猫を拾った、そう言えばこの薄暗いバーで一緒に飲んでいた相手は、イマイチ顔に照明が当たらず見え辛くとも、どんな顔をしているのか大体想像がつく。きっとお前に猫なんて飼えるのかよ、と言いたげな顔をしているだろう。
「お前、猫なんて飼えんの?」
なんなら言ってくるまである。
「さあ?でも小せぇし、大人しいーよ?見にくるかぁ?」
「子猫かよ、遠慮しとく、また今度見せろよ。」
「じゃあ今度なぁ。」
「名前は?なんてーの?」
「タケミチ。」
「ちゃんとした名前つけてんじゃん。」
半間は特になにを言い返すでもなく、くぴ、と一口酒を飲んでニンマリとした笑顔を返した。別に名前は半間が自分で考えて付けたわけではない、拾った時に首輪の内側に書いてあったのを、そのまま呼んでいるだけだ。
しかも猫はタケミチと呼べばちゃんと自分の事だと理解して、にゃーでも、ハイでも、なんとでも言い返してくれる。
「タケミチは面白えの。」
「猫なのに?」
「おん。」
カランッ、グラスの中にある空間を歪んで写す氷が、軽く音を立てた。タケミチが半間にもたらす感情は庇護欲か、それとも好奇心か。それらの結論を出すにはまだ日の浅い交流しかしていない、だが叩けば埃が出る布団みたいに、タケミチからは叩けば、色々な何かが出てくると確信している。
上がった口角が怪しげな雰囲気を出すその表情に、一虎は悪いことしてないのに悪い顔だな。と思い、損してるよな。とも思った。
「猫殺して遊ぶなよ。」
「殺さねえよ。」
一虎は半間のことをどこか、面白いと思ったらなんでもするクソサイコ、と思っている節があるので、割と犯罪をするなという言葉をかけてくる。その度にどんなイメージ持ってんだこいつ、と思いながら「しねえよ。」と返している。
「何でオレ、そんな猫飼えねえとか猫殺すとか、そんなふうに思われてんだ?」
「割と昔からだと思うけど、この間花見した時弁当目当てで寄ってきたハト急に鷲掴みにしたじゃん。」
「ん。」
「そういうこと普通にするから。」
「フワフワでカワイーのに。」
「一般人はまず汚えって思うんだよ。」
「ふーん?」
また酒を飲んだ、確かにハトを鷲掴みにしたあとその場にいる全員から「手を洗って来い」と言われて手洗い場まで行った時、ボロボロのタケミチと出会った。
そのまま持ち帰って、稀咲から「どこまで手洗いに行ってんだ」と連絡が来た時には帰ったと返信したが、後日「あのあと猫拾った」と言ってみれば。
「…飽きたからって変なところには捨てるなよ。」
と言われてしまった。
あの時の命を弄ぶな、と言いたげな稀咲の顔はとにかく面白かった。やっぱり拾って正解だ、と半間の心に確信をもたらすレベルで。
また損する笑顔を浮かべ、一口飲む。
「ゴミ捨て場に沈む前に帰んなよ、オレ明日仕事だし。」
一虎がそう言ってきた、飼い猫の様子も気になるので家に帰ることにした。
「そーだな、じゃ。」
会計をカードで済ませて店を出る、あたりは真っ暗で夜の空はどんよりとしていて雲が近い。雨が降り出しそうだ、天気予報も雨マークに雷のマークまで付いている。明日の出社めんどくせえな、と思いながらタクシーを拾う。
タクシーに行き先を伝えると、フロントガラスに大粒の雨がぶつかった。
発進してすぐ、雨は大雨に変わって、あっという間に天気は荒れた。春というものは予想のつかない空模様で、人間を笑い物にする季節だ。夏に奪われて犯されるだけの季節でもある、一虎の家から近いところで飲んでたので、タクシーにはまだまだ揺られることになる。
あまり行かない街の見慣れない景色から、少しずつ知っている街並みに変わっていく。最寄駅のそばを通過したので、家まであと少しだ。車に体当たりしてくる大粒の雨の音がエンジン音と混ざり合って心地がいい、そんな音を聞きながらぼんやり外を眺めると。
遠くの空がピカっと光る、そしてすぐに大きな雷鳴が太鼓を叩くみたいに響く。相当近くに落ちたのか、光ってすぐに音が聞こえた。
こんなにも荒れる空、久方ぶりに見た。半間はどこかワクワクしたような気持ちで揺られていたが、マンションに着いたので料金を払ってタクシーを降りた。
エントランスに入るまでの短い距離でめちゃくちゃ濡れた、タケミチはもう寝ているだろうか。エレベーターで登り、部屋の鍵を差し込んで開く。
「タケミチ〜。」
こう呼ぶとトコトコ歩いてお迎えしてくれるのだ。
しかし、今日はなぜかお迎えが来ない。
「タケミチ?」
どうしたのかとリビングに行ってみるが、電気がついておらず真っ暗。どこにいるのか、ウロウロと部屋を探してみたがどこにもいない。リビングにいないなら寝室か、と思い部屋の扉を開ける。部屋は暗くここも電気がついていない。
スイッチを押して明るくする、しかしパッと見ではどこにもいない。
どぉん、また雷が落ちて、何処だどこだと探すと。
「ミ」
クローゼットから少し声がした、手をかけて扉を開くとかけていた上着などの服に包まって、耳を押さえつけているタケミチがいた。
「どーしたタケミチ。」
「…。」
タケミチは半間の呼びかけに答えず、ただ耳を押さえつけて耐えていた。しかしまぁ何となく察しはつく、雷が怖いのだろうと思い服に包んだまま抱き上げる。
「もう寝るか。」
酒が入って体が眠いと言っている、風呂はまた明日にして今夜はタケミチから目を離さずに眠ることにした。上着を脱いでベルトを抜いて、靴下をそこらへ放って布団の中に入り込む。
タケミチを胸の辺りで抱え込み目を瞑ると、睡魔がすぐに襲いかかってくる。
「おやすみな、タケミチぃ。」
この言葉を絞り出して眠りの世界に入り込む、タケミチはギュッと抱きついて。
「はんまく、おやすみ。」
と言った。
▽
朝だろうか、カーテンから全く日が差してこないのでわからなかった。まだ雷が時折鳴る、タケミチも昨夜ほどではないが怯えているように見える。
「タケミチも来るか?」
「くる?」
「会社。」
「そと。」
「そ、外。」
「……いく。」
雷が鳴ってる中で外に出るのが怖いのか、あまり乗り気ではなさそうだが、この家に一人でいる方が嫌だったのだろう。とにかく、行くと確認が取れたので半間は自分とタケミチの支度を進めた。
獣人の子供用レインコートなんてものある訳がなく、抱えて傘の中に二人で入る。
マンションから駐車場は屋根がないので濡れてしまう、それにいちいち車庫から出すのも時間がかかる。
今はこの不便さを仕方ないとして受け入れるしかない、タケミチを助手席に乗せて発進する。
会社には20分ほどで着いて、社員証を首から下げる。タケミチには何もないが、抱っこしていれば平気だろう。抱えてそのまま稀咲の元へ向かう。