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    Touno_hiragi12

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    Touno_hiragi12

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    過去作の傀暮再掲

    緋色の輝石に伸ばした手は 憧れとは、空に煌めく星に手を伸ばすようなものである。
    幾ら焦がれようと、掴めはしないし届く事などありえない。
    憧れも同じだ。
    焦がれる相手に近づくことは出来ないし、想いは届かない。
    それでも追い求めてしまうのは、その煌めきに心を奪われてしまったからだろう。
    煌々と人を惹き付けて止まない星に、宝石に、集う人々はまるで誘蛾灯に群がる蛾の様だ、と言ったのは誰だったろうか?
    ぼんやりとする頭を軽く振り、覚醒を促す。
    どうやら机に伏したまま眠っていたらしい。
    無理な体勢で寝ていた為に痛む体を伸ばしてやりながら、疲れたように溜息を吐いた。
    …夢を見ていた気がする。
    ひたすらに眩しい星に、美しい宝石に、…焦がれるあの人に手を伸ばす夢を。
    再度溜息を吐く。
    時刻を確認すると丁度夕食時で、腹の虫が切なげに存在を主張し始める。
    暗く、静寂に包まれた自室から逃げるように食堂へと歩き出した。

    ロドスの外勤オペレーター、シャレムはつい1ヶ月ほど前にセライブラソン周辺で起きたオペレーター、ファントムの失踪における捜索と救出作戦を無事に終え帰還した。
    おぞましき古城からファントムを連れ出し無事にロドスへと戻って来れた時、シャレムは自分があの悪夢に打ち勝てたのだと漸く実感した。
    自身を脅かす存在だと思っていたファントムとも和解し、存在しない刺客に怯える日々も終わりを告げた。
    彼はひとつ、自由と安心を得たのだ。
    …だがここで、とある問題が浮上してきた。
    不安に苛まれ、すり減らしていた心が忘れていた感情が、再び顔を覗かせたのだ。
    かつて幼きフィディアの少年は、同期であるフェリーンの少年に憧れを抱いていた。
    劇団の期待の新星、輝ける貴石。
    その才能と美しさに幼き黒蛇は魅了され、同時に注がれる喝采に嫉妬した。
    誰もが振り向く天才を、黒蛇も例外なく目で追った。
    遠巻きに気高き子猫を見つめる内に、知る内に、やがて憧れとは別の感情が生まれていった。
    その瞳に自分だけを映して欲しい、隣で笑いかけて欲しい、優しく声をかけて欲しい…。
    その感情に名前をつけるには幼く、あまりにも経験が少なすぎたが、確かにそれは相手への恋愛感情だった。
    厳しい稽古に埋もれ、劇団という恐怖に襲われ、いつしか見えなくなったものだが、心の余裕が生まれしっかりとファントムを視認した今、ゆっくりと思い起こされていく。
    あの時は無意識に向けていたもので、何も分からなかったその感情は、ロドスで多少なりと情緒を育てた今ならハッキリとわかる。
    男は、シャレムは…ファントムに想いを寄せている。
    自覚した時、シャレムは自身を愚かしいと恥じた。
    ファントムは才能に溢れた天才であり、シャレムは初演を失敗に終わらせた懦夫である。
    黒きフェリーンは勇敢にも悪夢と立ち向かい、今なお答えを探し求めていたが黒きフィディアは過去から目を背け逃げ続けた。
    あまりにも不釣り合いなのだ。
    想うのすら烏滸がましい。
    …そうシャレムは思ったのだ。
    だが、芽生えた感情は摘み取る事は出来ず…限られた水を栄養として育っていく。
    美しく咲き誇ってしまったこの花を、彼は密やかに愛でる事にした。
    ここまで育ってしまっては、枯らすにはあまりにも勿体ないと感じてしまったのだ。
    …そして、今に至る。
    隠すのが上手いのか、そこまで踏み込ませないのか、未だ彼の秘めたる想いは周囲に気づかれたことなく、何事もない日々を過ごしている。
    少しばかりの支障と言えば、日に日に大きくなる感情を持て余してしまっている所だろうか。
    秘めていたいのに、その大きさと重さに耐えきれず何処かで吐露してしまいそうになる。
    その苦しみが顔に出てしまっているのか、多くの職員に心配までされる始末。
    想いが爆発し、ぶちまけてしまう前にどこかに相談出来れば…とシャレムは思うばかりで、以前とは別の意味で神経をすり減らしていた。
    重苦しくなる感情のまま、食堂の一角で料理を口に運んだ。
    愛くるしいウルサス人の少女が作ったディナーはどれも美味で、特に駄獣の香草焼きは非常に口に合った。
    一口、また一口と駄獣の肉に歯を立てて噛み締める。
    溢れる肉汁と香草の爽やかな味わいに沈みゆく心を慰められていると、隣に見知った人物が座ってきた。
    親愛なるロドスの指揮官、ドクターだ。

