政略婚リンゼル・まとめ《36~50》リンク視点 父の手に引かれ見たその人は小鳥のようだとリンクは思った。守らなければならない小鳥。全身を通り抜ける風を感じてそれは確信になった。成長したリンクの元にその書状は届いた。赴いた先でかの人は立っていた。幼き日に見たのと同じ小さな鳥はリンクを怪訝な目で見ていた。理解している一度も顔を合わせていない相手と婚姻をと迫られているだから。
リンクは恭しく頭を垂れながらつま先を見ていた。整えられた足先。そこに存在するのだと実感できたからだ。名を告げる声は小鳥のさえずり。リンクはそっと胸に当てた手を握りしめた。
姫がわずかに噛んだ唇。言いたい言葉はそれだけで伝わる「何故あなたは受け入れたのか」今、その答えをリンクは持っていなかった。
婚約してからは姫付きの騎士となり玉体をお護りする日々。
初めて目にした姫の巫女姿は清浄であり、身を浸す泉の冷たさをどんなにかけっして世俗に汚してはいけないと。
その気持ちが動いたのは当然の仕事をした直後だった。魔物の気配を察知してすばやく御身を護る。距離を取られることには慣れていた。必要時以外触れぬように気をつけていたがこの時ばかりは身の安全が最優先。背に触れた頬の感触にゾッとする。心配げに見上げる姫に得意でない笑みを浮かべて見せたのは、体の芯を駆け上がった感覚を隠すため。
リンクは初めて主に嘘をついた。
武勲は風に乗って城下を渡り好意を寄せる女花は蜂を呼び寄せようと自ら危機を招く。そのひともその中の一人だった。眼前で心得顔で手を揉む男の娘。分からぬはずもない。背後の姫の気配に気付かぬ者が姫付きの騎士になどなれはしない。
眉間に深く刻まれた皺に指を置きリンクは淡い花の香のする手紙を引き出しにしまった。夜伽を命ずる姫の字はわずかにインクが滲んでいた。
「再考されますよう」
言えば泣かれることはわかっていた。なんでもお見通しなのだなと自分のなかのもう一人が笑う。その声を無視して下がってから数日後、城下に人々は集い成婚が祝われた。
婚礼服に身を包んだゼルダと誓いの口づけをかわす。わずかに触れ合う形だけのキス。リンクはすぐに頭から消し去った。
宴は夜半まで続き姫は先に私室へと戻る代わりに夫君となったリンクが、饒舌に述べられる祝辞に慇懃な礼を返す役を勤めた。いつもと同じ近衛服よりも、追加された飾緒や勲章、紅のサッシュベルトが重く感じられる。退魔の剣を得た時とは異なる外圧。心中でこの圧をいつも感じていたひとのことを考える。崇高な魂の持ち主は、この宴が終わって戻る部屋で眠っているはずだ。リンクは誰にも聞かれぬようため息をついた。
篝火に照らされた廊下を宮廷の奥へと歩を進める。前室で着飾った服を脱ぎ用意された私服に袖を通す。何度も見送った扉を今夜は開けるのだ。
正直この状況に一番困惑しているのはリンク自身だった。なぜ姫の相手が自分なのか。触れ合ったとしても涙を流させるだけ。扉の軋む音と共に明かりの消えた室内へと滑り込む。寝息が聞こえる。もう眠られているホッと安堵し、隣り合ったベッドへと近づいた。
寝てしまえばいい。
だが白いシーツの膨らみから、まるで光を受けたうねる波の如き金の色を目ざとく青い眼は見つけてしまう。足は自然と止まりゆっくりと上下する白い布を見ていた。深いため息が漏れた。
ああ……。
リンクは息を止めた。これ以上深く息をしてはいけない。どうして断らなかったのか。今更後悔しても遅い。どれだけ見入っていただろう。シーツ下のぎこちなく続けられる寝息。姫の困った様子と緊張が手に取るように分かり静かに自分のベッドへと入った。
眠らずに深夜を待つ。今日がどんな日か知らない訳もない。手つかずの花嫁を置いて部屋を出た。重苦しい息を吐くと尾行に気付いた。素足の足音。迷ったがこのまま追わせることにした。気付かれたいという歪んだ願望を捻じ切ってわざと歩みを遅くする。
思った通り城下までは追って来なかった。花嫁には酷な行為。だがそうでもしなければ自我を保てないのはリンクの方だったのだから。きっと今頃泣いているに違いない。熱を逃す手を速めて苦々しい息を吐く。
どこで間違った。
どこで――。
花嫁は美しく清廉な花。決して野に荒ぶる土塊が穢していい訳がない。
なぜ最初から……。
耳に蘇る漏れ聞こえる甘く鼻にかかった寝息。寝返りを打つ度に鳴る布ずれの音に爪を何度皮膚に食い込ませたか知れない。城下に恋人がいると誤解されただろう。それでいい。そのまま自分を蔑み手放して下さった方があの方の為だ。
だがもう知ってしまった。手放せないのは自分の方なのだと。傍にいる喜びをもうリンクは知ってしまったのだ。自覚し芽生えたばかりの若芽を英傑の青で覆い隠す。翌日より姫と婿騎士には実質的な距離が取られた。
リンクの思惑の通りに。