それを運命と呼ぶならば①「実は俺結婚することになってさ」
「え」
フォークに刺さったハンバーグの欠片がぽろ、と鉄板の上へと落ちる。新調したカーゴパンツへと落ちなかったのが救いだが、今はそれどころではなかった。久しぶりに連絡のあった友人から食事の誘いを受けたものの今日呼び出されたのはこれが理由だったのかと妙に納得がいってしまう。一度落ちたハンバーグを拾い直して咀嚼しながら、トウマは幸せそうに微笑む彼を眺めた。
何故か仲が良かった友人たちは軒並み結婚が早い、気がする。ここ二、三年の間に彼でもう三人目だ。トウマ自身は焦りがある訳ではないがみんな決断が早いな、と言うのが本音だった。最近では一種の都市伝説になっている“運命の番”とでなければパートナーになりたくない、という訳ではないけれど、付き合うなら、結婚をするなら、番として添い遂げるというなら本当に好きだと言える相手ではないとしたいと思えない。以前それを友人に話すと今時それはないだろうと苦笑されてしまったがトウマはいたって本気だった。自身が所謂オメガらしいオメガでない事は自覚しているものの、ちゃんといつかは幸せな家庭を築きたいという願望はある。ただそれが今じゃないというだけ。それに最近は仕事もプライベートも充実していてそこに加えて恋愛に割く時間はないというのが本音だ。来月にもバンドで出演するイベントがあり、今回はなかなか大きなステージに立てそうなのでメンバー全員気合十分で練習にも熱が入っているのだ。だから自分にはまだ早い。うん、そうだろう。
そうは思っていても帰り際、「結婚式来年の早いうちにするからトウマも来てくれよ!」と笑う友人の顔がやたらと頭にこびりついて離れなかった。
「……トウマ、いつになったらパートナー連れてくるの」
「な……。母さん、まだそんな事言ってんの」
帰宅早々母親から振られたのはまたも恋愛の話。今日はもう散々惚気を聞かされてお腹いっぱいだって言うのに。それがしっかりと顔に出ていたのか母は自分によく似た切れ長の目をキッと吊り上げてトウマを睨んだ。
「また仲いい子が結婚するんでしょ? 私だってトウマの恋バナいい加減聞きたいんだけど」
「いや、恋バナって……それに俺、まだそんな焦るような歳じゃないだろ。そういうのはちゃんと心から好きになった相手とするって」
「それはもう聞き飽きた」
はあ、と大袈裟に溜息をついて一枚のチラシを差し出される。それは明らかに婚活パーティのチラシで、アルファとオメガのマッチングをするものらしい。その内容にぎょっとして顔を上げると母は黙ってトウマを見つめながら腕を組んでいる。無、という表現がよく似合うその顔は一体何を考えているのかが読み取れない。
「これ、トウマの代わりに申し込んでおいたから行ってきて」
「無理無理無理! 俺がこういうの苦手なのわかってるだろ!」
「息子の事なんだからわかってるに決まってるでしょ。こういうのはまず経験。とにかく来週必ず行ってきてね。参加費結構したんだから」
そんなに高いなら勝手に申し込むなよ、という言葉はその有無を言わさぬ雰囲気に泣く泣く飲み込んだ。自分もいくつになったとて母親という存在にはどうにも頭が上がらないらしい。
結局諦めて訪れた当日。とにかく気が重い。着慣れた古着、ではなくてさすがに滅多に出番の無いスーツに身を包んだ。窮屈なそれを着ているとどうにも肩が凝ってしまい、足も鉛のように重たい。今すぐにでも帰ってしまいたいがそれが出来るほど自分の肝は据わっていないのが残念なところだ。仰々しいホテルに設けられた会場の扉を開けると目に飛び込んできたのはきらびやかなシャングリラとそれに負けない程美しい美男美女、もといアルファとオメガ達だった。オメガ側の座席へこそこそと着席するとあまりの自分の場違いさに絶句してしまった。いかにもオメガらしい、と言ってしまえば失礼に当たるのかもしれないが出席している全員が可愛らしい顔立ちをしているのだ。子猫のようなきゅるきゅるとした丸い瞳に守ってあげたくなるような華奢な体。発せられる声まで砂糖菓子みたいだな、と思う。それに比べてトウマはと言えば鋭い眼光と趣味の筋トレで鍛えられた程よい筋肉。声だって決して可愛いとは言えない威圧感を持ったものだ。自慢にもならないが一目でオメガだと気付く者はなかなかいない。会場に足を踏み入れてまだわずか数分だというのに既に周囲からの視線が突き刺さって痛くて困ってしまう。こんな事なら事前に辞退したのに、と肩身を狭くしながらまだ始まってすらいないパーティが早く終わるのを待った。
