参考書は僕の恋人「ただいまー。」
あっちー外から帰ると三郎がソファに寝転んでアイスを食べている。
「あ、おかえり。」
「……おまえ、それ」
昨日の夜風呂の後に食って残ってたのは一本だけだったはず。
「んー?ラスト一本。欲しかったらお前が買ってこいよな。」
「はあ⁈俺が部活から帰ったら食うからって言ってあっただろ!」
「名前書いてなかったお前が悪いんですう。山田家では名前が無ければ食べても文句言えないはずですからねー。」
それはそうだけど。
「チッ!買いに行くか……あ。」
財布を出そうと尻ポッケを探るとガサッと紙の音。
(そうだ。美術の先生になんか渡された。)
部室に着替えに行こうと美術室の前を通った時に呼び止められて「これ、余ってるから兄弟と行ってこい」と言われた。くれるんなら貰っとくかくらいで内容も見ずに受け取った。ウチの先生たちなんかしんねーけど学校にくる生徒用の催し物のタダ券くれるんだよな。こないだはプロサッカーの学生招待券を体育の先生にもらったし。それは友達と行ったんだけど美術の先生からってことは俺にはなんも関係ないんじゃねーかな。と思いながらぐしゃぐしゃの紙を取り出す。紙は二枚。特別美術展招待券と書いてある。
(ほーらやっぱ俺には関係ない。)
「なあ、三郎。」
「なんだよ。買いに行くんなら自分で行けよな。」
「……ちげえよ。これ、お前いる?」
「なんだよこのぐちゃぐちゃの紙…………」
チケットを渡してやると最初は怪訝そうだった目が大きく見開かれてくる。
「いる。」
だろうな。
「これ、学校で貰ったのか?」
「おう。中学でもくれんだろ?」
「中学は先生に言いに行かないとくれないし、これは美術部の子が欲しがってたし、貰えなかったんだ。」
「そうか。じゃ、やるよ。」
「え、二枚とも?二郎行かないのか?」
「俺が行ってどうすんだよ……あ、お前行く友達いないんならお兄さまが行ってやってもいいぜ。」
「いるよ。失礼だな。」
そう言うと三郎はグチャグチャのチケットをのばしのばししながら階段を登っていった。
…………
実際見に行く友達はいない。行くのは恋人だ。勤務が不規則だから突然の電話はこっちからはしない。グチャグチャのチケットを机の上で少し伸ばして写真を撮る。
(それでもボロボロに見える……ま、いっか。)
その写真を貼り付け、『行こうよ』と一言送る。美術展は期間が長い。普段は休みが合わない事がほとんどだけど美術展は比較的期間が長いので合わせる事ができる事が多い。これまでも何度か一緒に回ったことはある。
送ったあとそのまま宿題を始める。簡単な計算と漢字練習と英訳が今日の課題。やらなくても出来ることなのにやらなければ評価されないから仕方なく課題をひとつずつ消化。全部終わりそうなところでポコンとスマホが鳴る。とりあえず全部済ませてから画面を見ると『いいですね。ちょうど次の休みが土曜日なのですがいかがですか。』という返事。
(次の土曜日って随分早いな。)
その日は昼まで家庭教師の依頼が入っている。中学入試を控えた子なので僕がサボるわけにはいかない。『昼まで依頼が入っているのでその後なら平気』と送り返してスマホをポケットにしまって部屋を出る。そして萬屋のPCを開き僕の依頼チェックをする。土曜日、日曜日は僕でも出来る細かな依頼が入っている事もある。できない時は自分でスケジュールに✖️をつけなければならない。一応土曜日の午後と日曜日に✖️をつけた。
…………
土曜、夜勤明けだから午後からって言ってきてくれたのはありがたい。待ち合わせを午後にしようと考えていた矢先の返信。恋人からのお誘いはなんとしても叶えたい。しかもできるだけ早く。忙しさにかまけて放って置くといつまで経ってもデートなんかできなくなる。夜勤明けで次の日は丸々休みになるからうまくいけば日曜は一日中一緒にいる事ができる。
(泊まりはしないだろうがな。)
