変わり種の朝食をまた「トウマ」
「あんたまた……! てか目立つからここに来るのやめろって言ってんだろ?」
大学の目の前に停められた厳ついやたらとでかいバイクとやたらスタイルのいい男。くっきりとした目鼻立ちによく似合う派手なシャツは胸元までボタンが開けられている。通り過ぎる学生がその美貌に目を奪われては、どこか妖しい空気を感じてか視線を逸らして通り過ぎていく。トウマの隣に立っている環だけは不思議そうにその男の顔を眺めた。
「まるっちの知り合い?」
「あぁ。俺はそうだな、トウマの“お友達”ってとこかな」
「へー。そうなんだ、初めまして」
「悪いんだが今日は約束があってな。トウマを借りて行ってもいいか?」
「そうなん? 用事あんなら楽器屋には俺だけで行ってくるし大丈夫っす」
「は、ちょっと環待って」
「ありがとう。恩に切るよ」
「うっす。じゃあまたね〜まるっち」
無慈悲にもひらひらと手を振って環は一人楽器屋へと向かってしまった。ともなればもうトウマを助けられるような人間はいない。ガックリと項垂れていると長く逞しいその腕がぐるりと首元へと巻きついてきた。
「気が利く友人だな」
「俺は今めちゃくちゃ恨んでますけどね……」
「そう嫌そうな顔をするなよ」
「今日は一緒に楽器屋行く予定だったんすよ? 行けんの久々だったのに……」
「それは俺といることより大事なことか?」
「虎於さん、すぐその聞き方してきますよね」
恨めしくその端正な顔を睨むと至って楽しげに笑う姿が目に入る。こんなやり取りをしてもこれから二人で向かうのはどうしたことかトウマの家だ。
事の始まりは一ヶ月前。隣町でのライブを終えて帰宅している最中、少し入り組んだ路地に真冬だというのにシャツ一枚で蹲っている男がいる。急いで駆け寄って口元へ耳を寄せると幸い息はあるようでほっと胸を撫でおろしたのも束の間、何度か身体を揺すって声をかけても反応はない。どうしたものか。今日は関東では珍しく冬日なのだとニュースキャスターが告げていたはず。このままここで眠っていたら風邪どころかもっと重い病気なんかを引き起こしてしまうかもしれない。悩んでいるうちにぽつぽつと雨まで降り出してきたのだから更にぐらぐらと良心が揺れる。しばらくうんうんと唸ったものの両親に教わった『人に優しく』という信念に背く訳にもいかず、「むしろ放って帰る方がずっと気にしてしまいそうだしな」と自分に言い聞かせて男の体をよろけながら担いだ。幸いにも自宅はもうすぐ。なんとか引きずって部屋と運んだ後勝手にごめんなさい、と心の中で謝りながら衣服を脱がせてから無理やりシングルベッドの中へと放り込んだ。ここでふと、三月から言われたことを思い出す。
「狗丸の家ってこの辺なんだっけ? ここ、ヤクザとヤクザのちょうどシマの真ん中なんだってさ。たまにうろついてる事もあるらしいから気をつけろよ〜?」
「えっ、そうなんすか!? めっちゃいい条件なのに家賃安いのってもしかしてそういう……?」
「あはは、俺も先輩から噂で聞いただけだからそんな青い顔しなくても大丈夫だろ! まさか実際に会うことなんてないだろうしさ」
……ごめん、三月さん。もう手遅れかも知んない。少し手狭なベッドに眠っている美形を見ながら一際大きなため息をついた。きっと少し服装が派手なだけで偶然近くの飲み屋で酔い潰れでもしたんだろう、という気休めは男のシャツに赤黒い何かが付着していることと、服を脱がせたタイミングで視界に入った背中に綺麗に彫られた勇猛な虎と艶やかな桜の刺青を見た瞬間に無意味なものだと悟った。眠ろうにもこの男が俗に言うヤクザなのかもしれない、と思うとどうにも同じ部屋で眠る気になれず、仕方なく防音室へと籠って運指の確認をする事にした。お供は昨日出来たばかりだと貰った新曲。自分達らしいポップなナンバーを早くファンの前で披露するのが楽しみで仕方ない。音楽に没頭していると頭を空っぽに出来るからこの瞬間がとてつもなく好きだ。
そうこうしているとあっという間に朝日が顔を出す時間になったので一度リビングに戻って朝食の下準備をする。ここまで丁寧にもてなしたらまさか報復を受けたりだとかはないだろう。うん。インスタントの味噌汁と目玉焼き、薄切りのハム。米は……と炊飯器を開けると空っぽで丁度食べ切ったところだったのを思い出す。このままでは味噌汁にトースト、というアンバランスな朝食になってしまいそうだ。
「おい」
「あ。起きました……? すんません、朝食今できるのでその辺のテーブルで待っててください!」
「は……?」