    「こんばんはシャレム。」
    「ええ、こんばんはドクター。」

    互いに会釈し、言葉を交わすと食事に向き直る。
    静かに、無心に、食事を終えるとシャレムは片付けるついでに食後の紅茶を淹れようと立ち上がりかけたその時、ドクターに呼び止められる。

    「シャレム。言いにくければ別にいいんだが、君は悩みを抱えているね?」
    「え、あ…。」
    「…私に相談してみないか?もしかしたら力になれるかもしれない。」

    目深に被ったフードと顔を覆うマスクの隙間から覗くドクターの目はとても真剣で、本当にシャレムを心配しているのがありありと伝わってくる。

    「ご、迷惑では…ないですか?」

    振り絞った声は震えていた。
    ドクターはふっ、と微笑みを返すとシャレムの手を握った。

    「私から提案しているんだ、迷惑と思う訳が無い。それに…」
    「それに…?」
    「君はあまりにも周りに頼らなさすぎる。劇団のことで、周りに迷惑をかけないようにしてたからだろうが…今はもう不安なことは無いだろう?であれば遠慮なく頼って欲しい。」

    頼られないのは少し寂しい、と付け足されてしまえば断る言葉は思い浮かばず、シャレムは静かに頷くしかなかった。
    それにドクターは一息つくと後で執務室に来るように言い残し、食器を片付けると立ち去っていった。

    紅茶を飲み心を落ち着け、執務室へと足を向けた。
    控えめにノックをするとどうぞ、と返事が返ってきた。
    ゆっくりと深呼吸してから扉を開けた。
    ドクターの執務室は殺風景で、清潔感に溢れている。
    ドクターは椅子に深く座り込み、こちらを見据えていた。

    「いらっしゃい、シャレム。」
    「…失礼します。」

    近くのソファに座るように促されたシャレムは遠慮がちに腰を下ろした。
    目線だけ動かして周囲を確認する。
    …話によると、『彼』は常にドクターの背後にいると聞いていたからだ。

    「肩の力を抜いて欲しい。大丈夫、ここには私以外誰もいないから。」

    ドクターはくすくすと笑いながら、コーヒーを一口飲んだ。
    その言葉に警戒を解き、ほっと一息をつく。
    こんな話を、本人に聞かれる訳にはいかない。
    シャレムは静かに話し始めるのを待つドクターの顔を見つめた。

    「…笑ってしまうかもしれませんが、」
    「笑わないさ。」
    「……そうですか。ええと、そのですね…。」

    言い出しにくそうに、口ごもる。
    だが、こうしていても仕方ないと腹を括った。

    「片想いを…しているんです。」

    震える声で絞り出した言葉を聞いたドクターはほう、と呟いた。

    「君が片想いか…。意外だな。」
    「そう、ですか…?」
    「ああ、君は今まで人を避けて生きていた様だからね…。誰かに想いを寄せる、なんて想像がつかない。」

    言われてみればそうだ、と黒蛇は頷いた。
    自身に伸し掛かる過酷な運命に他人を巻き込まないよう、ずっと避け続けていたのだ。
    そんな人物が好きな相手がいるなんて、自分が聞いた側になっていたら同じような反応をしていただろう。

