杞憂な心配 学生時代から、友人知人に変に肝がすわっていると評価されていた。
汗をかいたりおどおどともするのだが、恐ろしい状況や人にも、わりと物怖じせずものを言うし、対処しているから、らしかった。
吉田としては、そんな事ないんだけどなぁ怖いものは怖いし、逃げる時は逃げるし、という反応だったのだが、今日、今、この瞬間、ひょっとしたら自分は皆が言うように図太いのかもしれないと、ホット牛乳が温まっている電子レンジを見ながら、認識を改めていた。
ピーと電子レンジの音が鳴り、中からコップを取りだす。ラップを外して、部屋に戻る。
「すみません。吸血鬼はクラさんぐらいしか部屋にあげた事がなくて、人工血液の方がよかったですか?」
コップを正座して待っていた吸血鬼の前のテーブルに置く。何を飲むのかよくわからないから、クラさんが好む飲み物をとりあえず用意したが、紅茶とかの方がよかっただろうか。
紅茶を飲む習慣がないから、何かの景品でもらったのしかないが、あれはいつのだったろう。賞味期限、もうすぎてるよなぁ。
そんな事をつらつら考えていたら、吸血鬼が「問題ない」と感情がよみとれない声で言った。
だが飲む様子はなく、飲まなくともかまわないのだが、なんとなく「クラさんがそのメーカーのホット牛乳好きなんですよね」と言ったら、秒で飲んだ。どこのメーカーかまで聞かれた。
その問いに答え、場も少しはほぐれたところで、本題を切りだす。
「それでクラさんとミキさんが仕事の夜にわざわざ僕を訪ねてきた理由はなんですか?」
「……」
吸血鬼はチラリ、チラリと壁、おそらくクラージィの部屋と三木の部屋を見た。
手入れの行き届いた髪が少し揺れて、吉田は不思議な髪色だなぁと思う。
紺とまではいかないが濃い青で、紺青とでもいえばいいのか。光の加減によっては紫も少し入っているように見えるので、青藍かもしれない。しかしこの吸血鬼、前から思っていたが異様に顔が整ってるな髭を剃って少し若かったら会社の部下が追いかけ回しそうだとまじまじ見ていれば、何か呟いた。
「すみません。もう一度」
「……壁が薄いな」
「え? えぇ。安いですが古いですからねぇ」
「少しでも声を張れば隣に聞こえそうだ」
「そうなんですよ。便利モブ会とかの集まりの時、どんな感じですかーとか壁にノックとか声かけたりします」
「……」
ゴホンとそれはもうわざとらしく吸血鬼は咳払いをした。
「ところで、クラージィが付き合っているのは知っているか?」
「はい」
クラさんとミキさんから交際の報告を受けました。とは口にしない。
クラージィは目の前の吸血鬼にも報告するとは言っていたが、なにかしらの行き違いがあった場合、部屋が氷漬けになりかねない。
吉田は内心、緊張していたが、吸血鬼は赤い視線を空になったカップに落として、そうかと呟くだけだった。
「……」
「……」
「……」
「……親吸血鬼として私はクラージィに責任がある」
「クラさんが聞いたら、『お前には恩はあれど、お前の責任はない』とか言いそうですねぇ」
率直な感想を述べれば、すでに言われたのか一瞬停止した。そして何事もなかったように話を続ける。
「なので、親馬鹿、過保護と言われようと、元聖職者の初めての恋人とのあれやこれに気を揉まんわけにはいかない」
「いかなくはないと思うんですけど」
「あれはなんというか、耐えるのが美徳で自分の欲を抑えるのを無意識にやってしまうからな、人間なんぞ瞬きの間に儚くなってしまうというのに、悠長に事をかまえかねん。あの男もなんというかクラージィのいう事には白も黒といいかねない奴だ」
「告白してデートして、わりと順調だと思うんですけどねぇ」
「なので、」
「わりと強引に話を進めますね」
「御伽坊主の役割を頼みたい」
「よし。タイムで」
自分の知識が間違っていて欲しくてスマートフォンで検索する。あー。間違ってなかった。
いや一応、死者の枕元で経を読む坊主の方の意味かもしれない。聞いてみようかと思ったが、行間を読めてしまう自分が尋ねるだけ無駄だと訴えている。
御伽坊主。
それは大奥で将軍の夜の相手に連絡やら、夜伽の時には側に控えて子作りの世話をした役職の者である。
「あ〜」
ど唸ってからメガネを外し、目頭を揉んでからまたメガネをかける。
「ええーとですね、それは子作りの仕方をクラさんに教えろとかそういう役割を期待してるんですか?」
「……流石に知っているとは思うが、必要ならば。今はいい映像媒体があるんだろう? それを勧めてくれ」
貴方が勧めればいいじゃないですかと言おうとして、親吸血鬼の威厳とか、人間の恋人へのなんかがあるのかと想像して口を閉ざす。それに目の前の吸血鬼がその手のDVDやら本やらをクラージィに勧めている光景を想像したら、なんか嫌だった。
「……クラさん、流石に知ってると思うんですが……」
「二百年前の聖職者とはいえ、と私も思うのだがな……クラージィだからな……異性はともかく同性は添い寝で終わりとかの知識でも驚かん」
「あ〜。僕も驚かないですねぇ」
「だいたい異性にしても、清廉潔白な聖職者様だぞ。子作り目的の限りなく簡素なものしか知らない可能性がある」
「確かに」
「そこで声を聞いて、上手く誘導して欲しい」
「わかりましたってならないですよ?」
「金なら払う」
「いりませんよ」
「友達だろう?」
「友達だからです」
すごい勢いで目の前の吸血鬼の何かが下方修正されていく。
「そこまで必死にならなくとも、なるようになるでしょ」
「……クラージィだぞ」
苦虫を噛み潰したような顔で吸血鬼は言った。
「相手の事を思ってとかもっとゆっくりとか、はたまた隣に居られるだけでとかそんな事を言い出して、肉欲を否定し、ズルズルと年月を重ねて、あっという間に人間が儚くなって、そうすればもう生涯の恋人は彼だけとかいって何百年続くその後の生をそういう経験なしで暮らしかねん」
「それは……」
考えすぎでしょうとは言えなかった。クラさんだからなぁと吉田も思ってしまう。
「それにあの人間がそういう方面で押し切れるとは思えんしな。クラージィが添い寝が性交だと言い切れば、笑顔でそうですねと同意しかねん」
こちらも考えすぎでしょうとは言えなかった。三木さんだからなぁ。
「そこでお前だ。こんな薄い壁、衝立とかわらん。聞き耳を立てて御伽坊主をやり遂げてくれ」
「う〜ん」
別にクラージィと三木に対して下世話な話をするのが嫌というわけではない。三木がクラージィを清廉潔白としてみて、そういう話題を必要以上に排除しているふしがあるから折を見て差し込んでいるぐらいだ。
だが聞き耳は、また違う。
それに下手につついて、拗れても嫌だ。
吉田は悩んだものの、心配性な親吸血鬼に粘りに粘られ、三ヶ月後、何も進展してなさそうならちょっと探りをいれてみる約束をしてしまった。
因みに、探りをいれる必要はなかったとだけいっておく。