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    mikittytanaka

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    mikittytanaka

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    現パロでチャッキーパロな🐬☀️。チャッキー(チiャiイiルiドiプiレiイ)とカエルの王子様を足して5で薄めたようなお話。魔女の呪いで人形に魂を封じ込められてしまった🐬くんと出会う☀️くんのお話し。

    再録サンプル ピピピ、ピピピ…
     規則的に鳴り響くスマートフォンのアラーム音に、うぅん、と唸ったカリムの眉間に皺がよる。もう朝なのか、起きなければいけないな、朝ごはんは何にしよう、卵はまだあったかな。脳の半分以上は眠りに浸かったまま、ぽつりぽつりととりとめもない考えが浮かんでは消えていく。あぁ、けれどこの心地良いまどろみからまだ抜け出したくない。せめて、あと五分だけでも……。シーツを顎の下まで引っ張り上げ、ころりと寝返りを打つ。
     ピピピ、ピピピ…
     そんな気持ちとは裏腹に、覚醒を促すアラーム音は鳴り止まない。カリムは薄らと片目を開けた。とにかくアラームを止めなければ。スマートフォンはどこだろう。カーテンの隙間から差し込む光は部屋全体を照らすには程遠く、枕元をごそごそと手探りするもなかなか目的のものに当たらない。そういえば昨夜はベッド脇のサイドテーブルで充電したままだったかもしれないと思い出したカリムは、サイドテーブルへ手を伸ばそうと、仕方なく上体を起こした。その瞬間。
     ドスン。頭の真後ろで、重量感のある何かが落ちる鈍い音がした。一拍遅れて、マットレスが沈んで軋む。その衝撃で途端に覚醒したカリムが、ぱっちりと瞼を開いて慌てて振り向いて見れば今までカリムが頭を預けていた枕に、大理石で出来た時計がめり込んでいた。
    「……」
     しばし無言でその光景を見つめるカリムの耳に、チッと悔しげな舌打ちが届いた。時計からゆっくりと視線を上げ、ヘッドボードに顔を向ける。そこには、四十センチほどの人形がいた。ターコイズブルーの髪の毛には一房だけ黒い束を持ち、陶器のようにつるりとした肌は日の光に当たったことがないかのように白く美しい。瞳には右が金で左はオリーブと、色違いのガラス玉が嵌め込まれ、貝がらのように小さな耳たぶには左耳にだけピアスがつけられ、しゃらしゃらと軽い音をたてていた。カリムの胸に抱えてしまえるほどの小さな体は、薄い紫のカラーシャツに黒いスーツが着せられ、襟元に可愛らしくリボンタイが巻かれている。タイと同じく白のストールを合わせた上品な着こなしはオーダーメイドの高級品かのように美しく、洗練されていた。そんな美しい人形は、その見た目とは正反対に忌々しげな顔でカリムの命を奪い損ねた大理石の時計を卑下していたが、カリムと目が合うとその表情を収め、愛らしくニッコリと微笑んだ。
    「おはようございます、カリムさん。今日も爽やかな朝を迎えることが出来て何よりです」
    「……おはよう、ジェイド。次はもう少し丁寧に起こしてもらえると助かるよ」
    「起こすだなんてとんでもない。僕はカリムさんがあまりにも気持ち良さそうに寝ていらしたので、もっとよく眠れるように協力して差し上げようとしただけですよ」
     人形がぱくぱく、と唇を開閉させる動きに合わせてテノールの声が穏やかに響く。見た目は職人が細部までこだわってつくられた一級品の人形のようだったが、明らかな悪意を見せるその表情も、喋る声もその内容も、とてもただの人形とは思えなかった。それもそのはず、カリムを永遠の眠りにつかせようと画策したことを隠そうともしないこの人形の中には、ジェイドという人間の魂が封じ込められているのだ。



