番になってよ「飽きた」
恍惚に塗れた絶叫が木霊する部屋の中でぽつりと呟く。無感情に足元に横たわる塊をつま先でつつくと喜びに満ちた声にもならない音を発し絶命する。
嗚呼、人間はとても脆い。
放おっておいても勝手に体を差し出してくれるが、俺の知的好奇心を満たせる程体が持たない。たまに頑丈なのもいるが、少し長持ちするだけで他のものと同じく壊れてしまう。
何処かに丈夫で長持ちするものはないかと文献を漁っていると、とある頁に目が釘付けになる。
これだ、と思った瞬間俺は荷物を手に屋敷を飛び出した。
通称、まやかしの森。一度足を踏み入れると二度と出てこれないと言われている森である。ちなみに、正式名称は長いので省略。
持ってきていた方位磁石は森に入る前から使い物にならなくなったため、早々にカバンの奥底に沈めた。仕方ないので、リボンと特殊インクを用いて森の奥深くに足を進める。
この森に生息する生物は確認されているだけでも十数種いるが、俺が欲しいのはその中でもレア度の高い人狼だ。人間よりも丈夫で回復力も高く、躾ければ忠誠心もあるとくれば絶好の実験体だ。ただ、人狼はとても警戒心が強く用心深い。捕獲は容易ではないが、その方が燃える。
周囲の木々に視線を走らせながら進んでいるとクロスにつけられた爪痕を見つけた。ビンゴだ。人狼の縄張りを示すそれは本来なら警告を表すが、俺にとっては幸運の印だ。
その印に囲われた範囲に入らないように気をつけながら縄張りの範囲内を注意深く観察する。そして良さげな場所を見つけると、手早く罠を複数箇所に仕掛ける。正直これで捕まえられる可能性は低いが、どの種族にもドジっ子はいるものだ。
罠の近く、といっても一キロぐらいは離れた場所に簡易拠点を作り日々罠を観察する。俺の存在に気がついたのか、一度偵察に人狼らしき影が確認できたが、罠に気づく事なく立ち去っていった。
どうせ長期戦になることはわかっていたので、ついでにこの森の原生生物や植物たちの調査も行う。この森の固有種は調べれば調べるほど面白い。当初の目的を忘れ、夢中になって調査、実験をしていたらいつの間にか寝ていたらしい。
気がつくと傍らに子犬……いや子狼か、の様なもふもふの塊がぷすぷすと寝息をたてていた。見た目からはあまり想像出来ないが、ちらりと見える牙と爪からおそらく探していた人狼だと思う。思うのだが、なんというか、らしくない。
情報が少ないとはいえ、人狼について書かれた文献はそこそこある。狼の姿をとることがあるというのもそこに記載されていた話の一つである。幸せそうに俺の膝の上に頭を乗せてを寝る姿は、警戒心が強く用心深い人狼とは思えない。
そっと腕を伸ばして触ってみると、柔らかいながらも弾力のあるもふもふ具合で癖になる。一応起こさないように注意してるつもりだが、如何にせん気持ち良すぎる。なんなら、顔を埋めたいぐらいだ。
ごろんと寝返りをうちお腹をみせる子狼の無防備な姿にきゅんっとなりながら周りの気配を探る。愛情深いと言われている人狼が子供一匹を放置しているわけがない。下手に手を出して命を散らすなんて事はしたくない。少なくとも俺の感知できる範囲にはいないようなので少しだけ警戒をとく。
流石にこの状態で実験は行えないので、今まで放置していた実験結果をまとめる作業にはいる。作業の間にある程度まとめてあったため、思ったよりも短い時間で終えることができた。
ふと、視線を感じそちらに視線を向けると、いつの間にか起きていたらしい子狼がぬぼーっとこちらを見上げていた。怖がらせないように気をつけながら撫でると、もっとと言わんばかりに俺の手に体を擦り付けてくる。可愛い。
しかし、流石に子供を実験体にするのは気が引けるのでそっと膝からおろし「ばいばい」と手をふる。子狼はくぅんと一鳴きするとさっと草むらの中に走って行ってしまった。可愛かったのでまた会えるといいな、と思いながら机の上を片付け拠点の中に入ると。
「きゃんっ」
何故か先程別れたはずの子狼がキリッとした顔つきで俺のカバンの中に入っていた。その可愛さに胸をおさえる。ウチの子にしよう、そうしよう。
「さて、連れ帰ったはいいけどどうしたものか……」
