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    undeadale

    @undeadale

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    POIPOI 19

    undeadale

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    思考内の口調とか悩んでいる。ええんかこれで……なんもわからん。

    官解釈本の触りの部分 背にした壁を伝って、馬鹿みたいに早鐘を打つ自分の心音を感じる。ずりりと左手を壁にこすりつけても、厚いコンクリートのそれは融け消えてはくれない。短く荒い呼気が自分のものではなく、どこか遠くで鳴るノイズのようだった。喉が詰まって上手く酸素が回らない。呼吸の仕方も忘れてしまうくらい、目の前の男に釘付けになっていた。
     フードを深く被ってなお、薄闇の中に光る鮮紅の刃。それが男の額を突いて、まるで鬼の角のように見える。自らの血を凝固させて刃を作る吸血鬼。
    「つ、辻斬りナギリ……」
     いつぞや耳にした恐るべき怪人の名を震える声で呟いた。男はどこか愉しげにキヒッと喉奥で嗤う。
     縋るように腰の銃に手を伸ばした。本来自分のような一介の巡査が使う機会などない代物だ。だが初の実践とはいえ、躊躇している暇はない。震える手を何とか抑え込んで、可能な限り冷静に人差し指を握り込む。
     空気を裂く破裂音が五回。乾いた路地の壁に幾度か跳ねたそれは、自分を残して夜の闇へと融け消えていく。五つの内三つの銀塊は確かに男の頭を打ち抜いたのに、それでも此方に滲み寄る影の歩みは止まらなかった。マズルフラッシュの合間、弓なりに歪む男の笑みを見た。爛々と光る血色の目。それと同じ色の体液が、銃弾の射抜いた穴を埋めるように蠢いて新たな刃を生み出した。
     反動で痺れているのか、血が回らずかじかんでいるのか。カチカチと空虚を吐き出す銃は手から滑り落ち、乾いた路地裏にがらんと音を立てた。同時に、辻斬りの掌から刃渡り数十センチもの刃がずるりと抜き出る。月夜の下で赤が煌めく。
     あ。死ぬ。
     逃げなければと判断する前に、体が全てを諦めてしまった。それでも恐怖は溢れだし、叫びとなって喉を切り裂いた。
    「うっ、うわぁああああああああ!!!!!!」
     路地に反響する自分の声。胸から腹までを灼く一閃の熱。意識がぐらりと傾いて、暗い闇へと落ちていく。

     ああ、ああ。
     警官になんてならなければ良かったんだ。


     ***


     深い海の底から無理やり引き揚げられたみたいだ。夢と現実の水圧差についていけず、未だ眠りの端を重りのように引きずった頭がぐわんと掻き回る。
     打ち上げられたのはベッドの上だった。必要だったことを思い出したように体に流れ込む酸素と、白い光に眩暈がする。全身を熱が包んでいるのに内側は妙に寒々しくて身震いした。とても気持ちの良い目覚めとは言えない。眠る前の記憶がぽこんと抜け落ちていて、知らない風景と相まって思考が上手くまとまらない。
     此処はどこだろう。パニックを起こしそうな頭を落ち着けて、周りを見渡す。悪夢を見た後特有の、ささくれだった神経が必要以上に感覚を尖らせていた。視界は白い天井と白い布で覆われている。体を包むのは、今の自分には少し暑苦しさを感じるものの、清潔で柔らかな白い寝具だ。耳を澄ませるといくつかの足音と不明瞭な話し声。遠くの方に薬の匂いがする。病院だ、と気付くとほぼ同時に、女性の声で名前を呼ばれた。カーテンを開いたのは若い女性で、予想通りナース服を着ている。
    「ケイさん? ああ、起きられていますね。おはようございます。体調はいかがですか?」
    「たい、ちょう」
     寝起き特有のがさがさした声でオウムのように繰り返して、じくりと腹部を焼く痛みに今頃気が付いた。腹を下した時とも全力で走り込んだ後とも違う、皮膚の表面から内側まで侵食するそれに思わず顔をしかめて腹に手をやる。そんな自分を見て、看護士さんは優しく微笑んだ。
    「痛みますか? 少し辛抱されてくださいね。しっかりと施術していますから、時期に痛みも落ち着きますよ」
     主治医の先生を呼んで来ます、と看護士さんは部屋を出ていく。床頭台に置かれた小さな時計は午前6時13分を示している。そしてようやく、自分が何故ここに寝かされているのか、その理由を思い出した。辻斬りに出会してから、およそ半日が経っていた。