     カリムとジェイドが出会ったのは、風は少し冷たくなってきたけれど、歩いているとまだ汗ばんでしまうような、そんな秋の始まりのことだった。
     カリムは家から三十分ほど歩いたコンビニで遅めの夕飯としておにぎりを二つとペットボトルのお茶を購入し、ぶらぶらと見慣れぬ道を歩いていた。そこかしこで羽を震わせる鈴虫の音色に耳を傾け、夜空の頂上に辿り着こうとしている三日月を眺めながらのんびり歩いていると、ふと、悲鳴が聞こえた気がしてカリムは足を止めた。その声は、道路脇にある小さな公園から聞こえてきたようだった。カリムは目を凝らしたが、公園を囲う茂みは鬱蒼としていて、中の様子は窺い知れない。どうしようかと迷っていると、ガサガサと茂みが揺れるような音と、その後に今度こそ間違いなく男性の悲鳴が聞こえた。カリムは迷うことなくその公園へ足を踏み入れた。
    「うわぁぁあ! く、く、来るなっ!」
    「どうしたんだ!? 大丈夫か?」
     その公園は、なんの変哲もない公園だった。猫の額のような敷地に、ブランコと、ベンチと、申し訳程度の砂場が設置されている。そこに二つの影があった。一つは、悲鳴の主であろうカリムより少し年上の青年のもの。顔にかからないようにセットされた髪の毛に、スーツとネクタイを締めたその青年は、昼間に会えば清潔感のある営業マン、と言ったところだろうか。しかし今は人好きのしそうなその顔を恐怖に歪め、地面に尻をつけたまま必死に後退りをしていた。元々はそばにあるベンチに座っていたのだろう、青年のそばには缶コーヒーが転がり、地面に黒くシミを作っていた。立ち上がらないところをみると、もしかしたら腰が抜けているのかもしれない。一体何をそんなに怖がっているのかとその視線の先を追ったカリムは駆け寄ろうとしていた足を止め、驚愕に息を飲んだ。
     青年の視線の先には、もうひとつ、小柄な人影があった。一瞬、子どもかと思ったけれど違う。歩き始めたばかりの幼児よりも随分と小さい。人形だった。人形が歩いていた。メッシュのある変わった髪型をして、少し丸みのあるボディにピッタリ合った黒いスーツには蝶ネクタイを巻いている。ゆっくりと青年に向かって歩く人形は、最先端のテクノロジーで人間と遜色のない滑らかな歩行のプログラミングをされたものだと言われれば、素直に賞賛していたかもしれない。けれども、幼児の人形遊びに用いられそうなその見た目とは正反対に、その小さな掌にはナイフが握られていた。月明かりを受けた切っ先の輝きは、とても偽物とは思えない。いったいこれはどういうことなのだろう。カリムが唾を飲むのと同時に、人形の顔がこちらを向いた。人間よりも凹凸の少ない滑らかな顔に、ガラスで出来ているのだろうか、緑と黄色のオッドアイが月夜に照らされてまるで満月が浮かんでいるみたいだった。
    「おや、獲物がもう一人。こんな時間にこんな公園に足を踏み入れるなんて貴方たちは余程運がないようだ」
    「うわっ。し、喋った!」
    「ひぃっ!」
     カリムが飛び上がるのと青年が言葉にならない悲鳴をあげたのはほぼ同時だった。とてもプログラミングとは思えない、本物の人間のような抑揚と声音だ。子ども用の愛玩具にしては不釣り合いに、しっとりと落ち着いた声色をしている。人形は、カリムと青年に目配せをすると、小さな人差し指を自分の口に当て、静かにするようジェスチャーをした。その仕草も言葉もあまりに自然で作り物めいたところが一切ない。まるで、人形に魂が宿り、意志を持って動いているかのようだ。カリムは両手で目をこすった。
    「お、お前は人形……なんだよな?」
    「難しい質問ですね。まぁ半分正解、というところでしょうか」
     一歩、人形がカリムの方へ足を踏み出した。思わずカリムも後ずさる。握っていたコンビニのビニール袋がガサリと音を立てた。この得体の知れない人形に近付くのは危険だと、カリムの勘が告げている。もしもの時はこの袋を人形に投げつけて逃げるしかないだろうか。重心を落とし、じりじりと後退するカリムと、腰を抜かしたままの青年を見比べた人形は、ふむ、と丸みのある頭をこっくりと頷けた。
    「後から入ってきた貴方、貴方はもう帰っていただいて結構ですよ。僕が用があるのはこちらの方のようです」
     カリムにそう言うと、人形は今にも泡を吹きそうな顔面蒼白状態の青年に向き直った。そう言われたところで、立ち上がることもままならない青年を置いて、はいそうですかと帰れるわけがない。
    「そ、その人に用ってなんなんだ? お前たち知り合いか? その人はお前のこと初めて見たんじゃないかってくらい驚いてるけど」
    「随分とお節介な方だ。詮索はおすすめしませんよ」
     人形がやれやれと肩をすくめるその様子は、随分と大人びていた。背丈は幼児よりも小さいのに、まるで社会の酸いも甘いも知り尽くしたような仕草がちぐはぐで、まるで背伸びをして大人の真似をしたがる子どものように思えて少しだけカリムの強張りがとけた。五番目の妹も、よくこうしてカリムの真似をしたがった。もちろん、妹は人を怖がらせるようなことはしなかったけれど。
    「でも、その人怖がってるだろ。オレもお前を見てすごくびっくりしたし、このまま放って帰れないよ。心配なんだ」
     カリムが小さい弟妹に言い聞かせるようにゆっくりと諭せば、人形がカチリと瞬いた。カリムとの会話が成り立っていることはもちろんだが、この細やかな動きは一体どんな仕組みなのだろう。どこかにスイッチでもついているのだろうか。
    「この人、貴方の知り合いですか?」
    「いや、今初めて会った」
     カリムは素直に首を横に振った。
    「わざわざ知らない方のために? …………。とても親切な方なんですね」
     人形が嘲るように笑う。
    「分かりました。貴方の親切に心を打たれたので、僕も誠意を持ってお答えしますね」
     いつのまにか汗は冷えていた。歩いている時は感じなかった、吹きつける風の冷たさにカリムはぶるりと身体を震わせる。
    「僕は今からこの人を殺します」
     ——この人形は、今何を言ったのか? カリムは耳を疑った。けれど、聞き間違いでないことは殺意を宣言された青年が引き攣った声を上げたことで分かった。尻餅をついたままもがくように足を動かし、人形から離れようと試みているが、恐怖に強ばった体ではほとんど効果はないようだ。
    「あぁ、かわいそうに。僕は恐怖を長びかせないですむようせっかく黙っていたのに。貴方が余計なことを知りたがったばかりに、この方は今ひどい恐怖を感じています。……分かりますか? 貴方のせいで、この方はこんなにも怯えなければならなくなったんですよ。お節介が裏目に出てしまいましたねぇ」
     人形の口がニタリと弧を描いた。愛らしいもみじのような手を顎に添えてカリムを見上げ、笑みに歪んだオッドアイはカリムの動揺を期待し見逃すまいとするようにピッタリとカリムに貼り付いている。座り込んだ青年は、全身を震わせながら涙をこぼし、ただ浅い呼吸を繰り返していた。逃げることすらままならず、ただ恐怖の真っ只中に居るのだろう。確かにカリムが何故と問わなければ、ここまでの恐怖を覚えることはなかったのかもしれない。申し訳ないことをしてしまった、とカリムの胸が痛む。けれど。
    「でも、目的が分かったからこそ、オレはお前にやめてくれるように頼むことができるだろう? なぁ、そんなことはやめてくれ」
     空に浮かぶ月のように三日月を描いていたガラス玉の瞳がきょとんと見開かれた。
    「嫌です」
    「頼むよ。なんでそんなことするんだ?」
    「貴方に話す必要はありません。とにかく僕は人を殺さなければならないので。……これ以上邪魔をするようなら、貴方を手にかけても構いませんが?」
    「それも困る。オレは死ぬわけにはいかない」
    「それならこちらの方に犠牲になっていただくしかありませんね」
     五月蝿そうに首を振った人形は、これ以上カリムの相手をするつもりはないのか青年に向き直るとナイフを頭上に掲げた。
    「待ってくれ!」
    「貴方もいい加減しつこいですね。待つわけがないでしょう」
     人形がナイフを構えたまま青年に向かって走り出す。青年は頭を庇い蹲った。なんとか止めなければと、カリムも一人と一体のもとへ駆け出した。人形から青年までは目と鼻の先ほどの距離しかなかったのだが、いかんせん歩幅の大きさはカリムに何倍も分がある。もう少しで手が届くところまで距離を詰める。けれど、もう一歩というところで無情にも青年に刃が振り下ろされようとした。
    「ダメだ!」
     無我夢中だった。必死の思いで突き出したカリムの右手には、今の今まで存在を忘れていた、購入したのが随分と昔のことだったように感じるコンビニの袋が握られていた。たった十数センチ、されど十数センチ。そのリーチが青年を救った。人形の側面が強かにビニール袋に殴りつけられる。
    「は」
     おにぎりが二つに、ペットボトルのお茶が一本。それだけの重量だが、人形を吹き飛ばすには十分だったらしい。そのまま弾き飛ばされた人形はベンチに叩きつけられ、動かなくなった。深夜の公園に、はぁ、はぁ、と肩で息をするカリムの呼吸音だけが響いていた。


