リフレイン・メモリー⑥ 夢か現かなにもかも曖昧な境界に、俺は立っていた。
隣にはコーサカが居る。長らく使い込んで塗装が少し禿げてしまった黒の棺桶の上に彼は座り、他愛もないことをずっと話している。
ここはどこだっけな。記憶の底にうっすら存在するどこか懐かしい匂い。あるいは忘れたままにしておきたかった苦い経験。喜びも悲しみも、たくさんの思い出がこの部屋にはある。――あ、思い出した。相場より格安で借りれたのに、家賃を稼ぐことに二人して必死になっていた、あの御茶ノ水の2LDKだ。
コーサカが何を喋っていたかは分からないが、ずっとニコニコと楽しそうに笑っていた。
すると突然、何か大きな物体がこちらに向かって落下してきた。ヒュウ、と風を切る音がどんどん近づいてくる。
窓の向こう側の空が、真っ二つに裂けた。瞬間、真っ白な閃光が網膜の奥まで灼き付く。ほぼ同時に落雷のような轟音が響き、辺り一面が火の海と化した。
衝撃波に耐えきれず窓ガラスが木っ端微塵に割れ、熱が直接室内へ入り込んでくる。あつい。いたい。肌がひりひりと焼け焦げる。
一体何が起こったんだ。状況をまったく飲み込めないままでいる俺の腕を、コーサカは千切れそうなほど力いっぱい引っ張った。
「逃げるぞジョーさん。早く!」
向かいの木造一戸建ても、庭の犬小屋も、隣の空き地にあったタイヤの山も、全部黒煙を上げて燃えていた。バチン、と炎柱が爆ぜると、真っ黒の瓦礫がこちら側に崩れてきた。火の手はもう、すぐそこまで及んで来ている。
「ボケっとすんな! 死にてえのか!」
コーサカが震えた声で絶叫している。けれども、俺の小さな頭にはいまいち入ってこなかった。彼に先導されるまま部屋から脱出し、何も考えずに両脚を前へ動かしているだけだった。
……俺たちの家が燃えてなくなる? 何故? 何も悪いことなどしていないのに? どうして俺たちなんだ? 苦楽をともにしたこの場所が跡形もなく燃え尽きるのを、このまま黙って見ていることしか出来ないのか?
ドアを蹴破り階段を全速力で下る。空虚だった感情が恐怖で少しずつ輪郭を取り戻していく。はやくはやく。死にたくなければ走れ。
――はやく走って逃げて、それから一体どうするというのだ。
*
「どうもなるかぁ……ッ!?」
自身が発した悲鳴でアンジョーは目を覚まし、思い切り掛け布団を蹴飛ばした。窓の外へ視線を移すと、抜けるような青空がすでに広がっていた。
久しぶりに悪夢らしい悪夢をみた気がする。冷や汗が全身の皮膚にはりついていて、ぞっと寒気がした。まだ少し荒い呼吸を整えようと肺を大きく膨らませる。ちゃんと目が覚めてよかった。皮膚を焦がした熱も網膜に灼き付いた炎もはやく忘れてしまいたい。
リビングに降りると、コーサカはもう出掛けている様子だった。ダイニングテーブルの上にはゆで卵とソーセージにロールパン、それから手紙が置いてあった。
『今日は泊まり。明日の夕方までには戻ります。冷蔵庫に煮物とか色々入れてるからテキトーに食って』
昔からずっとそうなのだが――同居人は自分が多忙になればなるほど世話を焼きたがる節がある。自分の体調も顧みず。近頃はより一層ひどくなっているようにも思える。
難儀な性格してるよなあ。憐れみと心配が混じり複雑な心境のまま、アンジョーはトースターで炙ったロールパンをひとくち囓った。
自分は人間とは違って、永遠に歳を取らない<<ばけもの>>だと。吸血鬼と呼ばれる特異な存在だ、と。コーサカ本人からそう告げられたのは、アンジョーがそのことを知ってからひとつ季節が移った頃だった。
眉を顰めたまま言いづらそうにしているコーサカを、アンジョーは忍耐強く待った。彼が自ら切り出してくれるタイミングを、黙ったままずっとずっと待ち続けた。こちらから鎌をかけて言わせるのは不公平だったし、嘘をつけないアンジョーの気質にも合わなかった。