「僕の家は元々貿易商の家系なんです。海外の骨董品を集めに世界中を飛び回るのが趣味かな」
「つい先日は貸し切りでクルージングをしたよ。君、経験は?」
「洋服は全部オーダーメイドですね。その辺に売られている服なんて着ていられないし」
やっとパーティが始まったと安心したのも束の間、代わる代わる訪れるアルファ達は口を開くと自慢、自慢、自慢。何となく察していたが“いかにも”な空気に顔が引きつってしまう。しかもとびきり面倒で苦手なタイプ。アルファだからと言ったってこんな鼻につく人間ばかりではない事は重々知っている。同じバンド内にもアルファの友人がいるがこんな風に自分の家柄や性別に胡坐を掻いたりしない、謙虚で真面目な男だ。だからより一層このアルファたちがみっともなくて哀れにすら思える。もっと自分自身をアピールすればいいのに一つも中身が感じられない。
──本当に早く帰りたい。司会から何度目になるかわからない座席の交代の案内があり、次に目の前に着席したのは圧倒的な美貌を持つ男だった。会場内に溢れる美男美女の中でも一際放つオーラの違うこの男はどかっ、と勢い良く椅子に腰を掛けたもののしゃんと伸びた背筋は美しい。思わずその顔面に見惚れてしまうのも束の間、至極つまらなそうに口を開いた。
「お前も御堂の姓が目当てか?」
突然言い放たれた棘のある嫌味に目を丸くする。御堂の姓も何もまだ知らない事だらけなのだが、と彼の目の前に置かれているプロフィールシートを眺める。氏名、御堂虎於。歳は二十五歳。どこかで名前を聞いた事のあるベンチャー企業の社長と言ったところだ。
「あの、悪いけど俺今回無理矢理連れてこられただけなんで、あんまりそういうのわからないんですけど……」
「は?」
何を言っているかわからない、とでも言うようにその形のいい眉をひそめる。そんな反応をされたところで知らないものは知らないのでどうしようもない。ははは、と乾いた笑いを漏らすことしか出来ずにいると、虎於は会場に着いてからやっつけで書いたトウマのプロフィールシートを持ち上げた。皮肉にも、今日初めて自分のシートを持ち上げてくれたのがこの男だった。
「映画、好きなのか。このタイトルを挙げている奴にはあまり会ったことがない」
「結構見ますよ。御堂さんこそ珍しいっすねこれ知ってるの。アクションとかミュージカルとか、ヒューマンドラマ系も結構好きです。新作出たら休みの日に見に行くって感じですかね。あと、ホラーと恋愛は……あんまり」
「なるほどな。へえ、古着屋で働いているのか。今考えている仕事の関係でも相談できそうだな。アンタ話しやすいし」
「そういうことなら全然! 俺で力になれるかはわかんないですけど」
しばらく会話を続けた後、虎於はトウマのシートの中のある一点を見つめて口を噤んだ。何か気になる点があったのだろうか。不審に思ってあの、と声をかけるとすまないと笑いながらシートの一か所を差した。
「早く結婚出来る相手を探しているというのは本当か?」
「ああ、まあ……。母親がそろそろ結婚しろ~ってしつこくて。今時何言ってんだって感じなんですけど」
「ふうん……、そうか。わかった」
虎於の浮かべた何か含みのある笑みに再度質問しようとしたタイミングで司会の座席交代の声が上がった。
「まだ色々と話し足りないところだが、会えると信じている。またな」
「お、おう。ありがとう、ございます」
そうして名残惜しそうにトウマを一瞥した後、ひらりと大きな手のひらを振って隣の席へ移動する虎於を見送った。
長かった参加者とのトークタイムが終わり、反射的に溜息が零れる。パーティの最後に参加者へと配布されたのはマッチング用紙だ。どうやらこれには必ず参加者の中の誰かしらの名前を書かねばならないらしい。適当に書く訳にもいかないし、どうしたものかとペンを持ったまましばらく固まってしまう。
……ただ一人だけ、思い当たる人物はいるんだけど。まあどうせ向こうはなんとも思っていないだろうし別にマッチングしなければそれでおしまいだ。その男の名前を殴り書きで記入して回収に来たスタッフへと手渡した。
