「十時には帰します」
パタン。そんな音をたてて閉まった扉の前で私は棒立ちになっていた。意識が浮上して一人ではないことを思い出し、彼に声を掛ける。正しくは同意を求めようとしたのだけれど。
「なんだか…」
先に切り出したのはまだ扉を見つめている彼のほうだった。
「娘を彼氏に預ける気分ていうのかな…鋼は男なのに、変だけど」
「…気持ちはわかるわ」
自分と考えていたことが予々同じで、私は同意した。
見送った同級生達は友人であるけれど、鋼くんが荒船くんを慕っていて、二人が師弟関係だということもおかしな見え方の要因なのだと思う。荒船くんも慕われように応える振る舞いをするので、それが一層紛らわしさに拍車をかけている。
「私達も夕飯にしましょう」
時刻は夜の七時前。いつもなら三人で囲むことの多い食卓。今夜はメンバーが入れ替わる。言わずもがな出掛けてしまった鋼くんはいない。太一も、鋼くん達が向かったお祭りでお腹を満たして帰る予定。一人になった私に合わせてなのだろうけど、帰宅して食事を摂ることも少なくない隊長と二人での夕飯になった。
「「いただきます」」
声を揃えて箸を手に取る。伸ばした器に盛ったポテトサラダを咀嚼する際、目の前の人は汁物を最初に口にしていたことに気付く。音を立てずに味噌汁を飲んでから、こちらに向かい一言。
「美味しい」
「良かった」
来馬先輩だけではないけれど、律儀だと思う。嬉しくないわけはないし何時ものこととして慣れたのであまり謙遜はしなくなった。
「良かったといえばだけど」
一瞬、彼らを送り出した扉の方向にまた目をやりながら来馬先輩は続ける。
「鋼のこと。よかったよね。荒船くんと仲直りできて、あんなに楽しそうにしてる」
「貴方のおかげじゃない」
「そうかな。自分の功績を自慢するみたいに話すつもりはなかったんだけど」
「わかってるわよ」
あんなに、と耳にして確かにと頷いた。迎えがくる直前まで夕飯の支度を手伝ってくれた鋼くんの上機嫌はわかりやすいものだったからだ。今頃は荒船くん以外の友人達とも合流して、騒がしさの中で声をあげて笑っているのだろうと思う。想像がつく程度には彼が友人達と過ごすことに価値を感じる人間だと知っている。勿論、部隊で過ごす時間も同じように思ってくれていることだって理解していた。
「でもきっと鋼くんは、来馬先輩のおかげだってすごく感謝してると思う」
「……鋼、なにか言ったの?」
「ずっと言ってるようなものよ」
身に覚えがあったのか、けれど納得したという素振りはみせずに来馬先輩はポテトサラダに箸を運ぶ。鋼くんの献身は隊服姿のトリオン体の際だけに限らない。来馬先輩が食べるならと私に丁寧に確認をとりながらジャガイモを潰していた。別に誰かに振る舞うものに差をつけるつもりもないのだろうけれど、気合いというのは自然に切り替わる。素直な鋼くんなら尚更。
「けど、僕は話を聞いただけだし。それを言うなら荒船くんだから鋼は救われたんだと思う」
一理あるのかもしれない。鋼くんを泣かせてしまった原因が荒船くんの行動にあるとはいえ、ボーダーに所属する者の中で鋼くんのSEを理由に彼と距離を取る人間が皆無というわけではないのだろう。顔見知りの大半は心強い仲間として、はたまた好敵手として歓迎している。決して特別なことではないけれど、そうではない事例を鋼くんは既に経験しているのだ。
「荒船くんみたいな友達ができて鋼もよかったよね」
あまり人が好いと、理論とやらが完成した暁にはエースが荒船隊に勧誘されるなんてことにも成りかねないんじゃないかしら。なんてよろしくない冗談は頭の中だけに留めておいた。きっと来馬先輩は困りはするものの鋼くんの好きなようにさせてあげたいと言い、そんな台詞を万が一にも聞いてしまった鋼くんの姿は大まかに予想がつく。程度が測れないのが怖い。
「本当に親みたいよ、先輩」
「鋼はご両親にとって自慢の息子さんなんだろうな」
否定せず照れたように苦く笑いながら来馬先輩は言った。
「僕、鋼みたいな子供だったら凄く可愛がる自信がある。門限も二十時とかにするかもしれないなぁなんて…流石に過保護だね」
「鋼くんなら喜びそうだけど」
「えっ」
今度はどうやら思い当たることができないらしい。驚いている先輩に苦笑いを返して、メインのお魚を食べることにする。あまり鋼くんの話ばかりしていては太一が拗ねてしまいそうだから、次は私から太一の話題を振ることにしよう。