気まぐれな嵐やけに静かな日だった。文明復興後、科学王国民はもちろん、誰も彼もが失われた時間を取り戻そうと、せわしなく走り回っていた。まだ完全に元通りとはいかないまでも、人々は徐々に順応性を発揮して、やっと落ち着いてきたところだ。
たまにはこんな穏やかな日もいいもんだ、と龍水が考えていた時、それは突如発生した。
「どうした、そんなに慌てて。緊急事態か?」
そうか、これは嵐の前の静けさだったのか。
「ぁ、頼みがあんだ。ちーっと俺を攫ってけ」
気まぐれな嵐
「フゥン…… いいだろう。来い! 千空!」
そばで控えていたフランソワに各種業務の調整を任せると伝え、目の前に立つ千空の腕を引く。全く抵抗を見せず、そのまま龍水の腕の中に収まった千空は、目線を合わせずに呟いた。
「……理由を聞かないのか」
「言いたくないから言わないのだろう? 違うか?」
間を開けずに龍水がそう口にすると、目を見開いた千空と視線が絡まった。少しの沈黙の後、目を細めた千空が笑った。
「ククク…… 実におありがてぇ」
「俺としては手に入れたくて仕方がない男が自ら飛び込んできたんだ。簡単に解放されると思うなよ」
*****
「攫うからにはきっちり手を回さねばな」
手始めに龍水が行ったのは、防犯データの改ざんだった。あくまでも龍水財閥が管理しているもののみに限るが、巻き込まれたSAIは文句を言いながらも手際よく作業を進めていく。千空が龍水の部屋に訪れた事実をなかったことにするのだ。
「本当に犯罪じゃないんだよね? 千空、大丈夫? 無理やり手籠めにされていないかい?」
手を止めずにSAIが千空を気遣う。もちろん龍水と共に現れ、作業を見守っている千空が無理やりこんなことに付き合わされているとは思っていない。現に千空は龍水に抱えられて、悠々と果物を頬張っている。
「弟をからかうなんて、悪いお兄ちゃんだなァ」
「ま、千空には及ばないよ。龍水、身内から犯罪者が出るなんてゴメンだからね」
千空は楽しそうに笑みを浮かべながら、龍水の手で運ばれた果物を頬張った。そのたびに、わざとらしく龍水の指まで食んでいく。日々龍水から千空の話を聞かされているSAIからすれば、よく耐えているなぁ、というのが正直な感想だった。
「はい、終わったよ。 これから10分間は君たちがカメラに映らないよう細工してあるから」
「ハッハー! 感謝する! では行こうか!」
それを聞いた龍水は抱えていた千空をそのまま横抱きにし、ガバリと立ち上がり礼を口にした。一瞬抵抗を見せた千空だったが、すぐ諦めてSAIに手を振る。そしてそのまま颯爽と部屋を後にしたのだった。
*****
「まさか海まで連れてこられるとは…… クルーザーなんて出したらすぐバレるんじゃねぇのか」
「心配無用だ、千空。 そのあたりも手を回してある」
甲板に二人並んで潮風を浴びる。心配そうに眉を顰める千空の腰を抱いて、そのまま唇を奪った。
「……」
「どうした、もっとほしいなら口に出せ。千空、貴様には弱いのだから」
微笑む龍水に千空はむっとした表情を晒しながらも、もう一度、と小さく口にした。それは波の音にもかき消されてしまいそうな小さな音だったが、もちろん聞き逃さない。
「……どうせ薄々気が付いてんだろ。 俺がお前の所に来た理由」
「いいのか、丸裸にしても」
「誤解を生む言い方やめろ!」
そう言って真っ赤になった千空の頬を、龍水は欲を隠さない手で撫でた。
「面倒なマスコミや貴様を崇拝する馬鹿な奴らの対応から少し逃げ出したくなったんだろう? だが、俺としては」
恋人が恋しくて甘えに来た、と言ってくれた方が唆るんだがな。
「ッ…… お元気いっぱいだな」
周りには誰もいない、何もない。あるのはいつの間にか日が暮れて煌々と輝く星空と、優しく身を揺らしてくる海と、互いだけ。
「陸に戻るか? それとも」
「……いい。どうせクッソいいベッド、あるんだろ」
今度は千空から龍水へとキスが贈られた。