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    リノリウム

    @lilinoleilil

    ごった混ぜ
    🐺🦇ですが深く考えないほうがよい

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    リノリウム

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    🐺と🚬のイッパクフツカ旅行記。
    髪切った白髪が生えた云々は癖です。イケオジっていいよね!
    寿命が違う仲良し煩悩組のあれこれ。連作その4。
    ※各々の寿命の設定については完全に捏造。捏造ありきの創作物として大目にみてください。

    #MZMart

    リフレイン・メモリー④ 『人間は幾つになっても中学生のところはのこっています』と、先人の残した偉大な言葉がある。
     曖昧漠然とした物言いで、それが何のことを指すのか、小さい頃はまったく理解できなかった。
     年齢を重ねれば重ねるほど、心身が少しずつ磨り減っていく。善悪さまざまな胸三寸に遭遇し、数え切れないほど傷つき、そのうち万物は絶えず流転すると理解し、理想の生き方を妥協し、自分自身を守ろうとする。そして子供心が一体どういうものだったのか、だんだんと忘れていく。
     ゆえに、純粋な幼心を鮮明に描けた瞬間、感動はひとしおというものだ。近いようで遠い、友と呼ぶにはおこがましくも感じてしまう、けれどもずっと大好きな仲間と一緒に分かち合えたら、殊更に。

     ***

     アスファルトを焦がす日射しが少しずつ弱まり、蝉しぐれも終わりを迎えた頃。一晩中降り続いた雨が収まり、そよそよと肌を撫でていく秋の風が心地良い、そんな朝。
     コンコン、カツン。静かな住宅街に革靴の小気味よい音が鳴り響く。アンジョーはゆったりとした足取りで、すっかり見慣れた風景を楽しんでいた。
     自身の健康のためにと始めた、とくに何の目的もない散歩。長らく住み続け愛着も湧いてきたこの街を、ただのんびりと歩くだけ。たったそれだけなのだが、一定のリズムを刻む足音に集中し、毎日少しずつ表情を変える街並みに目を凝らすと、疲れた心が洗われていく気分がして、アンジョーはそれが好きだった。
     この十字路を右に曲がったら確か空き地があったっけ。近々コインパーキングに変わると看板が置いてあったような。もっと先に進むと、子供達の声で賑やかな学校がある。
     そうだ、今朝はいつもより涼しい。体調もよい感じだ。ならばもっと遠くまで行ってみよう。学校の先のT字路を、どちらに曲がってみようかな。
     そんなことをぼんやりと考えていた。――いや。何も考えずひたすら歩いていた。するといつの間にか、見知らぬ場所に出ていた。
    「こんな場所、この辺りにあったっけ?」
     視界に飛び込んできたのは、人一人が通れるくらいの狭い道と、錆びた納戸色をした瓦屋根の家。古びたアパートや木造の立派な門構えの家が飛び飛びに建っているが、その隙間を縫うように猛々しく生い茂る緑がやたら目に付く。
     ここはどこだろう。ズボンのポケットから自分のスマートフォンを取り出し、片手でぺちぺちと触ってみる。だが、スマホは同じ真っ黒の画面のまま、まったく反応を示さない。
     ……しまった。道に迷って、なおかつ頼りのスマホもお釈迦とは。犬のおまわりさんではなく、おまわりされる犬だ。これじゃあ。
    「うーん……まあ、歩いてりゃ帰れるだろう、そのうち」
     過ぎたことを悩んでいても仕方ないか。今直面している問題の本質が何なのか単純化してしまえば、実はそう大したことでもなかったりする。
     アンジョーはそう切り替え、体をうんと伸ばして、また歩みを進めた。
     すぐそこまで迫るブロック塀の向こうから、その内側を隠すように木々が生えている。木々の隙間から赤とんぼが二匹飛び出してきた。羽をせわしなく動かしながら、こちらにぶつからないようじっと見定め、横を通り過ぎて行く。
     ふと右手を見遣ると、一際目立つ赤い屋根の家が建っていた。飛び出し窓の白枠がその緋色によく映えている。
     少し見上げてみると『コーヒーショップ デイリー』と書かれた看板があった。人気はほとんど感じられないが、ドアにかけられた営業中のプレートが控えめに主張をしている。
     中から、ほろ苦くて香ばしいにおいが漂ってきた。彼にとって無くてはならないコーヒーと、どこか懐かしい煙草が入り混じったようなにおい。
    「――すいませーん」
     気付けばそのドアを開けていた。カランコロン、とカウベルの音が鳴る。涼やかで綺麗な音色だ。
     こぢんまりとした店内には、テーブル席が三つと、カウンター席が五つほど。店の奥にあるスピーカーからは、小気味良いジャズピアノの音楽が小さく流れていた。
    「はぁい。お好きなところへ」
     カウンターの奥で新聞を読んでいた店主が頭を持ち上げ気怠そうに言った。アンジョーは促されるまま、カウンター席の端に腰掛けた。長い間使われ色が深みを帯びたカウンターテーブルには、手書きのプレートが置かれている。コーヒー豆の解説が事細かに記されており、店主のこだわりを感じさせる。
    「何かおすすめってありますか?」
     店主が水を置く。コトン、と静かに鳴った。
    「そうですね。丁度昨日入った豆がありまして――ん?」
    「はい、何かついて…………あっ」
    「まさか、アンジョーさん」
    「ホームズさん!?」