     施術してくれたらしい主治医の先生から、大体の話を聞いた。自分は辻斬りに腹を斬られ、失血で気絶していたらしい。その間に救急で運ばれて、緊急施術となったそうだ。傷口は大きいものの幸いにして深さはそれほどなく、内臓は傷付いていなかったという。包帯を変えられる間に覗き込んだ傷の断面は、確かに綺麗ではあるんだろう。未だ糸を抜かれていない傷は縫い跡に沿って肉が盛り上がり、引っ張られて赤く変色している。作り物ではないその生々しさに、自分の体ながらに目を逸らした。
     問診後、事件の詳細を知りたくて戻り際の先生を引き留めたが、彼は白髪交じりの眉を下げ首を横に振った。彼は医療的な事実しか把握していないらしい。
    「吸血鬼対策課の方が、貴方に話を聞きたいとおっしゃられていました。体調が問題なさそうなら、通っていただいてもかまいませんか」
     勿論、と首を縦に振る。夕方にやってくるらしい吸血鬼対策課を待つことになった。

     腹の痛みのせいか身動きが取れない退屈のせいか。面会までの時間は妙に長く感じられた。けれどその間、暇ではないだろうに休憩時間や非番の合間を縫って、職場の同期や先輩が見舞いに来てくれた。自分の事件は思いのほか大きく周りに知れていたらしい。良く生きてたな、傷見せてくれ、なんて声を掛けられると、嬉しいんだか居た堪れないんだか複雑な気持ちになる。偶々あの場に居合わせただけで、自分は何もできなかった。にも関わらず自尊心が少しばかり上向いてしまうのだから、自分という人間はなんて小さな存在なんだろう。……警官にならなければなんて考えたくせに。戒めるかのように腹の傷がじわりと痛んだ。
     内心の自嘲を隠して同期たちと会話をする中、個室の扉がノックされる。聴取にやってきたのは緑色の髪が特徴的な若い男性だった。確か、比較的最近吸血鬼対策課へと配属された方だ。巡回中に何度か会釈をした憶えがある。夜間にも目立つ白い制服は、昼間の病室の中だと差し色の青が随分映えて眩しく見えた。敬礼の姿勢を取る同期たちに倣い、本官も起こした半身だけで同じようにする。
     取り調べということで、同期たちは好き勝手な挨拶を寄越しながら部屋を出ていった。彼らを見送った後、若葉色のその人は本官の方に向き直る。
    「すみません、ご歓談中に」
    「いえ、事件の方が大事でありますので」
    「助かります。こんな風に言うのもなんですが、被害者からの情報は貴重ですから」
     その言葉にこくりと頷く。ある意味、被害を受けたのが本官だったのは不幸中の幸いと言えるかもしれない。警察関係者の自分は一般人より事情には詳しいし、事件にも慣れている。何より、一般の市民に危害が加わるより断然良い。
     先程まで同期が座っていた丸椅子を勧める。吸対課の彼は会釈をしてそこに腰かけた。彼は警察手帳を取り出して、サギョウと名乗った。自分より少し若いくらいだろうか。それなのにこの吸血鬼が跋扈する新横浜で多忙な業務に勤しんでいるのかと思うと頭が下がる思いだ。
    「早速ですが、始めさせていただきますね」
    「はい……あの、聴取に来られたということはやっぱり」
    「……ええ、辻斬りナギリは未だ確保に至っていません」
     そうでありますか、と口の中で呟く。苦い思いになると同時に、納得もしてしまった。非力な自分ではあったが、銀の弾丸の威力は本物だ。頭に何発も撃ち込まれれば、並みの吸血鬼ならただでは済まないはず。それでも奴はピンピンしていた。不死の肉体を持つ、という話は本当なのだろう。辻斬りナギリと相対したとき、無線で応援を呼びはしたものの、吸対課が到着した頃には倒れた自分の姿しかなかったらしい。
    「まあ、あなたの連絡が早かったからこそ、すぐにあなたを見つけることが出来たわけですし」
    「それでも……くそー……悔しいであります」
    「悔しい?」
     いつぞや見かけた赤毛の少女。新横浜の空を舞うように二刀を操り、巨大な吸血生物を両断した。吸対課のエリートと呼ばれる彼女のように本官にもっと力があれば、吸血鬼と対峙しても怖じ気を感じることがなければ。奴をもう少しくらい、足止めできたのではないだろうか。怪訝な顔を向けたサギョウさんに、そのままの思いを伝える。サギョウさんはぱちりと目を瞬かせた。
    「なんていうか……豪胆な人ですね。そんな風に思うなんて」
    「そ、そんなことは……本官が豪胆であれば、もっと良い立ち回りが出来たはずであります!」
    「うーん、向上心が高いっていうか、正義感が強い、のかな。実際にあなたは襲われて斬られたわけですし、普通はもっと怖がるとかすると思うんですけど」
     なるべくして警察になったんですね、あなたは。
     フォローのつもりだったのだろう。そう言ってくれた彼の言葉は自分の心に染み入ったものの、すぐに乾いて跡がなくなってしまった。言葉通りに受け止めるには、自責の念がまだ強すぎる。


