yet 扉を開けるたびに出迎えてくれて、扉が開くたびに出迎えることが、すっかり馴染んだ頃。龍之介が思っていたより、虎於との生活は順調だった。
当初、家事全般が不得意だと思われた虎於も、洗濯物を取り込んだり食卓のセッティングや片付けをするようになっていた。
龍之介が家事負担について苦言を呈したことはない。ただ、家事をする龍之介のそばに寄ってきては手元を興味深く覗くので『やってみる?』と声を掛けたのがきっかけだったように思う。
渇いた土が水を欲するように、ぐんぐん吸収していく様子は見ていてとても嬉しい。それがささやかでも緑になって、小さくても花が咲くのなら、こんなに嬉しいことはないだろう。
つまり、虎於との生活は順調だった。本当に、思ったよりとても。
「虎於くん、ちょっと、離して……」
「……」
どうしてこうなったのだろう。龍之介は途方に暮れた。
虎於は今、龍之介の腰に巻き付いて黙りこくっている。正確には、酔い潰れる寸前になっていた。
珍しくお互いのオフが重なる前夜。帰宅途中に寄ったデパートで見つけた希少な"泡盛"。虎於お気に入りの龍之介お手製の"ツマミ"。全てが最高だったがゆえに起こった、最悪だった。
「虎於くん、」
「やだ」
「トイレに行くだけだから。ね?」
すぐそこだよ、と巻き付いた長い腕を摩って促すが、虎於は見向きもせずに更に締め付けを強くした。そればかりか、イヤイヤと首を振るものだから、龍之介の腹に形の良い頭が捻りつけられる。腹が苦しいことよりも、虎於の柔らかい髪がぐしゃぐしゃになっていくことが龍之介には気がかりだった。
虎於も普段から、ワインやカクテルを飲む。酒に弱いイメージはなかったが、飲み慣れない種類が悪かったのだろうか。こんなふうに、虎於の言動に困ることは初めてだ。
そこでハタと、わがままな彼に逢うこと自体が初めてだと思い至った。
それは些細なことかもしれない。けれど、何か大切なことのように龍之介には思えた。
「ねぇ、虎於くん」
横腹でガッチリと組まれた彼の指先を、片手でそっと包む。引き剥がされると思ったのか、祈るようにさらに固さが増した。
「オレ、虎於くんと手、繋ぎたいな」
「…………ん」
赤ん坊の背を叩く要領で促すと、ゆるゆると解けた指先が龍之介のそれに絡まる。
「ありがとう」
「ん」
小さく頷く虎於の髪がくしゃりと鳴った。
「ね。一緒にそこまで行ってくれるかな」
「……ん、」
もぞりと起き上がった虎於は、芯が入ってないみたいにユラユラと揺れている。
「虎於くん大丈夫? 立てる?」
「んーー……」
間延びした返事に比例して、グニャリと身体が傾いでいく。
「わ、あぶな――」
ソファーの背がない方、フローリングに落ちてしまいそうで思わず繋いだ手に力がこもった。
「りゅーのすけ、……だっこ」
どうやら、立つことは難しいようだ。それでも、繋がった温もりが惜しいのか、はたまた龍之介が離れてしまうことが嫌なのか、さして体格差のない大の大人が抱き上げてくれと無邪気に言う。
これは甘えだ。駄々でもわがままでもなく、純然たる甘えだ。幸いにも今の龍之介は、虎於の望みを叶えられるだけのものを持っている。ならば、これを叶えてあげたいと思うことは、龍之介にとって甘美な幸いだ。
「いいよ。おいで」
「ん、」
繋いでいた手を首へと導いて、身体を掬い上げる。大人しく龍之介の腕に抱えられた虎於の鼻先が、首筋に擦り寄ってくる。ズシリとした重みに反したその仕草は、あまりにも幼い。
「りゅーのすけ、」
「ん?」
ふわふわとした声音は、寝入る寸前の子供のようだった。明日、彼はこのことを憶えているだろうか。
――りゅーのすけ
――はぁい
――りゅーのすけ
――うん
――りゅーのすけ
――虎於くん
繰り返し何度も名前を呼ばれては、それに答える。先に続く言葉は、今はなくて良い。