宇都木さんが待っていた。近くにあった椅子にひとまず腰を掛けると、早々に資料を手渡される。
「狗丸さんと御堂さんにドラマの仕事が来ているんです。しかもW主演で」
「俺とトラで……!? マジっすか! めちゃくちゃ嬉しい!」
「先方のご希望でお二人にお願いしたいとのことで。ただ内容が……」
「内容が?」
「BLドラマなんです。ボーイズラブ、ですね」
「ボーイズラブ……?」
俺とトラに舞い込んできた仕事は所謂BLドラマというやつらしい。名前だけは聞いたことがあったが詳細は知らない俺のために宇都木さんが先方から預かったという原作の漫画を手渡してくれる。ペラペラと数ページ読み進めてから思わず手が止まる。
「なっ……これって男同士の恋愛漫画? ていうか内容結構その……直接的じゃないすか。俺たちも実際こういう事したりって」
「いえ、放送は深夜帯ですが資料的にはここまで過激にはならないと思いますよ。キスシーンや匂わせるシーンはあるかもしれませんが」
手渡された漫画は表紙からすれば可愛らしい少女漫画のように見えるが登場人物はほぼ男で、思ったよりもガッツリとラブシーンがあった。自分の知らない世界との遭遇に脳の処理がなかなか追いつかない。
「なんだ面白い顔して」
聞き慣れた声に顔を上げるとトラがいつの間にかスタジオから戻ってきていて俺の隣に座る。ちょうどよかったと宇都木さんが同じように説明すると、トラは一瞬目を大きく開いたがその後すぐにへぇ、とだけ呟いた。
「原作者の希望ってことだが、どうしてまた俺たちに?」
「お二人が作品内のイメージにぴったりらしいんです。見た目というか雰囲気というか」
その回答に少しだけホッとする。漫画を開いてまじまじとキャラクターを見つめるが確かに片方のキャラは吊り目なしっかりしていそうな雰囲気の男で、もう片方は体格も良くて甘い顔立ちの男。歳の差は逆転しているが確かに印象が近いのはわからなくはない……のか?
「それで、トウマはどうしたいんだ?」
トラが少し身体の向きを変えて俺の顔を覗き込んでくる。全てを見透かしていそうなその瞳に、ぎくり、という心の中の擬音が聞こえてしまったのではないかと思ってしまう。まあ自分でも心配をかけてしまう程に固い表情をしているんだろうという自覚はあるけど。
「……少し、時間をもらってもいいですか」
「もちろんです。返事はまだ急いでいないとの事でしたのでゆっくり考えてみてください」
その場で答えを出すには難しく、一度持ち帰ったものの先方からの希望や自分自身のステップアップ、せっかくのメンバーとの共演機会を天秤にかけたらやはり断るにはもったいない気がして数日間悩んだ末に主演を受けることにした。後からトラも俺が受けるならと二つ返事で了承したらしい。
それからはあれよあれよと言う間に話がまとまり、あっという間に撮影が間近に迫ってきた。再度台本と原作を一から読み込むことにして、ベッドサイドに腰を掛けながら上巻を手に取る。
今放送中の同じ放送枠もBL作品の実写化らしく、一度視聴して見たが他のアイドルグループのメンバーが主演を務めている甘酸っぱい、それこそ少女漫画のような爽やかな話だった。今度俺たちがやるのはそこからも少し踏み込んだシーンがあるものだ。
『押しかけ子獅子にご用心』通称・押し獅子は幼い頃近所に住んでいた仲の良かった2人が社会人になってから偶然職場で再会し、教育係と新人としてペアを組むことになるのだがひょんなことから同居生活をすることになり、猛アタックが始まるというもの。基本はラブコメディで今でも弟のように思っていた男からアプローチを受けることでどんどん意識するようになっていく……というストーリーだ。実際はトラが演じる獅子戸がずっと俺演じる狼谷を探して出して追いかけてきていた、という背景があるらしい。