    「そんな顔をするな。別に変だとは言ってないだろう?」

    いつの間に隣に来ていたのだろうか、ドクターは知らぬ間に俯いていたシャレムの頭を撫でた。
    その手つきは優しく、遥か彼方に消え去ってしまった父の手の感覚を思い起こさせた。

    「シャレムの想い人を当ててみよう。恐らくだが…ファントムだな?」
    「えっ。」

    勢いよく上げられた顔は驚きで目を丸くしており、幼さを感じさせる。
    図星を突かれたとありありと書いてあるその表情に、方舟の賢人はくすくすと笑った。

    「どうして…?」
    「シャレムのこれまでの行動や対人関係等を考えれば直ぐにでも出る答えだよ。」

    まあ、半分は勘だが…と付け加え、くしゃくしゃと髪の毛をかき混ぜる。

    「君はもしかしたら男同士だとか、釣り合わないだとか、色々と考えているんだろう。だが、それがなんだ?」

    全てを見透かしたドクターの目に、シャレムの体が強ばる。
    己の中の想いが何もかも見抜かれて、汲み取られていく。

    「…ですが、私は……。」
    「シャレム、誰かを想う気持ちに性別など関係無いし、押し殺して隠そうなんてしなくていいんだ。」
    「ドクター…。」
    「釣り合いがどうとかなんて、誰にも決める権利は無い。それはシャレム、君自身にもだ。」

    ドクターの手が頭から離れ、壊れ物に触れるように不安げな子供の手を握る。

    「シャレムは素晴らしい子だ。心優しく、人の為を思え、手を差し伸べられる。そんな君を、例え本人であっても卑下することは許せない。」

    とても優しい目がシャレムを見る。
    それは子を思う親のようでいて、心から心配してくれる友人のようでもあった。
    手袋越しにゆっくりと熱が伝わっていくのを、感じた。

    「君はもう少し、自信を持つといい。胸を張って、誇るだけの価値が君にはあるのだから。」

    抱きしめられる。
    優しい熱が包み込んできて、何故だか涙が流れ落ちる。
    シャレムの心の中に燻っていた何かがひとつ、綺麗に無くなった。
    そんな気がした。

    「…ドクター。あなたのおかげで少し、胸がスッキリしました。話すのが怖くもありましたが、やはり相談して良かったです。」
    「どういたしまして。折角だしもう少しゆっくりしていくといい。…そんな顔で帰したら怒られそうだしね。」

    ケラケラと笑いながら新しくコーヒーを入れると、シャレムに差し出した。
    少し冷まして飲むと、びっくりするほど甘くて目を丸くした。

    それからシャレムは心を軽くして生活を送っていた。
    想いがこぼれてしまいそうな時は、時間を作ったドクターが聞いてくれるのが大きい。
    どんな些細な恋の悩みも笑わずに聞いてくれるドクターの距離が、今のシャレムにとっては居心地がいいのだ。
    話すことが多くなると言う事は、会う回数が多くなるということ。
    周囲は二人の仲を微笑ましく思う反面、ひとつの噂が持ち上がってくる。
    まことしやかに話されているそれは、ドクターとシャレムが恋仲ではないか?というもの。
    本人たちはやんわりと否定するが、幾度も行われる『恋の悩み相談』を逢瀬と捉えるものは多い。
    主に女性オペレーターの間で持ち切りの噂を、意外にも気にする男がいる。
    ドクターの護衛として背後に潜む者、コードネームファントム。
    彼はドクターとシャレムの恋の噂を聞く度に、シャレムと会うからと追い払われる度に、胸がざわつくのを感じていた。
    本日もドクターから「この後はシャレムと会って寝るだけだから帰っていい」と帰されたばかりだ。
    以前はそんな風に帰されたことは無く、何より相手がどうも気になる。
    シャレムとファントムはかつて同じ故郷で育ち、同じ劇団に拾われた同志である。
    そこまで交流はなかったが、あの時の悪夢を共有できる唯一の存在だ。
    罠にはまり古城で悪夢の再演をしていた時に助けてもらった恩もあり、ファントムは少なからずシャレムを気にしていた。
    色々と話したいこともあった。
    だから機会を伺っていた矢先にこの噂である。
    胸のざわめきは留まることを知らず、落ち着かない日々が続いていた。