彼の告白を最後まで聞き終えた瞬間に、言い得ぬ嬉しさが身体中を満たしていった。「ウソみたいな本当のことを今更言って、貴方との間に溝を作りたくなかった」と彼は言っていたが、むしろその逆だった。真実を告げると彼が決心するまで、どれほどの勇気を振り絞ってくれたのだろう。見当もつかない。だって俺は不死じゃないから。コーサカの同居人であってもコーサカ自身ではないから。だから彼のくれた言葉が心底嬉しかった。
雨のように大粒の涙を流すコーサカの姿なんて、はじめて見たかもしれない。
それっきり、コーサカは何も求めなかった。視線がぐらりと泳いで、何かを言いかけようとしたが、彼は止めた。涙も気が付けば引っ込んでいた。アンジョーもまたそれ以上促そうとしなかった。これ以上求めたところで、二人のその先はとくに変わらない。
「一体何を言おうとしてたんだろう、あのとき」
アンジョーは淹れ立てのコーヒーを啜ってから、うんと身体を伸ばした。――運動を一日さぼっただけなのに、身体中が痛くて仕方ない。近頃はずっとそうだ。まったく、老いるというのが嫌になる。
***
それからまた何度か季節が巡り、霧の中のにおいが急に冬めいてきたある日のこと。
行きつけの中華飯店で同じ麻婆豆腐を食べている最中に、コーサカが突然立ち上がりこう宣言した。
「アンジョー、一緒にライブやるぞ!」
「なに、何なにいきなりどうしたの? ってか声でか……」
一度口を開けば相手が泣くまで終わらない。レスバも敵なし、年中現役ラッパーは言うまでもなく声がでかい。大して広くない店内に、腹の底から出た声が響きわたる。客も店員も皆一斉に何事かとこちらへ振り向いた。
居心地の悪さにアンジョーは思わず縮こまったが、一方のコーサカはそれをものともせず続けた。
「やるって言ったらやります。責任なら全部俺が持つ」
「どうしてまたいきなり」
「ジョーさんとライブやったことなかったなあって思い出したわけよ。ふと」
また唐突な。けれども言われてみれば確かにそうだ。アンジョーも自然と頷く。
「いつでもやれるでしょって先延ばししているうちに、タイミングを逃しちゃった感がある」
「そう。一つ屋根の下で同居しているという我々の自惚れ。驕り。慢心! の結果がこれですよ。だから今回は期限を決めてちゃんとやる」
来年の春頃の開催を目指すとコーサカは言う。半年もあれば、お互いの仕事をこなしながらでも、準備するには十分だろう。
しかしアンジョーの顔色は思わしくないままだ。彼には容易に拭えない懸念点がひとつあった。
「俺、人前で歌わなくなってもう結構経つよ。ボイトレも全然やってないし。前みたいに歌えるかどうか……」
「人に見せるのが嫌だったら身内だけ呼んでやればいい。ライブハウスじゃなくて、音楽の演奏ができるバーもあるじゃん。あそこを借りてのんびりやりましょ」
「――怖いな。君の横に並び立てるかどうか、そんな資格が今の俺にあるんかな」
「資格とかどうでもいいの。俺が歌いてえんです。ジョーさんと! それじゃ不満?」
「……不満ではないです」
「じゃあ決まり」
コーサカは勢いよくまくしたてると、麻婆豆腐をたんまり乗せたレンゲを口内へ滑り込ませた。
さも当たり前と言わんばかりの彼の凄みに気圧され、つい承諾してしまった。口では「わかったよ」と言いながらも、アンジョーは少しばかりの後悔を抱いていた。
アンジョーの何気ない鼻歌に、コーサカがリリックを付ける。お遊び程度というなら何度か一緒に歌ったことがある。けれども誰かに見せるためというのは、これまでに一度もなかった。
それに今は、目立った歌うたいの活動から退いて、作曲などの裏方仕事がメインだ。仮歌ではなく、俺自身の歌を届けるには、どうやって歌えばいい。聴きに来てくれる皆の求めるものは何なのだろう。そもそも、隣に並び立つコーサカの期待に応えることが、今の俺には果たして可能なのだろうか?