    「この辺に住んでたんですね、アンジョーさん。もっと早く知りたかった」
     どうぞと言いながらホームズが、コーヒーの並々と注がれたカップを差し出した。深みのある独特の芳香が鼻腔に広がる。一口啜ってみると、ゆたかなコクの中に酸味のきいた繊細な味が口の中いっぱいに広がった。その苦さがかえってキリッと身が引き締まる気持ちにさせてくれる。好きな風味だ、とアンジョーは思った。
    「俺だって知らなかった、こんな路地裏も路地裏にホームズさんの店があるなんて。ところで……その髪、ばっさり切ったんですね。最初誰なのか分からなかったよ」
    「だんだんと手入れが面倒になっちゃって。あと……白髪が、こう」
     何となく尻こそばゆさを感じ、ホームズはたまらず視線を逸らしたが、一方のアンジョーは屈託なく微笑んだ。
    「いいと思う。ホームズさんらしさって言うのかな。渋みというか……そういうのがよくわかって」
    「年も食いましたしね、多少」
    「それを言うならお互いさまだよ」
     向かいでコーヒーを楽しむアンジョーを一瞥する。
     最後に会ったのは――確か、三年くらい前だろうか。メイカとアンジョーの二人が一緒にアリーナライブを行った、熱狂的な夜。公演終了直後、アンジョーの楽屋まで挨拶に行った。数多くの関係者やスタッフに囲まれ、もうすぐ打ち上げが始まるんだとせわしなさそうだったが、彼の表情は今までになく輝きに満ち溢れていた。
     それから時は流れていった。さらさらと砂が零れ落ちるみたいに、幾何か。今のアンジョーの顔には、深い皺がいくつか畳まれていて、肌も少しだけくすんでいる。眼鏡の奥の瞳は、酸いも甘いも噛み締めたように落ち着いていた。
     たった三年見ないだけで、これほどまでに変化するのか。
     人間とワーウルフ。異なるふたつの種族の間には、〝流れる時の速さ〟という誰にも変えられない理が存在する。長くの友人であるアンジョーもまた例外ではない。事実を改めて突き付けられ、ホームズはどきんと胸が鳴る音を聴いた。
     黒い靄が心の内側まで覆い隠してくるような気分だ。不安を頭から追い払いたくて、くるりと身を翻し作業台に向かう。
    「そういえば、コーサカ。あいつは元気です?」
     不意をつかれたかのように、アンジョーはきょとんと瞳を大きくさせた。
    「ぼちぼちだけど……ホームズさん、コーサカと会ってないの?」
    「確か春前だったかなあ。駅のホームでばったり会ったきりで。仕事やなんやってあしらわれて捕まらないんですよ、全然」
    「前はしょっちゅう遊んでたのにね」
    「仕事で忙しいのなら本望だ、なんてコーサカなら言いそうですけどね。――はい、アンジョーさん。これどうぞ」
     アンジョーの目の前に置かれたプレートには、こんがりと香ばしく焼けた食パンが一枚と、真っ白なゆで卵が一つ、それからパックに小分けされた塩とマーガリンが乗っていた。
    「えっ。俺トーストなんて頼んでないよ」
    「僕からのサービス。再会のちょっとしたお祝い、ってやつで。遠慮なく」
     ありがとう、とアンジョーは声を弾ませ、大きな口でかぶりついた。次の瞬間、ぱあっと表情が明るくなる。
     もてなしが素直に受け入れられるとやっぱり嬉しいものだな。なんて、何となく気が浮き立ってしまう。店内には依然として店主と客の二人だけ。大きな出窓から朝陽が射しこんできて、ゆったりと穏やかな時間が流れていく。
     ホームズはもう一度、今度は意を決して訊ねた。
    「アンジョーさんのほうは? まだ二人であの大きな家に住んでるんですよね」
     そう問われ、アンジョーはぎこちなく笑った。それから少しの間考え込む様子を見せ、「――うん」と歯切れ悪そうに答えた。
    「……コーサカ。外回り仕事が忙しいって言って、中々帰って来れないみたい。俺は反対に家の中で完結する仕事ばっかりだから、一週間に一度顔を合わせたらいいほうかな。帰ってきたときも大抵酒でベロンベロンだし」
     訥々とした口調で答えながら、アンジョーは顔を伏せた。眼鏡の奥にはどこか寂しげな色を滲ませている。
    「――妙だ」
    「妙?」
     長年この身に刻まれてきた、探偵としての性(サガ)が大声で叫んでいる。嗅ぎ取った匂いは気のせいなんかじゃない。一つでも多く情報を得ろ。論理をすぐに組み立てろ。抱いた違和感をそのまま放置するなんて許すな。
    「コーサカの言い訳癖……放蕩癖がひどくなったのって何時頃からです」
     アンジョーは「そうだなあ」ともう一度考え込んだのち、ゆっくり口を開いた。
    「年明けくらいからかな。遊びに行こうって誘っても急によそよそしくなって……」
    「急に、ってのも変な話だ。あんなにアンジョーアンジョー言ってたあいつが、それこそまるで人が変わったみたいに突然責任を投げ出すなんて、ちょっと……到底考えにくい」
    「そうなんだよね」と溜息をつく。アンジョーもまた、訳がわからず戸惑っているような表情だった。これ以上探りを入れるのは難しいか、現時点では。
    「アンジョーさんは家を空けたりしないんですか?」
    「長期間はないなあ。外でやる仕事じゃあないし、とくに旅行へ行ったりなんかもないし」
    「じゃあ行きましょう、旅行。僕とアンジョーさんとで」
     埒が明かないのなら、これしかない。ホームズは迷いなく言い放った。
     一方のアンジョーは思いがけない提案だったのですぐに言葉が見つからなかった。予想も何もあったもんじゃあない。
    「えっ。ホームズさん、この店はいいの」
    「いきなり一日二日閉めるなんてザラですよ。探偵ですし、僕。それよりアンジョーさん。今仕事はどのくらい貯まってますか?」
    「今日納品する予定の分が終わったら、しばらく締め切りのやばいものはないけど……」
    「じゃあ明日行きましょう、明日。十時に東京駅集合で。コーサカのあんちくしょうに、目に物を見せてやるんですよ」
    「めっちゃ急やん! 待って待って、今スケジュールに入れるから……日帰りだよね」
    「一泊二日ってのは? ホテルが見つかれば、ですけど」
    「イッパクフツカ」
     慌ててスマホを取り出そうと腰のポケットに手を回す。ずっとフリーズしていたスマホがいつの間にか元通りになっていたことに、アンジョーはまだ気付いていない。