    「はぁ…。」

    ファントムはひとつ、ため息を吐く。
    そして緩く首を振ると、自室へ向かっていた足を反転させる。
    どうしても二人の仲が気になるなら、確かめればいい。
    このまま心中が霧がかったままなのは自分のためにならない。
    なにより、どうしてこんなにもざわめくのかを確かめたかった。
    ドクターの部屋の前に戻ってくると、丁度よくシャレムが入ろうとしている所だった。
    ファントムはアーツを発動させるとシャレムの影に潜み、室内に侵入した。
    第三者が居ることに気が付かない様子のドクターとシャレムは、いつものようにそれぞれの椅子に座ると話し始める。

    「いらっしゃい、今日はどんな話を聞かせてくれるのかな?」
    「お邪魔します。…ええと、今回はですね、今日の作戦の話なんですが…。」
    「ああ、ファントムと一緒にチームを組んだやつかい?」
    「はい、それです。」

    ファントムは目を丸くして驚く。
    どうして自分の名前が出てくるのだろう、とより集中して耳を傾けた。

    「あの作戦の時、ミスターファントムが重装兵を一瞬引き受けた時がありましたよね?」
    「ああ、しっかりと見ていたから覚えているよ。」
    「重装兵を牽制し、怯ませたあの一撃を放った時の短剣捌きや表情がかっこよくて…思わず作戦中なのに見惚れてしまったんですよね…。」
    「だからあの時一瞬だけ動きが止まったんだね?」

    思い出したのかぽっと頬を赤く染めるシャレムと、それを微笑ましく見るドクター。
    そして…またもや驚きで耳をピンと立てるファントム。
    彼の頭の中は、ひとつの疑問で埋まっている。

    「(シャレムは私の事が好き…なのか?)」

    影に潜みこの光景を眺めているファントムに答えるものは居ない。
    そのまま衝撃を引き摺ったまま、ファントムはこっそりと自室に戻った。
    脳裏に浮かぶのは、ファントムの事を話しながら頬を乙女のように薔薇色に染めるシャレムの姿。
    どっと心臓が早くなり、かぁっと頬に熱が溜まる。
    胸がきゅう…と締め付けられるようなこの気持ちは、なんだろうか?
    わけも分からず混乱する頭の片隅で、呆れたようなミスクリスティーンの鳴き声が聞こえた気がした。

    ある日のロドス艦内。
    シャレムはドクターの為に資料を持っていこうとしていた。
    と、言うが頼まれたものでは無い。
    シャレムはこの資料が必要になる、という未来が視えた。
    だから探す手間を省く為、事前に渡しておこうと思ったのだ。
    そうやって歩いている時、何者かに肩を掴まれた。
    驚き、振り向くとそこには困った表情のファントムが。
    何か口にしたいようだが、言い出せなくて困っている…そんな様子だ。

    「み、ミスターファントム?何か私に用事でも…?」
    「…………君は…。」
    「はい?」

    ぎり、とファントムの手に力が籠る。
    少しばかり痛み、シャレムの顔が歪む。

    「いたっ…。」
    「ああ…済まない。」

    ばっと手を離し、労わるようにそっと肩を撫でる。
    その触り方が擽ったいのか、シャレムはびくりと体を跳ねさせた。
    その反応にもファントムは申し訳ない顔をして、目の前の黒蛇を見やった。

    「私は大丈夫です。…何か御用なんでしょう?」
    「いや、そのだな…。」
    「言い難いことなんですか…?」

    ファントムは目を閉じ、そして覚悟したように開いた。

    「君が…ドクターの為に動いていることも、私が居ては話しにくい事を話しているのもわかっている。だが…。」
    「だが…?」
    「ドクターとばかり一緒に居るのが、嫌…なんだ。」
    「は、い…?」

    シャレムは困惑して思わず資料を取り落としそうになった。
    慌てて持ち直し、戸惑いの目をファントムに向けた。

    「あの、え…?つまり、私がドクターにばかり構うのに嫉妬していた…と?」
    「ああ。…私は君と話したかったし、交流したかった……。」
    「そうだったんですね…。」