二日続けて会うことができるだけでも御の字だ。泊まるなんて言われたら理性が保てるのかもわからない。相手は中学生だし、あのブラコン三兄弟に外泊は流石に無理だろう。それより夜勤の間疲れないように立ち回らないといけないからそっちの算段が先だな。
…………
依頼を終えて一旦家に帰る。参考書や筆記用具を机に置いて、空いたカバンの中に一応下着を突っ込む。
(……泊まりはないと思うけど、恋人だしな。)
一応それなりの用意はしていくのも恋人の務めだもんなと頭の中なのに何故か言い訳をする。わかんないけど付き合ってるならそれなりにいろいろ求められて当たり前なんだろうし、い、いちおうキ……スくらいはしてるし……とはいえ泊まって何するのかよくわかんないけど。そんな事を思いながら着替えをする。一応依頼先では先生ってことでちゃんと制服で行ってたから。美術館に行くから割とトラディッショナルな服を選ぶ。とはいってもシャツに太めサスペンダーとチェック柄のパンツ。少しロールアップして足首を出している。だって暑い。服はトラッドめだけど靴は普通にスニーカー。色だけちゃんと合わせてる。
「お、さぶちゃんおめかししてんじゃねえか。」
玄関で帰ってきたいち兄と鉢合わせてしまった。できれば見られたくなかったいつもと違うテイストの服装。
「今日はお泊まりか?」
と聞かれ「……わかりません」と答えるとバシッと肩を叩かれて「連絡だけは入れろよ!」と言われた。
恋人ができた事は伝えてある。具体的に誰とは伝えてないけどいち兄は「三郎が好きなら誰でもいい」みたいなスタンスなので恋人と仲良くやってるならオールOKのようだ。
恥ずかしくなり「行ってきます!」と玄関を飛び出した。
…………
土曜日のウエノの駅前広場は人が多い。しかし長身で姿勢の綺麗な立ち姿の彼はすぐに見つけられる。
「ごめん、遅れた。」
「いえ、待ち合わせの時間まであと五分もありますよ。私が少しはやく着いてしまったので。」
柔らかく微笑む。恋人の入間銃兎はヨコハマディビジョンMAD TRIGGER CREWの警官だ。要するにライバルチームの一員。バトルの時は揶揄われたり、ディスられたりで大っ嫌いだけど普段は優しい。頭も良いし、趣味も合う。ちょっと理屈っぽくてイヤミなところもあるけど許容範囲。
「では行きましょうか。」
「うん。」
美術館は広場からすぐでチケットを持っていた事もあり並ぶ事もなくスムーズに入れた。中は広く涼しい。美術の教科書に載っていた絵を間近で見る。単なる平面の写真ではわからない絵の具の滲みや厚さを知ることができる。そして本当の大きさも。有名な絵画は教科書では一頁にドンと載っている。大層大きな絵なんだろうと思っていたのに実物は折り紙ほどの小さな絵だったり、資料の片隅に参考程度で載っている絵が実はかなりの大きさだったりする。絵の良し悪しなんて僕にはわからないし、誰が価値をつけているのかもわからないけど小さな絵も大きな絵もここにある全てにエネルギーを感じる。静のエネルギーだったり動のエネルギーだったり正のエネルギーだったり負のエネルギーだったり。全ての作品からなにかを感じる。
「熱心に見ていますね。」
声を掛けられて一緒に来ていた事を思い出す。基本一緒に見て感想を言い合ったりしながら見るなんてことはない。お互いのペースでなんとなく一緒の空間にいるだけのような回り方をしている。周りにもカップルはいて、仲睦まじくおしゃべりをしながら回っている人たちも少なくない。というか誰かと一緒ならそういうのが一般的な気がする。
「あ、ごめん。勝手に見てた。」
「何故謝るんです?私も自分の見たいのを見てましたよ。ただ、だいぶその絵の前から動かないようなのでちょっと気になりました。」
「あ、ああ。この絵こんなに小さかったんだと思って。」
有名な絵画。どの教科書でも美術書でも大きく取り上げられて御大層な解説が載っている作品。誰でも知っているはずだし、その評価は間違っていないと思う。でも思ってたより小さい。