     *** 
     
     翌朝。もし何か足らなければ着いた先で買えばいいや、と黒のトートバッグに最低限の荷物だけ詰め込み、アンジョーは待ち合わせ場所の東京駅へと急いでいた。
     ホームズと旅の約束をしたその日の夜も、コーサカは遅い時間に帰ってきた。単純に仕事のスケジュールが後ろ倒しになってしまったようで、酔ってこそはいなかったが少し苛立ちながらの帰宅だった。
    「明日から一泊二日で出かけてくる。ホームズさんと」アンジョーが告げると、コーサカは「いいなあ! ずりー俺も行きてえ!」なんて駄々をこねながらチャーハンを掻っ食らっていたが、それ以上の詮索をすることはなかった。薄い布一枚を隔てたような、何ともいえない距離感がやはり存在していた。
     地下鉄を降り、改札と地下通路を急ぎ足で抜け、一段飛ばしで階段を駆け上る。時間に余裕がない。急げ急げ。
     待ち合わせの場所にはすでに、黒一色のリュックを背負ったホームズが待っていた。帽子に少し隠れてはいたが、その表情はどことなく得意げな様子だった。
    「アンジョーさん。見つかりましたよ、ホテル。別々の場所ですけど」
    「ホームズさん凄!」

     それからはあっという間だった。ハヤブサのような速さで目的地に到着した頃にはちょうど、飲食店が営業をはじめる時間だった。
     駅前の店でご当地グルメを腹いっぱい堪能したあとは、しばしバスに揺られ観光地巡り。平日にも関わらず、行く場所どこもが観光客で賑わっていた。
     とある城跡の広場では、武将の格好をした男達が迫力ある演舞を披露していた。重い太鼓が特徴的な音楽に合わせて、力強く拳を突き出したり、ときには模造刀を振り上げてみせたり。
     一眼レフカメラを担いだファンが大勢つくのもよく分かる。彼らの一挙一動が綺麗に揃っていて美しかったものだから、アンジョーもホームズもすっかり見入ってしまっていた。すると真ん中の大柄な武将が物珍しそうに「おぬしら! そこの兄さん二人じゃ、もっと近くに寄らんか!」と叫んできたので、二人とも思わず身を固くしてしまった。
     
     そんなこんなで地域観光をめいっぱい楽しんでいるうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。
     各々のホテルに荷物を置き、夜の観光地へ繰り出す。大通りから一本入った静かな通りに、一軒の飲食店を見つけた。ダイナミックな筆文字で店名が書かれている、いかにもな和風のお店。入口が暖色系の灯りで明るく照らされていて、ドアの脇の立て看板にはホームズお気に入りの日本酒の名前が大きく書かれている。
    「ここにする?」とアンジョーが訊ねるまでもなく、二人はたちまちに店内へ吸い込まれていった。

     通された畳張りのお座敷には、大理石調の壁面にオレンジ色の間接照明が照らされていて、和洋折衷、腰をゆっくり落ち着けたくなる心地よさとクールに洗練された場の雰囲気が見事に調和していた。
     靴を脱いで、日中歩きづめだった両脚を解放させる。二人ともすっかりくつろぐ体勢だ。
     そのうちお通しとして出された根野菜と牛タンの煮込みを頬張りながら、アンジョーは満足そうに微笑んだ。
    「肉の出汁がしっかり染み込んでてめっちゃ美味いコレ……!」