     サギョウさんは小型のノートパソコンを取り出した。テーブルがあればと周りを見回したが、彼が楽に扱えそうな台は残念ながら見つからなかった。その間にもサギョウさんは手慣れた様子で膝の上にパソコンを乗せ、タッチパネルでカーソルを操作している。どうしてパソコンを持ち歩く人は仕事が出来る人に見えるのだろう。憧れる気持ちで一連の様子を見ていた。
    「それでは聴取を始めさせていただきますね」
     事前に用意されていただろう質問が事務的に投げられる。辻斬りに出会った経緯はどうだったか、時間と場所は合っているか、確かに血の刃を扱っていたか。それぞれに淀みなく答えていった。応答の間に、サギョウさんが叩くキーボードの音が連なっていく。画面に向けられていた目があげられ、本官を見据えた。
    「そいつの人相は? 見ましたか?」
     はい! と強く答えようとして、吐き出す前の息が喉に引っ掛かった。声を出せなかったことに自分自身が酷く動揺した。耳の横の血管から、すうと血が引いていくような寒々しい感覚が広がっていく。
     覚えて、いない。
     いや、まさか、そんなはず。確かに顔を見たはずだ。暗がりではあったが、確かに。本官の拳銃が噴いた火が、奴の顔を照らしていた。暗闇に浮かぶ瞬間的なそれは、残像のように本官の目にありありと焼き付いている……はずだった。奴はどんな目をしていただろうか、鼻筋はどうだったか、口元は、どんな肌の色をしていただろうか。頭のどこかには存在しているはずのそれは、掻き出そうと藻掻けば藻掻くほど、分厚い煙の中にどんどん埋もれていくようだ。煙の奥の、フードの下の、爛々とした眼の光しか……思い出せない。
     信じられない気持ちの中、何とか次の言葉を引き出そうと思考を回す本官に、サギョウさんはスッと目を細める。失望されたのでは、と反射的に生唾を飲み込んだ。
    「もしかして、覚えていらっしゃらない?」
    「……は、はい」
     吐き出された溜め息を耳が痛む思いで聞いていた本官に、サギョウさんは「やっぱり」と意外な言葉を口にした。
    「やっぱり、とは?」
    「辻斬りナギリに斬られた人間は、その正体に紐付く記憶を失う、という話があるんです。奴が都市伝説的に有名になっている理由の一つですね」
     辻斬りナギリの特徴こそ知っていたが、その話は初耳だった。奴が正体不明だったのは、単に情報が足りなかったせいだけではないらしい。確かに、思い返せば「辻斬りが捕まった」というような噂も一度や二度は聞いたことがある。その度に逃げ出していたようだが、一度は政府の手に落ちた犯罪者が簡単に行方を眩ませたのも、そういった要因があったからなのか。
    「辻斬りのもう一つの能力なのかもしれません」
    「……すみません、お役に立てず」
    「いえ、予測していた範疇なので」
     サギョウさんは気にしなくて良い、と答えてくれたが、ほんの少し期待をしてくれていたのも事実なのだろう。その後も奇妙に曖昧な記憶を引きずりだして質問に答えたものの、自分でもわかるほどにその内容は些末なものだった。辻斬り逮捕に貢献できるとはとてもじゃないが思えない。焦りと悔しさがない交ぜになり、後半は何を聞かれたかあまり覚えていなかった。