何か言いたげな様子に気づかないフリをして急いで朝食を持って行く。起きた時のために用意しておいた自分のスウェットを着用した姿は丈が足りてなくて面白いような、男としてなにか負けたようで複雑な気分になる。しかしとんでもない美形が現れて驚いた。眠っている時点でイケメンだなとは感じていたもののこれは想定外だった。まるで芸能人みたいな華やかな雰囲気を纏う男が洗濯後の服や買ったままの日用品が散らばったままのリビングにちょこんと座っているのはアンバランスで面白い。
「味噌汁にトーストか、変な組み合わせだな」
「ははは……丁度米切らしてたの忘れてて」
「初めてする食べ方だが案外悪くないな」
さくり、とトーストを齧ってから味噌汁を啜り笑う。箸の持ち方一つをとってもその仕草すら美しく、じっくりと見惚れてしまいそうになる。
「お前ギター弾くのか?」
リビングの隅に置かれたギターを指差された事でそう言えば持って部屋に戻ってきたのだったと思い出す。
「一応バンド組んでるので」
「へぇ、じゃあやって見てくれよ」
なんだその唐突なフリ。嫌な面接官みたいな急な無茶振りだ、とトウマは顔を引き攣らせる。でもこの素性の知れない男に逆らって何か酷い目に遭う方が怖い。ともなればやむなしである。いくら楽器可のアパートとは言え早朝ということもありリビングで弾くのは気が引けたので「防音シート貼ってる部屋で」と伝えて移動した。ギターを抱えて目の前に座ると興味津々、と言った顔でトウマを見る謎の男の目はキラキラと輝いて見えて不思議だった。すう、っと息を吸い込んでギターの音色に合わせて歌声を紡ぐ。
「いい曲だな。お前が作ったのか?」
「ほんとすか! 嬉しいっす。これは他のメンバーが作ったやつですね。……えーっと」
「ああ、名乗ってなかったな。俺は虎於」
「とらお、さん。俺は狗丸トウマって言います」
「トウマの歌ってるとこ、いいな。もっと聞いててもいいか?」
「えっ? ……じゃあ、もうちょっとだけ」
少々乗せられてしまっている気もするがリクエストに答えて別の曲も演奏するとまた満足そうに笑った。
「ありがとう、こうして近くで演奏を聞いたのは初めてだったから新鮮だったよ」
「へへ、ならよかったです」
ああそういえば、と男は座り直してトウマに切り出す。
「お前、俺がカタギじゃないのに気付いてるだろう? 見てる視線でバレバレだぞ。演奏してる間はそんなの忘れてやってたみたいだけど」
その瞬間にタラ、と嫌な汗が背中を伝っていく。なるべく気分を害さないように気を回していたつもりだったが、素人のする気回しなど逆に不愉快にさせてしまったのかもしれない。もしかしてテレビや漫画で見たようにコンクリートに詰められて沈められる、なんてことをされてしまうんだろうか。どうしよう、と考えていると虎於は肩を揺らして笑い出した。
「そんなに怯えなくてもいいだろ。まぁ怪しい男にわざわざ貸しを作るなんて見返り目当てか? 消して欲しい嫌な奴がいるとか」
「へ? いやそういうんじゃ……。昨日その、めっちゃ寒い日なのに外で寝てたから流石にほっておけなかった、っつーか」
「へえ、それだけ? お前とんだお人好しなんだな」
わざとらしく肩を竦めると固い表情を浮かべたままのトウマを射抜くような視線で見つめた。
「お前の見立て通りだ。まぁだからと言ってこうやってただ泊めるどころか朝食と最高の生演奏まで聞かせてくれる恩人のことを邪険にしたりしないさ」
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、このまま密室にいてはまずいと立ち上がったタイミングで壁際へと身体を押し付けられる。逃げなければ、と思った時には両手首を一つにまとめて固定され、抜け出そうと抵抗しようとしてもまるで力が入らない。
「せっかくだ、特に希望がないならこのままお礼してやるよ。男は初めてだけどあんたなら抱けそう」
「な……お礼なんていいっす! ていうかするにしても他にも色々あるだろ!」
「そうか? これが一番分かりやすくていいだろ。俺はこういう気持ちイイ事が好きだけど」
本当は期待してるんじゃないのか? と耳元で囁かれたかと思うと顎を長い指先でくるりとなぞられ、唇を塞がれる。あぁ、さよなら俺のファーストキス。可愛い女の子とすると決めていたそれは自分よりもかなりガタイのいい昨日出会ったばかりの男に無理やり奪われるという最悪のパターンを迎えた。無理やりされていることのはずなのに口内をぐちゅぐちゅと弄られるだけで頭がぼーっとしてくる。責められたことのない口の奥にまで分厚い舌が届いて息をすることすらままならない。逃れようにもびくともしない手からは抜け出せそうにもなく、なされるがまま快感を受け入れるしかない。瞬間、腰が抜けてそのまま座り込みそうになるのを虎於の腕が支えた。キスをされただけでガクガクと震える脚と初めて知る快感に怯えて虎於の顔を見上げる。
