わがまま王子の愛され上手「どうした?狐につままれたような顔をしよってからに」
ストームボーダー内にあるキッチン。そこでは日夜腕に覚えのあるサーヴァントたちが古今東西、さまざまな料理を生み出し、振る舞っている。やはり馴染みがあるのは母国の料理ではあったが、他国の…見知らぬ味をこの舌にのせる時の高鳴りといったらない。
料理の味は保証されている。あとは好き嫌いの問題のみ。それはメニューを見て、コックに聞き、好みではないものを弾いていくだけの仕事である。実に簡単。それだけのことでこのわし様をも唸らせる美食にありつけるのは気分が良い。食は、二度目の生の中で一二を争う大事な娯楽であった。これがあるのとないのでは、日々の潤いに天と地ほどの大きすぎる違いがある。楽しみは多ければ多いほど良い。でなければ…あのお人好しを絵に描いたようなマスターが遠い目をしながらわし様に願い賜るあの地獄もかくやといった周回に耐えられん。
だから…目の前で不躾な視線を寄越す躾のなっていない駄犬など気にもならん。
「てめぇ…」
「なんだ?なにか不満でもあるのか?聞いてやる。わし様は心が広いことで知られておるからな」
さらり、と。目の前で唸る駄犬…いや、駄狼だな。鼻頭に皺を寄せて怒り…それは怒っておるのか。殺気すら揺らいで見えそうな気配を漂わせたビーマの前で髪を払う。常とは違い、色の抜けた白髪――少し前に、敵地でかかったサーヴァントの老化現象という貴重な体験をした、その際に記憶したわし様の姿である。初めこそ面食らったが…マスターからは概ね好評であるし、わし様自身もこの姿である時にしか得られないものを見つけたがゆえ、気が向いた時にこうして姿を変える。
カルナもアシュヴァッターマンも、初めて見た時…なぜか神妙な表情をしたものだが、今は慣れたらしい。子供サーヴァントたちにもウケが良い。良くないのはビーマぐらいなものだ。
「…なんでもねぇよ。さっさと飯選んで席に着けよ」
「それだが、今日は部屋で食べる。特に意味はないから理由はいちいち聞くでない。運ぶのはおまえが運べ、もちろんデザートも忘れるな。とびきり甘いものが食べたい気分でな。違えるなよ」
は?なんで俺がてめぇの飯を運ばなきゃならねぇんだ…などと文句を口にするつもりで開いたのだろう。薄く開きかけたその厚い唇に、指先をあてて黙らせる。むぅ、と唸る駄狼に食い千切られないかヒヤリとしたのは一瞬。わし様の言葉の意味を考えているのだろう。目を細め、眼前に在るわし様の尊顔をじぃと見つめている。
(本当に、)
図体ばかり大きくとも、中身はそこらの童子とさほど変わらんではないか。
かさついた唇、その表面を少しなぞりながら指先を離して背を向ける。これでわからぬようならここからしばらくガキ、と呼んでからかってやろう。いや…ある意味餓鬼、ではあるな。
背後に感じる、やはり殺気のような激しい気配に自然と笑みが溢れる。さぁ、この腹におまえはなにを食わせてくれる?