     どうにか青年を宥め励ましながら大通りまで肩を貸し、タクシーに詰め込んだカリムは、その足でもう一度公園へ戻ってきた。もしかしたら先ほどのことは夢だったのではないか。そう思ったのだが。
    「やっぱりいる……」
    「おや、貴方また戻ってきたんですか」
     夢ではなかった。まるで人間のように意志を持つ人形は、現実に存在していた。先ほど自分が打ちつけられたベンチにそのまま腰掛け、カリムを見上げている。なんとなくその姿に違和感があって、カリムは首を傾げた。
    「なんかお前さっきと違くないか? ……あっ、片腕がない!」
    「えぇ、おかげさまで」
     カリムの一撃で腕が外れてしまったのだろう。本来なら右腕が通されているスーツの袖がヒラヒラと風にのって揺れていた。あたりを見回せば、ベンチの足元に転がる右腕はすぐに見つかった。すぐそばにはナイフも落ちていたので、そちらは念のため入り口付近の茂みに向かって蹴っておく。細く柔らかな右腕を拾い上げ、カリムは人形の隣に腰掛けた。
    「乱暴な真似して悪かったな。痛くないか?」
    「……まぁ、人形なので平気です」
     人形が、得体の知れない生き物を発見したかのようにしげしげとカリムを見つめた。観察、と言った方が近いかもしれない目つきだった。
    「今嵌めてやるからな」
     カリムがスーツの襟に手をかけると、人形は大人しく首を上げた。カリムはシルクで出来たリボンタイを外すと、そのままスーツのボタンに手をかける。細かい作業が得意ではないカリムが人形のサイズに見合った小ぶりなボタンに悪戦苦闘していると、見かねた人形が自分でスーツを脱ぎ出した。左手ひとつで器用にボタンを外していく人形に、カリムは先ほど答えをもらえなかった疑問をもう一度尋ねた。
    「なぁ、さっきはなんであの人を殺そうとしたんだ?」
    「本当にしつこいですね。先ほども言ったでしょう。答えるつもりはありません」
    「でも、何か事情があるんだろう?」
    「何故そう思うんです?」
    「さっき、人を殺さないといけないって言ってたじゃないか。そうしなきゃいけない理由があるんじゃないか?」
    「……聞いてどうするんです」
    「オレは死んでやれないけど、もしかしたら他に力になれることがあるかもしれないだろ」
     人形が薄い紫のシャツをはだけると、シリコンのようなつるりとしたボディが現れた。ぽっかりと空いてしまっている右肩にカリムが右腕を添える。図らずも腕を取ってしまった手前、どの程度の力で捩じ込めばいいのか躊躇うカリムに、結局は人形が自分で腕を嵌め直してしまった。感覚を確かめるように、もみじのような手のひらをグーパーと開いたり閉じたりしながら人形がポツリと呟いた。
    「貴方って、お人好しすぎて気持ちが悪いです」
    「き、きも……!?」
     見る人が見れば存在自体を気味悪がられそうな人形に気持ち悪がられるなんて。ショックを受けるカリムを尻目にさっさと衣服を整えた人形がくすりと笑う。
    「腕も拾っていただきましたしね。いいでしょう。僕が人を殺さなければならない理由をお話しします」
     


    ◆◆◆

     ジェイド・リーチがその女へ近付いたのは、仕事の一環でしかなかった。女が持つ情報が欲しいのだと言う幼馴染兼雇用主の命に従って、女が足繁く通うバーを調べ、偶然を装って近付いた。カウンターの隣の席に腰を掛け、こんなに美しい人は初めてだとか運命だとか適当に耳元で囁けば、その女は驚くほど簡単にジェイドの手の中に転げ落ちてきた。アズールが狙う情報を持っていると言うのならば、少なくとも理知的で猜疑的で、駆け引きのなんたるかを知っている女性であると思っていたから、ジェイドはそのあまりの呆気なさに拍子抜けしたし、正直に言えばひどくつまらなかった。こんな役割なら自分でなくても十分だった。何なら気まぐれな質のジェイドのきょうだいでもこなせただろう。ほとんどジェイドの言いなりのような女との関係は実に退屈で、べったりと肌に纏わりつくような不快さがあった。ジェイドが女を適当にあしらえばあしらうほど、その女はジェイドを振り向かせようといくらでも情報を流したし、あらゆる手を使って必死にジェイドの心を繋ぎ止めようとしていた。虚空へ手を伸ばすかのように、はじめからありもしないものに縋ろうともがくその姿は、ジェイドにはあまりに滑稽で愚かで、醜いものに思えた。

