内緒話「今のままでいい……? レムナン、君それ本気で言ってるの?」
呆れた、と続けるラキオさんは椅子の背もたれに乱暴にもたれかかった。
「そ……そう、ですよ。僕は、スズさんに嫌われたく、ありませんから」
スズさんはあんなに社交的だけれど、根本的には「男性である」時点で相手を警戒している。……そのことはこうして友人として仲良くなる前から知っていた。
目に見える態度に出して「男であるなら敵だ」、なんて彼女は言わない。けれど仲良くしているように見えていても、実際のところは分からない。
――苦手な人間に特別な好意を寄せられることが、どんなに恐ろしいことか。
知っていて彼女に気持ちを求めることはできなかった。
それに、こうして『友人』として彼女が抱えているある程度の事情を知っているだけでも、充分他の人間と比べて許されている……そう思うことができたから。
「じゃあ君のその態度って、無意識?」
「え……?」
「今のままでいいンなら部下を威嚇するのはやめなよ」
「い、威嚇なんて……そんな、僕は!」
そんなにも、酷い態度をとっているつもりはないのに。……ただ、男性の方が圧倒的に多いこの職場で彼女が不快な思いをしていないか気にしている、だけで。
「とにかくスズはいくら関わりがあっても外部の人間だ。半端に巻き込むくらいならいっそ契約は打ち切った方がいい」
「そ、そんな! スズさんの技術はメカニック部に絶対必要で、」
「…………」
ラキオさんは深くため息をついて、やれやれといった風に頬杖をついた。
「まったく、キリがないな。……レムナン。実は僕、スズに恋人がいるって知ってるンだけど?」
時間が止まったようだった。
グラスに入った氷に勢いよくサイダーを注いだ時みたいにピシ、と音が鳴った錯覚。
まるで鼓動すら、止まってしまったようで。
「――と言ったらどうする?」
「……っ! なんで、そんな事言うんですかっ!」
どうやらいつもの悪い冗談だったらしい。それを認識して、止まっていたかに思えた鼓動が一気に速度を上げる。息すら苦しくなって、ラキオさんを睨みつける。
「まったく、『今のままでいい』なんて……よくそうも都合よく言い繕えるよね」
「ラキオさんこそ……よくそんな冗談が言えますよね。スズさんがこ、恋人を作るなんて、そんなこと――」
「――ありえないって?」
「………………」
誰にも分からない。未来のことなんて。
誰かを好きになるなんてもう生涯ないと思っていた僕の気持ちが……変わったように。
遠い未来、近い未来、いつか、もしかして。
彼女の気持ちも、変わるかもしれない。
彼女の隣に誰かが立つのかもしれない。
そんなことは考えたくもないのに。
「いい加減まどろっこしいんだよ。全く合理的じゃない。君も……スズもね」
この人から見たらどんな人間でも合理性に欠けているように見えるのだろうか。僕からは合理的に生きているように見える、彼女ですらも。
合理性なんて言われても、彼女のことを考えたらそんなもの、消え去ってしまうのに。
深く息を吐きながら、益体もないことを考えていた。
「リーダー、いくらなんでも薄情じゃあないですか? 全部話せなんて言いませんけどね、何でもかんでも隠されたって困りますよ! こっちも逆に気を遣うんですから」
「今は業務中なンだけど? やめておきなよ、どうせ話し始めたら胸焼けするくらい鬱陶しいンだから」
「社長……そうは言ってもですよ、せっつかなきゃ俺達はいつまでも何にも話してもらえないじゃないですか!」
「えっ……? あの、すいません、何の……お話ですか?」
業務報告の後、ところで――と部下が言葉を続けた。身に覚えのない曖昧な苦情の申し入れ。
「スズ君の話ですよ! 当たり前じゃないですか!」
「え……? スズ、さん……?」
スズさん。
僕が、このグリーゼに連れ戻したひと。
スズさんと僕を乗せた宇宙船がグリーゼに降り立ってから……僅かな期間、スズさんは僕の家で過ごしていた。
元気になった途端にすぐさま新たな家を見つけて……それじゃあお世話になりました! と出て行ってしまった。
もう少しゆっくりしてからでも、としつこく引き留めたのは記憶に新しい。
僕だから、一緒に帰るんだ……と彼女は言った。
確信的なようで曖昧な回答の真意を聞こうとして、帰ってきてからずっとはぐらかされてばかりだ。
「はぁ、まぁリーダーが幸せなのはいいですけどね? ……付き合い始めましたって一言言ってくれてもいいじゃありませんか」
可愛い部下は水面下で色々大変だったんですから、と彼が続ける言葉が半ば他人事のように耳を通過していく。