    「次刺身ですって。三陸産の漁れたてピチピチの」
     これこそが地方まで旅する醍醐味だ、と言っても過言ではないだろう。都会ではなかなか味わえない郷土料理の数々に、目を細めて舌鼓を打つばかりだ。飲まなくていいのかとアンジョーに唆され、ホームズも上機嫌で店員を呼び止める。
     真っ先に頼んだ刺身の盛り合わせと鉄板料理、一杯目のビールとウーロン茶が揃ったところで、二人は杯を交わした。
    「今日は誘ってくれてありがとう、ホームズさん。いい一日だったよ」
    「アンジョーさんがフッ軽でほっとしました」
     隣の四人連れがケラケラと楽しそうに笑っている。酔いが回ってきたのだろうか、声のボリュームも徐々に上がってきている。
     それで掻き消されてしまってもまあいいか。ホームズはゆっくりと喉仏を上下に揺らした。
    「怒ってませんでした? あいつ。急に予定入れんなっつって」
     口の中に残っていた刺身を嚥下した後、アンジョーもまた控えめに口を開いた。少し俯いた顔は苦い笑みをかすかに含んでいた。
    「いや、特には。俺も行きたいなぁ、牛タン食いてえなんて言ってたよ。……言ってただけ、だけども」
     そう言ったきり、何かを考えている様子で、箸が完全に止まってしまっている。
     吸血鬼と狼男。人ならざるもの同士の奇妙な同居生活。彼から打ち明けられたあの日から、二人の生活が長く楽しく続くように、と密かに祈っていた。それが今どうしてなのか、ボタンの掛け違えが起こっている。
    「色々伺いたいことはあるんですが――」このまま黙ったままで見ていられない。ホームズは声のボリュームを少し上げて問うた。
    「アンジョーさんは、ご自身のことをどこまでご存知ですか」
     出し巻き卵を半分に割ろうと手を伸ばしたが、思いのほか早く返事を得られた。
    「分かるよ。歌うことが好きで、お絵かきも好きで、それを生業にしたいなって思ってる、猪突猛進な狼男」
    「そう、狼男。ライカンスロープ――僕たち人間と異なる時間の流れに生きるもの」
     ホームズは独り言のように言ったつもりだったが、狼男は口元を引き攣らせながら笑った。威嚇にも似た表情だった。
    「知ってます。狼男の寿命はおおよそ、人間の三分の一」
    「じゃあもう一つ……コーサカについては。コーサカもまた人とは異なる存在ってのは、聞きましたか」
     そこで、失礼します、と後ろから声が聞こえてきた。黒色のシャツを身に纏った店員が、徳利をひとつとお猪口をふたつテーブルに置いた。ホームズがこれだと決め打ちして頼んだ辛口の日本酒だ。
     二人の間にしばし沈黙が流れる。息が詰まりそうだ。隣からは相変わらず笑い声と管巻きが交互に聞こえてくるが、その内容までは分からなかった。まるで。
    「やっぱりそうなんだ。……本人からは、まだ」
    「あいつ本当に……」と一人でごちりながら、ホームズは青色の紋様が入ったお猪口に徳利を傾けた。くつくつくつ、と何かを堪えるような水音が鳴る。
    「聞きたければ、僕からでもよければ説明しますけど」
    「お願い。あとその日本酒、俺も一口欲しい」
     彼の意図を察した探偵は苦笑した。「ひとくちだけですよ」