    「あなたのことを思ってつくったの」
     いつものバーのカウンターで、そう言って女がジェイドにそっくりな人形を出してきた時、ジェイドの仕事がほとんど終わっていたのは幸運だった。体長は四十センチほどだろうか。髪も目も着ているスーツまで自分そっくりに模されたその人形は、まるで幼子が自立心を持ち始めた時にねだるような、塩化ビニルで出来た既製の人形と遜色のない——それどころかより丁寧につくられたような精巧さだ。赤子を抱くかのような手つきで自分にそっくりな人形を胸に抱える女は不気味という他なく、これ以上の関わりは勘弁願いたかった。
    「そうですか。それなら、その人形を後生大事になさってくださいね。僕が貴方とお会いすることは二度とないでしょうから」
     うんざりと首を振るジェイドに、女は戸惑ったようなら瞳を揺らした。
    「ど、どうして突然そんなことを言うの」
    「突然ではありません。僕は元から貴方の持つ情報が欲しかっただけなんですから。初めからそのつもりで貴方に近づいたんですよ」
     この女との付き合いによっぽど飽き飽きしていたのか、普段なら言わなかったであろう本音が口をついてしまった。まぁそれでも構わないだろう。この女が取り乱し、泣き叫んだところでジェイドには何の関わりもないのだから。ジェイドがニッコリと微笑めば、途端、女の顔から表情が抜け落ちる。
    「あなたは私を愛していなかったの」
    「おや、愛されていると思っていたんですか? 僕はそんなことを一言も言った覚えありませんが……一体なぜそんな勘違いをされてしまったのでしょうか」
     女が俯き、人形を抱く手に力を込めた。すると突如、店内の灯りが明滅し、気温がにわかに下がった。電気系統の故障だろうと、ジェイドは意に介さなかった。とにかく、一刻も早くこんな茶番から手を引きたい。これ以上この女に関わる理由もないのだから、話を切り上げて帰ってしまおうか。そう思い、ジェイドはカウンターの中の店員に目を向けた。そこで気付いた。店員がいない。店員だけでなく、いつのまにか隅のカウンターで飲んでいた男も、後ろのテーブル席で時折大きな笑い声をたてていたカップルも、誰もいなくなっていた。会計をした様子もなければ、入口のドアだって開閉していなかったはずだ。ただ忽然と、ジェイドと目の前の女以外の姿が消えた。一体これはどういうことなのか。ジェイドの背筋を悪寒が走った。
    「ひどいわ。私はこんなにあなたを愛しているのに」
    「そんなの貴方の勝手でしょう? 僕は一言も頼んでいませんよ」
     おかしい。何かがおかしい。ジェイドの頭の中でがんがんと危険信号が鳴り響いていた。一刻も早くこの場から、この女から逃げなければ。本能はそう判断しているのに、ジェイドの口は止まらなかった。
    「愛だなんてくだらない。そんなものはまやかしです。貴方の独りよがりを僕に押し付けないでいただきたいですね」
     照明の明滅がまるでジェイドに危険を伝えるかのように早まった。数秒おきに闇に包まれる店内で、女の瞳だけは常にじっとりとした輝きを持ってジェイドを睨み付けていた。
    「思いやりの欠片もない、なんて身勝手な男。自分の欲望のために平気で人の心を弄んで、必要がなくなれば容赦なく打ち捨てる。そんなことをこれまでも繰り返してきたんでしょう。人でなし。あなたは、人間じゃない。人間の皮をかぶった悪魔よ」
    「何を、」
     ジェイドの本心など欠片ものっていない言葉に浮かされて自分の都合の良いように解釈し、現実から目を背けていたくせに、今さら負け惜しみでしかないだろうと、そう悪態をついてやりたかった。それなのにジェイドの口は、まるで縫い合わされたかのようにぴったりと張り付いて、呻き声ひとつ上げることが出来なかった。一体何が起きていると言うのか。
    「そんなあなたに人間の体なんて必要ないわ」
     密室の店内では決して考えられない、ゴウゴウと風が吹く音がする。その風は女の背後から吹いているようだった。強い風が女の長い髪をばさばさと揺らし、その表情を隠す。まるで超常現象のような事態に、ジェイドの目玉は少しでも脳に情報を届けようと右へ左へ目まぐるしく動き回ったが、この状況を把握することはちっとも出来なかった。
    「人の心を持たないあなたには人形の体でじゅうぶん」
     眼前に、ジェイドを模した人形が差し出され思わず偽物の瞳と目が合ってしまった。眼孔に嵌められた、自分と同じく左に金の、右にオリーブの色のガラス玉を見つめた途端、ジェイドの意識が急激に薄れ始める。意識を失うというよりもまるで外から魂を引っ張られるような未知の感覚になんとか抗おうとしたが、霞んでいく意識を止めることができない。

    「もしもあなたが誰か一人でも人間の魂を奪うことが出来たら、人間に戻してあげるわ。人の心を持たないあなたにはきっと無理でしょうけどね」
     女の嘲るようなその言葉を最後に、ジェイドの記憶はぷつりと途切れた。






    ……ど、
    ……イド、

     耳が、何かの音を拾った。ひどく聞き馴染みのある声だ。


    「……ジェイド、聞こえてる〜? おい、大丈夫かって、何があったワケぇ?」
     声の主に思い至って、ジェイドはパチリと目を開いた。視界にうつったのは雑居ビルの隙間から覗く窮屈そうな夜空と、しゃがみ込んだきょうだいの丸まった背中だった。ゆっくりと頭を巡らせれば、汚れた地面とポリバケツと乱雑に積み重なった業務用のゴミ袋視界に入り、どうやら自分が路地裏に倒れているのだと理解できた。
    「ジェイドぉ。……え、生きてるよなコレ?」
     死んでんのー、と真伸びした声を上げる相棒は、ジェイドの名前を呼びつつも何故かジェイドに背を向けて地面に向かって呼びかけている。こんな時まで冗談のつもりだろうか。何が起きたか記憶が定かではないが、こっちはあの女にしてやられたところで心がささくれ立っているのだ。笑ってやれる余裕はない。むくりと上半身を起こしながら、ジェイドはフロイドに声をかけた。
    「僕はこの通り無事ですよ」
    「は」
     ぐりん、とこちらを振り返ったフロイドの瞳が驚愕に見開かれる。またぐりん、と首を元に戻すと、先ほどのようにフロイドは自分の足元に向かって声をかけた。
    「……ジェイド?」
    「はい、何ですか。僕はここです。なぜそちらばかり気にするんです?」
     もう一度、今度はゆっくりとこちらを振り返ったフロイドと目が合った。
    「ジェイド?」
    「だから何回もなんなんですか」
     フロイドはポカンと口を開けたまま、苛立たしげに答えたジェイドをまじまじと見つめていたが、ややあって、ジェイドと左右反対の色彩を持つ瞳がにんまりと三日月を描いた。立ち上がるとあっという間にこちらとの距離をつめ、ジェイドをひょいと持ち上げた。担ぎ上げたのではない。子どもにするように、脇に手を入れて抱き上げたのだ。
    「ちょ、フロ——」
     訪れた浮遊感に、ジェイドは仰天した。いくらフロイドが並みの男より力があると言ったって、自分と同じ体格の長身の男をそんな風に持ち上げることなど出来るはずがない。しかし、何をするんですか、という声は言葉にならなかった。
     フロイドに持ち上げられて、まるで高い高いをするようにフロイドの頭の上よりも掲げられたジェイドの視界。見下ろした世界には、地面に倒れ伏した自分の姿があった。確かに今、自分はフロイドに抱えあげられているはずなのに、だ。まさか自分たちは三つ子だったのだろうか?混乱する頭にそんな馬鹿げた考えがよぎる中、フロイドのはしゃいだ声が人気のない路地裏に響いた。
    「えーウケる! 何これジェイド人形になっちゃったの⁉︎ つかこれホントにジェイド?」
    「……は?」
     人形? フロイドは何を言っているのか。テンション高くくるくると回るフロイドに振り回される間に、雑居ビルの窓が目に入る。薄汚れた窓は、それでもじゅうぶんにジェイドたちの姿を写す役割を果たしてくれた。ジェイドはその光景に絶句した。フロイドが抱き上げているのは、ジェイドではない。ジェイドによく似た顔をした、小さな人形だった。あの女がジェイドに見せた人形そのままだった。
    「嘘でしょう……」
     まさか、自分が人形になってしまったとでもいうのか。地面に横たわる自分の体と、興味津々に自分を見つめる片割れと、そして窓に映るフロイドに抱えたれたままこちらを見ている人形と。さすがのジェイドも事態を飲み込むことが出来ず、どうすればいいのか分からないまま、しばらくフロイドに振り回されていた。