    早く言ってくれれば良かったのに、なんて思ったのをシャレムは飲み込んだ。
    彼が言葉足らずなのはよく知っていたし、話しかけられず追いかけ回されたこともあった。
    そんな口下手な黒猫なので、似たようなものだろうと思ったのだ。
    シャレムは同じ境遇の自分だから話したかったのだろうと思い、優しく語りかけた。

    「私はいつでも貴方の話し相手になりますよ。だから気兼ねなく来てくださいね?」
    「そうか、ありがとう。…君は本当に優しいなシャレム。」
    「いえいえ、どういたしまして。」

    笑顔を見せるシャレムのその柔らかな表情にファントムは見惚れた。
    儚くも美しい、ひとつの芸術品のような彼は守りたくなる雰囲気を出している。
    そう、ファントムは感じた。

    「長く引き止めて済まない。ドクターの元に行くのだろう?」
    「そうですよ。この資料を届けようと思いまして。」
    「…私も同行しよう。」
    「どうぞ、1人増えても変わりませんしね。」

    2人は並んで歩き出した。
    仲良く執務室に入るとドクターは目を丸くした。
    が、すぐに笑みを携える。

    「やるじゃないかシャレム。ファントムと一緒なんて。どんな誘い文句を言ったのかな?」
    「ちょ、ちょっと待ってくださいドクター!何を言って…!」
    「誘ったのは私だ。」
    「おや、そうなのかい?」

    ドクターはからかう様な、それでいて人懐っこい顔をうかべる。
    反対にシャレムは自分の想いがバレてしまわないか慌て、不安そうな顔をしている。
    ドクターはそんなシャレムを落ち着かせるようにポンポンと頭を撫でた。

    「所で何用かな?」
    「あ、ああ…この資料が必要かと思いまして…。」
    「おやおや。どうして分かったのかは分からないけれど助かるよ。」

    資料を受け取ると机に戻り、早速目を通す。
    時折コーヒーを啜る音以外は静かになってしまった部屋の中、シャレムとファントムは目を合わせた。

    「帰りますか…?」

    ファントムは静かに頷いた。
    そうして執務室から出て、共に自室のある方へ進む。
    シャレムが自分の部屋で立ち止まろうとした時、ファントムが手を引いた。
    好きな人に手を握られたことでドキリとし、思わず頬が紅潮する。
    この熱が伝わらないように祈り、この時間が続けばいいとも思った。
    やがてファントムは自身の部屋の前で立ち止まった。
    手馴れた様子で扉を開くと中にシャレムを招き入れた。

    「君の意見を聞かずに連れてきてしまって済まない。だが、もう少し共に居たかったんだ…。」

    繋がれた手をぎゅっと握りながら真剣な顔を浮かべ見られてしまっては、ファントムの事が好きなシャレムは嫌とは言えない。

    「…私も、もう少し話したいと思ってたんです。」
    「本当か…!」

    ファントムがぱっと嬉しそうな顔を見せるのに、きゅんとしながら招かれた部屋の椅子に腰掛けた。
    ファントムも向かいに座るといつの間に居たのか、ミスクリスティーンがその膝に飛び乗った。
    彼女は2人でご自由にどうぞ、と言わんばかりに伏せて寝始めた。
    自由気ままな愛猫を撫でながら、彼は切り出した。

    「君と腰を据えて話ができる時が来たら、色々と聞きたいことがあったんだ。」
    「ええ…。人づてにですが、私に聞きたいことがあって探していたんですよね?」
    「そうだ。…だが今はそれよりも知りたいことがあるんだ。」
    「と、言いますと?」

    シャレムはこてん、と首を傾げた。

    「君はいつから私のことが好きだったんだ?」
    「はぁっ!?」

    シャレムは顔を真っ赤にして思いっきり立ち上がった。
    驚愕に塗れたその表情には、どうしてその事を?とハッキリと書いてあった。

    「少し落ち着け。…不躾だが、君とドクターの会話を盗み聞きした。」
    「盗み聞き…?あの部屋にいつの間に…。」
    「賢い君なら直ぐに分かるはずだ。」
    「……アーツ、ですか。」