     その日アンジョーは、昔からの同居人をずっと覆っていた薄いヴェールの正体を知った。
     コーサカという人が時折匂わす、人ならざる雰囲気の真実。彼が人間ではなく、吸血鬼という特殊な生き物であるということ。いや、生き物の理から外れていると言っても決して誇張ではなかった。
     まるで彼だけ時が止まってしまったかのように、老いることのないもの。数少ない知識人だけが知る、遙か昔から現在に至るまで細く長く続く、血続きのもの。彼が望むもしくは望まれない限り、死に至ることがないもの。
     よく知っている探偵はゆっくりと、しかし理路整然と述べた。己の私情を出来るだけ挟まないように、事実だけを淡々と説明した。
     アンジョーは目を瞑りその説明に耳を澄ます。彼の右手は酒がなみなみと注がれたお猪口ではなく、氷が溶けて薄くなったウーロン茶に伸びていた。
    「薄々そうじゃないかとは思ってた……。だってコーサカ彼ずっと、出逢った頃のままだから」
    「うん」とホームズは頷く。「頬の皺も増えないし、白髪も全然生えてこない。僕や天開と違って」
    「施設から連れ出してくれたあの日から変わっちゃあいない。何一つ」
    「でもあいつは頑なに言わない。何ならアンジョーさんから逃げ出そうとすらしてる」
    「俺に知る権利はない、ってことなのか。家族なのに?」
    「それは違う!」
     否定すると同時に、右手でテーブルを殴りつけた。机上の陶器がカチャカチャと不快な音を立てて揺れる。ホームズの腹の底からの嘆声と共鳴し、広くない店内にそれはよく轟いた。隣に座っている男の一人がぎょっとした表情で振り向いたが、ホームズは全く気付いておらず、アンジョーもまた同様だった。
     手元の酒を一気に呷ってもなおホームズは嘆き続ける。
    「アンジョーさんを傷つけたくて黙っているわけじゃない。いやむしろその逆だ……!」
     今日初めて彼は感情を剥き出しにした。歯を食いしばり、身を固く縮こめた。
     コーサカという長らくの友人。出逢った頃から彼は変わらない。誰よりも責任感が強い男。誰よりも今に真摯な男。コミュニケーションを伴う愛情を誰よりも向ける男。愛するものたちが傷ついていくさまを、誰よりも放置できない男。
     この強烈な違和感を一体どう表現すればいいのか皆目見当がつかない。けれども、アンジョーが言い放った自嘲的な問いだけはどうしても否定したかった。
    「――あぁ、そういえば。年明けからだって言ってましたっけ。あいつの様子がおかしくなったのって」
    「……そうだけど」
     アンジョーの視線がこちらを向くのを確認してから、ホームズは「今さっき思い出したんですが」と付け足した。
    「年の瀬の昼くらいに一度、コーサカから電話がかかってきて。仕事が忙しかったもんだから夜にかけ直したんですけど……彼の声、信じられないくらい弱々しくて。なのに語尾が昂ぶっていた。取り乱していたんだろうか。でも理由は最後まで言わなかったな、あの強情め。アンジョーさん、何か心当たりはありますか?」
     そう問われてから、アンジョーはお猪口を一度だけ舐めた。舌がピリピリと甘く痺れ、それからすぐ身体中に熱が駆け巡っていった。
     だんだん思考がぼうっと酩酊していく。それでもたった一つだけ、明確な心当たりが存在した。
     クリスマスが終わってすぐの頃に、俺はひどく体調を崩した。今までにないくらいの高熱と咳で意識が朦朧としていて、その時のことをあまり覚えていなかったが。コーサカが何となく余所余所しくなったのはあの後からだった。