こっそりと屋敷に連れ帰った子狼を前に頭を悩ませる。人狼は子供の頃から丈夫だとは言われてるが、流石にそこまで人の心を失ってはいない。
ころんとお腹をみせて、撫でてアピールをしてくる子狼のお腹を撫でる。そういえば、人狼はいつから人の姿をとるようになるのだろうか。文献にはそこまでのことは記載されてなかった。
屋敷までの道中でこちらの言葉を理解してるのはわかっているが、言葉を話せるかはわからない。
「なぁ、お前の名前は何ていうんだ」
今まで気にしてなかったが、一緒に暮らすのなら名前がないと不便なことに気づき尋ねる。子狼はわふんと答えるが、生憎俺は犬の言葉はわからない。
それじゃわかんねーよ、とお腹をわしゃわしゃ撫でまわしていると、子狼はころんと伏せの状態になると爆発した。
いや、実際は爆発してないけど、ぼふんっという音とともに煙が舞い、あたり一面真っ白になる。文献に人狼が狼から人になるとき、煙に包まれるとは書いてあったが、音もでるとは思わなかった。
子供だし、あまり変身に慣れていないのだろうと辺りをつけつつ、煙が消えるのを待つ。狼の時の姿から想像するにまだ小さい子になるんだろうなと自分の腰辺りの高さに視線をもっていく。徐々に煙が晴れていき、俺の視線の先に現れたのはあどけない年の子供……ではなく、俺よりも大きい息子をぶら下げた股間だった。
慌てて視線を上にあげると、俺よりも身長が高く体つきもしっかりとした男が眠たそうな顔をして立っていた。裏切られた気分である。
想像してほしい、通常より少し大きめのもふもふポメラニアンが、百九十くらいのがたいのいい男になると思うだろうか、いや、思わない。ベビーフェイスが唯一の名残だ。
「な……ぎ……。レオ、おれ、凪」
人の姿にショックを受けていると、子狼は少し掠れた声で自分を指差し名前を教えてくれる。首を傾げ、たどたどしい喋り方で一生懸命伝える姿に体格など些事と知る。
「凪って言うのな、よろしくな凪」
こくんと頷く凪の頭をわしゃわしゃしながら、この体なら実験体になれるかもしれないと思ってしまった。
凪と暮らし始めて早半年。
俺は凪を実験体としては扱わず、むしろ甲斐甲斐しくお世話をしていた。俺と出会うまでずっと狼の姿で過ごしていたらしく、人の姿での生活は不慣れでなにかある度に横から手を出してたら、いつの間にか今に至る。
今でこそこんなに色々と世話してるが、最初はちゃんと実験体として扱っていたのだ。だが、そっこうで痛いのは嫌だと拒否されてしまったので、凪の身体的データだけとって、計算上でシミュレーションしながら実験を行っている。本当は実験体でちゃんと経過とかみたいのだが、凪が嫌がるなら仕方ない。
それならばと勉強を教えると、地頭が良いらしく教えれば教えるほど吸収していくので、時々凪が不貞腐れるまで続けてしまうことがある。その時は凪の気がすむまでお世話する。勿論、狼の姿の凪をだ。
「レオー、お風呂掃除してたら濡れちゃったー」
風呂場から凪の声が聞こえ、急いで向かうとびっちゃり頭から濡れている凪がいた。仕方ないなーと棚からバスタオルを取り出すと拭き始める。
最近お手伝いにハマってる凪は主に掃除をしてくれるのだが、たまにこういったミスをする。ドジっ子だなのかもしれない。
そんな風に凪と戯れていると、とある来客を知らせるベルが屋敷に鳴り響いた。
俺は小さくため息をつくと、凪に断り玄関……ではなく実験室の奥にある倉庫の出入口に向かった。扉を開けると数人の人間が恭しく頭をたれる。
「玲王様、どうか我々を玲王様の糧にしてください」
「ありがとう。ただ、今は他に調べたいことがあってな。暫くは大丈夫だから」
貼り付けた笑みでそう告げると、人間たちは少し顔を歪めながら再び頭をたれる。ごめんな、と扉を閉め息を一つつく。凪と出会うまでは、今日の様に実験体立候補者がきたらお言葉に甘えて楽しく実験させてもらっていたが、今となっては不要。何度も断ってはいるのだが、定期的に訪ねてくる。
毎回違う面子で訪ねてくるのを考えると、一度くらい相手してあげたほうがいいのかもしれない。が、人間を使うような実験がないので要望に答えることはできない。