    御明答、とファントムは頷いた。
    秘密の相談を聞かれていたと知ったシャレムはみるみるうちに青ざめていく。
    力なく座り込むと俯いてしまう。
    黒猫は膝上の愛猫を丸テーブルに丁寧に移してやると、シャレムの元へ近づいた。
    優しく白い頬に手を添え、上を向かせると真っ直ぐと黒蛇を見つめた。

    「安心してくれシャレム…。私は君の想いを嫌と思っていない。」
    「…本当ですか?」
    「本当だ。この目を見ても信じられないだろうか?」

    言われた通り、シャレムはその瞳を見つめ返した。
    澄みきった蜂蜜色の眼は、嘘をついていないと物語っていた。

    「信じます…。」
    「それならば良かった。」
    「申し訳ないです、取り乱してしまって…。」
    「気にする事はない。自身の秘めたる想いが相手に漏れていた…となっていれば動揺してもおかしくない。」

    慰めるようにそっと頬を撫でられる。
    まるで愛しい人にやるかのような動作に、シャレムはまた頬に熱が籠るのを感じた。
    そんな様子にファントムの蜂蜜色がとろりと蕩け、愛らしいものを見るものに変わった。
    そんな甘い瞳に見つめられ、恋する乙女の心がドクドクと脈打つ。

    「シャレム…、君は本当に愛らしいな…。」
    「え、あ…。」
    「君の想いを聞いて、私は気が付いたんだ。」

    ファントムはシャレムの耳元へ口を寄せる。

    「私も君の事が好きだ。」

    これは夢なのでは?
    シャレムは咄嗟にそう思った。
    まさか想い人、しかも初恋の人と両想いなんて、そんな都合のいいことがあるのだろうか?
    くらくらする頭と夢見心地なふわふわとした感覚で倒れそうだ。
    明らかに混乱している様子にファントムはクスクスと笑い声を上げる。

    「あ、の…。」
    「ふふ…、なんだろうか?」
    「耳元で笑うのは…。」
    「何故?」
    「あ、貴方の声がダイレクトに聞こえて…その、」
    「…なるほど、悪い事をした。」

    直ぐに離れると、ふむ…とファントムは考えるような仕草をする。

    「先程の反応から察するに…、君は私の声が好きなのだな。」

    そうだろう?と少し自信ありげな顔で聞かれると、シャレムには頷くことしか出来ない。
    実際に好きな要素のひとつなのだから、仕方ないですと黒蛇は内心言い訳する。
    シャレムの反応に満足したのか、嬉しそうにファントムの耳が動く。

    「シャレムが好きな私の要素は声だけか?それとももっとあるのだろうか?」
    「その、ええと…。」
    「時間は沢山あるから、少しずつ教えて欲しい。」

    今まで共に過ごしてきた中で見たことの無い、柔らかく甘さに溢れた笑顔をシャレムは見た。
    こんな表情も出来たんですね、と頭の片隅にいる冷静な部分が言っている。
    答えを返せずにいると、ファントムはハッとした顔をする。

    「一番大切なことを忘れていた。」

    男は王子のように愛する者の手を取る。
    恭しくその黒い手袋に包まれた美しい指に口付ける。
    『深淵』はその洗練された姿に、かつて憧れた『緋色の貴石』の姿を重ねた。

    「私の恋人になってくれ、シャレム。」

    希うその顔に、声に、思考はドロドロに溶かされる。
    アメジストの瞳からぽろぽろと涙を零しながら、黒蛇は頷いた。

    「私で良ければ…よろしくお願いします…!」

    眩い星を欲した『深淵』は、その手に憧れを掴んだのだ。
    そして煌めく『緋色の貴石』もまた、かけがえのない最愛を見つけた。
    傷付いた無知な子供たちは、お互いを癒す存在になりえたのだ。

    後日。
    シャレムとドクターの間に流れていた例の噂はきれいさっぱり無くなった。
    何故ならばシャレムがドクターに相談しに行く事が無くなったからだ。
    それと…。

