ブランケット症候群「ねえ、虎杖くんて、夏油先輩と付き合ってるの?」
お互いのセーターの腕を掴み合って、そっちの方がよっぽど仲良さそうな女の子二人、瞳をきらきらと輝かせて物好きな質問をくれる。
「ンー、悪いけど付き合ってるわけじゃないんだよなー。なんていうか、セラピー?的な?」
セラピー。虎杖悠仁は最近、昼休みに二学年上の先輩、夏油傑に呼ばれては、その時の気分で連れ込まれた静かなポジションで、“吸われていた”。
毎日ではないが、背も体も自分より大きな夏油にすっぽりと後ろ抱きにされ、後頭部の辺りを中心に昼休みの時間いっぱいただただ吸われる。それだけ。
すっかり慣れてしまって考えてもみなかったが、一体セラピーが正しいのかも分からない。
期待した答えが得られなかったのか、怪訝な顔で女の子は「そう……変なこと聞いてごめんね」とやはり仲良く悠仁の横を通り過ぎて行った。すれ違いざまに甘い良い香りがして、やっぱ吸うにしても女の子がいいのではないかなとは思う。
今でこそ黙って深呼吸している夏油も、最初は悠仁の整髪料以外に残り香がすると弁当のおかずを当ててきたり、どう考えても心安らぐ匂いではないだろ、と思わせることを言ってきたものだ。
大体、彼はちょっと見ないくらいの美丈夫なのである。スタイルは筋肉質だがバランスがよく、切れ長のすっきりとした目元に高い鼻梁、薄い唇が綺麗に収まる顔立ちは男の悠仁が見惚れるほどかっこいい。そして何より雰囲気が色っぽくていいのだ。男らしい魅力に溢れる外見で、柔和で洗練された所作がアンバランスなようで、惹き込まれる。
だからそういう先輩には雰囲気のある美人がぴったりで、自分みたいなもっさいゴリラは同じ土俵にすら立てないだろう。
「……あれ、なんで付き合う前提で考えてんだろ。さっきあんなこと聞かれたせいかね」
「誰か好きな人でもできたのかい?」
「うわ」
や、悠仁君。と渦中の夏油に声をかけられたかと思えば、スマートな所作で肩を抱かれる。しかし、隙なく行き先を誘導されているので、今日は“悠仁吸い”の気分らしい。
「恋バナなら聞かせてもらおうかな。私、これでも経験豊富だし」
「いや、先輩がモテるのはみんな分かってるし。期待してるとこ悪いけど、恋バナではないかな」
実は先輩のことで悩んだ、そのことは話す気がなかった。打ち明けたら、きっと気が悪い。
「そう?あ、今日はここで」
いいかな?わざとらしく耳元に囁かれて、首筋がゾワゾワとする。
三階建て校舎の屋上に繋がる扉の手前にやんわり足の間を開けて腰掛ける夏油。悠仁は勝手知ったるでその隙間に腰を下ろす。背中に夏油の体温が触れ、爽やかでほのかに甘いフレグランスが香る。腰に両腕が回ってきて、ぐいと引き寄せられる。そうしてすっかり密着してから、後頭部に擽るような感覚が触れる。いつものルーティン。ふっ、と微かに吐き出される呼気が色っぽくて、何度聞いても肌が汗ばんでしまう。
そういう行為の時も、こうしてため息をついたりするのだろうか。
「……っ」
意識すると急に恥ずかしくて、息を詰めて体がこわばらせてしまう。
「……ごめんね、くすぐったかったかな?」
ふわっと笑って、もう耳に唇を着けているんじゃないかという至近距離で、信じられないくらい甘く囁く夏油。いつもだったらこんなにむず痒くなんてならないのに、タイミングが悪い。
「へへ、ちょっとだけ……気にせんでね」
さりげなく密着しすぎない尻の置き場をもぞもぞと探してみたが、夏油にすぐに抱き直されて、少しも離してもらえなかった。
文句を言おうにも、離したら死んでしまうんじゃないかってくらいがっちり腕を回されて、縋り付くように肩に鼻先を埋められては、もう黙るしかない。
それに、いつもこうやって悠仁を連れて行く時の夏油は、疲れきって見えるのだ。今日も、なんとなく。
長く解決できない悩みがあるのかも知れない。悠仁は無理に聞き出そうとは思わなかったけれど、ずっと心配はしていた。こうしていて落ち着く気持ちがあるなら、拒む理由はない。