一通り台本を読んだ感じだと、俺の演じる役は普段の自分からもあまりかけ離れていなくてやりやすそうだった。でもトラの役は俺に基本的に敬語だし、子供の頃は狼谷を兄みたいに慕っていたことから少し甘えん坊気質だ。狼谷に対して異様に執着心があるような怖いところもあるけどそれはわずかに覗くぐらいで基本的には大きな犬のような人懐っこさがある、素直でまっすぐな役で部分的に似ているところもあれば、想像できないところもある、という感じだろうか。
しかし何よりも心配なことが一つ。
「俺、ドラマ内とはいえトラにこんなに迫られて顔に出さずにいられんのか……?」
狗丸トウマと御堂虎於が世間に隠れて付き合っている、ということだ。今まで慎重すぎるほど周りに隠してきたつもりだったが(トラは別に隠す必要ないだろ、と不満を言っていたけど)もしかして全てバレたうえでキャスティングされたのかと思い、楽屋で肝を冷やした。まぁ結局ただの流行りだからということだったのだが。心配するぐらいなら断ればいいのに、と思うかもしれないけど自分たちのプライベートを仕事に持ち込むようなことは基本的にしたくない。せっかく俺たちにと話があった以上、完璧にやりきってみたいと思ってしまったのだ。二人でドラマに出るチャンスもなかなかあるわけではないし、貴重な機会は無駄にしたくなかった。
しかし漫画をめくりながら作中のセリフを脳内でトラに言わせてみるとなかなか破壊力がすごいな。それになんか似合う。原作者の人、わざわざトラを推薦してくるなんてよく見てんだなあと感心してしまった。
実際トラはどんな表情で、声色で、どんな仕草でこの言葉を紡ぐんだろう。優しく柔らかに言うのか、それともこちらの心を揺さぶるように真剣なトーンで? 俺ではなく役の相手に言うのが少し妬けてしまう。
「先輩の全部、俺だけに見せてほしい。……ダメ?」
「もう可愛い弟なんかじゃないよ。ちゃんと俺のこと見て」
「もしまた先輩が俺を置いてどこかに行っちゃっても絶対見つけるよ。それぐらい好き。もう二度と離す気ないから」
……まじか。めちゃくちゃかっこいいし可愛いんじゃないか、これ。まだ実際に演技する姿を見ていないのに想像だけで顔が熱くなってしまうなんてもう末期だ。急に恥ずかしくなってそのまま枕に顔を押し付ける。それこそなんか漫画みたいなことをしちまってるな、と思う。一気に心配になってきた。これから先が思いやられるんだけど!
いくら最近よくあるテーマのものだとはいえ現場でボロが出ないか、素を出してしまうのではないかと心配は尽きない。実際に付き合っている相手との恋人役などもちろん今まで経験無いしな。
──とにかく、やりきるしかない。自分の頬をぱしん、と思い切り叩く。収録が始まる前までにはこの雑念を払って完璧に仕上げると決め、俺は再度台本に視線を戻した。
◆
ドラマ放映後の反響は俺たちの想像以上だった。原作が人気作品だったことで初回からまずまずの滑り出しだったが、SNSを中心にじわじわと反響が広がり、最終話の放送時にはトレンドにドラマのハッシュタグが入るほどだ。開始直後はイメージと違うなんて耳の痛い言葉も聞こえてきていただけに本当にありがたい結果を迎えることができた。心なしかドラマ終わりのライブで俺とトラが歌っている時やファンサをしている時の歓声が増えたような気もしてたんだよな。
放送終了後にも関わらず雑誌やテレビで特集を組んでもらえる機会も続々と増えてきていて、今日もその撮影帰り。明日の現場がトラの家から近いこともあり、二人で晩酌をしながらテレビを眺めていると、ちょうどこの前受けたインタビューが放送されていた。
『同じグループのメンバーということでお二人の息はぴったりで素敵でしたね。今回演じる上で気を付けたことや意識したことはありますか?』