「小さい?普通の大きさですよね。」
「まあ絵画としては普通の大きさなんだけどイメージ的にすっごく大きいんだと思ってたんだ。だから迫力があって凄いんだと。でも思ったより小さくてそれなのに凄みも迫力もあって遠くからでも近くで見ても存在感が半端なくてなんなんだろうって思ってたんだ。」
「ふふ。そうですか。」
「だってどの教科書にも大作って載ってるしどんだけデカいんだろって思ってたんだよ。」
「そうですね。言ってる意味はわかります。私もそう思っていましたし。この小さなキャンバスにこれだけの精神を込めて描き上げるのは並大抵ではないでしょうしね。まあ、要は見た目ではなく本質というところなのでしょう。」
「うん。……本質か。見極めがいらないくらいの圧倒的な凄さは感じるよ。」
「そうですね。この先にも素晴らしい作品達が待っていますよ。そろそろ進みませんか。」
促されては立ち止まり、立ち止まっているとまた話しかけられを繰り返してようやく見終えたのが三時間後。有意義というにはちょっと長かったかもしれない。
「熱心に見入ってましたね。」
「本物初めて見るのばっかりだったから。」
「今回は有名な作品が多かったですもんね。」
「……そうなんだよ。なんか長い期間みんなが凄いっていう物はやっぱり凄いんだと改めて思ったよ。」
「そうですね。何度見ても素晴らしい物は素晴らしいですね。」
「……何度も見てるのか。」
「初めてのももちろんありますよ。」
「時間、掛けすぎたね。」
「いえ。ゆっくりじっくり見るために来たのですから当然でしょう。私はあなたの一所懸命見ている姿も見れましたしね。」
「へ?」
「あなたが心奪われているのを嫉妬しながら作品を拝見していましたよ。こんな可愛い格好をして作品に魅了されてこちらを見向きもしないんですから妬きますよね。」
「な、なに言ってるんだよ。」
「今言ったそのままですよ。恋人が私以外に魅了されるのは気分のいいものではありませんがあの素晴らしい作品たちでは仕方ないですからね。」
気障なセリフを並べ立ててくる。下手なディスよりタチが悪い。言われて擽ったい気持ちになるのがいいのか悪いのか。
「ふふ。真っ赤ですね。」
と指先で僕の頬をツンと触る。いつもは真っ赤な手袋に覆われている指先は爪が綺麗に手入れされていて人肌の温もりもあった。一瞬なのにそんなことを感じてしまいドキドキしてしまう。
「も、もう!何言ってんだよ!」
「……ふう。せっかく甘い言葉でも囁けば静かになると思ったんですがね。」
静かに?うるさいってことか?しかも冗談か……
思いがけないことを言われて立ち尽くしてしまう。
「どうしました?」
「……べつに。」
うるさいと言われて迂闊に喋るのもなんだし、返事はしないわけにはいかないしでブスッとした答えしかできない。
「おやおや。パンダさんでも見に行きますか?」
「動物園はそろそろ終わるだろ。」
「……そうですね。」
…………
ちょっと揶揄いすぎたか。お子様扱いにも気付かずマジレスとは。
いつもとは違う格好をしてきた三郎。シャツ姿なんて初めて見た。とても似合っていて可愛らしい。ちゃんとデートを意識してくれたんだと喜びすらある。
じっと展示された絵画を見つめていた姿は美しささえ感じた。こちらには見向きもせずだったがそれを幸いに展示を写真に収めるふりをして三郎までを一作品として撮っていた。真剣に向き合うほどに美しさを増す恋人を後でも愛でられるように。
若干変態っぽいが誰に共有するわけでもないから構わないだろう。
日が傾き始めそろそろ腹も減る頃だ。なんか食べさせれば落ち着くだろうと「そろそろお腹が空きませんか。」と言うとしばらくの沈黙のあと
「今日はもう帰るよ。」
と衝撃の一言。
…………
やっぱり美術館なんて一人で来るものだ。恋人とのデートなんかで来るもんじゃない。そもそもまともなデートなんて今までだってしてきたのか。やっぱり入間銃兎は僕を揶揄っているだけなんじゃないか。ちょっと前にキスなんてされちゃったから舞い上がってたけどそれがオトナのやり口なのかもしれない。