許されるなら、抱きしめ返して背を撫でてやりたいけれど。決まって背中を抱くから。
なんとなく、腹のあたりで組まれている自分よりも大きな手に、自分の両手を重ねて包み込んでみる。ひんやりとした肌に、悠仁の高めの体温がじわじわと馴染んでいく。
予鈴間際、夏油はいつものようにあっさりと悠仁から手を離す。
「いつもありがとう、悠仁君。はい」
反射的に手を差し出すと、ころん、と手のひらに個包装のキャンディが転がる。お礼のキャンディ。今日はレモン味。
ファーストキスの味じゃん。
また余計なことを考える頭を振って、無理矢理笑顔を作る。
「あざっす!じゃ、俺次移動授業なんで急ぐわ」
「うん。またね」
ゆるゆると手を振る夏油に手を挙げて応えて、駆け足で教室に向かう。
きっと赤いだろう頬を誤魔化せないかと、一瞬だけ全力で走ってみた。
「悠仁くん、悠仁くん、来て」
悪戯を成功させたような調子ではしゃぐ夏油に、この人こんな顔するんだ、と驚く間もなく腕を掴まれて引きずられて行く。
ぐんぐんと階段を登る彼について行くと、ボンタンのポケットから鍵を取り出して、屋上の扉を、事もなげに開けてしまう。いつもは事故防止のために締め切っていて、鍵も管理されているはずだ。
「は?それどうしたん」
「ちょろまかした」
くすくすと楽しげに、指にキーリングを引っ掛けてくるりと回して見せる夏油。
「はー、悪いことすんねー。気づかれなかったん?」
「さて、どうしたんだろうね……」
先に悠仁を屋上に通して、後ろ手に戸を閉める夏油。この先輩の雰囲気は、器用に窃盗でもなんでもこなしてしまうんだろうと思わせる不敵さがある。
「悠仁……」
あれ、呼び捨てだ。ぐいと腕を引かれて、そのまま後ろ抱きにされる。今日はいつもより、腕の力が強い。
「先輩、ちょ、っと痛い……」
「ごめんね」
謝るくせに、夏油は腕の力を緩めなかった。体温も、呼吸のタイミングも、すっかり重なってしまって、このままだと全部繋がってしまいそうで落ち着かない。
「ずっとこうしていたいな……」
また、耳のすぐ側で囁かれる。
「ン……、だめだよ先輩、このまんまじゃ飯も食えないし、さすがに死んじゃうかも」
「うん。それもいいかな……」
鼓動がぎくりと跳ねた。悠仁は離すまいと尋常じゃない力で抵抗する腕の中から抜け出して、夏油と向かい合う。「逃げられちゃった」と苦笑いする夏油は、青空の下でよく見るとひどい隈をたたえていた。
「っ、先輩どうしたん?!俺でよければ話してよ、聞くから」
頭を横に振ってまた強引に抱き寄せようとしてくるので、ひとまず夏油を座らせて、逆に胸の中に頭を抱え込んでしまう。
そういえば髪型結構気をつけてたなと思い出して、マズかったかと緊張するが、遠慮がちな力で腰に触れた彼の手は少し迷った後、諦めたようにやんわりと抱きしめる形で落ち着いたので、ほっ、と胸を撫で下ろした。
「おーん、どうしちゃったん先輩。いつもひょーひょーって感じなのに。間違っても死ぬなんて考えちゃダメだかんな、ほら、よすよす」
髪はセットを崩しそうで怖かったので、背中をぽんぽんと撫でる。
「無理に言わんでもいいよ。でも、苦しいのが楽んなるなら、俺のこと頼ってよ」
静かにされるがままの夏油先輩。やがてもぞもぞと額を悠仁に擦り付けたかと思うと、「悠仁くん、おっぱい柔らかいね」ともそもそ笑う。そんな冗談が言えるくらいには落ち着いてきたのかとほっとする。
「おう、おっぱい揉む?」
ちょっと腕の力を緩めてみると、彼は本当に悠仁の制服の裾から両手を差し込んで、インナーのパーカー越しに胸筋に手のひらを当ててくる。形を確かめるように撫でたり、弾力を感じるように指先に力が入る動きが性的で、尻のあたりがぞわぞわする。
悠仁の鎖骨あたりに額を埋めていた夏油が、ふわっと呼気を吐いて笑う。
「悠仁くん、無防備だね……」
