灰と青「……ねえ、茨。ここから歩いていける距離に海があるんだって」
雑誌の撮影のために訪れた地方のカフェにて、チョコレートケーキをつついていた閣下が突然そんなことを言い出した。本好きのためのカフェ、というコンセプトの店内は、壁一面に天井までの高さの本棚が据え付けられ、コーヒーの香り漂う中どこに視線を向けても多種多様な本たちがぎっしりとひしめき合っている。店に足を踏み入れた当初、圧倒的な蔵書量に目を輝かせていたその瞳はその後ショーケース内の色とりどりのケーキ達に奪われ、トラブル無くすんなりと撮影を終えた今は、柔らかなオレンジの照明に照らされながら俺のことをじっと見つめている。
返答も無いままに反射的に顔を顰めてしまった自分を、閣下は穏やかな表情で見つめている。次に閣下の口から紡がれる言葉は簡単に予測がついて、俺は手元のタブレットに目を落とし、次の移動時間まで幾分猶予があることを確認した。
2355