いや、そもそもそんなのだって笑いながらでも出来ちゃうものなのかも。
勝手に舞い上がってオシャレして、ドキドキしながら美術館に入って……隣を歩くのかと思っていたけど特にそういうんじゃなくて……僕が好き勝手に回ってたんだし、お互いの尊重なんだけど、なんとなく周りのカップルとは違うと思うとやっぱり少し寂しくなってきた。
お腹が空かないかなんて聞かれても、ご飯なんて一緒に食べてもどうせ僕とじゃつまらないだろう。
帰って家族で食べれば少しは落ち込まなくて済む。
「え、っと……なにかこのあとご用事でも?」
「いえ、特には。でもいち兄がご飯用意してくれてるので。」
砕けた言葉も出てこない。他人行儀だなと我ながら思う。入間銃兎の表情が曇る。
「あの、なにか気に障りました?」
「いや、えっと……そういうんじゃない、です。」
なにか。わからない。ただ僕といてもつまらないんじゃないか。
「……わかりました。ご飯はさておき、あちらで少し休みましょう。まだ時間は大丈夫ですか?」
「はい。」
…………
完全に揶揄いすぎた。大失態だ。少しくらい煽ったところで全く動じないと思っていた。バトルの時は何を言っても動じないどころかそれを利用してさらに増幅させてリリックを放ってくる。頭の回転の速さとメンタルの強さは発展途上とはいえ目を見張るものがある。しかも吸収力も半端ないからどんどん強くなっていた。何度か手合わせをしてその強さにも惚れた。
しかし、プライベートはやはり中学生らしく未知なるものへの好奇心が強く今日も熱心に作品鑑賞に没頭していた。俺はこいつが何かに没頭している顔を見ているのがどうやら好きらしい。イヤミのように伝えたが本当に嫉妬しつつその表情をみていたのだ。
誤解を解くために静かな喫茶店で話をする。
「何飲みます?」
「……コーラ。」
コーラとコーヒーを頼む。沈黙。
「先程は私の言い方が悪かったですね。あなたが熱心に作品を見ていることはなにも悪くはないんです。」
「……。」
「私にはその没頭して作品に入り込むということは多分もうできません。」
「え?」
「時代背景や手法やいろんな知識をのせてしまって純粋にそのものを見るという感覚ではない、とでもいいますか。」
「はあ。」
「あなたが先程私に『こんなに小さな絵だとは思わなかった』とおっしゃってましたね。それでも力を感じそれをどこからくるのか探究しながら絵を見るなんて私には思いつきもしませんでした。そんな見方を出来ることは素晴らしいと思いますし、少し悔しいですね。」
三郎は首を傾げている。
「あんなに離れて見てたのにつまんなくなかったの。」
「つまらないわけないでしょう。私はあなたの私とは違う探究心や知識欲も魅力的だと思っています。」
「普通の、周りにいた人たちみたいなデー……トじゃないから……」
「ああ。おしゃべりしながら回るのも楽しいでしょうね。でも、美術館はおしゃべりするところではありませんし、その場では作品を堪能して後でこうして話をしても楽しいものですよ。」
少しずつ会話が砕けてくる。三郎はお付き合いをした事がない。俺が初めての恋人だと言っていた。『普通』がどれだけのものかわからないがこの子もそこは気にするのかということに少し驚いた。未知なものには少し奥手なのかもしれない。
「そういえばあなた方兄弟はコーラがお好きですね。」
「え?」
「お兄さん達もよく飲んでますよね。」
「あ、うん。もともとはいち兄が飲んでて、僕は小学生の時は飲めなかったよ。炭酸苦手で。二郎も。いち兄が飲んでるの見てかっこよくて二人で一本買ってちょっとずつ飲めるようになったんだ。こういう風にコップで飲むのは珍しいけどね。」
兄弟の話を振れば屈託ない笑顔を作る。ほんと兄弟大好きか。しかしこれで少し和んだ。