くぐもった声に一気に頬が熱くなる。
「俺本気で心配してんだけど?……なぁ、マジで辛くなる前に相談とかしてよ」
「うん、ありがとう」
優しくて儚ない声色が辛い。
無性に頭を撫でたくなって、嫌がらないかな、とそっと頭に触れて、抵抗されないのを確かめてからゆったりと手のひらを動かす。
夏油が飽きもせず悠仁の胸を揉むのを、変に意識しないようになんか先輩のカーチャンになったみたい、カーチャン?カーチャンっておっぱい揉ませないよな、じゃ、彼女?などと考えめぐらせて、余計に体が熱くなる。
「……先輩、そろそろ昼休み終わっちゃうかも」
体感では、もう予鈴直前で、戻って来ないとなるとお節介な親友が探しにきて、もっと悪い状況では、無くなった鍵の件がバレれば教員も来るかも。そしておっぱいを揉まれる悠仁という現状。落ち着いていられない。
「……見つかったら、これはちょっと、気まずい、デス」
「見せておけばいいよ」
「なんて?」
「んふふ。よいしょっと」
くるりと視界が後ろに転がる。夏油の強い腕に支えられながら、押し倒されてしまった。
冗談ではない。悠仁は夏油の肩をぐいと押して抵抗するが、驚くほどびくともしない。身体中冷や汗が吹き出る
「先輩!先輩!これは冗談じゃないって!」
「んー、私、立ち直るにはもうひと押し必要なんだよね」
もういつも通りの掴みどころのない表情で笑っている夏油。こんな状況でも、あ、元気になったと心の隅では嬉しい気持ちが芽生えるから呑気である。
いや、気持ちで負けてはいけない。悠仁は夏油の肩をパタパタと叩いて暴れる。
「嘘つけ!先輩めっちゃ元気じゃん!」
わざとらしいため息漏らした夏油は、芸達にも「悠仁くん、人は外見上で感情を繕うなんていくらでもするだろ。君はたった今私の心痛を暴いたばかりだというのに、この溢れんばかりの孤独は理解してくれないのかい?」と大仰に嘆く。そうこうする間に、予鈴が響き渡る。もうふざけるのもタイムリミットだ。
「わーった!!わーったから俺にどうして欲しいわけ?!」
ふわっと夏油が笑った。困ったような、下がり眉で。
「虎杖悠仁くん、私と付き合って」
告白にしてはあまりに爽やかな声で言われて、暴れるの忘れてしまう。
すっかり固まってしまった悠仁の耳をくすぐって、「ね、私のものになって」と、追い討ちをかける夏油。
「悠仁と一緒になれたら、私、生きるよ」
頬どころか、耳まで熱い。先輩と釣り合うのは、きっと雰囲気のある美人なのに。どうして。
「きょ、脅迫じゃん……」
「で、授業出たいの?出たくないの?」
応えるまで離してくれない雰囲気で急かされて焦る。
男同士で友情を超えて付き合うだなんて、理解するのは難しいけれど、この関係性に意味が必要ならそれで構わないかなと思う。そうして生きてくれるのであれば。
「……今まで以上のことしてやれねーよ、俺。それでも、夏油先輩が生きるのに俺が必要っていうなら、付き合ってもいいよ」
前向きに答えてしまった。もう引っ込みつかないんだと、背中がじわじわむず痒くなる。
はっきりしない答え方だったけれど、夏油は、満足そうで、今まで見た中で一番嬉しそうな笑顔を見せた。子供っぽくて、可愛らしい一面に見惚れていると、瞬きする間に唇にやんわりとした感触が触れた。すぐに離れていったそれがなんだったのかなんて、野暮なことは考えない。全身がカッと熱を持つ。
「わぁお……アオハルかよ……」
からかい混じりの口笛に屋上の入り口を振り向くと、日差しを眩しく照り返す白髪が見えた。あ、五条先輩が迎えに来た、とよく見ると腕の中にもう一人分の頭が抱えられていて。
「ちょっ!五条先輩!伏黒死ぬ!腕離して!」
五条の腕にヘッドロックかけられた上に口を塞がれていた伏黒が、窒息寸前で真っ赤になって震えていた。
悠仁が夏油の下からもぞもぞと抜け出す間に、耳元に「よろしくね、悠仁」と囁きが吹き込まれて心臓が跳ねる。
「お、おう……よろしく……」