    「ルシアン、今日の昼食は何にしましょうか?」
    「…そうだな、本日のおすすめにするのもいいかもしれない。」
    「ふふふ、食堂のおすすめはハズレが無いですからね。」
    「そういう君は?」
    「私はシンプルにBランチにします。」
    「1口…。」
    「ええ、構いませんよ。」

    仲睦まじく行動し、会話するファントムとシャレムがよく目撃されるようになったからだ。
    二人の間に流れる空気はとても穏やかで、見る人に微笑ましい気持ちを抱かせる。
    そしてなりより…。

    「る、ルシアン…ここは廊下ですよ…?」
    「誰も居ないから大丈夫だろう?」
    「…もう。」

    偶然廊下でキスをする二人の姿を見たオペレーターが居たのが大きいだろう。
    明らかに恋人同士としか言いようが無いその光景に、オペレーター達は密かに見守り隊を結成しているとかないとか。
    この様子に一番満足しているのはドクターである。
    ずっとシャレムから相談を受けていた友人としても、見守っていた父親役としても、2人が無事に結ばれたことが自分の事のように嬉しいのだ。
    何より、精神的に不安定な面があった二人が支え合える存在を得ることで安定を得られているのが、とても安心している。
    このまま二人が過去の悪夢と決別し、断ち切れるようになるのを祈るばかりだ。
    だが、ドクターはひとつだけ、不満があった。

    「シャレム、酷くないか?」
    「……と、言うと?」

    何もわかっていないファントムは首を傾げた。
    問いかけられたシャレムもピンと来ていない様だ。

    「無事に結ばれたのなら真っ先に報告してくれてもいいんじゃないか?」

    そう、ドクターは真っ先に結ばれたことを話してくれなかったのが悲しかったのだ。
    完全に父親のようになっていたドクターは、えーんと泣き真似をする。
    その仕草にシャレムもファントムも、困り顔を浮かべた。

    「すみません…、言う通り先に話すべきでしたね。」
    「そうだよ。寂しかったからね、私は。」

    泣き真似をやめると今度はプンプンと怒ったような顔を見せる。
    ファントムはころころと様子が変わるものだと感心し、シャレムは更に困り顔で申し訳なくなった。

    「本当にすみません…。」
    「…いいよ、遅れたけどこうして話してくれたし。」

    くしゃくしゃとシャレムの頭を撫で、ケラケラと笑うドクター。
    ぽんぽんと軽く叩いてから、二人に向き直る。

    「幸せになってくれ、二人とも。こんな大地にだが、愛を育むことは出来る。感染者だとしても誰かを慈しむことが出来る。私は、君達の幸福を願っている。」
    「ドクター…。」
    「…その言葉、有難く受け取ろう。」
    「私からこれを君達に。」

    ドクターは机の引き出しから2組のピアスを取り出した。
    きらりと光を受けて輝くそれは、宝石が使われたものだと分かる。

    「これは…?」
    「所用で街まで出かけた時に見かけたものだよ。丁度シャレムから相談を受けていたから、君達を思い浮かべたんだ。それでね。」

    シャレムに紫の宝石のピアスを、ファントムに金の宝石のピアスを手渡す。

    「何、そんなに高いものでは無い。気兼ねなく身につけるなり仕舞うなりしてくれ。」
    「そうか…では、遠慮なく。」

    ファントムはおもむろにシャレムの耳を飾る耳飾りを外した。
    そして自身に手渡された金の宝石のピアスを着けた。

    「やはり良く似合う。」
    「おやおや、これは…。」

    シャレムが確認するように自分の耳を触る。
    確かに感じるその感触に、彼は嬉しそうに笑った。

    「私にもつけて欲しいが…、生憎とピアスホールを開けていないな…。」
    「では、医務室で開けましょうか?」
    「是非そうしたい。…この後時間は?」
    「ありますよ。」
    「ははは、熱いなあ君達は。さ、行くといい。」

    ドクターは二人の背中を強引に押し、執務室から追いやる。
    優しき指揮官が扉を閉める前に見たのは、指を絡ませ医務室に歩いていく麗しい恋人同士の姿だった。
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