     *

     それからつまみを頬張りながらお互いの友人達の話をし、懐かしい昔話をし、他愛ない世間話をし、一緒に締めのラーメンを食べて、ホームズさんとはそのまま店の前で解散した。
     日本酒に口をつけてから俺はあっという間に酔いが回ってしまった。ふらふらな俺を見るに見かねた彼がすぐにお茶を頼んでくれたおかげで、二日酔いだけはどうにか免れそうだ。ご当地の梅酒も気になっていたのだが、明日もまだたくさん移動やら観光やらが残っている。致し方ない。
     ふわふわとした多幸感のままホテルへ戻り、ベッドに勢いよくダイブする。枕元の時計を見遣ると、もうすぐ夜十一時を指す頃だった。
     ――そろそろコーサカも家に戻る時間だろうか。せめて仕事場から脱出出来ていればよいのだけれど。
     そう考えると何故か、きゅっと胸が寒々しくなる心地だった。彼が頑なに秘密にしていた事実を知ってしまった。それも彼に無断で。素直に打ち明けたら赦してくれるだろうか。
     コーサカの蝙蝠アイコンをタップし、一枚だけ写真を送った。今日の記念だと昼間に撮った、俺たちを歓迎してくれた大柄な武将とのスリーショットだ。
     既読がついていれば御の字かな。そう考え俺はベッドから身を起こそうとした。しかし、想像していたより遙かに早く彼から返事が送られてきた。
    『ホームズのTシャツやば』
    『三日月兜のにゃんこって。浮かれポンチかあいつ』
     くっくっと声を必死に堪えつつ、くしゃくしゃと頬に笑窪を作って笑うコーサカの姿が容易に想像できる。それだけで心が緩んでいくみたいだ。
     それからまたすぐに、彼からメッセージが送られてきた。
    『真ん中のサムライがでかいせいで』
    『ジョーさんがちっさく見える』
     確かに。俺もホームズさんも特別背が高いというわけではないが、それにしても武将がとにかく大きい。身に纏っている甲冑の迫力も相まって、真ん中で異様な存在感を放っている。
     俺はあまり深く考えず画面をフリックし、こう返事をした。
    『コーサカも一緒に並んだら、俺らもっと小さくなるね』
     すぐに既読がつき、スタンプが一つ送られてくる。糸目になりながら頭にクエスチョンマークを浮かべるオオカミのイラストだ。
    『それ以上はいけない』
    『NO』
     スタンプと同じ表情のコーサカを想像すると面白可笑しくなってしまい、「何言ってんだ」と噴き出してしまった。
     そういえばもう一つ、聞きたいことがあったな。スマホを充電器に挿し、改めて文面を送った。
    『お土産何がいい?』
     やはり彼からの返事は早い。『牛タン。厚切りのやつ』
    『帰ったら牛タン焼いて一緒に食べよう』
     すると丸っこい画風のコウモリのスタンプが送られてきた。OKサインをしようと頑張って翼を大きく広げている。
     それが素直に嬉しかった。そうだ、明日ホームズさんにもおすすめを聞いて、日本酒も何かお土産に買って持って帰ってやろう。
     気持ちが心の奥で大きく踊っている。俺は年甲斐もなく、シャワーを浴びることも忘れて、スマホの画面を見つめていた。
     
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