気分が晴れない様子のアンジョーだったが、向かいのコーサカは意にも介さず「ふはっ」と口をぱくぱくさせていた。
「ジョーさん、この麻婆豆腐めっちゃ辛い。うはァ、米食いてえ」
「そこまで辛いの? 一口もらいっと……あ、おいし。辛さもこんなもんじゃない?」
「そんなことねえって! 水みず……すいませーん! お冷やおかわり」
「もう、大袈裟だなあ」
いつの間にか顔が真っ赤になっている。気にするなと励ますために、わざと脳天気に振る舞っているのか。彼の意図がいまいち分からないまま、アンジョーは苦笑いを浮かべた。
*
君と一緒にライブをやる。そう決めたからには新曲も持って行きたい。俺の作った曲に、君のリリックを乗せてもらうんだ。
アンジョーが小声で宣言すると、コーサカは両目を見開き、膝頭をたたいて喜んだ。そしてすぐに「楽しみにしてる」と声をおおきく弾ませた。
承諾したからには彼の期待に応えたい。二人で最高の時間を作りたい。そのために、二人だけの新しい曲を作って渡す。アンジョーは相方と約束を交わすのと同時に、自分自身にもかたく誓った。
――誓いを立てたからといって、思い通りの作品が書き上げられるとは限らないのだが。
「どうしようかなあ……困った……」
有り体に言えば、アンジョーはスランプに陥っていた。
クライアントの意向を多分に盛り込み、楽曲なりイラストなり成果物にして納品すれば、金という報酬を得られる。そうして食べていく職業がクリエイターというもの。
そのために、次から次へと舞い込んでくる仕事を全部捌ききる。まるで流れ作業のようだ。割り切ってしまえば早いものなのである。
ただ今回は勝手が違う。きっかけこそコーサカが作ってくれたが、新曲を作りたいとアンジョー自ら腹を括り手を挙げた。しかも報酬は目に見えるものではない。そもそもどこまでのラインに辿り着けば成果物に満足してもらえるのかもはっきりとしない。
可能な限り、彼と俺との理想に近づけなければ。なんて妙に気負いすぎてしまう。肩の力を抜かないと。けれども夜な夜な枕の上でもそればかり考えてしまう。
悩んでも答えの出ない日々を繰り返しているうちに、アンジョーはすっかり自信を喪失してしまっていた。
「こういうとき、昔はどうしてたんだっけ。全然覚えてないや」まるで出涸らしのような自分に辟易する。
太陽が少し傾きかけた頃合いに、アンジョーは河川敷の土手に座り、どうしようもなく穏やかな水の流れを眺めていた。
希薄で澄んだ真冬の空は雲一つなく、西の空がわずかに落日で滲んでいた。やわらかい陽射しで身体を温めていると、時折身を切るほど冷たい風が川のほうから吹きつけてくる。
「寒っ」
ダウンコートで真ん丸なシルエットの身体をさらに縮こませ、右手に持っていたホットコーヒーに口をつけた。白くて温かい湯気が眼鏡のレンズに触れ、余計に何も見えない。
そうして漫然と時間をやり過ごす。風に吹かれ大きく揺れる草木を見つめていると、心定かではなかったいつかの自分を思い出す。
あの頃は足元も心もぐらぐらと揺れっぱなしなのに、何かを成してやると密かな闘志を強く胸に抱いていた。納得できる歌が歌えると、持ちうる武器が一つ増えた気がしてとても嬉しかった。
あの無尽蔵なエネルギーの出所はどこにあったのだろう。きっと、良くしてくれた友達みんなと、お世話になったすべての人々と、たくさんの悔しかった思い出と、数え切れないほどの楽しい出来事と、ここに連れ出してきてくれたコーサカと。きっと全部がそうなんだ。
すると、少し遠くから親子の声が聞こえてきた。道路から下りてきて楽しそうに走り回る子供と、重そうなレジ袋を抱えて追いかける母親の二人連れだった。
見るもの全部が面白くて仕方ないのか、子供はずっとコロコロと声を転がしながらはしゃいでいる。無邪気で可愛らしいなあ。それをしばらく眺めていると、石階段を下ったところで、母親が両手の荷物を下ろしそこに座り込んでしまった。無理もない。子供の天井知らずの体力に付いていくほうが無茶というものだ。
けれども、母親はにんまりと嬉しそうで、顔をほころばせていた。子供の成長が自らのエネルギー源と言わんばかりに。
そうしているうちに子供のほうが飽きてしまったのか、はやくうちに帰ろうとせがみはじめた。しょうがない子ね、と母親が呆れながら立ち上がる。