「そんな助けを求める顔するなよ、わざとか?」
「な、違……っ」
そうして今度はベルトへ手をかけられたところで意識がぼんやりと遠のいていき、そのままぷつんと気を失った。多分長時間起きていた緊張疲れと、未だ経験したことのないことの数々にキャパシティがオーバーしたのと、全部が作用しあって気絶してしまったんだろう。目が覚めたのはお昼過ぎ。着の身着のまましっかりとベッドに寝かされていて、急いでリビングに向かうとまた来る、と綺麗な字の書き置きだけ、を残して男は姿を消していた。
その宣言通りそれ以降も時たまふらりと猫のように家に現れてはトウマの歌う歌を聴きにやってくるという奇妙な関係が続きなんとなく拒否できないまま今に至っている。その度一緒に食事も摂って、出会った日は未遂に終わった『お礼』も何度も家に上がり込まれるうちにちゃっかりとされてしまって。(ぶっちゃけめちゃくちゃ気持ち良かったのが悔しい)今日もまたその恒例行事がこれから始まるのだろう。
「メットこれな」
「あれ、今までのと違う……?」
「あぁ、買っておいた。これはトウマ専用のだから」
ダークレッドのヘルメットが太陽の光をきらりと反射する。自分専用のものだと言われるとたまらなくむず痒い気分になり、手渡されたそれを優しく撫でた。強引ではあるけど悪い人ではなさそうなんだよなぁ、とその顔をチラリと盗み見る。家にいる時は優しく笑っている顔がほとんどで普通の青年に見えるから裏社会の人間だなんて忘れてしまいそうになるのだ。
「虎於さんが来るたび次の日いろんな奴らに誰だって問い詰められるから嫌なんすよ」
「じゃあこうやって迎えに来ること自体は嫌じゃないんだな」
「まぁ、そりゃあ、はい……。あ、でも来んなら連絡は欲しいっすね。今日みたいに予定ある日もあるし」
「……そうか」
「え、なんでニヤけてるんすか」
「別に。わからないならいい」
いつも虎於は自分の歌を、演奏を褒めてくれる。一度挫折した経験を持つトウマにとって素直に与えられる賞賛がどうにも心地よくてじわりじわりと心を蝕まれていくようだというのに拒否できなくなる。与えられる全てを受け入れてしまう。
「やっぱり好きだな、トウマの歌」
「はは、虎於さんいつもそれ言ってくれるよな」
「いつも本気で言ってるんだけどな。お前の歌も、それ以外も」
そう言うとおでこにキスをして、次は頬、唇の端、そして唇の内側へと滑り込んでくる舌を迎え入れた。
「……あんたの好きな歌、キスされてたら歌えないんだけど?」
「じゃあ歌はまた後で。今はこっちの方がしたい気分だ」
「んっ、ふ、……ぅ」
「舌避けるなよ。それとも、わざと煽ってるのか?」
「な……っ、違……」
少々強引に顔を掴まれると先ほどよりも舌が激しく絡みついてくる。する、ともう片方の手がトウマの手に重なりくるりと手のひらをなぞってするするとそのまま指先へと伸びていき、ぎゅう、とトウマの手に絡みついた。その刺激にぞわぞわと唇から頭の中まで全てを刺激され更なる快感で意識を塗りつぶされていく。
「感じすぎて腰、ビクビク跳ねてる。やっぱりトウマキス好きだよな」
「ん……ッ、悪いかよ」
「全然。可愛くて唆る」
そう言い切るとトウマの唇へもう一度優しく触れて、そのまま重なった身体はソファへと深く沈み込んでいった。
「あ、やべ」
「なんだ。あぁ、朝食また味噌汁とトーストか?」
「そうですけど……そのネタ好きっすね」
「初めてトウマが出してくれた朝食だから」
「……その顔やめてくださいよ」
柔らかい微笑みに正直すっかりと絆されてしまっている気はしないでもない。良くないことだとはわかっていてもそれでもそれは麻薬のように中毒性のある関係で、きっともう離れられない。今日もまた同じように溺れていく。
893と大学生のつもりで書いてたけど素性の知れない男を拾うトウマの話になってしまったので供養 力尽きた🫠
この後も言葉が足りない二人たちがお互いセフレのような、友人のような関係がズルズル続いて仲を深めた後、無事お付き合いまでこぎつけるんですが虎於がヘマして起こしたトラブルにトウマが巻き込まれて怪我をしてしまい「最初から住む世界が違ったんだ」なんて言われて虎於に突き放されたら、「あんたが勝手に好きになったんだろ!そんな自分勝手に諦めんなよ!」って怒ったりするんだろうな〜と思ってます(丸投げ)