    「で、その女に人形にされてしまった、と? ……馬鹿らしい。何ですか、その非科学的な話は。その女が魔女だったとでも言うんですか?」
     デスクの上に肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せたアズールは、パイプ椅子にちょこんと座ったジェイドそっくりな人形を睨みつけながら呆れたように眼鏡を押し上げた。ジェイドもアズールの言っていることはもっともだと思う。これを言ったのがフロイドだったとしたら、小一時間は笑って付き合ってやって、面倒になったら人形のフリだなんてふざけたイタズラをやめたくなるまで本体を痛めつけてやろうとしたかもしれない。
    「けれど、本当なんです。あの体は僕のものですし、僕の意識は今確かにここにあるんです」
     あの体、とソファに横たえられた自分の身体を指差した今のジェイドの手は、笑ってしまうほど小さい。どういう仕組みなのかは不明だが、この人形の体は歩いたり指を刺したり何かを持ち上げたり、とりあえずはジェイドの意のままに動かすことは出来るらしい。
    「馬鹿らしいったって、信じるしかなくね? 実際、今動いて喋ってんのはその人形なワケだし。最近の人形が動いて喋るっつっても、さすがに度を越してるでしょ」
     ソファに寝かされたジェイドの、収まりきらなかった長い脚をソファの背もたれに腰掛けたフロイドがツンツンとつつく。何かしらの反応を望まれているようだが、残念ながら人間のジェイドの体はぴくりともしなかった。
    「……本当に二人で僕をからかっている訳ではないんですね?」
    「アズール疑いすぎ」
    「疑うに決まってるでしょう……お前たちですよ」
     はあぁぁ、と深いため息をついてアズールはこめかみを揉んだ。
    「そこまでおっしゃるのなら、あの女性に連絡を取って、ここまで引きずってきてください。僕が言っていることが正しいと分かるでしょうから」
    「……」
     ジェイドを一瞥したアズールは、人形が喋って動いている事実にうんざりとした様子でもう一度息をついてからデスクの隅に置いていたスマートフォンを手に取った。それはジェイドがあの女と連絡を取るために使用していたもので、フロイドが路地裏からジェイドの肉体とともに回収してきてくれたものだ。ジェイドは小さな人形の体を精一杯伸ばし、無言のままスイスイと指を動かすアズールの手元を覗こうとしたがあいにくと身長が足らずに叶わなかった。なんとも不便な体だ。
    『おかけになった電話番号は、現在使われておりません……』
     それでも耳に届いたスピーカーから漏れ聞こえる無機質な音声が、女との連絡手段が断ち切られたことを表していた。
    「彼女が住んでいたはずのアパートにも人をやりましたが、もぬけの殻でした。こうも忽然と姿を消されては……本当に信じられないことではありますが、ジェイドの言うことが正しいのでしょうね」
    「だから言ったでしょう。しかし、困りましたね。彼女がいなければどうすれば元の体に戻れるのかわかりません」
    「え、そうなの? ジェイドずっと人形のままってこと? ウケる」
    「このままだと僕が事務所に趣味の悪い人形を持ち込む人間だと思われかねません。それは何としてでも避けなければ」
    「誰も僕の心配をしてくれないなんて……しくしく。なんてひどい人たちなんでしょう」
     分かっていたことだが、このきょうだいと幼馴染は本当に他人の不幸に共感しようとしないやつらだ。己の愉悦と保身の方が大事だとは、聞いて呆れる。外道、鬼畜、悪魔……自分のことは棚にあげて、ジェイドが内心で散々にこき下ろしていると、ふと思い出したことがあった。ジェイドを悪魔と罵った女が、最後に口にした言葉。
    「“もしもあなたが誰か一人でも人間の魂を奪うことが出来たら、人間に戻してあげる”。そういえば、彼女はそう言ってました。僕が誰かを殺せば元に戻れるのかもしれません」
    「はぁ? 何ですか、それ。誰かの命を奪うこととジェイドの体を元に戻すことに何の関係があるんです?」
    「僕もそうは思いますが……」
     ジェイドが顎に手を当てて、ことりと首を傾げれば視界の端で造りものの黒いメッシュがチラリと揺れた。こんなところまで自分と瓜二つな人形に些か気分が悪くなる。
    「でもさ、ジェイドの魂が人形に入ってる時点であり得ないんだから、ジェイドにかけられた魔法? 呪い? とにかくそれを解くのだってオレたちが考えつかないような意味不明であり得ない方法ってこともあるんじゃね?」
     アズールとジェイドが思考の沼に沈み込む前に、フロイドがあっけらかんと言った。
    「お人形サンのジェイドが人殺せば元に戻れるかもしんないなら、とにかく試してみればいーじゃん」
     ソファから立ち上がったフロイドは隣室へ繋がる扉を開き、大股でずかずかと入っていく。開け放たれた扉の向こうから、微かな呻き声とゴソゴソと何かが床を這うような物音が聴こえた。続いて「大人しくしてろよ」というフロイドの声と何かを蹴り上げるような鈍い音が響き、そのままさらに一分ほど待てば、ニコニコと上機嫌なフロイドの顔が覗いた。
    「じゃーん。ここに新鮮な人間がいます!」
     まるで料理番組のような溌剌とした口調でフロイドが引きずってきたのは、縛られ、怯え切った様子の男だった。芋虫のように地面に転がされたその男は、ボサボサの髪の隙間から泣き腫らした目をギョロギョロと動かし、猿轡をされながらも必死で何か呻いている。この男はこちらの情報を敵対勢力に流そうとした人物で、アズールから処理をするよう指令が出ていたはずだ。どうやら今日のフロイドは、ジェイドがあの女と会っている間にきっちり仕事をこなしていたらしい。
    「おや、これは素晴らしい」
    「本当に。なんてタイミングなんでしょう」
    「でしょでしょ? とりあえずジェイドがこいつヤってみればいいじゃん」
     普段なら事務所に痕跡を残すようなことはするなと口を酸っぱくするアズールも、今回ばかりはジェイドを戻すことを優先してくれるらしい。特に反対する様子もみせないので、ジェイドはパイプ椅子から飛び降り、ちょこちょこと男に歩み寄った。普段であれば二、三歩のところを人形の体では右足と左足を何度前に出してもなかなか辿り着けない。本当に何と不便な体だろうか。ジェイドにとってはもどかしい時間であったが、縛られた男にとってはどんな仕掛けか喋って自由に動き回る人形が自分へ向かって近づいてくる恐怖の時間だったらしい。喉の奥で引き攣った音を漏らすと、少しでもジェイドから離れようと縛られて自由のきかない足で床を蹴って後ずさろうとする。しかし、後ろに立っていたフロイドの足に阻まれ、それでも迫り来る不気味な人形よりはマシだと思ったのか、その足に縋ろうとして蹴り飛ばされた。人形の小さな歩幅でやっとのこと男の前に立ったジェイドは、ガタガタと震える男にニコリと笑いかけた。そこで大事なことに気付いた。
    「……どうやって殺せばいいんでしょう」
     見下ろした掌は赤ん坊のものよりも小さく可愛らしく、シリコン製なのだろう、そう簡単に人に傷をつけることが出来るようには見えなかったし、首を絞めようにも圧倒的にサイズが足りなかった。
    「オレの貸したげる」
     長い足でゆうゆうと男を跨ぎ、ジェイドの横にしゃがんだフロイドが腰から銃を取り出した。はい、と手渡してくるのを両手で受け取ったジェイドは、その重さにふらふらと体を揺らす。
    「これは、この体には少々重いですね……」
     いつもであれば手のひらに収まってしまうような、軽々と扱える小型の銃でも人形の腕ではうまく支えきれず、ついにはゴトンと音を立てて床に落としてしまった。
    「マジかよ。その体不便だね。じゃあオレが支えてやっから……」
     床に落ちた銃を拾い上げ、もう一度ジェイドに握らせようとするフロイドにアズールが静止の声をあげた。
    「待ってください。銃の重さすら支えきれないのに、引き金なんか引いて大丈夫ですか? 反動に耐えられるんでしょうか。その体、耐久性はどの程度なんです?」
    「……」
     答えを知っているものはおらず、二人と一体の視線が交わる。この人形の体は陶器ではないので割れることはないだろう。最悪、腕の一本くらい外れたとしても所詮人形なのだし、また嵌め直せばいい。しかし、人形にジェイドの魂が宿っているいま、その影響が本体のジェイドに響かないとも言い切れない。あまり無理はしない方がいいかもしれないなと思い、ジェイドはフロイドを仰ぎみた。
    「フロイド、ナイフを貸してもらえませんか。それならこの体でも問題なく扱えると思います」
    「ちゃんと持てんの? 今のジェイドの身長くらいあっけど……」
    「銃よりはマシでしょう」
     ぺろりと捲ったシャツの下から、フロイドがナイフを取り出す。やはりジェイドの手はナイフの柄も満足に握れない大きさで、またも取り落としそうになってしまった。見かねたフロイドがナイフを握ったジェイドの手に自分の左手を重ねて支える。まるで自分がフロイドの子どもになってしまったようで、なんとも居心地が悪いのだが今のジェイドではフロイドのサポートなしにコトに及ぶことも難しいのだから仕方がない。
    「あは。オレなんかジェイドのパパみたいだね。じゃ、せっかくだからお人形サンに人間の急所を教えてあげちゃおっかな〜」
     フロイドは「ここで〜す」と無邪気な声を上げ、右手でジェイドの体をひょいと持ち上げると床に這いつくばった男に近づけていく。鈍い光を放つ切っ先に、恐怖に歪んだ男の表情が写った。