さてどうしたものか、と考えていると再び凪の呼ぶ声が聞こえたので思考を切り替える。このとき些事と放置せず、ちゃんと対応していればあの事件は起こらなかったかもしれないが後悔先に立たず、である。
それから数日後。
特に何もなく、俺は実験に明け暮れていた。まやかしの森で見つけた植物から新しい成分らしきものをみつけてそれの抽出に躍起になっていたら時が過ぎていた、という感じだ。
実験の最中、凪が何度か俺の世話をしてくれたり、俺の散らかした器具を片付けてくれたりしてた気がするが、どうやら今は近くにいないようだ。時計を確認すると二時すぎ。おそらくお昼寝でもしているのだろう。時間も丁度いいし、お茶にでもしようか、と手早く片付けを済ませ台所に向かう。
台所についてすぐ違和感に気づく。作り途中らしく、切りっぱなしの材料や水につけっぱなしの野菜、空っぽの鍋。どうやら、凪がお昼の支度をしてくれていたらしいが、途中で離席したらしい。凪は面倒くさがりではあるが、物事を中途半端な状態で放置することはない。
つまり、何かしらののっぴきならない事情があったということだ。知り合いもほぼほぼいない凪に俺以外の理由があるのか。空っぽの鍋に触れた瞬間、外から爆発音が響いき、咄嗟に玄関に向かって走り出す。
おそらく、いや絶対に爆発音がした場所に凪がいる。寝不足からくる足のふらつきを無視しつつ階段をすっ飛ばしながら転がるように外に出るとそこには血に汚れ、チリに汚れた凪がいつか見た人間たちに囲まれるように立っていた。
「凪っ!!」
叫ぶように名を呼びながら駆け寄る。
あ、レオ、と呑気に返事する凪のチリを払い、怪我の確認をする。どうやら返り血のみで凪自身は無傷のようだ。よかった。
「玲王様っ! 危ないですからそついから離れてくださいっ」
「そうです! そやつは玲王様のことを虎視眈々と狙っているケダモノですぞっ」
ケダモノって、凪は人狼だから当たり前だし、どちらかと言うと俺の方が凪の体狙ってるのだけれど。口々に喚き立てる人間を睨みつけながら凪を庇うと、人間たちから叫び声があがる。
あまりの五月蠅さに耳を塞ぐ。俺よりも耳の良い凪も顔を顰めている。蹲りそうになる凪に近付こうと重心をズラしたタイミングで、耳を塞いでいた腕を引っ張られる。瞬時に踏ん張るが、睡眠不足がたたり次々と伸びてくる腕に強く引っ張られて凪から離されてしまう。
「レオっ…」
凪が慌てて手を伸ばすが、その手を掴む前に人間たちの壁に阻まれて俺の視界から凪がみえなくなる。
小さく舌打ちをして凪の方に向かおうとするが、後ろから横から腕が伸びてきて体に絡みついてくる。正直気持ち悪い。振り解こうとしても、また別の腕に絡まれてどうにも動けない。
それでも必死に藻掻いていると、壁の隙間から凪が見えたと思ったその次の瞬間、農具を持った人間が凪の頭目掛けてその農具を振り下ろした。
「〜~〜~っ」
声にならない絶叫が喉から漏れ出す。人間たちは一撃だけでは飽き足らず、二撃目、三撃目と追撃をしている。凪は一撃目をいれられた時の姿のまま微動だにせず俯いている。
どうにかして拘束を解こうと手足を動かしていると、後から薬品の匂いしたので咄嗟に息を止めると口と鼻を少し湿った布で覆われる。俺が暴れるから実力行使に出たらしいが、お生憎様、この薬品は大量に吸い込まなければ意識消失はせず、また気化も早いので少し息を我慢すれば気を失うことはない。
ただそれは体調が万全の時の話だ。顔をそらし軽く息を吸うが、気化しかけてる薬品まで吸ってしまう。意識を失うほどではないが、力ががくんと抜け、微睡みの中にいるように意識が少し遠のく。五感が鈍くなる中、凪の地を這うように低い声だけはしっかりと聞こえた。
「レオに汚い手で触るな……」
一瞬の浮遊感の後、馴染み深い体温と力強い腕に抱かれる。遅れて俺の周りにいた人間たちの手足や首が吹き飛び、血のシャワーが降り注ぐ。一拍おいて阿鼻叫喚が周囲からあふれるが、凪は事も無げに手についた血を振り払い、俺を抱え直す。