老いたドゥリーヨダナ。
あのクソトンチキ野郎が少し前に敵からくらった状態異常で成った姿。長く、艶やかな花の髪は褪せて色を失くす。体は常より一回り小さく、細く見える。だが、中身は輪をかけて最悪になった。邪悪、純粋悪。なんでもいい。あの野郎の、目に見える悪が…そう、モリアーティとか言うあの男と同じような…底が見えないものに変化したように見える。俺の目に、あいつの心が見えねぇ。いつも俺に突っかかってばかりの強欲クソ野郎が…俺を見ても反応が薄い。正確には、達観、のような境地にあるのだと思う。あの野郎が抱いた汚泥の方かよほどキレイだと思う野心だの嫉妬だの、そういったもんを感じられねぇ。それは…とてつもなく気味が悪く、
「きもちわりぃ」
両手に持ったトレーの上にあるトンチキ野郎の飯にそんな言葉を落とす。おっと、あの野郎のとはいえ…作った料理にそんな呪いじみた言葉を浴びせるなんてらしくねぇ。飯に罪はねぇんだ。
表面はパリリと、中はもちもちとした食感の、それ単体でも十分うまいバゲットにカマンベールチーズ、生ハムレタスやトマトを挟んだサンド。ミルクと砂糖をたっぷりと入れたカフェオレ。そしてご所望のとびきり甘いデザートとして、パンケーキにごっつり生クリームを絞って、果物で飾り付けた。保温魔術をエミヤにかけてもらったから、ふかふかと湯気をたてて…自分で言うのもなんだが、こいつはとびきり旨い自信がある。ぷっくらと膨らんだ生地が保温のおかげで萎むことはなく、できたてのままそこにある。こいつはできたてがもっとも旨い食いもんだ。食わせる相手があいつじゃなけりゃ、
「…嬉しいってか。まぁ、違いねぇが」
脳裏に浮かんだ。食わせる相手が俺の料理を食って浮かべる顔を。それは…あの野郎も例外じゃねぇ。根性がひん曲がってやがるし、数多の美食を食い尽くしてきただろうあいつは…特に、俺の料理に対して言葉を発することはない。ないくせに、全部面に出てやがる。気付いてねぇのかなんなのか知らんし、指摘すりゃ煩く詰めてくるのがわかるから言わねぇ。言うつもりもねぇ。
あいつは、食は娯楽だと言った。その娯楽を楽しむあいつの顔は…今まで俺の料理を食って、笑ってくれた人々と同じ、同じだった。だか…今のあいつ、は。
「…おい、持ってきたぞ」
空気の抜けたような音をたてて、鉄の扉が開く。瞬間、甘い香りが中から漏れ出す。花の、香り。
「待っていたぞ。そこに置け」
言って、当のドゥリーヨダナは爪の手入れをしているらしい。ぴかりと光る右手の爪を満足そうに見つめて、顎で近くのテーブルを指す。姿は老いたままだった。
「…ほらよ。遊んでねぇでさっさと食え」
「ふふ…遊んでなどおらん。おまえにはわからんだろうが、これもひとつの戦いよ」
爪を磨くことが戦い、だと?
今度は足の爪を磨くらしい。項垂れた顔…流れる白髪は絹糸のようで…。
――嗚呼。それはどんな色にも染まるもので。例えば花。部屋に充満しているこの、名も知らぬ花の香りを吸って色を帯びれば、さぞ美しいだろう。さぞ旨そうだろう。そうだ、赤もいい。白に赤はさぞや映えるだろう。命の色、血の色をのせよう、そうだ、それが
「なにを呆けておるビーマ」
「っ、」
首を少し傾げるような格好で、ドゥリーヨダナは俺を呼ぶ。爪を磨くヤスリを手にしながら、俺をゆったりとした動きで手招く。それは、さながら毒の花のようで…行けば骨も残さず溶かされるような。熟れた色がある。俺は虫か。気に食わねぇ。
「わし様は手が離せん。この意味、わかるな?」
毒の花が笑っている。口の端をくっと吊り上げて、穏やかを装った激情をその目の奥に隠したまま、俺を誘って笑ってやがる。
食堂で…この野郎は言った。とびきり甘いものが食べたいと。違えるなとも。その意味を、唇をなぞった乾いた指先の意味を考えていた。いや、考えるだけ無駄だ。俺は、俺たちは。互いに欲して奪う存在。この男が…戦いと称して爪を、己の美を磨いて奪え、奪ってみせろと誘うならばのるしかない。奪い、食らうしかない。
「髪につけるなよ」
絹糸を耳にかける。その仕草だけで壮絶な色香を漂わせる男を遠くに見る。作った料理…食べやすいサンドイッチにしたのは失敗だったと思った。だから手でパンケーキを掴む。クリームと果実で彩られた美しい盛り付けを己で崩す。
主食を差し置いて、初手でデザートを食わせようとする俺を咎める声はかからない。控えめに開いた口に、ちぎったパンケーキを与える。はむり、と。鳥が啄むようにパンケーキをかじり…生クリームと、潰しちまったらしい果物の果汁まみれの指先に赤い舌が這う。できたてのパンケーキよりはるかに熱い、男の舌が。
「あ、ふ…」
そんなもんを見せつけられて、どうして我慢がきくと思ったんだろうな?
空いた手で犬みてぇにクリームを嘗める男の顎を掴んで上向かせ、追加でちぎったパンケーキを食らわせる。大きかったのか、クリームが多かったのか。けほり、と。小さく咳き込んで、目だけは常の花の色を映していて…そこがじわりと涙で滲む。
――嗚呼、なんて。
「旨そうだ」