次々と成立したカップルが呼ばれ、拍手が響いている中トウマはぼんやりとステージを眺めながらテーブルに置かれている肉料理に手を付けていた。会食がメインではないのでほぼ手付かずのまま取り残されているそれは冷めているというのに柔らかく、味付けも美味い。母には悪いがただ料理を食べに来たかったな、と残念に思っていると本日最後のカップル成立だと司会は仰々しく告げた。
「御堂虎於様、狗丸トウマ様、ステージまでお進みください」
「んっ!?」
ぐりん、と一斉に会場中の視線が痛いほど突き刺さる。主にオメガの。一番と言ってもいいぐらいに注目を集めていた御堂虎於がいかにも平民の、今も卑しく料理を口いっぱいに頬張っている男を指名した。それだけで不愉快な事象に極まりないのだろう。しばらく事態を飲み込めずに固まっていると、トウマの目の前に虎於が現れた。
「ほら、ボーッとしてないで行くぞ」
まるでドラマのワンシーンのようにスマートに手を引く仕草とその柔らかな微笑みは先ほどまでトウマに対して鋭い視線を向けていた他の参加者を黙らせるのには十分だった。
ステージへと上がりマッチング成立者として紹介をされた後は諸手続きを行い解散となったはずなのだが、どうしたことか今、トウマは虎於とこのホテルの最上階にいる。
「なんでパーティの当日にこんな最上階のいい部屋が押さえられてんだよ……!」
「ここ、いい眺めだろう。気にいっているんだ」
答えになってねえ、と呆れていると虎於は肩を竦めてそう焦るなと笑った。
「このホテルは俺の実家が経営しているから顔が利くんだ」
「はあ!?」
この超有名な高級ホテルが? いや、言われてみれば入り口にホテル・ミドーと書かれていた気がする。どうりで出会いがけに「名前が目当てか」と言われる訳だ。ここに来て会場中のオメガ達の痛いほどの視線を思い出す。この持ち前の美貌、若くして起業し成功している上にこの実家の太さ。おそらく会場の大半が御堂虎於目当てだったのだろう。この名声に縋りたい人間など溢れているに決まっている。
「なら尚更なんで俺のこと指名したんだ? 可愛くて由緒正しい家生まれのオメガなんてあの会場にたくさんいただろ」
「……お前、結婚相手を早く探していると言っていただろう。だからちょうどいいと思った」
「は? どういう意味だよ」
「兄さんたちは俺の今の年齢の時に結婚しているんだ。だから両親から俺もそろそろ番を作って結婚するように言われている」
そんな理由で? 虎於の意思は一体どうなってしまうんだ。今時年齢でそんな事を決められてしまうなど聞いたことがないが、庶民には想像しがたいのっぴきならない事情があるのかもしれない。それにしたって、酷い話だと思うけれど。虎於は気にも留めない様子で話を続ける。
「見合いも何度かさせられてきたがあまり気が乗らなくてな。今日のパーティも半ば無理矢理参加させられたんだがトウマ、お前に会えた」
「俺……?」
「お前なら変な気を遣わなくて済みそうだし、話してみて嫌な感じもしない。俺たちは二人とも両親から結婚することを切望されているんだ、お互いWin-Winだろ?」
Win-Winって……と、トウマは言葉を失う。別に虎於の事が嫌な訳ではない。今回話した相手の中では一番まともな会話が出来たし年も近い。それに唯一トウマ自身の話も聞いてくれた相手だった。実際マッチングシートに名前を書いたのは自分だし。だからと言って一足飛びに進むのはまた話が違う。
「悪いけど俺、ちゃんと好きになった相手としか番になりたくない。だから友達として御堂さんとは仲良くしたいってのはあるけど、結婚とかはまた話が別っていうか」
「虎於でいい。名字はあまり好きじゃないんだ」
「え? と、虎於……? いやなんか緊張するな。トラ、とかは?」
「初めてされる呼び方だ。いいだろう。まあつまりトウマの主張をまとめるとお前が俺の事を好きになれば問題ないってことだな」
「へっ」
「お前の理屈ならそういう事になる。任せておけ、しっかり惚れさせてやる」
「何言って」
「それにお前俺の顔は好きだろ。最初見た時から今までの目線でなんとなくわかる」