殺気を周囲に撒き散らし、瞳孔を開き、牙を剥き出しにし、爪を人間にたてる姿は今までにみたことない姿で、胸が高鳴るのを感じる。俺には一切の負荷をかけることなく、ありえない速さで人間を屠っていく。
時間にしてわずか数分。その場に立っているのは凪と俺だけだった。正しく言うと俺は抱えられているので、立っているのは凪一人なのだが。
生き物が俺たち以外いないのを確認した凪は、ハッとしたように俺の方に視線をよこすと、またハッとした顔をしてあわあわしながら俺を風呂場に押し込んだ。どうやら返り血が頬についていたらしい。別に頬についた血なんて気にしなくていいのに。ちなみに、凪は無傷だった。人狼の体が丈夫すぎる気がする。
面白いくらいに慌てている凪は、服きたままの俺を空の浴槽に入れると、「間違えた!」という顔をした後、俺を脱衣所の椅子に座らせると湯をはろうと蛇口を回して思いっきりシャワーを頭から被っていた。普通に笑った。
嫌がる凪を無理やり風呂場に引っ張り込み一緒にお風呂に入る。いつもは全身一気に洗ってさっさと湯船に浸かるのに、俺を丁寧に洗ったあと、三回も洗い直してから凪はそっと湯船に浸かった。浴槽はそこそこ広いが、大きな体を縮こませてちょこんと座っていたので、にょきっと凪の足の間に入って寄りかかるように座る。すると、凪はまたあわてて距離を取ろうとするが、隅っこに座ってたのもあり逃げることが出来ず、何故かホールドアップしていた。失笑した。
体が温まってくると、忘れていた眠気が俺を夢の世界に誘い始める。全身を預けるように寄りかかると、凪が上擦った声で何やら話し始めるが、その声が俺の耳に届く前に俺の意識はフェードアウトした。
目を覚ますと寝間着に着替えさせられ寝室で寝ていた。部屋は真っ暗で、どうやら夜中らしい。寝ぼけ眼でぼけっとあたりを見渡すと、隣に毛玉が丸くなって寝てるのに気がついた。
いつもは人の姿で寝ているので珍しいなとちょこんとはみ出てる前足を指先で撫でると、びくんと毛玉が動いたあと、おずおずと顔がこちらを向いた。
起こしてしまったかと、謝ろうとしたら「レオ、ごめんね」と少し幼い話し方でぺしょんと謝ってきた。存外しっかりとした声だったので寝てなかったんだなと思う反面、子狼の姿でも喋れることに驚く。
「本当はレオが実験してる間に全部片付けちゃおうと思ったんだけど、思ったよりあの人間たちしつこくて……」
確かに、あの場には少なくみても五十人以上はいたと思う。俺が外に出た時には既に何人か地面に伏してたから実際はもっといたとは思う。
「全部ないないしちゃおうとも思ったんだけど、だけど……」
震える声で言葉を紡ぐその姿を抱きしめる。
「ありがとうな、凪。俺を守ってくれて」
ちゅっと鼻先に口付けを落とすと、ぽふんと音がしてびっくり顔の凪が現れる。はくはくと口を何回か開閉すると、でも、と話を続ける。
「でも、俺、レオの大事な実験体全部壊しちゃったし……。本当にごめんね」
項垂れる凪の頭を撫でる。実験体とは定期的に俺の為になりたいと押しかけていた人間たちのことだろう。別に凪が気にすることではないのに。
「俺にとって大事なのは凪、お前だよ」
おでこを擦り合わせて鼻をちょんとくっつける。潤んだ瞳を伏せて、凪はもう一度ごめんねと呟くとそのまま眠ってしまった。俺は凪をもう一撫ですると再び夢の世界へと旅立った。
さて、今回の事件の原因である実験体立候補者の扱いをどうしたものかと悩んでいたらあっさりと凪が解決してくれた。しかも平和的な解決方法で。
朝早くに起きた凪は昨日の片付けをしながら俺の実験途中のデータをみたらしい。そして、その実験のデータ採取の為に彼らを使ってあげればいいのではないかと。確かに、今回の実験では人狼のデータは使えなく、中断せざるを得なかったのだ。
俺は、勢いよく凪に飛びつくとわしゃわしゃ頭をなで回す。
「凪は頭いいなー! ご褒美になんでもあげるぜ」
「ん? 今なんでもって言った?」
「おぅ、なんでもいいぜ!」
俺にできることなら任せろー! と満面笑みで答えると、凪は小さく呟いたあとじゃあねと、俺の耳元に口を近づける。
「 」
ぼふんっと顔を赤くした俺に、満足気に凪が口付けをおとした。凪の願いは俺たちだけの秘密。
完