子どもがいる。
王様にそう言われて、僕は顔をあげた。山の日は野よりもはやく暮れる。影の落ち始めた森に視線をまよわす僕に、ほらあそこだと王様が指をさした。言われてみれば木立の向こう、小さな影がふたつ見える。子どもかどうかはわからないけど、まあそれらしくも見えなくない。よく見えたな、と、僕は素直に驚いた。十二聖戦士の血を引く人は、こういうところでちょっと人間離れしている。まして直系、聖痕持ちとくれば。
しばらくまえにこの辺りで、村が野盗に襲われた。特務機関は慌てて救援に向かったけども、それ以来子どもがふたり、行方不明になっていた。野盗に攫われたのか、それとも逃げ惑ううちに、迷って帰れなくなってしまったのか。どっちなのかは知らないけども、おいおい聞けばいいだろう。もしかしたら、全く違う子なのかもしれないけど。とにかく助けることが先決だと、僕は王様とふたりで木立の間を縫っていった。先日の襲撃以来、村近くの見回りを強化していたわけだけども、それがひょんな結果となったわけだ。運がいい、と僕は思った。もし彼らが行方不明になった子どもなら、相当衰弱しているはずである。正直、生きているだけでも奇跡というものだ。
村の人に教えられた名前を呼びかけると、子どもは力なくうなずいた。男の子と、もう少し小さな女の子で、ふたりとも痩せこけて土気色した顔をして、目だけをぎょろりと剥いている。これはまずい、と、僕は焦った。呼びかけられてもあまり事態がわかっていないのか、ぼんやりと立ったまま、指をくわえている。風が吹いたら飛ばされそうで、流石に僕も不憫になった。
「大丈夫、もう心配いらないからね」
僕はそう言って、慌てて荷物からパンと水筒を取り出した。そうしてふたりに差し出したとき、
「食うな!!」
と、王様が大音声をあげたから、僕は驚いてパンを取り落とした。それに男の子が、蛇のような速さで手を伸ばす。王様がその手を力任せにつかんで、叩き落とした。何を、と言いかける僕に、
「湯を沸かせ!」
と、王様は鋭く命じた。僕は発作的にはいと答えて、言われるまま火種を探した。女の子の上げた泣き声があんまりにも悲しそうで、僕は耳を塞ぎたくなった。
「飢えたものの取り扱いには、まあ種々あってな」
驚かせたな、と小さくつぶやいて、王様はつまらなそうに、小枝を折ってほうり投げた。ぱちぱちと炎が踊って、王様の顔に深い影を落とした。彫りが深いから、こうやってみると本当に、恐ろしい顔をしている。子どもたちが怯えたのも、まあ無理のないことだろう。
あの後王様は、堅パンを潰して湯に溶かし、啜らせるようにして子どもたちに含ませた。噛むようにして飲めよと、打って変わって優しく言って、ほんの少しのパンがゆを、ゆっくりゆっくり食べさせた。子どもたちは足らないって言ったけども、死にたいのかと王様が凄むから、怯えてねだるのをやめた。そうしてしばらく不服そうにしていたけども、つかれていたのか、やがてとろとろと眠ってしまった。僕らも子どもたちを担いで夜の山を降りるほど命知らずではないので、ここで野宿を決めた。この状態の子どもたちに、負担をかけるのも心配だった。明日の朝飯を食えば、いささか無理もできるだろう。王様がそう言うのに、僕もまた頷いた。
王様は手を伸ばして、寄り添って眠る子どもたちの毛布を直してやった。長いこと野山で迷っていた子どもたちは、垢と泥で汚れ切っていたけども、王様はまったく気にした様子もなかった。そうして男の子のひたいにかかった髪を、そっとのけてやった。子どもたちの唇は少しふっくらとして、血の気が戻りつつあった。
「いきなり飯を食わせてはならぬのだ。消化の良いものを、少しずつ、ゆっくり数日をかけてな。そうでないと体のほうが追いつかぬのだ。まあ、飯を食うのにも力がいると言ったところか」
こればかりは、癒しの杖でも何ともならぬ。王様はそう言って、子どもたちの顔を見つめた。
「哀れなものだぞ、救われたと思って幸福そうに飯を食っていたものが、苦しみ抜いて死ぬのはな。飢えでぼうっとしたまま死なせたほうがマシだったのではないかと思うほどだ」
いつも険しい王様の顔が、ほんの少し寂しそうに見えた。僕の視線に気が付いたのか、王様はかすかに苦笑した。
「なに。飢餓には他人よりも、少しばかり詳しいゆえな。褒められたものではないが……」
王様の目が細まって、どこか遠くを見るような感じになった。それがどこを見ているのか、僕としてもまったくわからないでもない。王様の国がどういうものだったのか。王様がどういう人生を生きてきたのか。僕にも、多少の知識はある。そうして、王様という人間の為人も、少しだけは。
「でも、それでこの子達はいま死なずに済んだんですよね。じゃあやっぱり、褒められたものなんじゃあないのかなあ」
だから僕は、何となくそんなことを口にした。こまっしゃくれたことを言う、と王様はぼやいて、ながながとため息をついた。王様は難しい顔をしていたけども、それでもふと子どもたちに落とした視線は、ほんの少し優しげだった。
「しくじりが、ひとよりも多いだけだ。誇れることなどなにもない」
でも、と反論した僕に王様は、
「火の番はしていてやるから、早く寝ろ。三人は担いでやらぬぞ」
とぶっきらぼうにそう言って、犬でも追うように手を振ってみせた。僕も、これ以上話すつもりがないのだと言うことが察せないほど、鈍くもなかった。だから僕は、はあいと言って大人しく毛布の中に丸まった。誰にだって勝手に踏み込んではいけないところがあるってことくらい、お調子者の僕だって少しくらいは知っているのだ。
ここでアスクの民をいくら生かしても、トラキアの民を生かせなかったことが、帳消しになるはずもない。他の国の民を殺したことの、罪滅ぼしにすらならない。王様はきっと、またそんなことを考えているのだろう。それでも王様は、こんなことがあるたびに、また生かそうとするだろう。そうして誰かを生かすたび、生かせなかった誰かの顔は、ずっと心に積もるのだろう。誰かを救うたび、救えなかった誰かの顔が、殺してしまった誰かの顔が、いつも心に刺さるのだろう。抱えていた重荷は、それで軽くなりはしないのだ。そのふたつの数には、なんの関係もないのだから。
しかし、だから助けないのかと言われれば、それもまた釈然としないのだろう。実際どうこう悩んでいても、一度目の前に出されれば、放っておくわけにもいかないのだ。つまるところそれが、王様という人間なのだろう。ひとと言うのは、在るように在るしかない。結局はそんなものでしかないのだ。だいたい、生きているのか死んでいるのかすらわからないのだから、もう少し、気楽になったっていいはずなのだ。──苦しめるために喚んだはずじゃあ、ないんだから。
風のない夜だった。焚き火の煙は真っ直ぐに立ち上り、星のあいだに溶けるように消えた。悩みはそうもいかないかと、僕は王様に隠れてため息をついた。