    「戻んないねぇ」
    「戻りませんねぇ」
     ジェイドが人形にされてしまった日から、三日が経った。ジェイドは相変わらず人形のままで、本物の体は懇々と眠り続けている。事務所の仮眠スペースに寝かされたその体は、注意深く観察すれば呼吸に合わせて胸が上下しているのだが、それ以外は声を上げることも、指一本ですら動かず微動だにしないので、それこそ人形のようだった。
    「いっそ人形のままでも構わないのでは? 食費もかかりませんし、何をしようと戸籍のない人形なら足もつきませんからね」
     ジェイドの陶器のように白く美しい肌にガーゼを添えてキュッキュと磨くフロイドど、フロイドに顔を拭いてもらいながら首元のタイの結び目を整えるジェイドへ、アズールは書類から目を逸らしもせず、にべもなく言い放った。
    「おや、それも面白いかもしれませんね」
    「冗談ですよ。お前の仕事を肩代わりするのにも限界があります。早く戻ってもらわなければ困ります」
    「普段の僕の働きをやっと評価してくださって嬉しいかぎりです。僕の上司は仕事はどんどん任せるくせに、部下の働きを素直に褒めることも出来ない意地っ張りでしたからね」
    「働いただけの報酬はあげていたでしょう。それとも頭でも撫でて欲しかったんですか? まぁ、今のお前にならしてあげても構いませんよ」
     書類を机に置き、ソファに座るフロイドに近寄ったアズールはその膝からひょいとジェイドを持ち上げた。意地悪く片頬を吊り上げたアズールがターコイズブルーの頭へ下ろそうとした手を、ジェイドは短い手を懸命に上げて防いだ。
    「結構です。部下の褒め方が分からないからと言って、貴方が昔ママにされていた行動を真似る必要はないんですよ、アズール」
    「お前は本当に一言余計だな。元に戻ったら覚えてろよ」
    「それはこちらのセリフです」
     半目になっていがみ合う二人に、フロイドが気怠げに声を掛けた。
    「いや、マジでどーすんの? 何人殺しても戻んないってことは、呪いの解き方が違うってことでしょ。それならガチで一生人形もありえるじゃん」
     フロイドの言葉に、ジェイドもアズールも黙り込んだ。そう、あの日フロイドの助けで無事に『人間の魂を奪う』ことに成功したにも関わらず、ジェイドは人間に戻ることが出来なかったのだ。
     あの時、ジェイドの持つ刃は確かにあの男を貫いたけれど、傍からみたらナイフを持たせた人形をフロイドが操っている、趣味の悪いごっこ遊びにしか見えなかっただろう。ほとんどフロイドがやったようなものだ。もしやジェイド一人の力でなければいけないのかと、次はこれまたフロイドが縛り上げた相手とジェイドでも振るえるサイズのナイフを用意して目的を達成したのだが、依然としてジェイドは人形のままだった。フロイドが相手を縛っていることがジェイドの力ではないと見なされるのではないか。そう思い、三度目はアズールのブラックリストの中から適当な人間を事務所へ呼び出してもらった。幸いにも二度目の挑戦でこの体の使い方にも慣れてきていたので、今度こそジェイド一人で血の海をつくれる自身があった。
     のこのこ事務所の扉をくぐった相手にソファの影から忍び寄り、辻斬りよろしく脚の腱を切って膝をつかせたところに背中から飛びかかって何度もナイフを突き立てる。一撃で致命傷を与えられない小さな体がもどかしいのと同時に、吹き上がる血と耳をつんざくような悲鳴にジェイドは久しぶりに血が沸き立つような興奮を覚えた。最近は後始末を考慮してコトに及ぶことが多かったのだが、たまにはこういうのもいいかもしれない。元の髪色がなんだったのか分からなくなるほどの返り血を浴びて、まるで何度も挑み続けた山の頂に辿り着いたような高揚と達成感を味わったジェイドだったが、それでも血濡れの体が人間の体温を取り戻すことはなかった。
    「“誰か一人でも人間の魂を奪うことが出来たら”、この言葉が嘘だったということでしょうか。まぁあり得なくはないでしょう。人形に魂を封じ込めるほどジェイドを憎んでいるのに、わざわざ戻り方を教えてやる必要もないですからね」
    「それだとやっぱその女に直接訊くしかなくね? アズール、まだ見つかんないの?」
    「えぇ、残念ながら。……まるで初めから存在していなかったかのように忽然と姿を消してしまって、手がかりの一つも掴めていません」
     肩をすくめたアズールの言葉に、フロイドの舌打ちがかぶった。なんだかんだと言いながら、この二人はジェイドを元に戻すために色々と手を回してくれているようだ。やはり持つべきものは血を分けたきょうだいと幼馴染、というところだろうか。
    「オレもうジェイドの代わりに潜入させられんのやなんだけどー! 香水くせえ女ばっか寄ってくるし」
    「僕だってジェイドに任せていた調査や雑務にまで手を回さなければならないので大迷惑です。忙しすぎて手が八本あっても足りないくらいだ」
     やはりこの二人は悪魔だった。最近何度も痛感させられるこの事実に、前回は心中で留めた愚痴を今度こそジェイドは人形のつくりものの口にのせてやった。
    「貴方たち、本当に僕の心配をしませんね。僕がこんなにも困っているというのに。それでも人間ですか? まるで人間の皮をかぶった悪魔じゃないですか」
    「「お前が言うか?」」
     途端に息を合わせた二人に応戦するより前に、ふとジェイドの中で引っかかるものがあった。
    「……人間の皮をかぶった悪魔、人間の心を持たない、人間じゃない……」
     最後に会った時に女が言っていた言葉を思い返す。口の中で唱えているうちに、ジェイドは閃いた。
    「そうか、分かりました。今まで試しに手をかけてきたのは、裏社会の人間ばかりでしょう? 薬に恐喝、殺人……非人道的なことに手を染め切った人間ばかりです。あの女からすれば、そんな奴らは人間のクズ、いえ、きっと悪魔と一緒です」
    「どしたの急に。自己紹介?」
     フロイドの冷やかしを無視してジェイドは続けた。
    「だから、そんな人間をいくら手にかけたところであの女の言う“人間の魂を奪う”ことにはならないんです」
     そう断言するジェイドに、アズールもフロイドも半信半疑なようだった。けれど、ほかに思い当たることはないのだ。あの女が残した言葉が嘘だったとしたら、何の手がかりもないことになる。そうなれば、時が解決してくれることに賭ける以外ジェイドたちに出来ることはなくなってしまう。ジェイドたちに残された道は、あの言葉が真実だと信じて、少しでも可能性があることを試してみることしかないのだ。
    「一般人を襲ってみましょう。真っ当に生きている人間であれば、きっと彼女の言う“人間”の条件に当てはまるはずです。二人の助けはいりません。僕一人でやります」