思いっきり背伸をする子供の右手は、母親が抱える大きなレジ袋の持ち手の半分を掴んでいた。背丈が足りていないせいで時々袋が地面に擦れていたが、母親はその姿をずっと嬉しそうに見つめていた。
俺にはよく分からないけど、親子というのはきっとそういうものなのだろう。アンジョーは次第に、自身もトロトロと温もる心地にまどろみを覚えていった。
「いいな、ああいうの」
静かな川の水面が夕映えで茜色に染まっている。きらきらとうつりゆく輝きが綺麗だな、と思った。
「――――さん。ジョーさん!」
ちりんちりんと冴えたベルの音が近づいてくる。その方向を見遣ると、自転車に跨がったコーサカがこちらに向かって叫んでいた。
「何してんの、そんなところで!」
「んーー、作業に煮詰まったから休憩!」
「寒いでしょうに。そこの自販機でホットレモン買ってくるからちょっと待ってて」
「ええ、コーヒーがいいよお」
「その紙コップの中身、どうせコーヒーだったんだろ。カフェインの摂り過ぎは腹壊す!」
ひとっ走りして買ってきたホットレモンを手渡すと、コーサカは自転車を傍らに止めてアンジョーの隣へ腰を下ろした。冷え切った手でペットボトルを握りしめ、「さみぃさみぃ~~」と呟きながら暖を取っている。何を買ってきたのかパッケージを見ると、大きな文字でほうじ茶と書かれていた。
「はあ~~っ。今日も疲れた」コーサカはふう、と白い息を吐く。片手にずっと持っていた紙袋からメロンパンを取りだし、一口囓った。
「それどこで買ったの?」とアンジョーが訊ねると、コーサカは丸い目で見つめ返してきた。
「いつもより遠回りして、そしたらたまたま見つけたパン屋。昼飯食いっぱぐれてさぁ。……ジョーさんも食う?」
「ありがとう。明日自分で買ってみるよ」と答えると、コーサカは「そ」とだけ返し、また小動物のようにそれを頬張った。
とくに何かを話しかけるでもなく、ふたりでゆるやかな時間の流れに身を委ねる。眼前の河の流れのように穏やかだった。
ふと、中州にとまっていた白鷺が飛び立った。
このまま時を忘れてゆっくりするのも乙なもの。けれども陽はいずれ沈むし、明日はやって来る。約束の日も刻一刻と近づいてくる。なんせずっと寒風に当たっていてはまた風邪を引いてしまう。
アンジョーは意を決し、口を開いた。
「ねえコーサカ……どうしよう。上手く曲が書けない」
「歌詞のほう?」
「どっちも」
アンジョーが背を丸めると、コーサカは意外だと言いたげに目を眇めた。
「そういうスランプとは無縁だと思っていました」
「俺も久しぶりでさ、こんなの。今までどうやって抜け出してたっけ……何かわかる?」
白くて長い溜息が尾を引き、すぐに溶けていく。一瞬、彼は視線をそれに向けたが、やはりなにも聴かなかったふりをした。
「知らね」
コーサカは水面すれすれに向かって小石を力強く投げた。くるくると回転し、音を立てながら何回か撥ね抵抗を試みたが、すぐに川の中へ沈んでいった。「くそっ」と彼は悔しがりながら、もう一度側にあった小石を拾い上げた。
「貴方がもっと青臭かったころさ、ゴリゴリのロックを書くって言ったじゃん。あれは?」
「あ。そういえば……一番だけ作って、それっきりだったかも」
一体何年前の話をしているんだろう。しかしアンジョーの脳裏には、あの日の情景がすぐに甦った。
うだるような暑さの昼下がり、何となく歌った鼻歌をコーサカがいたく気に入り、赴くままにラップを歌ってくれた、最初の思い出。いのちそのものが剥き出しになった彼のリリックが素敵だと心底思った。もっと彼の綴ることばを聴いていたいと思った。
ほんとうに嬉しかった。心が大きく波打ち高鳴った。だから、曲を最後まで書き上げたあかつきには、彼に最初に聴かせると約束を交わした。その代わり彼のリリックが欲しいと対価を求めた。内心ではひっそりと、それを独り占めしてやると決めていた。
それからなあなあになってしまった、けれども心の奥底にそっとしまっておいた、宝石みたいに大切な思い出。
「俺、ずっと待ってるんだけど」
深紅の瞳がじいっとこちらを見据えてくる。視線が合った一瞬、その瞳孔の底に押し込まれていた揺らぎを見た。目の端に皺を寄せていて、それが何だか寂しそうにも見えた。
「あれ、ちっとも明るい曲じゃないよ。マイナーコードだし、趣味全開だし今だと何か古くさいし……」