     一通りの聴取が終わり、サギョウさんがノートパソコンをぱたりと畳む。
    「では、これにて聴取を終了します」
    「はい……」
    「あの……本当にあまり気を病まないでくださいね。被害者の中には襲われたことすら曖昧になって、むしろ忘れてしまって良かったって言う方もいるようですし。傷は残らない方が良いと思いますから」
    「……気を遣っていただいてありがとうございます」
     お大事に、と一礼してサギョウさんが部屋を去っていく。革靴の底が次第に遠くなるのを最後に、病室の中はしんと静かになってしまった。本官は見知らぬ場所に一人置いていかれたような心地で、呆然と閉まった扉を見続けていた。

     傷を労りながら体を拭く間も、あまり美味しくない病院食を飲み下す間も、自分の頭の中は辻斬りナギリのことでいっぱいだった。いっぱい、というのは語弊があるかもしれない。そうしたくても出来なかったのだから。奴の姿を思い起こそうとすればするほど、頭の中は靄がかかったように霞んでいく。時間が立つほど靄は強くなり、得体の知れない焦燥を覚えた。手足がむずむずするような、気持ちの悪い不明瞭さが頭を埋め尽くす。確かにそこにあるはずの記憶に、まったく手が届かない。意識の向かう先は空虚だ。思考は何度も何度も振り出しに戻される。あの出来事は自分が作り出した夢だったんじゃないか? 何度目かのループの中でそう思いつき、自分の考えに怖気が走った。これがナギリの能力であるなら、本当になんて恐ろしいことだろうか。自分のことすら信じられなくなったら、一体どうすれば良い。薄い味の夕飯で満たされた筈の胃の中に、飢えに似た気持ち悪さを感じて、小さく咳を吐いた。

     歯がゆい思いと戦っている間も日はゆっくりと傾いていく。いつの間にか日の光は蛍光灯と入れ替わり、気付けばその明かりも落ちる時間になっていた。
     巡回の折に夜間時の説明をした後、何かあれば呼んでくださいねと優しく微笑んだ看護師さんを見送った矢先、情けなくもすぐにナースコールを押したくなった。灯りが落とされた部屋で、どこからか鳴るモーター音が僅かに空気を震わせている。天井の火災報知機やデジタル時計の盤面、医療器具のランプのいくつかが光っていて、部屋は完全な暗闇ではない。にも拘わらず、皮膚を撫でるような恐怖感が身体にこびりついて離れない。じとりと汗の滲む両手をシーツに擦り付けた。薄闇の中、誰かに見られているような気がする。暗いヴェールの数歩先で得体の知れない何かが、否、姿の見えない吸血鬼が、今にもその血の刃をこちらに向けんと嗤っているような気がする。
    「辻斬りナギリ……」
     ぽつりと口に出した。確かにそう口に出せるのにどんなものの名前なのかわからず、奇妙な寒々しさを感じた。こんなにも恐ろしいのに、震えが止まらないのに、自分が何を恐れているのかもわからなくなっていく。
     忘れてしまって良かったって言う方もいるようですし。耳の奥でサギョウさんの声がそう言った。確かに、その方がよっぽど良いに違いない。今はまだじわじわと痛むこの傷も。元々体の一部だったみたいに、身体を洗うときに視界の端に映っても、それを受けた経緯も痛みも思い出さずに。その方がきっと楽だ。いっそ傷が目立たなくなるように手術をしてしまってもいい。
     そのはずなのに……どうして、忘れてしまうことの方が恐ろしいと思うのだろう。
    「……辻斬り、ナギリ」
     もう一度その名を口にする。答える者は当然いない。それに確かに安堵するのに、何故か焦燥も感じた。自分はおかしくなってしまったのか。それとも昨日の今日で、非日常にただ気が立っているだけなのか。
     目を瞑る気になれなくて、しばらく病院の見慣れない天井を眺めていた。

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