「今日はいつもとは全然違う感じで最初びっくりしましたよ。」
「え?あ、服?」
「はい。」
「……おまえ、いつもスーツじゃん。並んだ時にあんまりカジュアルだと浮くかと思って。」
「とても似合っていますよ。」
「……どうも。」
「私もTシャツにしようか迷ったんですがね。」
「え?……持ってるの?」
「……持ってますよ。」
三郎がプッと吹き出す。ケラケラ笑いながら絶対似合わなそうと言われてしまった。確かに似合うかどうかわからないがそんなに笑うことはないと思うんだが。
「ハハッ、あ、でも髪型変えたら雰囲気変わるかも……ふふッ」
笑いすぎだろ。まあそれでも笑ってくれてホッとはしている。
「さて、これからどうしますか。お腹は空いてないんでしょう。おうちに帰りますか?」
「……まあ、もう少しくらいは、平気……かも。」
「そうですか。」
少し機嫌も直ったようだ。
…………
話をすると下がった気分を押し上げてくれる。バカにされたのかと思っていたことも違うということもわかったし、デートのスタイルに正解があるわけでもないと暗に言われた。僕が子供なのを承知の上ででも子供に諭すような口調ではなく対等に。こういうところがオトナなんだよな、と改めて思う。拗ねていた僕に少しの賞賛とちょっとした世間話。褒められるのは擽ったくてうれしい。そして自分にはないと言ってしまう潔さ。いち兄とは違う尊敬の念が芽生える。
ただ、ちょいちょい本気で子供扱いなんだよな。いじりなのかよくわからなくて困惑するんだよ。
結局ご飯も食べて、公園を散策して、なんとなく夜で。送りますよって言われたけどカバンの中には下着も入れてきたし。
「ヨコハマの……」
「はい?」
「ヨコハマで観覧車乗りたい。」
「……はい?今からですか?」
入間銃兎が腕時計を見る。いや、だって確か結構遅くまでやってるはず。
「……多分この時間からだとギリギリですよ、着くの。」
「……だめ?」
「乗ったらすぐ帰る感じになりますけどいいですか?」
「うん。」
「この辺りならダイバとかのが近い……」
「ヨコハマのがいい。」
我儘を言ってヨコハマへ向かう。別に本当に観覧車に乗りたいわけじゃない。ウエノにいたらイケブクロすぐなんだもん。本当に帰らなきゃ不自然だし。
…………
唐突に観覧車に乗りたいと言い出した。夜のヨコハマは綺麗だし観覧車自体もライトアップされているから乗りたいのはわかるが、既に現時点で夜の七時を回っている。順調に着いても八時過ぎだ。観覧車自体は確か十時頃までやっているはずだがヨコハマとブクロの往復で一時間だから帰りが少し遅くなる。
「わかりました。ではお兄さんに帰りが遅くなると連絡してくださいね。」
「うん。」
三郎はスマホを取り出す。少し考えてからポチポチと文章を打つ。いつもススっと打って送っている印象が強かったからやはり遅くなるって言いづらいものなのかと思いながら見ていた。
「……行こ。」
「ええ。駐車場少し歩くんですよ。」
「え?あ、うん。平気。」
少しぎこちないやりとり。あまり遅くならないように送り届けるか。
観覧車は週末ということでカップルも多い。いちゃついているのを三郎はじっと見ている。
「マネ、します?」
と聞くと顔を真っ赤にして「いい!」と首をブンブン横に振る。観覧車の中で対面で座る。観覧車はゆっくりと上へと登っていく。遊園地の灯りから港の方までの夜景が広がる。
「うわ、キレイ‼︎」
三郎の目も輝く。周りのゴンドラは見えない頂上。下にいる時からずっと窓にへばりついて外に釘付けになっているからスッと隣へ移動する。
「すごい。高い。うわーきれー……」
同じことを何度も繰り返してるのが可愛くて襟元から覗くチョーカーをスッと撫でる。
「なに?」
と振り向きざまに唇を重ねる。軽くチュッとしただけでただでさえ大きな目がこぼれそうなほど見開かれる。そしてボンッと音がしそうなくらい一瞬で色白の顔が真っ赤に染まる。
「…………なんだよ」
消え入りそうな声。
