付加料金プライスレス「バレンタイン……? 皆は流行に詳しいからね。綺麗なやつとか、美味しいやつとか貰えるかもって――」
いや、そっちじゃなくて。
念を押すように、願掛けをするかのように聞いてきた彼らを前にはたと思い出す。
「…………もしかして俺が渡すって話、してる?」
その日は長らく「貰う日」だった。気軽な義理から果ては重めの本命まで、両手に抱えきれないほどの贈り物を「食べ切れるかな?」なんてほくほくしながら帰り道を歩く日。すっかり慣れてしまって、「渡す日」なんて意識はどこにも見当たらなかった。
――バレンタインはどうするの?
あぁ、もしかしなくても、自分は「渡す方」なのか。「特に何も考えてないけど」と言った時の、あの皆の凄まじい青ざめっぷりと来たら。
「リーダーに何かあげて」
「頼むから本当に」
「絶対何でも喜ぶから!」
どうして自分が直接貰うわけではない贈り物をこんなにも懇願するのだろう、ここの人達って。知り合いの恋人達に首を突っ込んでちょっかいをかけるのとは違う、切羽詰まったアドバイスの数々……要約すれば渡さなければ大変なことになるから、本当に! とのこと。相変わらずレムナンは部下に恐れられているらしい。
バレンタイン 贈り物 検索
山のように引っ掛かる情報。あれがいいだのこれがダメだの、見れば見るほど分からない。
(大体、レムナンはあんまり興味ないだろうし……)
今日は何食べたい? と聞いても何でもいい以外の返事が帰ってきたら試しがない。好き嫌いがないんだろうか? 何でもいいなんて一番困る返事なのに。
……けれど実際、レムナンは何でもいいの言葉に忠実だった。例えばこの国でも簡単に手に入る、大袋に大量に詰められた安価なチョコレートも……綺麗な箱に入った宝石みたいなチョコレートも大差なく喜ぶんだろう。
別に、何でも喜ぶんだから。……本当に頑張る必要とか、これっぽっちもないと思うんだけど。
「はいこれ、差し入れ」
大きな袋の中に詰まった個包装のチョコを配り歩きながら、見知った顔におひとつどうぞと声をかける。この社内の人は全員知り合いみたいなものだ。外注先として来客カードをぶら下げて、ここの受付を通るのにすっかり慣れた。慣れ親しんだ取引先の皆は私がチョコを差し出すたびに同じようなことを言う。
「――リーダーにはもう渡したの?」
それがまた、からかい目的ではなく切実そうに聞いてくるものだから、聞くたびに苦笑する。挙げ句の果てには私の回答を聞いて、手に取ったばかりの差し入れを即時に返却してくる彼ら、曰く。
――レムナンは私が皆に差し入れを渡すのを全く許していない、特に今日に限っては。普段も許してないけど。まして他の誰かがレムナンより先に貰うなんて言うまでもなくありえない。相手が男か女か汎かも関係ない。
いくらレムナンでも、そんな。さすがにもう少し、寛容だと思うけど。
色んな意味で恐れられているレムナンの厄介なところを考えながら歩く社内。
呑気なことを考えていられたのは廊下の突き当たりから勢いよく駆けてくるレムナンを見るまでの話だった。
「スズさん!」
「レムナンおはよう」
「……おはよう、ございます…………」
レムナンが飛び出してきた区画は仮眠室の並ぶあたりだ。いつにも増してはね放題に爆発した髪は、あからさまに「寝起きです」と主張している。
「あ、あの……! スズさんが、差し入れを……配って歩いてるって、聞いたんですけど……」
そんな恐る恐る、緊張しながらする質問だろうか。寝起きの支度も適当なまま飛んできて、確かめなければならないようなことでもない。
「これのこと?」
「!」
大袋をレムナンの前に掲げる。袋の口を開けたはいいものの、中身はまだずっしりと重いままだ。レムナンに渡してないと聞くと皆返却してくるものだから。……親の仇でも見るみたいな目で、レムナンは袋を凝視している。
「………………」
「レムナンも食べる?」
「…………そう、ですね」
これは皆に配るために持ってきたんだけど。この国内のどこでだって手に入る気軽なおやつだ。
レムナンが袋に手を伸ばす。
――袋の口を閉じるように、袋を握りしめる。
袋がぐしゃり、音を立てて萎んでいく。
萎んだ狭い袋の中でチョコレートがひしめき合っている。
「……レムナン?」
「バレンタインデーって……『恋人』に贈り物をする日、ですよね……」
「友達や家族や同僚に日頃の感謝の品を贈る日でもあるよ」
「………………」
レムナンが力任せに握りしめるせいで袋の中のチョコがぶつかり合って歪む。
「……でも! 僕が、最初に欲しかったんです」
(え、リーダーにまだ渡してないの? ……遠慮しておくよ、そんなことしたら自分より先に貰った相手は全員――)
「まだ誰にもあげてないけど……」
「そう、なんですか……?」
厳密にはたくさんの人に勧めたけど辞退された、と言うべきか。
レムナンが袋を握りしめる力を緩める。少しひしゃげたチョコが袋の中で動く。