『俺の演じる狼谷良多は大らかで兄気質だったのでトラより年上なんだっていうのを意識しました。普段はトラの方が年上で俺の方が年下なんでそこは新鮮で。俺の方がしっかりしてるように見せなきゃと思って頑張りました』
『狗丸さんは普段でも結構しっかりしてるように見えますけどね』
『それは嬉しいですけど、トラって自由に見えて頼もしいところがあるんで。いつもすげー頼りにしてるんですよ。やっぱ年上のいい男だな~って瞬間もあるし』
隣からふふ、と笑い声が聞こえて、テレビからトラに視線を移した。
「どうした? なんかご機嫌だな」
「まあな。この日のインタビューお前がなかなか熱烈に褒めてくれたもんだから嬉しくて」
「そんなに喜ぶもんか?」
「は? なんで疑問形なんだ。トウマが言ったんだろう」
上機嫌な顔から一転、むす、とした効果音が似合うほどの不機嫌な顔になる。
「怒んなよ、この時言ったこと全部本心だしさ。それに俺がこの話した時トラなんか嬉しそうだったから覚えてるよ」
「……それならいい」
「でも思い返すと撮影中内心ヒヤヒヤしたんだぜ? トラ、結構演技中も仕掛けてきただろ」
「俺はいつだってお前に本気だからな」
「またすぐそういうこと言う」
本当に調子がいい奴。しかし恥ずかしげもなくこういうことを口にするのがトラらしい。この部屋には俺とトラしかいないっていうのにこのまま撮影が始まったって構わないぐらいのキメ顔で言えてしまうのだからすごい。実際、演技中何度トラの熱っぽい視線に何度ペースを乱されてしまったかわからない。その翻弄され具合が原作の二人の印象にぴったりだと現場では好評だったので結果オーライというところか。多分本気で照れてるカットも中にはあるんじゃないかな。……視聴者に気付かれていないことを願いたい。
「キスシーンも一発OKでよかったな。俺としては何度リテイクしても良かったんだが」
「バカ。んな何回もやってたら流石に変だって思われるだろうが」
「まぁそれは冗談だが、演技中のトウマはすごく魅力的だった。正直こんな可愛い顔、他人に見せる気はなかったんだけどな」
「それはトラの方だって。ずるいだろ、あんな真剣でカッコいい顔されたらみんな好きになっちまうだろ」
ふと言い切ってからめちゃくちゃ恥ずかしいやり取りをしているのでは、と気付く。流石にバカップルすぎる。なんとも言えない甘ったるい空気が流れているのをひしひしと感じるがトラは満足気だ。
「まぁ誰にも見せたくないと思っていたが、それだけじゃ良い作品が作れるわけがないのはわかっていたしな。結果として上手くいって良かった」
「わかる! でもまさかこんなに反響があるとは思わなかったな」
ドラマをきっかけにグループを知ったと伝えてくれる新しいファンもいたり、SNSの盛り上がりを見ていると単純に新しい俺たちを褒められているようで嬉しかった。結局二人とも、恋人である以前に仕事馬鹿なんだろう。いい作品を作れてこうやってお互いのことを評価してもらえていることに心が躍った。
番組中にも話していたが、ドラマの中のトラはもちろんいつも通り格好良かったものの昔から兄と弟のような関係だったという設定もあり、わかりやすくベタベタと甘えてくるシーンが結構あった。口調もいつものようなものではなく弟や少し幼めの印象な雰囲気だったからなんだか新鮮だったな。
「……ドラマの中のトラの口調、いつもとちょっと違って可愛かったなあ」
普段のトラはいつも余裕があって落ち着いている印象が強い。甘えてくる時があってもここまで直接的なものではなく黙って後ろからくっついてきたり、もっと褒めろと言ってきたり、このわかりにくい感じがめちゃくちゃいいなと思うんだけど。あれ、もしかして俺が意識してないだけで結構甘えられてたのか?