「ふふ。可愛かったのでつい。」
「かわいいってなんだよ……僕男なんだけど……」
「恋人は可愛いものですよ。」
はしゃいで見ていた夜景を恥ずかしさを誤魔化すようにじっと見つめているのがまた愛しい。だんだん下降し降りるのは少し惜しいようで「もう終わりか」と呟いている。
キスの効果なのか意識してこちらをあまり見ない。そろそろ帰らせないと小うるさそうな兄貴たちが心配するだろう。そう思い
「そろそろお送りしましょうね。」
と言うと
「き、きょうはともだちのとこにとまるっていってきたから‼︎」
とぶっきらぼうな言葉の爆弾を投げられた。
「と、泊まるん……ですか?」
間抜けな声で聞き返してしまった。三郎は俺の答えにテンパりながら
「あ、あ、む、無理ならいい。……まだ電車で帰れる。」
と両腕を伸ばして手を振っている。冗談では済まさない。そう思ってギュッと抱きしめて「帰しませんよ」と囁けばコクンと頷く。
「お兄さんには言ってあるんですよね。」
急に泊まることになり言質をとる。三郎は下を向いてコクコクと頷く。
こんな時間からホテルを取るのかとスマホを開いたがあいにくヨコハマの良さげなホテルは週末ということで空きが少ない。ラブホはあからさまで低俗すぎるから却下。仕方なく自宅を提案する。
「私の家でもいいですか。」
三郎がパッと顔を上げる。
「うん。」
「え?うちでいいんですか?」
「うん。なんで?ほかにある?」
素直に喜んでいるし、自宅以外の選択肢がないと思っているのか。
「……まあ、あまり片付けていないので期待しないでくださいね。」
「大丈夫。依頼でよく掃除もするよ。僕得意だからやろうか?」
「そういうことではないんですけどね。」
中学生の中で泊まる=自宅なのかもしれない。意外と恋愛方面には疎めなようだからラブホなんてもしかしたら眼中にないのかもな。中王区主催の催しの時は中王区内のホテルに泊まるがそれも一郎経由だろうし案外大した意味はないのかもしれない。こっちとしては自宅へ招き入れるなんてホテルに行くより一大事なんだがな。
鍵を開け玄関の電気を点ける。三郎は戸口で立ち尽くしていたので中に入るよう促す。
「お邪魔します。」
とちょっと緊張した面持ちで中に入りパタンとドアが閉まる。靴を脱いで几帳面に揃えてから上に上がる姿を見てちょっと意外に思う。
「なに?」
じっと見ていたからか訝しげな目を向けられる。
「いえ。きちんとしてるなと思って。」
「こんなこと当たり前だろ。お客さんのとこにも行くんだし。」
と言われなるほどと納得する。リビングに案内すると
「あ!」
出しっぱなしになっていたゲーム機を三郎が見つけ「ねえ、これ面白いよね」と砕けた口調で言ってくる。一気に中学生感を増してしまい泊まらせて良かったのかと罪悪感が生まれる。やりたいやりたいとせがまれ対戦までさせられる。しかもやり始めればお互い負けず嫌いを発揮し気がつけば夜もいい時間になっていた。
「さて、風呂でも入って寝るか。」
と言うと
「んー……おふろめんどくさい。」
と言い出す始末。
完全におうちにいるお子様だな。
そう思うと手を出す気にもならず「風呂は入ってくださいよ。」とバスルームへ連行する。着替えが入るようなカバンの大きさじゃないからそもそも泊まる気はなかったんじゃないかと思いつつ「着替えはあとでお持ちしますから入っててください」と告げバスルームから一旦出てTシャツとハーフパンツと新品のパンツを用意してくる。バスルームの中で揺れる人影になんかエロいなと思いながらも「ここに置いておきますね」と何事もないような口調で伝えれば「はーい」と呑気な返事が返ってきて現実に引き戻される。
相手は子供だ。
しっかりと頭に認識させる。が、風呂上がりのポッと赤くなった頬としっとり濡れた髪に俺の黒いTシャツ。ハーフパンツは何故か腕にかかっていてパンツも封を開けずに手に持っている。
頭の中に?がいくつも浮かぶ。
え?