    ◆◆◆

    「いや、なんでそうなるんだ?」
     ここまでジェイドの話をだ黙って大人しく——百面相だった自覚はあるので表情はだいぶうるさかったとは思う——聞いていたカリムは、とうとう我慢が出来なくなって口を挟んだ。
    「だって、二人には僕の本当の体を守ってもらわないといけませんから。それに、他人にサポートしてもらうことが呪いの解除条件に引っかかるかどうかは結局判断出来なかったもので、念には念をいれました」
     涼しい顔でけろりと言ったジェイドに、カリムは頭を抱えた。
    「いや、そういうことじゃなくてさ。“誰か一人でも人間の魂を奪うことが出来たら、人間に戻してあげる”。その女の人はそう言ったんだよな?」
    「えぇ、そうです」
    「それが何で人を殺すことになるんだ?」
    「は?」
    「ジェイドが誰かに愛してもらうことが出来たら人間に戻れるってことじゃないのか?」
    「……え?」
     ジェイドの瞳がまん丸く見開かれた。鳩が豆鉄砲を食ったような、と言う表現はよく聞くが、人形は呪いの解除方法が間違っていたことに気付いた時にこんな表情になるらしい。
    「よく芝居や詩に、魂を奪われてしまったっていう一節があるだろう? 彼女に魂を奪われてしまった、とかさ。あれは誰かのことを心から愛してしまったって意味になるじゃないか」
      あんぐりと人形が口を開いた。人間であればそのまま顎が外れてしまいそうなほど大きく開かれたその口の中には、ギザギザとした独特な歯列があった。口の中まで精巧につくられたその人形に、カリムは感心した。きっと、本物のジェイドもこうして尖った歯をしていたのだろう。
    「そんなわけないでしょう。僕が愛されることと人間に戻ることになんの関係があるんです」
    「そんなこと言ったら人殺しも関係ないじゃないか」
    「僕の魂が元に戻る時に、この人形に封じ込めるための生贄の魂が必要なのかと」
    「こ、怖いこと言うなよ」
     いつのまにか空に浮かぶ三日月は頂点まで登り終わって、徐々にその高度を落としていた。月明かりに照らされたジェイドの蒼い髪がキラキラと輝く。そっと撫でてみれば、髪の一本一本がまるでシルクで出来ているかのように滑らかな手触りだった。市販の人形とは一線を画した出来栄えだ。
    「きっとその人は、ジェイドのこと本当に愛してたんだな。じゃなかったらこんなに丁寧に作ったりなんかしないよ」
     髪の毛だけではない。顔の造形から身につけている衣装、装飾品にいたるまで近くで見れば見るほどとても手をかけられているのがよく分かる。
    「本人の了承もなしにそっくりな人形をつくるだなんて、どうかしてます。これを見せられた時の僕の気持ちが分かりますか? 気味が悪いに決まってるでしょう」
    「それはそうかもしれないけど……でも、きっとその女の人だって悪気があったわけじゃないと思うんだ。これだけジェイドを思っている人が、ジェイドに人殺しをさせようなんて思うはずがない」
     カリムは、先ほど付け直したばかりのジェイドの右腕をそっとさすった。
    「さっきは本当にごめんな。こんなに愛情がこもってるのに壊しちまって……その女の人にも悪いことしちゃったな」
    「僕はそうは思いません。どうやら貴方とは意見が合わないようですね」
     そう言うと、ジェイドはベンチから飛び降りた。
    「それでは、これで。僕はそろそろ失礼します」
    「どこに行くんだ?」
    「さぁ。それはこれから考えます」
     優雅にカリムに一礼してみせると、ジェイドは公園の入口に向かって歩き出した。この後、また誰かを物色するつもりなのだろうか。咄嗟にカリムはその背に声をかけた。
    「なぁ! どうせ殺すなら、オレにしないか」
    「は?」
     そうだ、それがいい。何も考えずに口をついてしまったのだが、これは良い案じゃないだろうか。どうせ誰かが殺されそうになるのなら、なんの罪もない一般の人よりも、慣れているカリムの方が断然いい。カリムはベンチから弾みをつけて立ち上がると、訝しげに振り返るジェイドに走り寄り、返事もきかずにひょいと抱え上げた。ジェイドは、何をするんですか、と手足をジタバタさせていたが、弟妹たちの暴れっぷりに比べればかわいいものだ。
    「オレは呪いは愛でとけると思う。けど、ジェイドは人を殺せば呪いがとけると思ってる。ならさ、どっちが正解なのか勝負しようぜ」
    「勝負?」
     そう、勝負だ。自分の考えにワクワクしてカリムは軽くステップを踏んだ。くるくると回りながら公園を出ようとして、数歩戻る。茂みのそばに落ちている、先ほど自分で蹴り飛ばしたナイフを摘み上げ、腕にかけている潰れたおにぎりとペットボトルの入っているコンビニ袋に放り込む。悪いがこのナイフをジェイドに返すわけにはいかないので、後で適当に処分してしまおう。
    「ジェイドはオレを殺す、オレはジェイドを好きになる。どっちが先に呪いをとけるか試してみようぜ。ま、オレは殺されるわけにはいかないからオレが勝つだろうけどな!」
     そう言ってカリムが笑うと、ジェイドも不敵な笑みを浮かべた。
    「おや、言うじゃないですか。……いいでしょう、その勝負受けて立ちます。僕は必ず貴方を殺して人間に戻ってみせます」
    「あははは! せいぜい頑張ってくれ! そうだ、自己紹介がまだだったな。オレはカリム。これからよろしくな、ジェイド」
    「こちらこそよろしくお願いしますね。カリムさん」
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    mikittytanaka