ふふん、と得意げに足を組み替えながら笑う虎於に言い返せないことが悔しい。こんだけイケメンなら誰だって見るし好きだろ! と言いたくなる気持ちを押さえてどうしたものかと黙っているとその美しい顔面が目の前まで迫って来る。絵画や彫刻のような美しさを持つその顔で優しく微笑んでから無防備な首筋をとんとんと指で押された。
「お前がいいと言うまでココを噛む気も無い。合意の無い番契約など獣のすることだからな。その点は安心してもらって構わない」
「いやそうじゃなくて、」
まずい。完全に相手のペースに乗せられてしまっている。このままでは本当にこの男と婚約することになってしまう。
「これからよろしくな、トウマ」
「だから! 話を聞けってば!」
なんとか反論しようと立ち上がったのと同時にコンコン、と都合よく部屋がノックされる。そろそろ頃合いか、と呟くと虎於は客室の扉を開いた。現れたのはゆらゆらと湯気を立てた美味しそうな料理とテレビでしか見たことのない高そうなガラス製のバケツで冷やされたワイン。なんだこれ、と目を丸くしていると虎於はテーブルに置かれている椅子を引き着席を促される。
「料理随分気に入っていたみたいだから新しく用意した。良い食べっぷりだったからな。さっきのは冷めていたしゆっくり食べるといい。追加で何品とこのワインも俺のおすすめだ」
「え……? あ、ありがとう」
「ほら、あーん」
「!?」
驚いている間に半ば無理矢理口に料理をねじ込まれ咀嚼する。うん、やっぱり肉美味いんだよな。料理やお酒に罪はない。せっかく用意してくれた食事を無駄にする気は起きず、温かいうちにありがたく食べる事にした。その様子を向かい側で楽し気に眺められているので正直居心地は悪かったが、あまりに幸せそうに笑うのでやめろとまでは言えなかった。というか、さっき自分が料理を食べていた姿もそこまで見られていたのか。
その後はアルコールの力も手伝ってか、会場で話をした時よりも会話が弾みあっという間に時計は二十三時を指していた。
「こんな時間か……。すまないが明日遠方への出張があるから先に失礼する。この部屋は明日の十一時にチェックアウトだからゆっくり使ってくれ」
「おう、ありがとな」
「じゃあまた後で。いい夜を」
何か大事なことを忘れている気がすると思いつつ大きなあくびを一つ。まぁいいか。今日はとりあえず眠ろう。未体験のふかふかのベッドに身を預けてそのままゆっくりと眠りに落ちた。
◆
「トウマ、ちゃんとカップル成立したんなら教えてよ! こんなイケメン捕まえるなんて聞いてないわ」
「……はあ!?」
「おはよう、トウマ。会いたかった」
「待て待て待て。なんで当たり前のように家でくつろいでんだよトラ!」
「なんでって、結婚の約束をしたんだから一度ご両親に挨拶に伺わなければと思って」
寝癖のついた頭を掻きながら実家の階段を降りるとそこにいるはずの無い絶世のイケメンがいた。もっともらしい理由を並べてニッコリと笑うその顔に俺をはじめとする家族全員がうっ、と声を漏らす。その笑顔に騙されそうになったが実家の住所などもちろん虎於には教えていない。ましてやちょうど先日の話をしようと帰って来たタイミングで家を訪ねて来るなんて、普通あり得ることなんだろうか。
「……お前なんでここがわかったんだ」
「ふ、あまり舐めないで欲しいな。俺の力を」
相変わらず何の答えにもなってねえ……! とトウマが絶句している間も両親は虎於の持ってきた動物モチーフの高級スイーツに舌鼓を打っていて、危機感が無いのかと冷や汗が出てくる。
「改めて、御堂虎於と申します。先日のパーティで俺がトウマさんに一目惚れしてしまって、真剣に結婚も考えさせて頂いています」
「勿体無いくらいですけどぜひぜひうちのトウマをよろしくお願いします」
「母さん!?」
に、とほんの少し虎於の口の端が持ち上がりちらりと横に腰掛けたトウマの顔を見る。完全に外堀を埋められてしまいこれでは逃れられない。
「良かったです。ぜひまた遊びに来させてくださいね、お義父さん、お義母さん」
それにまたきゃ~、と嬉しい悲鳴をあげる母と満更でもなさそうな父にがっくりと肩を落とす。まったく現金な奴だ。
これから一体どうなってしまうのだろう。目まぐるしく変わるだろう日常を想像しながら、テーブルに置かれている可愛らしい虎の形をしたプチケーキを見つめた。