Tシャツ長いのか?
太もも半分くらい隠れ……いや短い、だろ……?
下は?
はいてないのか?
ん?
誘われてる?
「パンツは自分の持ってきた。これはデカすぎて紐しても落ちる。」
と渡された。そして
「Tシャツだけ借りる。ありがとう。」
と素直なお礼。
「あ、いえ。」
邪すぎる自分の脳内に嫌気が刺し「私も風呂入ってきます」一人で頭を冷やそうと部屋を後にした。
あいつは中学生。
手を出したら犯罪。
を脳内で何度も繰り返し再生しながら風呂に入り部屋に戻ると性懲りも無くまたゲームをやっている。ひとゲーム終わりセーブ画面が終了したところでブチッと電源を切る。
「もう寝ますよ。」
「えー‼︎あとちょっと!」
「もう遅いじゃないですか。」
「えー?いつももっと遅くまで起きてるし。」
「セーブさせてやっただけいいと思え。」
「ゲームやってたら待つのがマナーでしょ。」
ふん!と鼻を鳴らす。色っぽい妄想は頭の中から追い出され完全に保護者脳になってしまい「ほら、寝ますよ!」とぷうっと頬を膨らませて
いる三郎の腕を掴んで立たせる。寝室までそのまま誘導すると「うわ、デカいベッド。僕奥で寝よーっと。おやすみ。」と勝手にベッドの上に乗ってさっさと布団を被ってしまう。あまりの邪気のなさに「おやすみなさい」と普通に返事をしてしまった。『泊まり』『夜の時間』『色事』想像していた事が全て健全に終了した。
「…………。」
全て諦めてベッドに入ると隣には平和そうな寝顔。起きている時より更に幼く、考えていた事は何もできなかったがかえってよかったと思わざるを得ない。しかし、俺に抱き枕のように抱きついてきて無防備な生肌から感じる体温は拷問なのでできれば離れてほしいと思いながら目を閉じた。
…………
(一晩一緒に過ごした……)
目を覚まして最初に思ったこと。でもこれ、いつものバトルの朝と何がちがうんだろう。部屋が一緒で隣に入間銃兎が寝ているだけだ。寝顔は……まあちょっとキレイめなおっさんの寝顔。無精髭生えてる。いつもと違うのはそのくらい。
(なにか変わったのかな?)
恋人と一晩過ごすって……ゲームしすぎて怒られて寝たの、うちにいるのと何が違うんだろ。怒られたのが入間なのかいち兄なのかだけだ。これを世の中の恋人たちは望んでいるのか。謎だな。まあゲームできて夜更かしするのはそれなりに楽しいからそういう事なのかもしれない。
色々考えてたら入間の目が開いた。
「おはよう。」
「おはよう……」
そう入間がいいながら僕を抱きしめてくる。寝起きで寒いのか?と思ってたら頭をぐりぐりとされチュッという音と共に僕の唇に入間の唇が一瞬重なった。
「?!」
びっくりして声も出ない。なのに入間は何もなかったかのように「まだ眠い。もう少し寝てろ。」と抱きすくめる。
(ええ……勝手にキスしすぎじゃない?)
これが恋人同士ってことなんだろうか。一晩過ごすと許可なくキスができるようになるとか。いや、昨日も勝手にしてきたし。まあでもこれで僕も大人の仲間入りだからそこは大目に見てやるか。そう思いながら一緒に二度寝。
本物の大人の階段を登るのはもう少し先のはなし