子羊君は何も知らない「とても美味しいですね! テメノスさん」
「気に入ってくれてよかったです。お陰様で、私も久々にこの店に来られました」
「…………」
骨付き肉を頬張るクリックに、テメノスはにっこりと微笑み返す。よほど腹が減っていたらしい。体が資本の聖堂騎士だ。不穏分子への対応や、魔物の討伐。荒事に関わることが多いだけに、栄養補給も大切だろう。彼は本当に美味しそうに物を食べるので、見ているだけで気分が良くなる。
テーブルに並ぶ、スパイスを利かせた獣肉に、この辺りでは珍しい魚のグリル。野菜と果物を煮て作ったパイに夢中になる横顔を、甘ったるく見ていたテメノスだったが、隣から聞こえてくる咳払いに真顔に戻る。気まずそうに黙々と食べ続けるオルトと目配せをし、互いに曖昧な表情を浮かべた。
『どうして、俺が同席せねばならない』
無言でも伝わってくる訴えに、テメノスは力なく首を振った。そんなもの、私だって知りたい。本当に、どうしてこんなことになったのか。途中までの流れは完璧であったはず。原因を作った子羊君は、二人の複雑な感情も知らずに大きな口でパイを齧った。
*
所用で仲間との旅を一時離脱し、ストームヘイルまでやって来たテメノスは、聖堂機関の前で任務帰りらしいクリックとオルトに偶然会った。報告に行ってくるとその場を離れた、気を利かせてくれた様子のクリックの友人。好機を逃すまいと、テメノスは誘いをかけてみる。これから食事にするつもりだが、よかったら一緒に行かないかと。突然の誘いに青の瞳は驚いたように瞬くが、すぐに喜色一杯にして「テメノスさんから誘っていただけるなんて、珍しいですね」と、言葉を返した。気まぐれで声を掛けたと思われているのなら、非常に心外である。これまでも、それとなく二人の時間を作るべく頑張ってきたというのに。
テメノスが聖堂騎士であるクリックと出会ったのは、彼がフレイムチャーチに赴任した時のこと。異端が狼藉を働こうとする場に、偶然居合わせたのが切っ掛けだった。以来、旅の先々で再会する縁から、供に調査へ乗り出すことも少なくない。一緒にいる時間が増える中、彼の真っ直ぐさや情熱を好ましく思うようになり。クリックからも、教会に属する同士以上の気持ちを感じるようになっていた。言葉で伝え合ってこそいないが、言動がとても分かりやすい彼のこと。傍で滲み出てくる気持ちを感じ取るのが、ひそかな喜びとなっていた。今は、二人の間の距離を少しずつ縮めている最中。惚れた弱味なのだろう、アプローチにも中々気付かないところすら、可愛らしく思えてしまう。こ直後に彼が口にした、無邪気とも言える提案を聞く前までは。
「オルトと腹減ったなって話していたんですよ。戻って来たら三人で行きましょうか!」
にこやかな表情での言葉に、一瞬だけテメノスの頬が引き攣った。君の友人が、何のために一人で報告に行ったのか? 残念なことに、鈍感な仔羊君は少しも気が付いていないようである。
「楽しそうですね」
クリック君は。続けそうになるのをどうにか堪え、落胆は笑顔で覆い隠した。
「テメノスさん、あまり進んでいませんね。空きっ腹で飲むと悪酔いしちゃいませんか」
「お気遣いどうも。今日は食べるより飲みたい気分なもんで」
「はあ……。お忙しいんですね。ですが、お体のことも気遣われた方が」
「ありがとう。ですが、ペースは自分が一番分かっていますよ」
見当違いの心配をする想い人に、複雑な気持ちを抱きつつ、テメノスは開いたグラスに赤ワインを注ぐ。正直、飲まなくてはやっていられない。馴染みの店であるような口調で誘いはしたが、実は来るのは二回目だった。旅仲間たちとたまたま寄って、気に入ったからクリックを誘うことに決めた。雰囲気のいい店であるから、周囲は恋人と同士や、目前であるだろう親しげな二人連ればかりだ。三人であるのは、不運にもこのテーブルだけ。一番居心地が悪いのはオルトであるはずだから、文句は言うつもりはないけれども。
食事に夢中になっていたクリックは、黙ったままである友人に漸く気付いたらしい。何度も首を傾げた後、無垢な瞳で問い掛ける。
「どうしたんだ、オルト。今日は随分静かじゃないか」
「……いや。俺はもう腹も一杯だし、そろそろ帰らせてもらう」
「ええ⁉ だって、いつもの半分くらいしか食べてないぞ」
「お前たちを見ていたら、嫌でも満腹になる」
「……食べていないのに?」
――やれやれ、仕方ないですね。
「ちょっと失礼」
そう断って席を立つと、テメノスは足に入っていた力を一気に抜く。ふらり、と体をよろめかせれば慌てたクリックが立ち上がり、日頃の鍛錬が窺える太い腕で確りと支えられた。
「テメノスさん! だからあれほどっ……」
「君の忠告を聞くべきでしたね。宿舎まで帰れるかな」
「オルト、すまない。俺はテメノスさんを送るから」
「……‼ ああ、ここは任せておけ! 金はあとでいい」
「すみませんね、オルト君。……ご迷惑を」
「構わん。積もる話は、またの機会に」
解散の流れになった途端、晴れやかな表情を見せる男に笑いそうになるが、無理矢理腹の奥へ押し込んだ。肩に腕を回され、厚い胸板へ身を任せる。クリックは体重をかけてもよろめくことなく、テメノスを店の外へと連れて行った。
……これでおあいこだろうか? 向こうもホッとしただろうし、此方としても二人きりになれるのだから万々歳だ。
「大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。……頼りにしていますよ?」
「……‼ は、はい! 任せてくださいっ」
素直な言葉を届けたら、クリックは暗がりに明かりを灯すような笑みを見せた。背中を支える腕に力が入る。テメノスはバランスを崩した振りをして、更に隣へ身を寄せた。