    DOODLE現パロでチャッキーパロな🐬☀️。チャッキー(チiャiイiルiドiプiレiイ)とカエルの王子様を足して5で薄めたようなお話。魔女の呪いで人形に魂を封じ込められてしまった🐬くんと出会う☀️くんのお話し。
    再録サンプル ピピピ、ピピピ…
     規則的に鳴り響くスマートフォンのアラーム音に、うぅん、と唸ったカリムの眉間に皺がよる。もう朝なのか、起きなければいけないな、朝ごはんは何にしよう、卵はまだあったかな。脳の半分以上は眠りに浸かったまま、ぽつりぽつりととりとめもない考えが浮かんでは消えていく。あぁ、けれどこの心地良いまどろみからまだ抜け出したくない。せめて、あと五分だけでも……。シーツを顎の下まで引っ張り上げ、ころりと寝返りを打つ。
     ピピピ、ピピピ…
     そんな気持ちとは裏腹に、覚醒を促すアラーム音は鳴り止まない。カリムは薄らと片目を開けた。とにかくアラームを止めなければ。スマートフォンはどこだろう。カーテンの隙間から差し込む光は部屋全体を照らすには程遠く、枕元をごそごそと手探りするもなかなか目的のものに当たらない。そういえば昨夜はベッド脇のサイドテーブルで充電したままだったかもしれないと思い出したカリムは、サイドテーブルへ手を伸ばそうと、仕方なく上体を起こした。その瞬間。
    19330

    mikittytanaka

    MAIKING🐬ジェイカリ☀️
    卒業式で別れるところから始まるジェイカリの続き。卒業から二年経ってアズールのもとを訪れるカリムくん。まだ続きます。
    *捏造カリム父がちょっと喋ります。
    *カリムくんに奥さんがいます。奥さんは出てきませんが、それなりのことを致してるんだなと察せられる言葉が出てきます。
    いつかあなたと2「カリム、考え直してみないか。他にも何か方法が…」
     この世に生を受けて二十年余りになるが、こんなにも憔悴しきった父親の顔を見るのは初めてだ。そんな父親の様子に心を痛めながら、それでもカリムはキッパリと首を横に振った。
    「いや、これしかない。」
     一度深く息を吸う。
    「——当主の座を継ぐ前に、事故死か、暗殺か…どちらにしろオレが死ぬしかない。とーちゃんだって本当は分かってるだろう?アジームのためを思うなら、これが一番だって。…もともと、この歳まで生きてこられたこと自体運が良かったんだ。思ってたより長くとーちゃんやみんなと楽しく過ごせてオレは幸せだったよ。」
     なんてことないように笑うカリムに、とうとう父は項垂れて両手で頭を抱え込んだ。カリムの死後、その死の秘密を一人で背負わせることになってしまうことが申し訳なくて、その背を労わるようにさする。けれど父もいつか分かってくれるはずだ。この方法以外にないのだと。
    13199

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    MENUジェイカリ。学生の間だけと期限を決めてお付き合いをしているジェイドくんとカリムくんが卒業式の日に別れるところから始まるお話。

    ずーっとこのお話が書きたくて色々いじくってたんだけど、書きたいところまでまだまだいけない感じなので途中まで。ジェイドくんとカリムくんが別れるところまで。
    いつかあなたと「オレもジェイドのことが好きなんだ。だから、すっごく嬉しい。」
     桜が花開きはじめたあの春の日。頬をほんのりとピンクに染めて、蕾が綻ぶかのようにはにかむカリムの笑顔を今でも思い出す。
    「——けど、付き合うには条件がある。卒業式の日に別れてほしいんだ。その先の未来を約束することはできない。オレは、アジームだから。…それでも良ければ、オレと付き合ってほしい。」

     人魚の一世一代の告白に条件を突きつけるとは、人間とはなんと傲慢なことだろうかと、その時のジェイドは驚いた。けれど、別に構わなかった。それならやめますというのも自分としては釈然としないし、何より卒業式を待たずして関係を終わらせている可能性は大いにある。この気持ちが一過性のもので、一度手中におさめてしまえば満足するかもしれないと、それならばそんな条件など何ら問題ではないと、カリムの手を取ったあの日。ジェイドは、あの日の自分の判断を後悔している。
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