静寂を愛するヨダナの話①ただ、見つめていた。
そこになにがあるわけでもなく。
そこに、なにが映っているわけでもなく。
ただ、見つめていた。側を、風が吹き抜ける。揺れる耳環のしゃらり、という微かな音だけが、そいつがここに確かにいるのだと証明していた。
「ほへぇ~…」
だらしのない声だとわかっていても、つい口からそんな声が出てしまう。それもやむ無し。目の前に広がる絵に描いたような平和で、長閑で、時折吹く風が心地よい眠りすら運んでくる。
カルデアは実に面白い技術をたくさん持っている。シュミレーションもそのひとつだ。戦闘以外にも、自らが慣れ親しんだ時代、場所を模倣することができる。偽物だと頭ではわかっていても、そこに息づくものは本物と見分けがつかぬほど。要はクオリティが高いのだ。それでも、本物を知る者たちはやはり偽物、限界があるのだと言う。あんな懐かしそうな目をしておいてよく言う。
故郷に来なかったのは…別に深い理由などない。ただ、どうせ見るなら見たことのないもの、見たことのない世にしたかった。だから初めて踏む地は…マスターがよく口にしていた昔の時代の自分の国…日本の古き時代にしたかった。
聞いた限り、戦の絶えん世であったと言うが…ここに模倣された人々は。生命に溢れ、苦境にあるとは思えんほど、よく笑っている。ように見える。戦から離れたこの場所であるから言えるのかもしれん。ここの風はあまりに穏やかである。
視線の先では田畑があり、そこで汗を流しながら童子が土を掘り、時折別の童子が来てふざけて笑いあい、休憩時間がきたのか。畑の横で葉にくるまれた握り飯を食らう。
生きることに、これほど素直な光景はあるまい。作り、食い、笑う。
空を見れば青く、そこに一筋の雲が流れる。先日会った但馬というセイバーが言っていたな。どの世も空は変わらず美しいものである、と。夕暮れはまた違った美しさを魅せるらしい。しかし、このままではわし様、寝てしまいそうだぞぅ。
「あんれ?珍しい客もいたもんだねぇ…」
かけられた声に、しかし感じた気配で同じモノであると察しがついて特に視線は向けなかった。
代わりに…今、わし様がいる団子なる甘味を出す店の娘がはにかみながら差し出したお茶、それが満ちた茶器を手に取る。だいぶ熱々であったゆえ、冷ましていたが…もう飲み頃であろう。
「あれ、もしかして僕、お邪魔…です?」
とか言いながら、出てきた団子屋の娘に『団子二本ね』とか注文するんかーいおまえ、というツッコミはしないでおく。
よっこいしょ、と。年寄りくさい口調で隣の席に座ったのは、周回でもよく顔を合わせる日本のセイバー…ヘラヘラと崩した顔と、それに反した油断のない目付きの男、斎藤だ。
程なくして、団子を持ってきた娘に軽く礼を述べて、斎藤は皿からみたらしという甘じょっぱくとろりとしたタレがたっぷりかかった団子をひとつ、口に含む。旨かったのだろう。確かに、ここの団子はめちゃくちゃに美味であった。今度カルナとアシュヴァッターマンも連れて来て食わせようとわし様が決めるほどには。
「ここの団子、旨くて結構来るんですよ」
団子をペロリと平らげて。斎藤は独り言のように喋り出す。
「それに、ここから見る景色も好きで。静かだし落ち着くってんでしょうね?天気のいい日は風も気持ちいいし、だらだらするにはちょうどいい」
確かに、その通りだ。特に相槌も打たず、視線の先にある大きな山を見る。緑が、その大きな存在を覆い尽くしている。日本では、山は神が住む場所として禁足の地とされるところも多かったと聞く。まぁ、わし様も他所のそんな奴らに喧嘩を売るほど暇ではないし?入ってみたいという好奇心がないこともないが…別に…周回で嫌というほど森だの林だの樹海だのを巡っているからな…。
気が付くと、隣の斎藤も団子を食い終わり…だが帰るわけでもおかわりをもらう気配もなく、わし様と同じようにただ風景を眺めている。それが、なんだか無性に気になる。この男が見ているわし様、とは。おそらく、このようになにも語らず在る者ではなかろうに。そう思ったら、無性に気になって仕方がなくなっていた。
「…なにも、」
耐えきれず、問う。
「聞かんのか?」
問うと同時に、隣の斎藤へと視線を流せば…へ?と驚いた顔でわし様を見ると、指先でぽりりと頬をかく。
「…聞くって、なにをです?」
本当にわからん、といった顔で言いおった。なんというか、その薄い体の中にあれだけの気迫やら毒やらを多分に含んでいながら、なんとも気の抜けた男である。だからこそ諜報役であったとも言えるのか。この雰囲気は実に油断を誘う。というか、毒気を抜かれる。
「…いや、なんでもない」
「ですか。まぁ、僕もね…あんたがマスターに害をなすってんなら闇討ちでもしようかと思ってたんですがね」
「闇討ちって、おまえ…」
変わらずへらへらした態度で物騒極まりないことを平然と言ってのける。マスターに害をなす気はさらさらないが…むしろ、わし様がマスターをどうこうする奴が現れるならジャイってわからせてやるつもりだ。にしても、あの日本刀でぶすっとやるつもりだったのかこいつ。怖っ。
「ここへ来て、あれを見て笑うような人を斬ったとなっちゃ、僕が怒られちまいますよ」
あれ。
そう言って斎藤が目を向けたのは、先ほどの童子たちだ。童子は…どうやら兄弟であったらしい。握り飯の大きさで喧嘩になっている。それを、どこからか駆け付けた別の童子に窘められている。
「ほら、そのかーお」
「!」
言われて、己の顔に手で触れる。くそ、こいつ性格が悪い…というより人が悪い。
そうだ。わし様はあの光景を…笑って見ていた。微笑ましいと思った。泥にまみれ、喧嘩をして。怒られて、最後には笑い合う。手を取り合い、さぁ続きだと再び田畑へと向かう。その、背中が。その姿が好ましいと思う。思い出す。かつての我らを…我ら兄弟を。そして、もう一人。
「…そういう貴様も、好きだろう」
「わぁ、バレました?いや~そんなつもりは」
「違う。童子とよぉく重なるのだろうな。あれによく似たおまえの場所を、こうして外から眺めるのが好きなのであろう?」
なにが、とは口にせんかった。なんとなく、勝手を知らんもんが踏み入っていいとは思わなかったからだ。
だが、わし様がなにを指して言ったのかは察しがついたらしい。少し赤らんだ顔を左手で押さえて、斎藤は天を仰ぐ。わし様としては意趣返しができて大変満足である。
「…性格悪いって言われません?」
「おまえには言われたくないわ!」
あ、やっぱデカイ声の方がしっくりきますね。と嫌味も加えてくる辺りこいつの方がわし様の万倍も性格悪いと思うが!?
「まったく、まぁよい。叫んだら喉が渇いたな。どうせ暇であろう?もう少しつき合え」
「え!?えぇ、まぁいいですけど…あとで僕…二つに折られません?」
「は?なんの話だ」
なににびびっとるのか知らんが、逃げようとする斎藤を捕まえて、団子屋の娘におかわりを注文する。
運ばれてきたみたらしと餡団子をもちゃもちゃと食いながら二人揃って茶を啜り、しばらく他愛のない話をした。今度、カルデアでコロッケ蕎麦なるものを食わせてくれるらしい。誰にも言っていないわし様の、密かな楽しみリストに書き加えつつ、噂の夕暮れを待った。