まだ、犬も喰わない「髪、伸ばしてんのか」
犬王は、結い紐で括られた仔犬のしっぽのような友一の髪を、異形の腕を伸ばして触れる。ぺしぺしと軽く叩くようにしてそのしっぽを揺らして遊んでいる犬王をそのままに、友一はあぁと返事をする。
「そうだ。琵琶法師だが、髪を伸ばす」
「へー。いいじゃん」
犬王は話し上手で、聞き上手だった。うんうんと肯定し、友一の話を聞く体勢をとる。
犬王と友一は日々お互いの芸の研鑽する間に、こうやって秘密の場所に集っては他愛のない話をしていた。今日は一日の終わりがそろそろ見える夕暮れ時に、その場へ二人揃い、そこで友一は髪を伸ばす理由を語りはじめる。
「俺の見目には個性が無いからな。天下に名を轟かそうって役者の歌を謳うのが、こんなただの盲の琵琶法師じゃあ味気ないだろう」
だから髪を伸ばす。長髪の琵琶法師だ、新しいだろう?と嬉しそうに語る友一の様子を、犬王はぽかんと見つめる。友一の属する当道座や、勿論他の座においてもだが、そこに与する琵琶法師たちは皆、剃髪した坊主姿で、友一の言うような長髪の琵琶法師など、見たことがなかった。
こいつが弾いてみせる琵琶の音も、盲であるのに見た目に拘り、飾ろうとするその発想もまた新鮮だった。
「面白い!」
友一の姿と言葉に、犬王は思わず膝を打つ。
「長髪の琵琶法師が語る異形の役者、そしてそいつの演目は平家の新しい物語。これは絶対面白いぞ!」
「ああ!そうだろう!」
友一は、犬王の言葉を聞くや否やバッと勢いよく立ち上がり、天へと拳を高く突き上げた。俺たちを穢いと言った奴らに、まだ我らを知らぬ世間に、目に物を見せてやろう!天上まで昇りつめるぞ!と、友一は力強く叫ぶ。
まるで頑是無い幼子が巫山戯て福笑いで作ったような面を持つ犬王にとって、他人の器量など最早どうでも良いものだった。他人にどう言われようがただ目と鼻と口と、あるだけで満点だと思う。……そう思っていたが、夕日に照らされる友一の横顔を見つめていると、美とはこういうものかと思った。――艶やかにも見える黒髪、すっと通った鼻筋、見えないはずなのに刮開かれた目には、色素の薄い瞳が意思を持ってきらりと光っていた。
まったく、愉快だった。彼の隣で、彼と共にある、それだけでこんな気持ちになる。この時間は誰のものでもなく、まだ俺とお前だけのものであって欲しい。
そんなことを思いながら、犬王も友一に倣って、夕陽へ向かって拳を高く突き上げたのだった。