「それがいい。フルコーラスで頂戴」
でも、とアンジョーが言いかけた瞬間、みなまでいうなと彼はそっと人差し指を翳した。
「俺はね、ジョーさんと一緒に歌えればそれでいいの」
「――――遊びみたいな歌でも?」
「もちろん」と、コーサカはふんわりと微笑む。つられてアンジョーも安堵の声を漏らした。変に気負う必要なんて最初からなかったんだ。
*
それから時々二人で河川敷まで散歩し、メロディーを作ったりした。コーサカが自室の奥からラジカセを掘り起こしてきたので、それを外に持ち出してデモ音源を聴いてみたりもした。するとチープなのにどこか陽気な音色に変わったドラムが流れてきて、それが妙に面白くて声をあげながら笑ってしまった。
メロディーが出来上がったとて、歌詞がまったく書けない日もあった。これ以上捻り出せないと思い悩んでいると、ふと使い古してボロボロになったノートが目に入った。中を覗いてみると、荒々しい衝動に突き動かされたかつてのアンジョーが、闇雲にペンを走らせていた証拠がそこにあった。歌詞になり損なったことばの断片が、無数に散らばっていた。
「尖った詞書くやん、俺」
そのノートをコーサカに見せてみた。すると彼はしばらく無言で目を通したあと、付箋でなにか書き足して「こんなのどう?」とリリックを口ずさんだ。
するすると唇から溢れていく詞が軽々と韻を踏み、小気味よいリズムを畳みかける。皮肉っぽい言い回しなのに嫌味ではない。聴いているうちに面白くなってくる。音に没頭していると、かなた昔に忘れてきた燎火がアンジョーの中にともった。不思議にもインスピレーションが次々に湧いてくる。
「だいぶ歯が浮くセリフだけど、こんなのどうかな。――――♪」
「めっちゃ良い。ジョーさんのストレートな詞がかえって格好良く聴こえる。それで行こう」
一方でライブの準備は面白いくらいトントン拍子に進んでいった。コーサカが打ち合わせの主導権を握っていたとはいえ、あれもしたいこれも歌いたいとお互い案を出し合っていたら、あっという間にアンコールまでセットリストが決まってしまった。
懸念していた会場の問題も、思わぬ人からの助け船でクリアできた。歌衣メイカとばったり会ったとき、ライブを開くこと、それから会場選定に手間取っていることを相談してみた。
すると、「あの兄さんのやってるライブバーなんかええんちゃう? ちょっと聞いてみるわ」と交渉してくれると言う。しかもメイカの紹介だからと、相場より安めに場所を提供してくれるとのこと。商売上手な友人が心底頼りになる。
***
そして、春が来た。
街の緑がだんだん深まっていき、肌を撫でる春風の匂いも青く濃くなっていく休日。
ライブ当日、二人で声をかけた友人やそのまた友人たちで会場は大盛況。アンジョーが好きな歌を好きなだけ歌い、コーサカがやりたい事を全部する。途中から皆で飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎで、ライブというよりはカラオケ大会の様相を呈していた。
アンジョー主導で準備していた新曲も、大いに盛り上がった。生バンドを入れられないなら、音響にとことん拘ってやる。低音がよく響くアンプとスピーカーで揃え、そのためのチューニングも開場ぎりぎりまで行った。
おかげでしっとりとしたライブバーは一気に熱狂の渦に包まれた。興奮による酸欠で倒れる観客まで出る始末だった。
アンコールも、会場にいる全員がへとへとになるまでずっと繰り返し歌った。誰が先に音を上げるかの、ほとんど我慢比べみたいだった。好きなことを好きなだけ詰め込んだ、子供のおもちゃ箱みたいなライブだった。そこに不安なんて一切なかった。
「コーサカ! いま俺、めっちゃ楽しい。君と一緒に歌えて」
「そりゃそうよ! サイコー。サイコー通り越して身体灼けそう。貴方とこの場に立てて、すげえ嬉しい」
「ねえコーサカ。また来年もやろう? どちらかが歌えなくなるまで。……俺のほうが早いかな?」
「ジョーさんの最強の喉と根比べ競争? 怖いこと言いますね」
「じゃあ次こそ朝までコースだ。俺が勝つからね」
「俺だって負けねえ」
パーティはまだまだ続く。照明がギラギラと頭上を照らし、眩しくてたまらない。
この素敵な時間がずっと続けばいいのに。二人の視線の先には、空にまたたく星屑のような、夢も希望もあった。