(やめておいた方がいいよ、後とか先とか関係ないから。リーダーは自分の後に貰った相手だとしてもみんな――)
「……これは僕が、貰っても……いいですか?」
「え、ちょっと! まさか全部持ってくの? ……いや、うん。ダメではないけど……」
レムナンは袋を握りしめたまま腕に抱えている。強請るような潤んだ瞳の裏で、自分が押せば全て袋の中身を持ち帰れると画策しているんだろう。袋の中の一個をください、という態度ではない。……それ、チョコなんだけど。そんな風に抱えたら溶けるってば。
(やっぱり交換は明日にしようか。……え? ああ、友チョコとか相手が女だとか、関係ないでしょ、そんなの一人残らず――)
「他の人から貰って……ないですよね?」
「うん。まだ貰ってないよ」
貰ってないというか、延期されたっていうか。毎年たくさん貰って帰るのを楽しみにしてるのに、どうもこれからは難しいみたいで。
「……まだ、って。貰わないで、ほしいんですけど……」
レムナンがいつも私に隠そうと努めている、イラッとした時の表情だ。ループ中に何度も見た。
一般的にいう「恋人同士」になってから思ったことがある。想像以上に彼が主張する、所謂独占欲のようなもの。……それが多分、一般のさじ加減で言えばなかなか、かなり、強いんだろうなということ。相も変わらずレムナンは別に心配する必要のこれっぽっちもないことを無駄に考え続けている。
「すずなさん、聞いてますか? 他の人から……貰わないでください。渡すのももちろん」
「聞いてるってば」
首を縦に振るまで聞き続ける気だ。「僕のこと、好きですか?」と聞いてくる時みたいに。しかも貰わないでほしい、から一瞬で貰わないでくださいにシフトした。一瞬先には「貰ったら許さない」くらいまで進化するかもしれないと思わせるだけの圧力がある。貰うなに加えて渡すな、まで増えてるし。
いくらレムナンでも、そんな。さすがにもう少し、寛容だと思うけど。――それに関しては少し考えを改めなきゃいけないかもしれない。
「はぁ……あのね、ただの差し入れとかプレゼント交換みたいなものと恋人に渡すものじゃ違うでしょ、そんな躍起になって止めなくたって」
「――どう、違うんですか……?」
空気が変わる。選択肢を誤った。レムナンの問いは単純な疑問とか、こちらを窘める類のものではない。
「僕と、他の人と……どう、違うんですか?」
それ、結局いつもの「僕のこと、好きですか?」と同じじゃないの。変化球に見せかけて、結局質問の本筋はいつもこれだ。こんなことを聞いてくる時のレムナンが厄介なことなんて、今更語るまでもない。
どう違うって。
レムナンからは安いチョコと高いチョコを食べ比べた時「どっちも甘い……ですね」くらいの感想しか出てこないだろうなと思っている。挙句手作りと市販の区別ができるか疑わしい、実際前にもさっぱり区別ができなかった実績すらある。
製菓材料なんて業務用問屋の取引くらいしか出回らないこの国でかなり面倒な買い物をしたことも……作るのに一体どれくらいの時間が費やされるのかもさっぱりわからない人なのに。散々入れる箱や袋やリボンや包装に悩んで。多分レムナンはどんな包みかより誰に貰ったか、しか考えてないんだろうって思っているのに。
――そんな経緯の品が今も自分の鞄の中に入っている。
重ねて面倒なことをした事実が何より大きな違いだと、私は思っているけど。
「教えて、くれますか……」
「……大した違いじゃないよ」
「そうやってごまかすの、やめてください」
自己満足に等しい成行を説明するのは憚られる。それを私が説明させられた時の、レムナンがぶつけてくるだろう居た堪れなくなるほどの視線が想像できるから。……それに。
「もう勤務時間でしょ。のんびり立ち話なんかしてないで早く持ち場につきなよ、リーダー」
「そんな、あと少しくらい……」
「下スウェットのまま仮眠室出てきたでしょ。すぐ戻って準備した方がいいよ」
「……っ!」
「ほら、早く戻って支度」
「あ、後で絶対聞きますから……!」
「そんなのいいから準備急いで、ほら」
ぱたぱたと駆けていく後ろ姿を、やっぱり歳下って子どもっぽい……と思いながら見守っている。大袋のチョコを結局全て持っていかれてしまった。ハロウィンじゃなくて良かった、と思う。
それともうひとつ。
一番最初に欲しかった、なんて言って大事そうにチョコの大袋を抱え込んで持っていってしまった彼に思ってることがある。他に僕用のはないんですか、とかそんな話は一切出なかったな。
まさかとは思うけど、私が用意したお菓子がそれしかないって思ってる?
レムナンって欲張りなんだか慎ましやかなんだか全然分からない。なんでも喜べるのはどちらかと言えば良いところだろうか。
でもさすがに大袋に詰まった量産型差し入れチョコには当然負けないくらいの、寸志程度の気持ちは個別にあるつもり、なんですけど。
……その辺のことって、レムナンは何にもわかってないんだろうなぁ。