その生に背くとも目の前に散った朱に七緒は身を固まらせた。
けれど、その朱の主が叫ぶ声に現実へと乱暴に、だが的確に引き戻される。
「……ッ、馬鹿者ッ! 目の前の敵を討たぬか」
「──はい!!」
取り落としそうだった薙刀を握りなおし、再び七緒へと襲い掛かろうとしていた怨霊の一撃をいなし、薙刀を振り下ろす。
怨霊へと深く入った一撃は致命傷となり、地に落ちる。けれど、それで終わりではない。
七緒は怨霊から視線を外さず、謳うように言葉を紡ぐ。
「巡れ天の声、響け地の声、──彼の者を封ぜよ!」
怨霊が光に包まれ粒となり、空へと昇っていく。
キラキラと立ち昇るそれを一瞥すると、七緒はキュッと唇を引き結ぶと振り返り、視線の先で力無く倒れ込んでいる男の元へと駆けて行く。
「長政さんッ!」
長政が横たわるすぐ傍へと膝をついた七緒の喉が、ヒクリと呼吸を止めた。
長政の周りにはおびただしい量の血だまりが出来ており、それが全て長政のものだと見るだけで分かる。そして、長政の命の灯も、僅かだという事も。
「……いや、嫌だよ……」
震える手を長政へとのばせば、虚ろだった長政の目の焦点が七緒へと向けられる。
「……、童女に、泣くな……という方が、無茶か……」
ふん、と笑ったらしい長政の口からごぷりと血が噴き出る。
「……ッ!」
七緒は己の膝の上へと長政の頭を乗せた。混乱の内にでも、吐瀉物による窒息を防ごうとした無意識の行動であった。
「しゃべらないで……! 今、みんなに……、でもいま私、しかここにいなくて、私……」
すぐにみんなと合流しなければ。
けれどここへ一人長政を置いて行く訳にはいかないと葛藤を隠すこともせず、途方に暮れ涙を零す七緒へと長政は力を振り絞る様に、思い通りに力が入らない腕を動かし、手を伸ばす。
「……ふん、毎度……この様な有様であれば、……皆が迷うぞ」
七緒の頬へ触れるのをためらうように直前で止まった長政の掌を、七緒は両手で包み持つと血にまみれたその掌に頬を摺り寄せた。
手袋越しに長政の熱は感じず、ひやりとした死の匂いを纏っていた。
駄々をこねる様に七緒は首を振る。
「私がちゃんと気付いていたら。長政さんがどんくさい私なんかを庇わなければ。私がもっと、強ければ──」
「……たられば話は、嫌いだ」
けふりと咳き込む長政の灯が段々と消えていく様に七緒は長政以上に顔色を悪くする。
「──これからの事は、鍛錬と、経験で……どうとでもなる」
頬に添えている長政の掌から力が抜けていく感覚に、七緒は縋りつくように、離さないように掌に力を込める。
「やだ、やだ……。みんな優しいから、厳しい事言ってくれる長政さんがいてくれないと……」
嫌、と涙に濡れる声で呟けば長政が微かに笑う。
「その、泣き言は……、俺が、冥土へと持っていこう。──泣くな、……お前は、花のように……笑っている方が、……」
長政の瞳が虚ろになり七緒ではないどこかを見つめ、掌からも力が失われていく感覚に、七緒は唇を強く噛んだ。
ぽたりと、滴り落ちる血を舌で拭う。
「……ごめんなさい、長政さん。こんな事、あなたは絶対に怒るだろうけど──わたしを許さないで。ずるいわたしを許さないで」
長政の掌を頬に感じながら、七緒は涙を零しながら呟く。
「でも、私は……、あなたが言ったさっきの言葉の続きを知りたい」
身をかがめた七緒はかさついた長政の唇を塞ぎ、まだ温かい咥内へと舌を差し込む。
唇からあふれ出る血を誘うように長政へと注ぎ込み、焦点を結ばない長政の瞳を祈るように見つめながら七緒は祈るように舌を絡ませる。そして長政が最後の呼吸と共に嚥下したことを確認した七緒は僅かに唇を離して、短く呼吸をする。
ぽたりと長政の頬に落ちた涙を目で追いながら、七緒は懺悔のように呟く。
「ごめんなさい、長政さん。あなたに恋した私を許して──」
触れるだけの口付けを落とし、七緒は長政の掌をそっと撫でた。
ドクリ──、止まるはずであった長政の心臓は再び、悠久の鼓動を打つことになる。