「つ、つ……付き、合い? だ、だだ誰と、誰が……」
「当然リーダーとスズ君ですよ」
「何? レムナン、君隠し通せるとか思ってたの?」
「えっ……えぇ……?」
僕と、スズさんが。
「だっ、誰が、そんなこと……僕達はっ! 恋人同士では……ありませんから」
僕は彼女にまだ、「恋人になってください」と申し込むことはできていない。どうしても彼女の口から明確な答えがほしくて、ねだっているうちに時間が過ぎてしまったから。
暗に『死にたくないのなら自分を選べ』と、強制にも等しいやり方で彼女を連れ戻した。絶対に逃さないと手を伸ばしたのに後悔はしていない。あんな所に彼女を行かせて見送るなんて僕には無理だった。
……だけど、明確な答えもないままに恋人だと名乗れるわけもない。
一緒にここへ戻ってきた、そのことが彼女にとって「答え」なのだとしても。たとえ帰ってきて、しばらく時間を共にしたとしても。
せめて、今度は選択肢がたくさんある状態で聞きたかった。
僕のこと……好きですか、と。
――僕の、恋人に……なってくれるんですか、と。
「往生際が悪いですよ、まだ隠せると思ってるんですか? ネタは上がってるんですからね」
「…………?」
「いや、何も知りませんみたいな顔されても。スズ君にちゃんと聞きましたからね、俺は」
「え……?」
何を。誰に。
不可解な状況に思わずラキオさんの方を見る。
「僕もとっくの昔にスズから聞いてるけど? 大事な話だとか言い出すから、また契約解除の事でも持ち出すのかと思ったけど」
「えっ、社長も聞いたんですか?」
「頼んでもないのにわざわざね。ご苦労なことだよ。『契約には違反しないし仕事に影響は出さない』と宣言してきた」
「スズさん、が……」
「リーダーの恋人だってスズ君はちゃんと認めましたよ?」
「!」
だって。
僕のこと、好きですか? と聞いたってうやむやにはぐらかされてしまうのに。
恋人になってくれるのか、そんなことすら僕は聞けていないのに。
「スズさんが、僕の、こと……恋人だって、言ったんですか」
彼女は何と言ったのだろう。僕のことを好き、だとか? それともお付き合いをすることになりました?
周囲の人間の方が先に明確な言葉で理解できる、彼女の気持ちを知っている、なんて。
「そ、そんなの! 僕は……聞いてないですっ!」
慌てて執務室を飛び出す。もたつきながらポケットから通信機を取り出して、今すぐリダイヤル。
今日は市街で散歩すると言っていたはずだ。ここから近い。今すぐ――。
「全く、君が取得できる有給はもう残ってないって分かってンの?」
「まぁ、リーダーですからねぇ……」
……後ろから聞こえるそんな会話は、聞かなかったことにして、今すぐ。昼休憩ということにでもして。
「スズ君は可愛いですよね」
彼女を可愛い、という人々に教えたい。
――彼女は美しいひとだ。
例えば食事をとる時の所作。
瞳の色。
一本筋を通した、曲がることのない生き方。
言い出せばキリのない美しさは……僕だから特別に分かるわけではなくて、きっと全ての人が気付くはずのものなのに。
繊細な装い。相変わらず普段は男装で過ごす彼女の珍しい服装。
今、目の前の彼女から目を離すことはできなくて。
――紫。いつだか、彼女が気負いもなく「レムナンの目と同じ色だね」と言った色だ。
レストランの店内で、初めて見る彼女の装いは、色合いだけで言うならいつもの彼女とそう変わらない。……そんなことを言えば「リーダーは分かってない」とか「全然違う」とか、軍のみんなに怒られてしまいそうだな。
たわいもない昔のやり取りを思い出して、パーティ会場にやってきた彼女の色に特別感を見出して。
……勝手に、彼女を僕の色で染めたような気分になって。
でも今日はどうか、浮かれても許してほしい。
無礼講だと見逃して、受け止めてほしい。
倒されたままの彼女の耳元で、密やかに言葉を紡ぐ。
「すずなさん」
頑なにこちらを見ない、彼女の耳が微かに動く。
「……その、とても……綺麗です。――この、宇宙で一番」
誇張しているつもりはない。
今、どこの誰よりも、目の前のひとを特別に想っている。
「本当は……誰にも見せずに。僕が、独り占めしたいんです」
美しいひとだなと思う。
誰もに知ってほしい反面、決して誰にも見せずに僕だけのものだって……宝物みたいにしまって、おきたくて。
「…………大げさすぎない、それ」
へたり込んでいた彼女の耳が、前向きに立ち上がる。
――感情の隠しきれない耳は……ごめんなさい、可愛い、かもですけど。