「ふうん。いつもの俺はそうでもないってか」
「へ!? なんでそうなるんだよ」
無意識に落ちた言葉を揚げ足取りのように拾われる。冷ややかな視線が向けられていてびく、と背筋が伸びた。こういう時のトラは大体何かロクでもないことを考えてる時が多いのでなんだか嫌な予感がする。
「……せんぱい、」
一拍置いて、トラの纏う雰囲気が変わる。大きな瞳が熱を帯びた艶っぽい視線で俺を捉える。甘えるようにも見えるその表情は撮影中に何度も見た表情だ。
「こっちの方が好きなんですか?」
「だ、だからそれは……」
「……ねえ、キスしていい?」
ぐい、と身を急に寄せられ耳元で熱い吐息と共に甘く囁かれると結局押し負け、流される。気圧されて頷いた俺の口内にトラのおっきい舌が入ってくるとあれよあれよと言う間にめちゃくちゃにされ、息継ぎもやっとだ。可愛いおねだりとは裏腹に舌使いは全くもって可愛くない。
「んっ、んん……ぅ……とらぁ」
「気持ちいいですか?それとも物足りない?」
いつもと違う調子のトラを恨めしく睨みつけても俺の視線なんて気にせず役の時の口調のまま話しかけてくる。良くない流れだと身を捩る俺の身体をそのままソファに押し倒すとまた貪るようなキスをされる。そのままTシャツの裾を捲りあげ、唇は上半身へと移り甘噛みやキスを残していく。ベルトに手をかけられたところで力を振り絞り必死にトラの胸に押し当てて拒絶のポーズを取った。
「トラ……っ、おい明日も仕事あんだろ!」
「大丈夫、朝イチじゃないし。どうしても、だめ?」
「っ……だから! いつまで続けんだよそれ!」
ただでさえ美しいと感じている顔に加えて甘えた顔で見られるとやっぱりどうにも弱い。本当に、凄まじい破壊力だ。いい感じに酒も回ってきているところに与えられた刺激で正常な判断もつかなくなってきているが、こんなのはやっぱり良くない。喧嘩するみたいな感じで、なし崩しにそういうことを始めたい訳じゃない。どうにか伝わってくれと必死に目で訴える。
「別に困らせたいわけじゃない。仕方ないからこれで勘弁してやる」
すると力の込められていた手から力が抜け、最後にもう一度だけ触れるだけのキスをして身体が離れていく。すっかり雰囲気はいつものトラに戻っていて、少しだけ寂しそうな顔でサイドテーブルに置いていたチェイサーを呷った。
「……なんとなく、役の俺に負けたみたいで腹が立っただけだ」
落ち込んでいる相手を見て思うのも失礼かもしれないが、自分も役作り初日に思ったことをトラも思ってくれていたのだと思ったらなんだかおかしくて、嬉しくて、くく、と笑い声が漏れる。そんな心配無駄なことに決まってるのに。しょぼくれているトラの髪を両手でがしがし無造作に撫でると気持ち良さそうに目を細める。その仕草に俺のことをやれ犬だと言うけどトラも犬みたいだなぁと思って笑ってしまう。
「勘違いしてんのかもしれねぇけど、そりゃあんなふうに素直に甘えてくるトラは可愛いなって思うぜ? でもやっぱりいつものトラの方がずっといいし好きだよ」
「……お前が言ってくれるほど俺は落ち着いて余裕があるわけでも、頼りになるわけでもないのかもな。今回のドラマだってトウマとだから受けた。ただの恋愛ドラマならこれから先お互い何度もあるかもしれないし、腹は立つが我慢できた。でも男相手の恋愛ドラマだろう? その相手が俺じゃないなんて耐えられなかったんだ。もちろん撮影中はそんなことよりいい作品を作りたいっていうのに夢中だったし、さっき言ったことはウソじゃないが。今だって俺はあんなふうに素直になれない自分の役にすら嫉妬してる」
みっともないな、と早口で捲し立てたあと拗ねたように口を尖らせるのも、そんな子供みたいな理由で仕事を受けたというのも可愛くて愛おしさがむくむくと湧いてくる。
「可愛いやつだなぁ、トラは」
「ふん。本当はいつだってお前相手じゃ余裕なんて無いさ。でもこれからもかっこいい俺でいさせて欲しい」
かっこつけたがりで、すぐに拗ねて不安になるけど案外甘え上手で。でもとても頼りになる恋人がこんなにも愛おしい。素直じゃなくたって、そこがいい。
本心を伝え合った後、もう一度抱きしめてキスをした。
その後もますます大盛り上がりを見せた押し獅子は映画化までこぎつけ、続編の撮影が始まったのだった。